天啓の宴
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初版刊行(参考)
種別
長編
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あらすじ
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評判
天啓の宴の評価:
0.00/10点 レビュー 0件。 - ランク
天啓の宴の総合評価:
7.00/10点 レビュー 2件。
感想一覧
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
Amazonレビュー
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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視点人物が複数登場し、その視点人物ごとに語られる「事実」が決定的なところで異なる。
しかも「天啓の宴」という作品は、本書のタイトルであるだけでなく、物語の中で手記のノートとして、小説1として、さらに小説2として存在する。
それらが入れ子構造となって、読み進みながら読者は翻弄される。
一体何が事実なのか?
何度も構造的に、視点的に、いったん事実とされた視点がひっくり返されていく。
思弁的でなければ、このような小説は書けないだろうし、書こうとも思わないだろう。
それぞれの視点が、論理矛盾していないかどうか、それに読み手の整理が追いつかない面もある。
何故、笠井はこのような手法で書いたのだろう?
描こうとしたことに最適の手法と考えたのか?
それとも、自分はメタフィクションも書けるということを示したかったのか?
ぼくが本書を読もうと思ったのは、矢吹駆シリーズの最新作「青銅の悲劇」での語り手である宗像冬樹が、元々はこの「天啓の宴」の主人公として設定されていた、ということを知ったからである。
ただ、「天啓の宴」と「青銅の悲劇」の宗像では、一貫的な整合性に欠けている、ように思える。
性格設定も微妙に異なる。
本書の中の宗像が、そのまま「青銅の悲劇」に登場しているというのには無理がある。
ではなぜか?
そこをあまり考えてみても仕方がないのかもしれない。
因みに本書でも、三島の事件、爆弾事件、そしてオウムの事件を背景として描かれている。
これは矢吹駆シリーズもほぼ同じで、著者の一貫したテーマである。