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迷宮
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迷宮の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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捻っているようで捻ってないような、なかなか評価に迷うミステリー。テーマとなる猟奇殺人事件は興味深いのだが… 24歳のOL猟奇殺人事件を巡り、ひとりの記憶喪失患者が、治療という名の元に犯罪記録、週刊誌の記事、手記を読まされる。 解説で茶木則雄が古今東西の名作と比較し、このミステリーについて語るのだが、そこまでの作品ではないように思う。 | ||||
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犯人は最初から罪を逃れるために、記憶があるのに偽って、本当に何があったか、語る気はありませんから。 作中のあらゆる報道も登場人物の推理や調査も、 それを読んでいるあなたの読書という行為も全部無駄です。だって真相語る気最初からありませんから。 語ったら罪を問われちゃいますから。そういうオチです。 だから迷宮という題なのです。 迷路で迷ってわけがわからないとか、文句つけるのは、オチの読めないで、完全に作者の思惑どおりですね。 犯人は読者のこと何もわからずにドキマギしてと作中ずっと馬鹿にしています。 作者と犯人にせせら笑われます。 大した作品ではありませんが。 | ||||
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記憶を失った主人公。治療師は治療と称し、奇怪な文書を差し出し、かれに読ませようとする。 それは猟奇殺人事件に関する記事や記録だった。 主人公の正体はいったい? 治療師とはいったいだれなのか? なかなか興味を惹かれる設定と冒頭であり、テーマ性も深い。 パスティーシュや文体模倣を得意とする清水義範氏らしく、記事や調書、小説内小説、テープライティングと書き分けのリアリティも神がかっている。 視点を変えることでひとつの事件を多面的に炙り出すという手法は、芥川の「藪の中」や湊かなえの「告白」などに見られるもので、作者の技巧の高さも相まり、否が応でもラストへの期待を煽られる。 うならされるような美しい台詞も多く、示唆に富む。 ただ、帯や解説の過大な「ミステリとして」の評価はやや煽りすぎだと思えた。 記憶喪失モノ特有のダイナミックなどんでん返し、ミステリ特有のカタルシスの面を期待して読むと肩透かしを食う。 その上、テーマとの兼ね合いから事件そのものに対する物語性も排除されているため、エンターテインメント小説としては成立し難い境地で書かれた作品だといえるだろう。 むしろこの作品の社会性は純文学のそれに近いように思える。 もっと具体的に言おう。この小説はかなり意識的に「フーダニット」「ハウダニット」は完全に捨てられている。 終始、フィーチャーされるのは「ホワイダニット」、犯人はなぜ凶行に及んだか、だ。 愛書家で知られる著者のこと、ミステリの発展史を踏まえ、もっとも今日的なところに意識的に焦点を当てたのだろう。 本書が書かれた当時の社会的な風潮とも重なる。「犯人の心の闇」「なぜモンスターは生まれたか」「犯人の生い立ちと犯行の相関関係」「壊れた家族関係」「孤独な若者世代」それらは一時期のワイドショーを席巻した。それらを考えることが社会的に意義のあることだと、当時は盲信されていた。それを考えることで、未来に起きうる事件も未然に防げるという神話が信じられていた。いま思えば、牧歌的な時代だ。 (むろん、2012年現在でも、たとえば光市の母子殺人事件などで、加害者側の悲惨な生い立ちが免罪符代わりに言及されることも多い。進歩がないといえるが…) だから、本書が描かれた当初の社会的風潮に照らし合わせれば、本書ももっと興味深く読めただろう、とは思う。 しかし時は2012年、時代の移り変わりは作家の意図よりも早く作品を陳腐化せしめてしまう。 いま、本書を読むと、さほど興味は惹かれない。なぜか。読者の多くは、すでに加害者側の事情などどうでもいいと思っているからだ。 幼少期のトラウマが犯行に作用する、などの精神分析学的アプローチは現代においてはもはやオカルト扱いされている。実証できず、反証もできない。すべて茶番だ。わかりやすい物語に当てはめようとしているだけだ。 殺人者の実質とはそういうものではない。現代においては、殺人者への理解は精神分析学的アプローチからより即物的に脳機能学的アプローチへと移行している。 軍事心理学者グロスマンは「社会には生まれつき良心や他人への共感を欠いたサイコパスという人種が一定数存在し、それは戦時下においては英雄となり、平和な時代では殺人鬼となる」と明言した。 サイコパスとは生来、脳機能に欠陥があり、ゆえに生来、冷酷な人格を持った人間のことである。 現代における殺人者への理解は、ひと昔前の「カワイソーな幼少期を送ったから犯人は殺人を犯した」ではなく、いまやこちらの考え方にシフトしている。すなわち、「殺人者は生まれつき脳に欠陥があり、そうするべくして殺人を犯す。悲惨な幼少期を送る人間は多数存在するが、殺人を犯すのはそのごく一部にすぎないからだ」。 つまり現代社会では、本書のような「ホワイダニット」ミステリは娯楽として機能しない。 だれも殺人犯の内面を理解したいとは思わない。心の闇など、暴き出すのにたいした意味はない。事件から学んで今後、活かせることなどなにもない。 ただ、殺人犯は犯した罪だけ償うべきだ。犯人にどんな事情があろうと、悪は悪として裁かれるべきだ。 そういう風潮から、前述の光市殺人事件では犯人に死刑判決が下っている。 こういったドライな考え方が主流になる現代では、より新しいミステリでなければ時代と合致しえない。 奇しくも、「密室殺人ゲーム」シリーズのような、「ホワイダニット」を完全に放棄したミステリが現代躍進しているのは、なにも偶然ではないのである。 | ||||
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えぇえ??? ものすごいあおりの文章に思わず購入した一冊。 「すごいすごいすごい! こんなとてつもない一冊が埋もれていた!!!」 途中までは本当にすごい。 伏線と言うか半ば予測できるようなそうでないような、 およそありえない仕立てにうきうき。 とある猟奇殺人の供述調書や小説仕立ての文章、 あるいはインタビューが連日、記憶喪失(らしい)男の前に出され、 読書(?)が続く。 最後の最後でなにがなにが??と、半ば強引に読み進む。 そうして最後のページをめくって思わず「あれ?」 落丁かと思うほどにぽてっと終わり。。 えー?消化不良というかものすごいキレの悪い感覚。 ちょっとー?? 少ししたらもう一回、読んでみなくちゃ。 誰かがそこまで楽しんで、あたしが楽しめないとしたらすごい損失じゃないか? | ||||
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叙述ミステリーのようで、折原一の小説のイメージがずっとあった。ラストがわかりにくかった。 | ||||
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