■スポンサードリンク
(短編集)
ノックス・マシン
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
ノックス・マシンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.12pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白そうだったが、イマイチ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2014年度『このミステリーがすごい!』第1位。 「ノックスマシン」が雑誌に掲載されたのは2008年なので、この短編集全体に与えられた冠だろうか。 いずれにせよ、ミステリ系の賞はどいつもこいつも同じだが、名のある賞を獲っていようが、どこぞのランキングにランクインしていようが、本格ミステリとは限らないし、それどころかそのあたりがミステリなのかさっぱり判らない作品もチラホラ。 ちなみに、誰よりもミステリに淫している著者自身が、本書の作品たちは、本格ミステリを主題にしたSFであって、SFミステリではないと明言している。両者はまったく違う意味だということに注意が必要だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
. 本作は、2013年に刊行され、その年の『このミステリーがすごい!』で第1位に選出された、たいへん評判の良かった作品で、法月綸太郎の代表作の一つだとも言えるだろう。 私も『このミス』の評判をうけて、その年のうちに単行本を買っていたのだが、例によって積ん読の山に埋もれさせてしまい、今頃になってようやく読むことができた。 内容的には、評判になっただけのことはある、じつに凝りに凝った作品集なのだが、アマゾンの読者レビューを見てみると、一般の評判は必ずしも良くないようで、そうとう腹を立てている人もいる。 要は、『このミス』などの結果を受けて、期待をして本作品集を手に取った読者の少なからぬ人が、本作品集の「凝りに凝った」部分についていけなかったようなのだ。ミステリマニアやSFマニアの「マニア心」をくすぐり、「エリート読者」たるの自負を満足させる作りの作品集だったからこそ、エンタメ(大衆娯楽)作品であることを期待した「一般読者」を裏切る結果になってしまったのである。 しかし、法月綸太郎という作家は、もともと「マニア気質」の作家であり「エリート志向」のある作家なのだから、彼に、ごく常識的なエンタメ(大衆娯楽)作品を期待するのは、そもそも無理な話である。 しかしまた、『このミス』の結果を見て、第1位の作品を読んでみようという「一般の読者」が、法月綸太郎という作家がどういう作家なのかを知らないというのもやむを得ないところであるし、『このミス』の投票者が「業界関係者」や「マニア」で占められている以上、こうした齟齬はやむを得ないところなのかもしれない。つまり、無難に面白い「エンタメ」を求める読者は、『このミステリーがすごい!』や『SFが読みたい!』(ましてや『本格ミステリ・ベスト10』)などを参考にすべきではなく、広範な小説作品を対象とした「本屋大賞」などの、「マニア度」の低い「人気投票」を参考にすべきだったのであろう。 ただ私としては、「マニアやエリート読者以外はお断り」的な、法月綸太郎の作風に問題なしとも思わない。 何よりもそれは、プロ作家としての法月綸太郎本人にとっても不本意だろうし、ブームの過ぎてひさしい本格ミステリ業界にとっても、決して喜ばしいことではないからだ。 つまり、プロの作家による商品としての作品であるならば、広く多くの読者に購読され、喜ばれるに越したことはないからで、それは法月個人にとっても同じはずなのである。 じっさい、法月綸太郎はとても器用な作家なので、エンタメを書こうと思えば書けるし、そういう試みも為している。例えば、本作に先んじて2005年に『このミス』第1位に輝いた『怪盗グリフィン、絶体絶命』などは、ジュブナイル作品として書かれたものなので、決して難解な作品ではなく、多くの人が楽しめる作品となっている。 しかしながら、この作品もまた「凝りに凝った作品」であることに変わりはなく、「ジュブナイルの魅力って、こうだよね」といった「マニア心」をくすぐる作品であって、実際に年少の読者に喜ばれ、広く読者を獲得する作品になってはいなかったというのも、偽らざる事実だと言えよう。つまり、法月綸太郎という作家は、根っから「マニア気質」の作家であり「エリート志向」の作家なので、たとえ意識的に「一般受け」をねらった作品を器用に書いたとしても、その器用さを高く評価するのもまた「マニア」や「読書エリート」そうであって、一般的な読者ではないのである。 法月綸太郎が、いかに「ぼくは、別にエリートなんかじゃありません。皆さんと同じ、単なる小説好きですよ」などとアピールしてみたところで、そのアピール自体が、いかにも「鼻持ちならないエリート臭」を漂わせていることに、多くの「一般読者」は気づかされてしまうのである。 つまり、法月綸太郎は、それほどのエリート的な「臭み」を持っており、その上、それに見合うだけの力量を持っているからこそ、マニア層には「共感」を得るのだけれど、一般読者層からは必然的に「反発」を買いやすい作家でもあるのだ。 こうした法月綸太郎の「臭み」というのは、例えば、本作品集で扱われる実在のミステリ作家の描き方にも、よく表れている。「所詮は小説の中での描写でしかない」とは言え、逆に「だからこそ」本音が出てしまう。「これはフィクションなんですから」という「アリバイ」があるからこそ、その本音が漏れてしまうのだ。 具体的に言えば、マニアすら含む多くの人の指摘する、本作品収録短編「引き立て役倶楽部の陰謀」での「ヴァン・ダイン」の扱いなどが、その最たるものである。 ミステリマニアには周知のとおり、ヴァン・ダインという作家は「本格ミステリらしい本格ミステリの形式」を整えた、本格ミステリ黄金期における偉大な「本格ミステリ作家」の一人であり、エラリー・クイーンが強く影響を受けた作家である。 したがって、エラリー・クイーンを真似た作家としてデビューし、いまだにそのことを売りにしている法月綸太郎という作家が、ヴァン・ダインという作家に対して敬意を払わないというのは、むしろ不自然なことだと言えるだろう。 もちろん、現在の視点から見れば、ヴァン・ダインの作品は「古い」かもしれないし、何より評論家でもあったヴァン・ダイン(ウィラード・ハンティントン・ライト)は、「引き立て役倶楽部の陰謀」の中でも描かれているとおり、自らの「美意識」や「理想」に固執しすぎるのあまり偏狭狷介に過ぎて、アガサ・クリスティーなどによる新しい試みに対しては、無理解すぎたかもしれない。 しかし、クリエーターが自らの「美意識」や「理想」に固執しすぎることは、いちがいに責められるべきでないというのは、例えば、法月綸太郎という作家が「マニア気質」の作家であり「エリート志向」のある作家という「個性」を持っているのも「仕方がない」というのと、同じことなのではないだろうか。 じっさい、作家というのは、自分の趣味嗜好に対する強固なこだわりを持っていればこそ、非凡な作品をものにすることもできるのであって、「世間ウケ」ばかりをねらって「マーケティング」に勤しんでいるような作家に、ろくな作品など書けるわけがないのである(それで「売り抜ける作品」が書けたとしてもだ)。 したがって、法月綸太郎のような作家が、ヴァン・ダインの「マニア気質」や「エリート志向」を責めるというのは矛盾した話なのだが、人間には「近親憎悪」というものがあり、えてして「似ているからこそ許せない」ということもあり、法月綸太郎におけるヴァン・ダイン嫌悪なども、まさにそれなのではないだろうか。 法月綸太郎は、進んで「日本のエラリー・クイーン」たろうとしている作家だが、その印象は、実のところエラリー・クイーンよりも、ペダンチック(衒学趣味)でエリート趣味の持ち主であるヴァン・ダインにこそ近い、と言えるだろう。だからこそ、法月綸太郎は「一般(大衆)読者」から「鼻持ちならない」作家だと嫌われるのである。 法月論太郎のこうした「エリート意識」は、表題作「ノックス・マシン」とその続編である「論理蒸発一一ノックス・マシン2」に登場する、実在のミステリ作家にしてカトリックの高位司祭であったロナルド・ノックスへの「好意的な扱い」にも表れていよう。 要は、ノックスは「ミステリ作家として非凡であっただけではなく、カトリック教会の高位聖職者にまで上り詰めた、優れた知性と霊性を兼ね備えた人だった」というのが、作中におけるノックス評であり、これはそのまま、実在したノックスに対する法月綸太郎の評価だと見て間違いあるまい。 しかし、ノックスが、ヴァン・ダインに勝るミステリ作家であったかのような評価というのは、ミステリマニアの間でも、必ずしも説得力を持つものではない。つまり法月綸太郎のノックス好意的評価は、ノックスの「カトリックの高位聖職者」であったという事実に依存しすぎているのだ。 法月綸太郎は、ノックスの「知性」を持ち上げるのに、その「カトリックの高位聖職者」という「霊性(要は、人間性や人柄)」の部分を強調的に持ち出すが、これは実際のところ、単なる「権威主義」にすぎない。 と言うのも、ノックスの「知性」と言うことを本気で問題にするのであれば、その「信仰」と「理性」の矛盾を問わなければならないはずだからだ。 博識の法月綸太郎なら当然知っているであろうとおり、カトリックの信仰においては「イエスの処刑後3日目の、肉体を持った復活」だとか「マリアの無原罪の御宿り、処女懐胎、肉体を伴った被昇天」などという、非科学的にもほどがある「教義」を、ノックスその人を含むカトリック信者たちが「そのまま信じていると、信仰告白している(神に証言している)」という「決定的事実」を知らないはずがない。 それなのに、そうした矛盾には一言半句「疑問」をさし挟まないでおいて、その「高位聖職者という肩書き」でノックスを持ち上げるというのは、あまりにも「非論理的」であり、論理的に「不正実」ではあるまいか。 しかしまた、法月綸太郎が「マニア気質」や「エリート志向」であるという事実を鑑みれば、彼がそうした「人間的誠実さとしての、論理的一貫性」よりも「カトリックという権威」を選ぶのも、ごく自然なことだと言えるだろう。 じつのところ、法月綸太郎にとっては、「本格ミステリ」や「エラリー・クイーン」も、そうした「自らを飾るための権威」であることに、何の違いもないのである。 「カトリック」とは「公同の」という意味であり、要は「世界のどこに行っても同じである、正統なるキリスト教会」という意味であり、後続新参の「プロテスタント」との差異化をはかるための、權威づけ形容詞に他ならない。 要は「我々こそが唯一正統のキリスト教であり、他のは異端。よく言っても、傍流でしかない」という「エリート意識」に発する、臆面もない自己形容なのだ。 そして、こうした形容のしかたは「本格ミステリ」の「本格」という自己形容に、そっくりなのではないだろうか。 「我々こそが本格であり、他は非本格である。当然、我々の方がその(ミステリとしての)本質において優れている」という意識の表れである。 また、こうした「エリート意識」があるからこそ、在来の「日本推理作家協会」では「本格作品は協会賞を受賞しづらく、我々は損をしている」という「エリート意識の裏返しとしての、被差別意識」をつのらせたあげく、「本格ミステリのための賞である、本格ミステリ大賞」の授与主体である「本格ミステリ作家クラブ」を立ち上げることにもなったのだ。 本格ミステリ作家もまた「人間」であるならば、権威が嫌いなわけはなく、欲得のないわけでもないのは、当然のことだったのである。 (ちなみに最近、本格ミステリ作家クラブが、本格ミステリ大賞20周年ということで『本格ミステリの本流』という評論アンソロジーを刊行した。歴代の本格ミステリ大賞受賞作について、同会に所属する作家たちが作品論を書いた、言うなれば、權威づけのための、わかりやすい「お手盛り」本である) ともあれ、そんな人間的な呼称である「本格ミステリ」の「権威」に魅せられている作家の中でも、自他共に認めるその代表格たる法月綸太郎が、「信仰と理性の矛盾」という「わかりやすい問題」に目をつむってでも、ノックスという「カトリックの高位聖職者」に共感を示したというのは、大変わかりやすい態度と言えるのだ。 いくら偉そうにしてみても、ヴァン・ダインなど所詮は一介の「小説家・批評家」でしかないけれども、ノックスは世間一般的にも権威のある「カトリックの高位聖職者」なのだから、「權威」に強い憧れを感じる者ならば、ヴァン・ダインなどより、ロナルド・ノックスの持ち上げ、「そのようになりたい」と願うのは、自然な人間的感情だと言えるのである。 しかし、「カトリックの高位聖職者」というのは、「形式的」には非凡に高い「權威」ではあろうけれど、その内実が必ずしもそんなものであり得ないというのも、世俗的常識のある者にはわかりやすい事実であろう。 つまり、「形式=建て前」としては清廉高潔なはずの「カトリックの高位聖職者」もまた、少なからず「人間」的であったが故に「カトリック司祭による、信者子弟に対する性的虐待事件の多発と隠蔽(スポットライト事件)」だの「バチカン銀行でのマネーロンダリング」だのといった、きわめて「人間的な問題」が噴出表面化したあげく、前ローマ教皇(法王)であったベネディクト16世が異例の生前退位をし、その後を受けたリベラルな現教皇フランシスコが、保守派の強い抵抗に遭いながらも、断固として強力な教会改革に取り組まなければならなかった、というのが、ローマ教皇も認める「カトリック高位聖職者の現実」なのである。(フレデリック・マルテル『ソドム バチカン教皇庁最大の秘密』等参照) つまり、法月綸太郎が憧れる「ノックス的な権威」というのは、基本的には「張子の虎」なのである。 見かけはすごいが、中身まではあてにならない代物でしかないのだが、しかし、法月綸太郎という人は結局ところ、そういう「見かけ」が好きなのだ。 だからこそ、「ノックス・マシン」の作中で、ノックスをことさらに人格者として「描く」その一方で、「引き立て役俱楽部の陰謀」においては、ヴァン・ダインをことさら「嫌な奴」に「描いて」見せたのだ。法月にとって重要なのは、「見かけ」だったのである。 したがって、法月綸太郎という人が「鼻持ちならない奴」だという評価は、まったく正しい。 それは、本格ミステリやハードSFを理解できない「頭の悪い一般読者の妬み」とばかり言えるものではなく、「權威に縁のない一般人」特有の「嗅覚」だったとも言えるのである。 もちろん、そんな「一般人」たちの多くも、法月綸太郎がそうであるように、才能とチャンスさえあれば、「権威」ある人間になりたい、そうした地位につきたいと思うことだろう。その意味では、法月綸太郎と彼らに何ら選ぶところはなく、彼らの「正しい嗅覚」もまた「妬み」に発するものだと言えるのではあるが、原因や動機がどうあれ、彼らの「法月綸太郎評価」が正しいというのは、間違いのない事実だとは言えるのである。 . | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
レビューに様々な意見がありますが、感性が合う人にはたまらない一書ではないかと思います。 グレッグ・イーガンのハードSFに、古典ミステリを掛け合わせたような離れ業を見事に着地させているのでないでしょうか。脇役を集めてこんな陰謀を計らせるなんていう発想に脱帽し、SFの間にこの話が置かれる構成も、とても感じが良いです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
詰め込んだアイデアの量は多くのSF作品をしのぎつつも、その根底にミステリ”マニア”向けのくすぐりを豊富に詰め込んだ労作だと思います。 ただ、肝心のストーリーに面白さが無い。表題作は、前半の怪しげな理論の面白さに比べて、過去に向かった後の物語の陳腐さにがっかりです。なぜノックスの元に向かうのかという根拠付けがないのも、アイデアの強引さとの乖離が目立ってマイナスです。 他の作品も似たようなもので、アイデア、設定の面白さと物語のつまらなさのギャップが目立ちます。 とはいえ、マニア向けのくすぐりが多く、それが分かるマニアのプライドを満足させる作品なのでしょう。 2014年の「このミステリーがすごい」で1位になったそうですが、話が面白かったというよりも、このミスに投票するような人たちが、「この作品の面白さが分かる私って、ミステリを分かっているでしょ」という見栄から、投票したのではないでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分はSFの読み手ではないので、表題作シリーズのSF設定の説明は「?」となってしまった。 知識がないのが悪いのかもだが、「ノックスの十戒」がどうして特異点になったのか、その理由が理解できないままだ。もちろん、ユーモアとして読むべき部分もあるだろうから、こんなことをいうこと自体が無粋なのかもしれないが…。 いずれにせよ、SF的な仕かけがあるミステリは斬新でおもしろかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
実績のある頭の良い方の作品なのでしょうが、庶民に”楽しさ”を与えることが出来ないコンテンツと思いました。@¥200ちょっとだったのはそういう理由だからかもしれませんが、会員になれば無料でもらえるJAF Mateに掲載の読み物の方が読んでてよほど面白いです(たまたま手元にあったので比較)。なので上記値段ですら購入して損したな。。。と感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これは面白い。表題作とその続編、そして「バベルの牢獄」は円城塔のような才気走ったハードSF。題材が本格ミステリのルールとして名高い「ノックスの十戒」、そしてクリステイやクイーンの書いた本格ミステリで、ミステリマニアならとても看過出来ない? さらにSF仕立てでない「引き立て役倶楽部の陰謀」は、名探偵とその相棒と言う決まりを裏切ろうとしたクリスティを断罪しようとする、楽屋落ちのミステリで、作者の本格ミステリへの偏愛ぶりが伺える作品集である。ミステリマニアのお遊びの極みと評するが、好きな人にはたまらない内容ではあるまいか。 一方ごく普通の読者に受ける内容かと言えば大いに疑問。少なくとも、ノーマルなミステリではないので、「?」と受け取られても仕方ないと思う。確実に読み手を選ぶマニアックな内容。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
俺って、こんなことも知ってるんだぞ、みたいな知識ひけらかし作品集。付いて来れない奴は別にいいから、みたいな。 この作品が今年の「このミス」第一位なんですね。それだけで、今年のミステリーが余程不作だったのだなあと思い知らされます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2013年に出た単行本の文庫化。 「ノックス・マシン」「引き立て役倶楽部の陰謀」「バベルの牢獄」「論理蒸発-ノックス・マシン2」の4篇が収められている。 単行本発刊時は『このミス』で1位となるなど話題となった作品だが、棟費用に際しては「いちおう挙げておかなければならない一冊」的な位置づけだったのではないか。 メタっぽくミステリを楽しむ分にはいいが、ストーリーやミステリ的仕掛けとしては、もうひとつ不満が残るように思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
電子書籍版で読了。三篇の短編作品が収録されている。ノックスの十戒として知られる中国人について、発想を物理学や数学の問題へと飛ばし、一応読者を納得させる結論にたどり着く。ひとつの文章の背景に隠れているものが多く、ミステリー小説の初心者はよく意味が分からない展開だと思うかもしれない。私はそれほどミステリーに詳しくないが、たまたま登場する作品を少し読んだことがあるので、この言い回しはあの作品を意識しているのかなどが少し分かった。ミステリー好き(マニア)だったら、もっと深く味わえると思う。数年後に読み返したら、何か新発見があるかもしれない。そんなミステリーの検定試験のような作品でもある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容の7割がた理解不能でした。が、面白いんです。雰囲気だけで楽しむための筋はキチンと入ってくる。作者の筆力を感じます。万人向けではないですが、すすめてみたくなる1冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何かのSFアンソロジーで表題作を読んで、 コレはおもしろい。 他のも読んでみよう、と思ったんですが、 やめとけばよかったです。 面白いからアンソロジーに取り上げられるわけで、 他の作品がそれ以上って道理は無いですわなw | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白かったんですが、「このミス1位」を売り文句にしてるのはマイナス要因かも。 帯に小さく「(一応このミス1位です)」にしといた方が良かったんじゃないか? さておき、「十戒第五項目がなんでタイムトラベルに結びつくんだ?」で手にしました。 なぜ”あの日”が特異点になっているかが焦点になると思われるのですが それに対する回答はないですね。 恐らく、その日にタイムトラベラーの中国人がノックスの眼前に現れる必要があり 歴史的整合性のために特異点になっているのではなかろうか。 (故に、双方向で行き交えるのはその日だけ) そして第五項目は、後の人物の呼び水として機能すべく存在していると。 以下短評 ・引き立て役~ メタな感じでええですね。「アクロイド殺し」の本歌取りみたいなカラクリもあったり。 ただ解説に”原書知らなくても楽しめる”的なことがあったと思うのですが、 他の人のレビューを見る限り、知らないから置いてけぼり感の方が多い印象? あと法月氏は、ヴァン・ダインよりノックスの方が好きなんだろうな~と。 ・バベルの牢獄 これ好き。書籍という媒体ならではの仕掛けも楽しい。 ただ、私が最初にこの技食らったのは、バカミス作品だったりするのですが……。 ・論理蒸発 遠い未来では、こんなことも起こりうるのかも知れません。 そう言えば、野崎まどの「know」も”知”の密度を高めて、 脳内にブラックホールを作る話だったなぁ・・・。 さておき、ユアン・チンルウは元の時空に戻れたのか、その答えが分かる作品です。 最初のノックス・マシン以上に物理・量子力学の専門用語が飛び交い また、引用される過去のミステリー作品の数も多く、筋を踏まえていくだけでも難儀ですが このラストシーンは買いたいです。実に良い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
5作品の短編集.いずれもミステリーというよりSFに近い作品. 全体にSF的な仕掛けから意外性を作っている作品集であるが, SFとしては説得力がなく,ミステリーというには苦しく,中途半端な印象. 例えば,タイトルにもなっているノックス・マシンだが, 小説をコンピュータ解析するというアイディアは面白い. ただ,その手法は統計学的解析であって,理論物理に落とし込もうというのは 無理がありすぎる. その説得力のなさを専門用語で煙に巻くような表現も受け付けない. ミステリーのうんちくが好きな読者には楽しめるのかもしれないが, 個人的にはあまり楽しめなかった. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
法月綸太郎のノン・シリーズ中編集。 書店で刺激的なポップ&帯紙を見て購入。いわく、「このミス1位」「ミステリ界に衝撃と称賛の嵐!」「古典探偵小説とSFが融合」などなど。 ノックスというからには、いわゆる「ノックスの十戒」がネタであることは容易に想像がつく。逆にそこに思いが及ばない場合、本作を読んでも面白いと思えないのではないか。もともとそういう傾向がある気もするが、法月もずいぶん玄人狙いな作品を描いたなというのがまず感想。 まず表題作「ノックス・マシン」。読み始めると果たして、なにやら超科学のキーワードがちりばめられたSF的な物語が始まる。それなりに読みごたえがある話なのだが、しかし、ミステリとSFの両刀使いな読者はいろいろ読んでいて引っかかるのではないか。特に「裸の特異点」「並行宇宙」あたり、いまとなってはSF界ではだいぶ手あかが付いた感があって、どうものめり込めない。 続く2作は飛ばして、4作目の「論理蒸発ーノックスマシン2」。現存する某G社をほうふつとさせるシリコンバレーはパロアルトにある一大情報企業がまずは舞台に。ホーキング放射やら量子もつれやら、またまたSF的キーワードがばんばん出てくる。それを面白がって読んでいるうちは良かったのだが、しかし終盤にきてあごが落ちた。特異点が○○になっていて、それが故に○○はいろんな勢力に○○されて、、、という設定、1980年代のアニメ・超時空ナントカとほぼ同じであります。 うーーーん。読む前の期待値が大きすぎたのか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミステリマニア兼SFマニア(物理マニア)しか楽しめない本。 私のようなただの本好きが手にしても内容が全く理解できない。 作者の自己満足のためだけに書いた本としか思えない。 辞書を読んでいる方がよっぽど面白い。 「このミステリーがすごい」で第1位ということは、世の中にはこの本を理解できるマニアがあふれているということか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何書いているのか意味不明、これといったオチもない。 ここまで読むのが苦痛だった小説はない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ドイル、チェスタトン、クリスティ、ヴァン・ダイン、クイーン等の大御所の作品はほとんど読破しているのみならず、ノックス、バークリー、セイヤーズなんかも最低限フォローしており、一時取り沙汰された「後期クイーン」を巡るゲーデル的問題にも多少の興味があったりもする、そんな海外(古典)ミステリ・ファンであり、かつ、イーガンや小林泰三あたりの量子論ネタのSFが好きで、理系じゃないけどSF好きが高じてブルーバックス等で最新宇宙論や素粒子論の入門書を時たま読み、パリティ対称性の破れとかブラックホールの蒸発なども概念としてちょっとは知っていて、事のついでに倉阪鬼一郎みたいなバカミスも妙に好きだったりする。 そんな希有な読書家にとっては、本書はそうした大量のガジェットが(すこぶる表層的に)詰まった玉手箱であり、これをパロディ、パスティーシュ、オマージュ、メタフィクションといった大風呂敷でもってえいや~!とぶちまけた本書は、にににやしたり、ふふふとほくそ笑んだりして楽しみながら読める快著であろう。 一方、普段は東野圭吾やビブリオ古書堂なんかを読むが、「このミス」第1位の本だからよっぽど面白いミステリなのだろうと思って買ったごく一般の読者は、間違いなく「なにこれ?」で終わるだろう。 辛辣な読者なら、この本は○○大ミステリ研あたりのマニアが矜持を満足させて喜ぶ内輪ネタ本だと裁断するかもしれない。 そんなわけで、わたくし的には5つ星だが、一般向けではないという点で4つ星とさせていただく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
みなさんのレビューに、深くうなずきました。 表題作については、難しい部分は読み流してもいいかも。 でも、頑張って読んだほうが、おもしろさが伝わるような気がします。 私は頑張って読んだので、おもしろかったです。 短編なので、このくらいならがんばれました。 2つ目の作品については、「あの名作ミステリをもう一度読んでみようか」という気になったのが収穫でした。 3つ目の作品については、読むのをやめました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!