十二神将変
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文芸に全く疎い私には歯がたちませんでした。読者失格です。。。 | ||||
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読後数日経ってようやく感想を書く気になる。 秘密の集まりから死人が出、その謎解きなのだが、花木、宝石、茶道、仏像、歌曲などを物語の道具とし、集まりの妖しさが粘り気をもった美しさで語り進められる。 言葉、というか文字が漢字と旧仮名遣いで表され、内容と合わせて見た目にも重さが感じられる。 だが、決して読みづらいということはなく、読むうちにそこで描かれる世界にどっぷりと嵌まり込み、気がつくと、集まりの秘密を知った自分の身を不安に思ってしまうくらいに引き摺り込まれていた。 事件の解明と共に用いられた道具たちに込められた意味にも興味が湧き、時間をおいてもう一度読もうかなと思った。 | ||||
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くらくらと、目眩(めまい)するような読み心地。文章の字面(じづら)が、まず、凄いと感じました。一例を挙げれば、登場人物のひとり、淡輪空晶(たんのわ くうしょう)の外見を描写するくだりに《顔は叢(くさむら)同様の髭鬚髯、》p.8 てのがあります。この「髭鬚髯」は、最初、「ひげぼうぼう」と読んだのですが、改めて漢和辞典を引いてみれば、「ひげ ひげ ひげ」と読むこともできるし、「くちひげ あごひげ ほおひげ」と読んでも良いかもしれない。とにかく、この字面を見ただけで、空晶って人物はひげもじゃなんだなってのがイメージとして、良く伝わってきます。 あるいは、次の文章の字面も凄い。《未雉子(みちこ)女史の口吻(くちぶり)もなかなか虚虚実実(きょきょじつじつ)だつたがあんたも切札出さずに相手の手を読まうと虎視眈耽(こしたんたん)、一寸(ちょっと)した見物(みもの)で手に汗を握つたぜ。中を刳(く)り抜いて金銀瑠璃玻璃(こんごんるりはり)でも詰めてあるのかな。》p.126 「虚虚実実」と「虎視眈耽」を対句(ついく)のように用い、さらに「金銀瑠璃玻璃」の漢字六つの文字面まであって。しかもこの文章、会話文の一部ですからね。現代かなづかいではなく、昔の歴史的かなづかいを用いて書かれているので、読み進むうちに馴染んでくるとはいえ、こうした書きぶりが肌に合わない、煩(わずら)わしいと感じる方は、本書は受けつけないかも、です。 音楽やら茶道やら、そういう芸術、芸能に精通した登場人物たちがまた、魅力的でした。とりわけ、198ページの長広舌(ちょうこうぜつ)が心にしみる淡輪空晶(たんのわ くうしょう)と、一筋縄ではいかない強者(つわもの)の女性、貴船未雉子(きふね みちこ)の二人。強く印象に残りました。 若かりし頃、クラシック音楽を聴き漁ったわたしには、随所に出てくるクラシック音楽に心誘われるものがありました。なかでも、飾磨天道(しかま てんとう)の書斎から流れてくるオルフの『カルミナ・ブラーナ』の音楽(本書の215ページ。オイゲン・ヨッフム指揮の名盤あり)を飾磨正午(しかま しょうご)が耳にする場面、飾磨沙果子(しかま さかこ)がシャルル・ボードレールの詩『旅への誘(いざな)い』(フランスの作曲家・デュパルクに名歌曲あり。ジェラール・スゼーや、エリー・アメリンクの名唄あり)を口ずさむ場面(本書の163ページ)。音楽の香気が漂ってくるみたい。忘れがたいです。 本書を手にとるきっかけとなったのは、本文庫の帯の謳(うた)い文句を書いていらっしゃる翻訳家、エッセイストの岸本佐知子さんが、雑誌『BRUTUS 2022年1月1・15日合併号』のなかで紹介、水先案内されている文章を目にしたから。その一部を引かせていただきます。 《短歌の巨匠の筆によるものなので、言葉に対する感覚が研ぎ澄まされていて、その高い精度と密度、鋭さのまま書かれた、怜悧(れいり)でアカデミックな耽美的ミステリー。美しい文章の行間から淫靡(いんび)な蜜のようなエキスが溢れ出ています。(中略)翻訳に疲れたらパラパラとめくりますが、どこを開いても一行一行からわっと蜜を浴び、何かがチャージされる。完全に麻薬です。物語にも文章にも何層も奥があるので、次々と発見があり、これを味わうだけの知識と教養が足りていないからもっと調べたくなる。だから100回読んでも飽きないんです。》p.36 本文庫の巻末解説でも、島内景二氏が次のように書いていらっしゃる。《『十二神将変』はミステリー仕立てになっているが、謎が解き明かされたあとでも何度も読み直したいという誘惑に駆られる。それは、ことばの美しさや謎解きもさることながら、人間心理に関するアプローチがすばらしいからである。》p.263 わたしにとっても、無類の読みごたえがある小説でした。まさに、「酔いしれる」という感じ。宝石がきらきらと輝いているみたいな字面や言葉の美しさ。膨大な文学や音楽、茶道や干支(えと)などの知識に裏打ちされた登場人物たちの会話、そのやり取りの魅力。おしまいの一行を読み終えて、また最初から読み返したくなる、そんな誘惑に満ち満ちた逸品。堪能(たんのう)しました。 | ||||
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塚本邦雄は、小栗虫太郎、久生十蘭からヴァン=ダインまでを愛読する、推理小説のファンである。特に中期の短歌作品には、無数の謎が仕掛けられている。解読することによって、知的な法悦感が得られる。本作も九星花園の作る魔法陣に、美しくも毒のある花を華麗に咲かせた。しかし、歌人という門外漢の小説であったためだろう。ジャンル意識の強かった発表当時の推理小説界では、評価が低かった。残念なことである。時を経て読み返せば、十二神将は慈愛のまなざしを持って、人間界の惨劇を静かに見下ろしている。 | ||||
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