(短編集)
田舎のポルシェ
- ロードノベル (31)
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ポルシェ、ボルボ、ロケバスアリアの3編からなる短編小説であるが、篠田作品らしいスケール感に 乏しく、展開が中途半端な感じがして、作品に集中できなかった。 | ||||
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群馬で生まれた軽トラックは ”農道のポルシェ” が一般的な呼び名では? 脳内ジェットコースターの様な感覚にはなれなかったです。 | ||||
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好きな作家さんだから、 こういうのもいいですね! | ||||
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あまり引き込まれる内容ではありませんでしたq | ||||
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篠田節子さんのお名前は随分前から存じ上げていたけども手に取る機会が訪れずに云十年。「田舎のポルシェ」というタイトルに白の軽トラが飾る表紙に惹かれ、文庫化を機に購読。 構成は三作からなる短編集。表題作の他「ボルボ」「ロケバスアリア」を収録。各短編のタイトルからもご推察頂けると思うが全作品ともに主役が車に乗って旅をする姿を追ったロードムービー風味の作品。 「田舎のポルシェ」 岐阜県に住む公務員の女性が東京の実家から米を受け取り持って帰らなければならなくなり、同僚の紹介で車を持つ友人を紹介して貰う事に。台風の接近が報じられ一日での往復を余儀なくされる中、待ち合わせ場所に現れたのは一台の軽トラと紫ツナギの自分と同年配と思しき三十代のあまりガラが良いようには思えない男。 リアエンジンリアドライブの軽トラを「田舎のポルシェ」と呼ぶ男は煽ってきたドライバーを返り討ちにするなど見た目通りの人物の様だが、実家の酒屋が潰れて厳しい生活を余儀なくされているらしい。東京は東京でも八王子のそのまた外れにある実家が近付くにつれ主人公の女性は自分にとって檻でしかなかった実家の記憶を思い出し…… 「ボルボ」 非鉄金属メーカーを勤め上げ、定年退職者となった男は妻を通じて知り合った同年配で勤め先の印刷会社が定年直前で突然倒産した同年配の男とカーフェリーで学生時代を過ごした北海道へ旅立つ事に。 海外勤務が多かった現役時代、スウェーデンで出会ったボルボに憧れ吝嗇家な妻の猛反対を押し切ってボルボを購入したは良いが20年もの間乗り回したボルボはガタガタに。燃費の悪さを「500円玉を道路に敷き詰めながら走ってる。次は軽だ」と責める妻から逃げ出す様な旅だったが、連れが誘ってくれたのは贔屓作家の北海道での講演。 しかし誘ってくれた連れの男は件の作家とやり手編集者として働く年若い妻の関係を疑っている事が見え隠れし始め…… 「ロケバスアリア」 夫が亡くなった後は老健施設で働く70代女性。コロナ禍で施設のイベントも軒並み中止となる中で、歌う事だけを楽しみにしてきた彼女に緊急事態宣言でイベントが軒並み中止となった浜松のイベント会場が一般利用を認めたというニュースが飛び込んで来る。 浜松にあるイベント会場に送ってくれるという孫が用意したのは勤務先であるロケバス会社から借りてきたというマイクロバス。娘がネット通販で購入してくれたというドレスを手に浜松へ向かう主人公は孫がプロのDVD製作ディレクターまで頼んだと聞かされ仰天。 だが辿り着いた浜松の会場で彼女を待っていたのはディレクターからのダメだしの山。嫌気のさした彼女には追い討ちを掛ける様な出来事が…… ……おう、苦い。しかし慌てて吐き出す程の苦さではなく人生の一部として吞み込める程度の苦さだ。三編ともに描かれる旅はストレートな愉快さとは程遠い。けど最後には自分自身を受容する主人公たちを見ていると「人生なんて上手くいくことばかりじゃ無いものなあ」と妙に納得させられる不思議な読後感が残った。 若干コメディータッチの雰囲気を孕んだ「ロケバスアリア」を除けば主人公の造形も「好人物」とは言えない。表題作の主人公である増島翠なんて風体が紫ツナギにゴールドのネックレスという旅の相方である 瀬沼に警戒心バリバリな上に実家に対する悪感情を隠そうともしないので「可愛げも愛想も無い女性だな」と面食らう方も多いかも。 「ボルボ」の主役でありボルボのオーナーである定年退職者・伊能剛夫も吝嗇な妻に長年付き合ってる間にボロ車と成り果てた愛車ともどもボロカスに言われ続ける人生に草臥れている感が拭えず、どうにも遣り切れなさが漂っている。 ただ、彼らのどこかクセのある造形に面食らいながら読み進めると風向きが変わって来るのも事実。翠が大学進学で「脱出」するまで過ごした実家の状況は「『東京』の名を冠した土地にこんな家父長制社会が?」と唖然とする物がある。劇中で翠が詰るこの土地を地盤とした有力代議士がツルんでいる某教団の事を思えばそういう土地柄なのだなあ、と納得させられる部分も。 「ボルボ」の方も最初は妻への不満を隠そうともしない伊能に「古臭いサラリーマン親爺だな」と思わされながら、連れで若干スノッブくさい男・斎藤が北海道へと出向いた「妻の不貞を疑っている」という理由が明かされるにつれ相対化というか、世の男どもは沽券に縛られて本当にどうしようもないのだなと苦笑せざるを得なくなるといった次第。 そんな苦笑せざるを得ない苦い旅のまま両短編とも終わるのかと思ったら最後に彼らの人生を象徴する様な大量の大して旨くも無い米やエアコンもまともに効かないボロ車が意外な形で意味を持つ事に。決してこれで彼ら主人公たちの苦い人生が終わる訳じゃ無いのだけど、ホンのちょっぴりの救いになっているのも確かなのである。 全体的には苦々しい事ばかりだけど、そんな苦々しさの合間にちょっとした救いがある事で人間は何とか生きていけるのだよなと思わされるバランスの取り方は甘ったるいだけの小説が読めなくなった身としては中々にハマるものがあったかと。 その中でも三篇のラストを飾った「ロケバスアリア」だけは若干テイストが異なっている。主人公の70代女性・春江は古希を迎えた今も老健施設で働き、夫に先立たれても娘家族や孫もいて孤独とは縁遠いし、一度はグレかけた孫を立ち直らせた過去を持つなど性格的にもサッパリして好人物然としている。 トラブルは多々あれど何とか収録を済ませた高齢女性のハレの舞台を描いた作品に「なんだ、こんな柔らかい感じの話も書けるのか」と思わされるのだが……最後の最後に巨大爆弾が。 浜松で春江が歌ったのは「トスカ」の一幕で歌われる「歌に生き、愛に生き」なのだけど、この明るいオバさんには似つかわしくない曲を歌うもんだなと読者の誰もが思わされるだろう。だが、歌を愛してきた春江が迎えた運命が明かされる場面で誰もが知る。 「Nell'ora del dolore perché, perché Signore, perché me ne rimuneri così?(この悲しみのときに どうして、どうして、神よ どうしてこのように私に報いるのですか?)」 という歌詞はまさに春江の為にあったのだと。何も悪い事などしていないのに理不尽が突き付けられる事など人生にザラにあるのだとこの短編は高らかに歌い上げるのである。ある意味最後に救いが与えられる他の二編とは対照的な作品だと言えるかも。 苦味の後にちょっぴりの救いが来る作品とコメディータッチの最後に明るい絶望みたいなものが来る作品、苦さがあってこその人生だよねという境地を受け入れざるを得ない年代となった今の自分には丁度いい味付けの短編集であった。 | ||||
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