(短編集)
奥の部屋: ロバート・エイクマン短篇集
- 人形 (161)
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確かに、何とも独特の味わいのある作品集でした。特に「学友」は、全体的に、ただならない雰囲気の漂う、主人公の友人サリー、そして父、そして彼らの家そのものが、印象的に描かれています。 これも、自ずといろいろと想像が膨らむような話です。サリーとこれもどこか謎めいていて、何か得体の知れない感じがする、現在は故人となっている、その父親の生前の彼らの関係、更にこの家で起きるとされている、怪奇的現象の理由など。何より、このサリーという女性自体の醸し出す、不可解さが何とも特徴的というか。 一見知的で理性的にも見えるのですが、やはりどこか変だよ、この女性?みたいな。 何かが、どこかが、微妙に歪んでいるというか、狂っているようなというか。 更に他にも、彼女は依然として結婚はしていないはずで、更に友人である主人公さえも、その恋人の存在さえも把握していなかったというのに、これも全体的に謎に包まれて扱われている、彼女の妊娠の事実があったりなど。「髪を束ねて」は、何となく、秘密めいた儀式のような匂い、しかもどちらかというと悪魔的、黒魔術的な気配が漂います。更に舞台が田舎というのも、ぴったりな感じですし。 とにかく、全体的には、ストレートに、出来事の解明や違和感、不気味さの解明に迫るような作品は、ない感じです。「何と冷たい小さな君の手よ」・「待合室」などは、比較的ストレートな怪奇話かと思われますが。 どこか釈然としない印象が残されたまま、突然宙ぶらりんなまま、放り出される、置き去りにされる、そんな読後感が残ります。思わぶりな、どこか靄が掛かったような中に、ちらちらと垣間見える違和感や薄気味の悪さそのものが、持ち味というか。確かに煙に巻かれたような、あるいは狐につままれたかのような読後感を残す作品が多いように思います。 | ||||
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奇妙な読書体験ができました。行間から漂ってくる異界の空気を感じ、垣間見える怪異に戦慄するような体験でした。「待合室」、「何と冷たい小さな君の手よ」、「奥の部屋」などは比較的わかりやすかったですが、全般的に何が起こったのかよくわからない、狐につままれるような話が多かったです。誰が読んでもおもしろいという本ではなく、怪しげなものを感じ取って、それを楽しめる感受性がないと、読み通すのはつらいかもしれません。 エイクマンの世界にもっと浸りたいので、ちょっと時間をおいてから、もう一度じっくりとこの本を読みたいと思います。また、エイクマンの他の作品が収録されたアンソロジー、(『怪奇小説日和』、『短篇小説日和』、『ロアルド・ダールの幽霊物語』など)も読みたいと思います。 | ||||
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本書は、以前国書刊行会の「魔法の本棚」の一冊として刊行された「奥の部屋」に、「なんて冷たい小さい君の手よ」を加え、 「スタア来臨」を新訳し、文庫化したものです。 ロバート・エイクマン(1919年6/27~1981年12/26 ロンドン生まれ)は、一応、怪奇小説家ということになっているようですが、 果たしてその範疇に収まるのか?事実、エイクマン自身は、 自分の作品を「ストレインジ・ストーリー」あるいは「ストレインジ・テイル」と呼んでいたようです。 一般に怪奇小説というと、例えば、M・R・ジェイムス、H・P・ラヴクラフトのように、怪物、化物、幽霊、などが目に見えるるようにリアル描かれる、 あるいは、恐怖が直截的に描かれる、というのが主流のようです。 しかし、エイクマンの作品は、そうではありません。一読しただけでは、どこが怖いのかよくわかりません。 読後よく考えたり、再読すると、怖さ、奇妙な味、違和感というのか、そういった感じがジワッとこみあげてきます。 端的に言うと、読者の想像力、感性に訴えかけるということです。という意味では、読者を選ぶ作家とも言えると思います。 本書には、以下の作品が収録されています。 1:学友 2:髪を束ねて 3:待合室 4:何と冷たい小さな君の手よ 5:スタア来臨 6:恍惚 7:奥の部屋 この中で比較的解りやすいのは、3、7ということになります。 3:寝過ごして終列車が出てしまい、宿もなく、駅の待合室で一夜を過ごす男の話です。しかし、この待合室の場所には、昔〇〇があり・・・・・・ 7:これは小さいときに買ってもらったドール・ハウス、 そして、大きくなってからのデジャブ感を組み合わせた怪談?、ということになるのだろうと思います。 私が読んだ範囲では、エイクマンの作品では、女性が大きな役割を演じているように思います。これもエイクマンの作品の特徴なのかな? 1:は幽霊屋敷者のような感じもしますが、すべては、思い過ごしなのかもしれません。 しかし、怖い目にあっても、またその友達と会いに行くとは、女心は男には計り知れません!! 個人的には6は、私の好みです。これもデジャブ感が恐怖とうまく結びついています。 そして、人間の未知への興味は、怖さ、恐怖心よりもっと強い、ということを知らしめてくれる作品でもあります。 私個人としては、非常に面白く読ませてもらいましたが・・・・・・!! | ||||
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数年前にウェイクフィールドの短編集が文庫で出た時には、欣喜雀躍したものである。値段は高めだったが、確かに読み応えがあった。あの、単純につきる構成と、短いが凄まじい魑魅魍魎の描写! さて、本書はくしくも上記短編集の原型である、「国書刊行会の魔法の本棚」のなかの一冊を増補した、文庫版エイクマン作品集である。あらたに加えられた作品もあるが・・・ 最初に言ってしまおう。すでに国書刊行会版を所持しているか、既読の方は、あまり本書を購入される意味はないかもしれない、と。 そもそもエイクマンは、奇妙な作家である。作品は怪奇小説ともいいがたいし、作風さえ同一人物の手によるものかと疑う時が、ある。表題作の「奥の部屋」は、出だしこそM・R・ジェイムズの「人形の家」を想起させるが、ミニチュアの家の構造の「理屈にあわなさ」と、そのなかにいる(はずの)人形たちの「不可解さ」を示唆しながら、次第にまったく別の作品を読んでいるような感覚にもっていかれてしまう。そうして読者は突然、おいてけぼりにされたようなラストにとまどうことになるのだ。 日本の作家でいえば、椎名誠の短編の一部がかもす生理的ないやらしさ。そうして内田百けんの神経症的不安感がミックスされたような。 ならば、エイクマンの作品は面白くないのか、といえばこれもちがう。当方が推す佳品は、本書未収録の「鳴りひびく鐘の町」だが、ここでは生きている者と、おそらく・・・・・・・・・・・・山から、海から甦った、おびただしい死者との破天荒な「祝祭(死の舞踏)」が、まるで怒涛のように描写され。読者はあぜんとする間もなく、まるで何も、ないーー何も起こらなかったような終幕を、目の当たりにすることになる。実際は、何が起きたのか。あれは何であったのか。超自然、人為、一切の合理的説明を排してなおつきまとう腐臭が余韻を残す、圧倒的な描写! つまりは、エイクマンの作品群は、読者をとことん選ぶということだろうか。巻末の邦訳リストを見ても、すでにかなりの数の作品が開陳されている。はまる人はとことんはまるかもしれないし、真逆もあろう。その意味ではエイクマン作品集は、初見の方にはーーとりわけ鮮烈にして直截的な怪奇と恐怖を期待する層にはつらい可能性は否定できないし、増補分のために購入しようとするコアな層には、たった2編程度の新エピソードではものたりないやも。やはり、編集方針としてウェィクフィールドの時のように、大幅に収録作を増やすなり、散逸している既訳作品をこの機会に集約する試みが必要だったのではないだろうか? ともあれ当方としては、エイクマンをまったく知らないが、「煙にまかれるような奇妙な話」に興味があるという方がいらっしゃるならば? アンソロジー等で読める「鳴りひびく鐘の町」を吟味されてから、本作品集を手にされることをおすすめするものです。 | ||||
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日常に潜む底知れぬ闇、正体不明の人物に付き纏う不気味な影が、個人の不安や懸念により肥大化し、グロデスクなまでに歪められ、幽霊や悪魔などの暗黒世界の使者が忍び寄って来る格好の間隙となる。 それは幼年時代に見知らぬ町の骨董品店で見つけた人形の家だったり、訳ありの過去をもつ幼馴染、あるいは他人のパーティで知り合った見ず知らずの招待客だったりする。 作家自身も認めるように、伝統的なゴースト・ストーリーというよりも、「出現という現象の背後にあるスピリットとでもいうべきもの、一見整然として見えるものの裏に広がる空洞」を扱う≪ストレンジ・ストーリー≫の呼称のほうが適確に作品のアトモスフィアを捉えているかもしれない。 確かに安易なレッテルを拒絶する心的雰囲気の不思議な広がりがある。 ドラマチックというよりはミステリアスで静謐。 時間の堆積の下に風化するに任せていた過去の秘密が思いがけない邂逅を通して暴露されたときの眩暈に似た恐慌。 それを退屈と感じるか、リアルと感じるかは読者の感受性次第だろう。 無気力や惰性、断絶や孤独などの沈潜状態により不活性化した日常の延長にある密かな場所で徐々に大きくなってゆく意識の綻びが、我々の存在根拠を土台から脅かす不合理な恐怖の磁場と化してゆく様は、幽霊や悪魔などの迷信に対して懐疑的な態度を取らざるをえない読者も束の間信じ込ませてしまうほどナチュラルで真夏でも鳥肌が立つほど寒々しい。 | ||||
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