天啓の宴



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初公開日(参考)1996年11月
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長編小説

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天啓の宴 (創元推理文庫)

2007年07月01日 天啓の宴 (創元推理文庫)

新人賞受賞が内定しながら、担当編集者と選考委員の目にしかふれぬまま失われた幻の小説「天啓の宴」―デビュー二作目が書けずに悩む作家・天童は興味を覚え、その謎を追究し始める。一方『昏い天使』でデビューしつつも、第二作を破棄して失踪した宗像は、出獄してくる親友のため、山荘に篭って回想記を書いていたが…。究極の小説を希求する作家たちの織りなす傑作ミステリ。(「BOOK」データベースより)




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No.2:
(3pt)

複雑なメタフィクション

「天啓の宴」笠井潔はメタフィクションの手法で書かれている。
視点人物が複数登場し、その視点人物ごとに語られる「事実」が決定的なところで異なる。
しかも「天啓の宴」という作品は、本書のタイトルであるだけでなく、物語の中で手記のノートとして、小説1として、さらに小説2として存在する。
それらが入れ子構造となって、読み進みながら読者は翻弄される。
一体何が事実なのか?
何度も構造的に、視点的に、いったん事実とされた視点がひっくり返されていく。

思弁的でなければ、このような小説は書けないだろうし、書こうとも思わないだろう。
それぞれの視点が、論理矛盾していないかどうか、それに読み手の整理が追いつかない面もある。
何故、笠井はこのような手法で書いたのだろう?
描こうとしたことに最適の手法と考えたのか?
それとも、自分はメタフィクションも書けるということを示したかったのか?

ぼくが本書を読もうと思ったのは、矢吹駆シリーズの最新作「青銅の悲劇」での語り手である宗像冬樹が、元々はこの「天啓の宴」の主人公として設定されていた、ということを知ったからである。

ただ、「天啓の宴」と「青銅の悲劇」の宗像では、一貫的な整合性に欠けている、ように思える。
性格設定も微妙に異なる。
本書の中の宗像が、そのまま「青銅の悲劇」に登場しているというのには無理がある。

ではなぜか?
そこをあまり考えてみても仕方がないのかもしれない。

因みに本書でも、三島の事件、爆弾事件、そしてオウムの事件を背景として描かれている。
これは矢吹駆シリーズもほぼ同じで、著者の一貫したテーマである。
天啓の宴 (創元推理文庫)Amazon書評・レビュー:天啓の宴 (創元推理文庫)より
4488415059
No.1:
(4pt)

この作品を書いたのは誰なのか

笠井氏が、竹本氏のウルボロスに触発して書かれたメタメステリー志向の長編。
新人賞を舞台に受賞を辞退した女性作家と表題作の天啓の宴は誰が書いたものなのかというメインの謎をもとに、それに付随する殺人事件を絡めて展開する何やら折原一がよく書きそうな展開だが、そこは笠井氏のことのなので相変わらずの衒学的蘊蓄を散りばめて良くも悪くも難解な展開で読者を翻弄する。
正直、現実の事件が絡む落ちを含めて何がどうメタなのか判然としないなかなか難解な落ちであるが、笠井氏らしい作品とも言えるだろう。
上級者向きの作品だ。
天啓の宴 (創元推理文庫)Amazon書評・レビュー:天啓の宴 (創元推理文庫)より
4488415059



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