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(短編集)
田舎のポルシェ
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田舎のポルシェの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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ポルシェ、ボルボ、ロケバスアリアの3編からなる短編小説であるが、篠田作品らしいスケール感に 乏しく、展開が中途半端な感じがして、作品に集中できなかった。 | ||||
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群馬で生まれた軽トラックは ”農道のポルシェ” が一般的な呼び名では? 脳内ジェットコースターの様な感覚にはなれなかったです。 | ||||
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好きな作家さんだから、 こういうのもいいですね! | ||||
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あまり引き込まれる内容ではありませんでしたq | ||||
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篠田節子さんのお名前は随分前から存じ上げていたけども手に取る機会が訪れずに云十年。「田舎のポルシェ」というタイトルに白の軽トラが飾る表紙に惹かれ、文庫化を機に購読。 構成は三作からなる短編集。表題作の他「ボルボ」「ロケバスアリア」を収録。各短編のタイトルからもご推察頂けると思うが全作品ともに主役が車に乗って旅をする姿を追ったロードムービー風味の作品。 「田舎のポルシェ」 岐阜県に住む公務員の女性が東京の実家から米を受け取り持って帰らなければならなくなり、同僚の紹介で車を持つ友人を紹介して貰う事に。台風の接近が報じられ一日での往復を余儀なくされる中、待ち合わせ場所に現れたのは一台の軽トラと紫ツナギの自分と同年配と思しき三十代のあまりガラが良いようには思えない男。 リアエンジンリアドライブの軽トラを「田舎のポルシェ」と呼ぶ男は煽ってきたドライバーを返り討ちにするなど見た目通りの人物の様だが、実家の酒屋が潰れて厳しい生活を余儀なくされているらしい。東京は東京でも八王子のそのまた外れにある実家が近付くにつれ主人公の女性は自分にとって檻でしかなかった実家の記憶を思い出し…… 「ボルボ」 非鉄金属メーカーを勤め上げ、定年退職者となった男は妻を通じて知り合った同年配で勤め先の印刷会社が定年直前で突然倒産した同年配の男とカーフェリーで学生時代を過ごした北海道へ旅立つ事に。 海外勤務が多かった現役時代、スウェーデンで出会ったボルボに憧れ吝嗇家な妻の猛反対を押し切ってボルボを購入したは良いが20年もの間乗り回したボルボはガタガタに。燃費の悪さを「500円玉を道路に敷き詰めながら走ってる。次は軽だ」と責める妻から逃げ出す様な旅だったが、連れが誘ってくれたのは贔屓作家の北海道での講演。 しかし誘ってくれた連れの男は件の作家とやり手編集者として働く年若い妻の関係を疑っている事が見え隠れし始め…… 「ロケバスアリア」 夫が亡くなった後は老健施設で働く70代女性。コロナ禍で施設のイベントも軒並み中止となる中で、歌う事だけを楽しみにしてきた彼女に緊急事態宣言でイベントが軒並み中止となった浜松のイベント会場が一般利用を認めたというニュースが飛び込んで来る。 浜松にあるイベント会場に送ってくれるという孫が用意したのは勤務先であるロケバス会社から借りてきたというマイクロバス。娘がネット通販で購入してくれたというドレスを手に浜松へ向かう主人公は孫がプロのDVD製作ディレクターまで頼んだと聞かされ仰天。 だが辿り着いた浜松の会場で彼女を待っていたのはディレクターからのダメだしの山。嫌気のさした彼女には追い討ちを掛ける様な出来事が…… ……おう、苦い。しかし慌てて吐き出す程の苦さではなく人生の一部として吞み込める程度の苦さだ。三編ともに描かれる旅はストレートな愉快さとは程遠い。けど最後には自分自身を受容する主人公たちを見ていると「人生なんて上手くいくことばかりじゃ無いものなあ」と妙に納得させられる不思議な読後感が残った。 若干コメディータッチの雰囲気を孕んだ「ロケバスアリア」を除けば主人公の造形も「好人物」とは言えない。表題作の主人公である増島翠なんて風体が紫ツナギにゴールドのネックレスという旅の相方である 瀬沼に警戒心バリバリな上に実家に対する悪感情を隠そうともしないので「可愛げも愛想も無い女性だな」と面食らう方も多いかも。 「ボルボ」の主役でありボルボのオーナーである定年退職者・伊能剛夫も吝嗇な妻に長年付き合ってる間にボロ車と成り果てた愛車ともどもボロカスに言われ続ける人生に草臥れている感が拭えず、どうにも遣り切れなさが漂っている。 ただ、彼らのどこかクセのある造形に面食らいながら読み進めると風向きが変わって来るのも事実。翠が大学進学で「脱出」するまで過ごした実家の状況は「『東京』の名を冠した土地にこんな家父長制社会が?」と唖然とする物がある。劇中で翠が詰るこの土地を地盤とした有力代議士がツルんでいる某教団の事を思えばそういう土地柄なのだなあ、と納得させられる部分も。 「ボルボ」の方も最初は妻への不満を隠そうともしない伊能に「古臭いサラリーマン親爺だな」と思わされながら、連れで若干スノッブくさい男・斎藤が北海道へと出向いた「妻の不貞を疑っている」という理由が明かされるにつれ相対化というか、世の男どもは沽券に縛られて本当にどうしようもないのだなと苦笑せざるを得なくなるといった次第。 そんな苦笑せざるを得ない苦い旅のまま両短編とも終わるのかと思ったら最後に彼らの人生を象徴する様な大量の大して旨くも無い米やエアコンもまともに効かないボロ車が意外な形で意味を持つ事に。決してこれで彼ら主人公たちの苦い人生が終わる訳じゃ無いのだけど、ホンのちょっぴりの救いになっているのも確かなのである。 全体的には苦々しい事ばかりだけど、そんな苦々しさの合間にちょっとした救いがある事で人間は何とか生きていけるのだよなと思わされるバランスの取り方は甘ったるいだけの小説が読めなくなった身としては中々にハマるものがあったかと。 その中でも三篇のラストを飾った「ロケバスアリア」だけは若干テイストが異なっている。主人公の70代女性・春江は古希を迎えた今も老健施設で働き、夫に先立たれても娘家族や孫もいて孤独とは縁遠いし、一度はグレかけた孫を立ち直らせた過去を持つなど性格的にもサッパリして好人物然としている。 トラブルは多々あれど何とか収録を済ませた高齢女性のハレの舞台を描いた作品に「なんだ、こんな柔らかい感じの話も書けるのか」と思わされるのだが……最後の最後に巨大爆弾が。 浜松で春江が歌ったのは「トスカ」の一幕で歌われる「歌に生き、愛に生き」なのだけど、この明るいオバさんには似つかわしくない曲を歌うもんだなと読者の誰もが思わされるだろう。だが、歌を愛してきた春江が迎えた運命が明かされる場面で誰もが知る。 「Nell'ora del dolore perché, perché Signore, perché me ne rimuneri così?(この悲しみのときに どうして、どうして、神よ どうしてこのように私に報いるのですか?)」 という歌詞はまさに春江の為にあったのだと。何も悪い事などしていないのに理不尽が突き付けられる事など人生にザラにあるのだとこの短編は高らかに歌い上げるのである。ある意味最後に救いが与えられる他の二編とは対照的な作品だと言えるかも。 苦味の後にちょっぴりの救いが来る作品とコメディータッチの最後に明るい絶望みたいなものが来る作品、苦さがあってこその人生だよねという境地を受け入れざるを得ない年代となった今の自分には丁度いい味付けの短編集であった。 | ||||
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読みやすい | ||||
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2023/08/17 「田舎のポルシェ」「ボルボ」「ロケバスアリア」という中編三作からなる小説集。どれも車に関連する表題だが、中身はロードノベルかなあ。ロードノベルというとなんとなく爽やかさや感動的な印象だが、作者の年齢からするとそうはいかない。 ポルシェはリアエンジンでリアドライブ。軽トラにも一車種だけこの仕様のものがある。田舎仕様はこちらのほう。ボルボはひねりのないが、ボルボ・ステーションワゴンのこと。箱型のデカイやつ。かなり古いタイプ。ロケバスはそのもの。アリアがからんでいるところが泣かせる。 | ||||
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3作の短編のうち初めの「田舎のポルシェ 」はまあまあ楽しめましたが、2作目と3作目とも物語の基本的な構図が同じです。加えて全体には3作とも「こんなこと実際にはあるかあ⁉︎」というエピソードの連続で、途中から読むのが苦痛になってきました。 最後に、腫瘍が声を出す神経に浸潤していると、手術するしないにかかわらず嗄声(かすれ声)になって綺麗な声は出ません。 | ||||
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初めてこの作者の作品を読んだが、最初は少しダラけてきた部分があったが 後半の締めはあまり読み物にはない奇想天外で痛快なものである。 途中で痛快劇も出てくるが。 とにかく私にとってはない作風である。 | ||||
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大好きな篠田さんの作品。いつもの重厚さは鳴りを潜めていますが、人間模様はあいかわらず素晴らしい! しばらく読書から遠ざかっていましたが、またいろいろ読みたくなりました。 そういう効力のある本です。 | ||||
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短編よりもちょっと長い3篇のお話 篠田節子と車 意外な組み合わせだ。 新鮮な気分で読んだ。 どこか冷静な語り手が、同じ車に乗り合わせたことから起こること、 話すこと 心を通わすこと それぞれ滋味深い。 同じ世代か、少し上の作者の作品は、 あぁそうだなぁ、 と共感できるところがうれしい。 ページをめくるのが楽しい、 そこから自分のことと重ねて深く思いを馳せられること、 読書の楽しみを改めて感じさせてくれた。 どなたかの感想に、軽い、とあった。 深くも重くも書ける作者が、あえて軽めに書いたからこその滋味深さなのではないかと わたしは思う | ||||
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今どきの作家の小説はこんなものなんですかね。タイトルに惹かれて買いましたが、書店で手に取っていたら買わなかったです。 | ||||
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一気読みしました。 ポルシェ以外は漫画 | ||||
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冷静になってみると いくら何でもそこ迄のトラブルのドミノ倒しもないだろうよ、と突っ込みたくなる流れなんだが、篠田氏の場合、やり過ぎのドミノ倒しが全く気にならず、必然と思えてくるのがいつも不思議だ だからこそ氏のお話が好きなんだけど 瀬沼の判断の速さが良いなあ。急場の時、目の前で即席ブラックジャックで窓割られたら、惚れる 「こんな家に住んでて、娘の電車賃払えねえは、嘘だろ」 「払えねえ」じゃなくて「払わねえ」んだよねー…あったなあ…そういうの ヤク中はぶっ殺さなければ治らない と 外出自粛やリモートワークが可能なのも限られた人々 に、1票 ご苦労もなにも、あたしたちの時代はみんなそんなもんでしょ の精神性が、好きだ 楽しく面白く読みました | ||||
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3編の物語があり、とあるきっかけでほとんど知らない者同士が長距離を共に過ごすことになる。 どこにも行けない今だからこそ、車窓を想像しながら、ああ、また旅行したいなあと思った。 また、それぞれの物語は他愛もないところから始まるが途中で事件が起きたりして起伏があり面白かった。 コロナ禍の状況がつぶさに反映されていて、リアルでした。 | ||||
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著者の作品は「インドクリスタル」以来になります。インドの風土と因襲、業、輪廻などを描いた深さに感嘆しましたが、本書はまた別の書き口で、上手で上品な小説らしい小説集です。小説の共通のテーマに「自動車」を据えたロードムービー風人情噺、とでも言いましょうか。 「田舎のポルシェ」は、軽トラになぜか米を満載にして東京から岐阜に向かう話。農家事情、家族、生い立ち、台風、犯罪などなど本当にうまく伏線が貼られており、見事に収束させる技はまさに仕事師としての面目躍如です。蛇足ながらいくらシートをかぶせていたとしても暴風雨のなかでの移動ですから、お米はすぐに天日干しにしないとカビてしまいますのでご注意を。 「ボルボ」。確かに四角というか台形のハッチバックは流行りました。トラックなみの全長で日本では運転しにくかったでしょうね。ちょっとオチは強引な感じもします。 「ロケバスアリア」。現状のコロナ状況を盛り込みながら、さりげなく高度成長期の集団就職に触れて最後に哀しみと希望を、という「王道系」です。 | ||||
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中編小説が3本収録されている。 3本ともクルマに関わる物語である。 1本目の「田舎のポルシェ」は、東京の田舎に産まれ、その古い因習が嫌で実家を離れて岐阜で働く女性が、その東京の実家の田圃で収穫された米を受け取りに行く話だ。 潰れた酒屋の息子にクルマ出しを頼むのだがそれが軽トラで、折からの台風直撃もあって大変な事態に陥っていく。 篠田節子が得意な「女たちのジハード」的世界と「ゴサインタン」「弥勒」的な異境物がミックスされた作品で、やはり彼女は上手いし、篠田節子的な世界を確立している。 「ボルボ」という作品も、「ロケバス」という作品もそれぞれに、篠田節子でなくては出せない味がある。 田舎のポルシェの意味は、登場人物の潰れた酒屋の息子が軽トラのことを「リアエンジンリアドライブ、田舎のポルシェだ」と言ったことから取っている。 軽トラでリアエンジンリアドライブと言えば、スバルサンバーしかない(スバルサンバーは荷室の下にエンジンがあるが、他のメーカーの軽トラのエンジンは運転席の下にある)。 実は、4年前に不慮の事故で他界した、年若い友人が大のクルマ好きで、実家のスバルサンバーでぼくに薪ストーブの薪を届けてくれたとき、「これってリアエンジン、リアドライブ。ポルシェとこれだけです」と自慢していた。 そのことを思い出し、少し切なくなった。 それから、クルマに関して気になる記述が「ボルボ」という作品の中にある。 エンジンブレーキに関することである。 北海道にドライブに行き、燃料が足りなくなりそうなシチュエーションで、こういう記述がある。 「この先はおそらくニセコの町までずっと下りだ。燃料はそれほど食わない、と安心したいところだがそうはいかない。ギアをローに入れてエンジンブレーキで降りていかなければならない。しかし、それをやったら燃費が持たない。エンジンを切って走ればいいというのは、俗説だ・・・」 確かに、エンジンを切って走ればいいというのは俗説であり危険極まりないが、エンジンブレーキをかけるとギアを下げるので燃費が悪くなるというのも俗説である。 エンジンブレーキがかかると燃料がすべてカットされる。 アイドリングよりも燃料を使わない。 理論上は燃料消費はゼロになる。 エンジンブレーキで下っていけば、問題ないのである。 エンジンを切ることを俗説というスタンスで書くなら、エンジンブレーキについても調べて書いてほしかった。 まあ、好きな作家なので、赦してしまうのだがw | ||||
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本書に収録された三つの短篇の眼目は、それまで全く赤の他人だったり関係が薄かったりした人と人とが出会い、しばし同じ空間内で言葉を交わしたり行動を共にしたりしていくうちに、その人への印象が当初の表面的なものから変わり、初めのうちは見えていなかったその人物の人間性が浮かび上がってくる、そこのところにあったように思いました。 なので、《ひとたびアクセルを踏み込めば 日常は冒険に変わる》という帯の文句から予想したのとは違う印象を、本書の短篇に持ったんですね。この日常がわくわくするようなものへと変わる冒険のスリルとか面白さとかではなく、同じ空間で行動を共にするうちに深まり、親密なものになっていく人間の距離感の変化というか、そこに収録短篇の面白味を感じました。 収録短篇は、いずれも『オール讀物』に初出掲載されたもの。 「田舎のポルシェ」は『2020年9・10月合併号』に、「ボルボ」は『2020年2月号』に、「ロケバスアリア」は『2021年1月号』に、それぞれ掲載された作品です。 なかで、わたしが一番気に入ったのは、おしまいの「ロケバスアリア」。 コロナ禍のなか、齢(よわい)70歳を迎えたおかんが、一世一代の夢を実現させるべく、浜松にある音楽ホールへと向かうところから話がはじまる短篇。 読んでいて、途中で何度も胸が熱くなったなあ。話の主役となるおかんはもとより、その孫と、録音ディレクターの三人がひとつのチームとなり、夢の実現に向けて真剣に、ひたむきになる姿に、じんとしびれました。 | ||||
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軽トラやボルボなど、車で遠出することになった道中で起こるちょっとした出来事の物語。 篠田節子の作品としては、短編集のためかいつもの人間の業に迫るようなテイストではなく、比較的軽めのタッチで人の心の内を描く。 そのため読みやすく、誰でも受け入れやすい。 ただいつもの著者の人生の奥深さや骨太さを期待するとあっさりしすぎて物足りない部分が残る。 | ||||
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