怪奇小説という題名の怪奇小説



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    初公開日(参考)1975年01月
    分類

    長編小説

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    怪奇小説という題名の怪奇小説 (1980年) (集英社文庫)

    1980年01月01日 怪奇小説という題名の怪奇小説 (1980年) (集英社文庫)

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    No.8:
    (3pt)

    なんと言っていいやら、奇っ怪な異色作

    この作家さんを読むのは「なめくじ長屋」に続いてまだ2作目です。1929年(昭和4年)生まれで、編集者や作家として2001年まで活躍されたそうで、かなりのベテラン作家さんなのですね。アイデア、構成、文章どれをとってもとてもうまいと思います。

    話は、締め切りに追い立てられている作家が、少しもアイデアがわかず書けなくて、海外無名作家の作品を適当に日本にプロットを移していわば盗作しようとするところから始まります。その作品の内容、自分が書いた文章、自分の日常の行動、それらが区切りなく続けて書かれるので、どこからが創作でどこからが実際にあったことなのか、混沌として不思議な酩酊感をおぼえます。
    作中に挿入されるジョン・スタインベックの「蛇」という小説は実在するもので、これが丸々全部入っているのですが、こんなのアリか?とか、雰囲気作りのためか?とかページ数稼ぎじゃないかとかいろんな考えが頭を横切るのですが(苦笑)これも読者の混乱を誘うためのものなのかも。またこの作品がかなり薄気味悪いもので、蛇嫌いの人はダメかもしれません。

    その後、死んだはずの従姉妹にそっくりの女性を見かけて、その正体を探る話がメインになり、このあたりはミステリかサスペンス的な展開になっていきます。ネタばれするのであまり書けませんが、最後まで読み終わってみれば、ミステリでもホラーでもなく、むしろ「マタンゴ」や「怪奇○○人間」のような特撮映画、または香山滋の怪奇、伝奇、探検小説のような荒唐無稽な作品に近いような気がします。1980年作なので、世間でもまだウルトラ・シリーズとかそのあたりのドラマや映画の名残があったためかもしれません。

    あとがきで道尾秀介氏が、自分が作家への道をめざすに当たって運命的な出会いになった作品と絶賛されています。かといって道尾氏と作風が似ているわけではありませんが。
    個性的で奇怪な作品ですが、個人的にはそこまでのものかなあ・・というのが正直な感想です。
    怪奇小説という題名の怪奇小説 (1980年) (集英社文庫)Amazon書評・レビュー:怪奇小説という題名の怪奇小説 (1980年) (集英社文庫)より
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    No.7:
    (4pt)

    脱出不可能な迷宮

    「私」は、長編怪奇小説を依頼された小説家。だが筆が進まない。
    思いあぐねた挙げ句、マーク・ルーキンズという日本では無名の作家のホラー小説“The Purple Stranger”(未翻訳)を、舞台を日本に置き換える形で盗作することを決意する。そのまま引き写すのは気が引けるので、自分の幼少期の不思議な記憶も織り交ぜつつ。

    自分の記憶を掘り起こすために思い出の場所を散策した「私」は、30年前に死んだ従姉そっくりの女を見かける。「私」はその女性の正体を調べようとするが、その過程で次々と奇妙な出来事が起こり、だんだんと深みにはまっていく。何よりも不気味なのは、自分にふりかかる出来事と“The Purple Stranger”の内容が妙に符合することだ。現実と虚構が交錯し、混沌の中に迷い込んでしまった「私」の運命やいかに・・・

    荒唐無稽な展開に思えるが、その実、周到に計算されていて、巧妙な伏線が張られている。人間にとって一番恐ろしいのは、理解していたつもりが全く理解できていなかったという事実に気づくこと。つまりは、自分の信じていた世界が音を立てて崩れていくこと。怪奇幻想という迷路から脱出するための唯一の光は理性であるが、実はそのライトが全然当てにならない紛い物であったとしたら・・・? 終盤に登場する地下迷宮。あれは本当は、人間の頭の中にあるのだ。
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    No.6:
    (4pt)

    全然”混沌”としていない・・・

    かれこれ30年ほど前、高校一年生の頃初めて読んだのですが・・・
    あらためて読み返すにあったって、スタインベックの小説がまるまる入っていることのほかは、主人公よろしく、トラウマ的なインパクトのある錦絵や従妹のお化け花火、がんくびなどの件以降の展開をすっかり忘れてしまっていたのでした・・・
    ・・・が、都筑道夫の小説としては物足りなさを感じたことも覚えています。
    再文庫化にあたって道尾秀介がその”混沌”さを絶賛していますが・・・読み直しながら高校時代に感じたこの物足りなさは、全然”混沌”としていないからだとあらためて気づいたのでした。
    序盤の混沌さは主人公の生い立ちが徐々に明らかになることで、(あくまで)怪奇小説的には論理的な説明がついてゆき、クライマックスに向かって読むほどに怖くなくなっていく読書感です。
    真相に至っても都筑道夫ミステリー的な論理な飛躍(の怪奇小説版)は感じられず、作中作者が言っているような、最初から古色蒼然な正統派長編怪奇小説を目指していたならあれでもいいと思うのですが、なまじっか奇想天外な始まり方をしていただけに仕掛けが裏目に出た感じは拭えません。
    個人的記憶では「二重露出」や「猫の舌に釘を打て」「やぶにらみの時計」のほうがミステリーなのに・・・いや、ミステリーと銘打たれているからこそよっぽど混沌としていいて、面白かったように思います。先にこれらを読んだのがまずかったのかもしれません・・・。
    なお、著者は1977年頃ラジオで某ミステリー・シリーズ(「夜のミステリー」だっけ?)の案内人をやっており・・・これがミステリーと銘打ちながらホラーな”混沌”としたストーリーばかりで、当時中学生の私の度肝を抜いたものです・・・そういう意味ではこれが私版の都筑道夫>混沌>衝撃体験なのでしょう。
    「怪奇小説という題名の怪奇小説」を読むにあたって、ああいうものを期待していたことは否めません。原作は必ずしも都筑道夫作品ばかりではありませんでしたが・・・小説の復刻だけでなく、ラジオ・ドラマの復刻もしてほしいものです。
    いずれにしても日本長編怪奇小説としては史上に残る先駆的な作品には違いないので★四つ。
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    No.5:
    (3pt)

    きちんとした文章の奇書

    道尾秀介が直木賞を受賞し、それに絡めて、彼がとても好きな作家の好きな作品ということで、彼の解説をつけて再版された。
     わたし自身は、道尾のデビュー作を読んだ時に、そのあざとさが大変印象悪く、以後道尾の作品は読んでいない。しかし、都築が巧い作家だということはミステリファンの間では有名であり、薄い本でもあったので、手にした。

     一般に奇書と呼ばれる作品である。
     しかし、奇書と呼ばれるたぐいの、とっちらかった奇妙な作品、純文学的な読者にめまいを起こさせることを目的としたような作品が苦手な方は、安心されると良い。そういった作品ではない。
     極めて理性的で、おちついた筆致から入り、超自然的なものごとを、推理小説的な解釈をしようとしながら進行する。後半、人物がややご都合主義的に動き、論理が破綻してくるが、描写にはごまかしがなく、安心できる。

     面白い本である。
     しかし都築の作品の中で、出来の良い物ではなく、絶版だった理由もそこはかとなくわかる。
     読んだ人の少ない本なのかと思っていたが、実際に読んでみて、この本に言及したエッセイ(誰の作品かわからない)を読んだことがあることを思い出した。つまり、結構有名な本だったのである。
     確かに、出来はともかくも、印象に残る本である。
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    No.4:
    (3pt)

    冒険小説? 伝奇小説?

    今はあまり小説は読まないのですが、若いときに怪奇小説を良く読んだので、新聞広告に触発されて買って見ました。
    なんとなく、やる気のなさそうな出だしですが、段々盛り上がってきます。よく映画や芝居に「劇中劇」という分野がありますが、ここでは昔読んだペーパーバックを読み返しているうちに、主人公がその小説の中に入り込んだり、現実の世界に舞い戻ったり、現実と小説の間を行ったり来たりしながら話しが進んで行くことに新味を感じました。
    最期は,怪奇小説というよりも、南洋一郎の冒険小説、角田喜久雄の伝奇小説、海野十三の空想科学小説などのクライマックスを思い出します。
    その意味で、身の毛もよだつ怪奇小説を期待していると当てが外れるかもしれません。
    怪奇小説という題名の怪奇小説 (1980年) (集英社文庫)Amazon書評・レビュー:怪奇小説という題名の怪奇小説 (1980年) (集英社文庫)より
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