ビアフラ物語
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ウムアヒアに長期滞在、同行取材と現場での見聞によって生じた著者の論調はビアフラ側(殊にオジュクへの敬愛)に同情的である。 BBC時代、ナイジェリアに赴き戦争取材をする事は著者自ら希望した訳ではなく、他の部員が第三次中東戦争後の情勢をカバーするのに忙しかった為だと述懐している。何故ビアフラ寄りなのか?その辺りは著者の回顧録「アウトサイダー」P180(アフリカの味)~P261(飛行機での脱出)を読むと想像に難くない。 本書の上梓が76年なので回顧録との間に40年の経過がある。書かれている内容が当時の鮮明な視点と異なる様に感じるのは時の経過を跨いだ方が俯瞰した目線で総合的になる為だろうか? ナイジェリア内戦に限らず繰り返されるアフリカ諸国の紛争に起因する根幹は失政と大国(白人社会)の介入によるものが殆どである。 本書にはビアフラが分離独立に至る歴史と経緯、ナイジェリアの戦争政策によって起こった暴虐非道(民間人の虐殺、150万人もの被害者を生んだ飢餓)各国の軍事介入(ナイジェリアへの武器の供与、ビアフラへの輸送機、食料、醵出金の支援)ゴウオン、オジュクの人物像について事細かに書かれているが、ある日突然起こったわけではない内戦は到底融和しえない部族を寄せ集めて造った国家構造がイギリスの支配を脱した際、相違が増々顕著となり内在する爆発力を抑えきれなくなった事を理解する事が重要だとある。 イギリスの指導陣(ウイルソン政権)が統一されたナイジェリアを望み、ナイジェリア軍事政権の延命を計るためゴウオンを支持したのは帝国主義的な価値観の下に単一の経済単位として国を存続させようとした為(石油資源の利権)で露骨このうえもない内政干渉を行ってもアフリカ一般人に対する侮蔑と彼の国は生身の人間の住んでいる土地ではないといったイギリス上流階級特有の愚行と悪意に裏付けされた偏見が紛争に対する関与となった。報道によるビアフラの惨状が世界に拡散された事で赤十字などの支援も行われたが、早期解決を目論んだナイジェリア軍の妨害により救援、物資、弾薬の不足が深刻となり消耗した兵士達は一切の抵抗をする事無く共和国は崩壊する・・・ ジャーナリストとして最前線で現場を取材した著者は同国人としてイギリスの偽装、世界の拱手傍観を許せなかったのでしょう。 | ||||
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「クワシオルコル」 (kwashiorkor)とは アフリカのガーナの一地方で 「下の子どもが生まれたときに 上の子どもがかかる病気」 を意味する言葉です。 離乳後の幼児が ①タンパク質が不足し ②ほとんど糖質のみの栄養 しか与えられないときに発症します。 私たちの血液のうち 液体成分を血漿と言いますが 血漿に含まれるタンパクのうち いちばん多いのがアルブミンです。 低タンパク・糖質メインの食事が続くと 血漿中のアルブミンが不足し 腹水がたまって腹部がふくれ 手足に浮腫ができます。 さらに 肝臓は脂肪肝となり 皮膚の乾燥・ひび割れ 皮膚や毛髪の脱色も起きます。 典型的な病像としては 腹部だけがぱんぱんにふくれ 手足の筋肉はやせおとろえ 動作がだるそうになり やがて全く動けなくなり やせこけた顔の中で 目だけが大きく見開いている ような小児の姿です。 ビアフラ戦争(1967-1970)のとき 飢餓におちいったビアフラでは 多くの小児がクワシオルコルにかかり その惨状は写真によって世界に伝えられ 衝撃を与えました。 ビアフラとクワシオルコルの イメージが結びついている人も 少なくないと思われます。 さて本書は 『ジャッカルの日』(1971) 『オデッサ・ファイル』(1972) 『戦争の犬たち』(1974) (邦訳は角川書店 出版年は原著) などで知られる フレデリック・フォーサイス氏 (Frederick Forsyth)(1938-)が ビアフラ戦争を描いたルポルタージュ 『ビアフラ物語』 (角川選書 1981)です。 ミステリー作家としての フォーサイス氏しかおなじみでない方も いらっしゃることと思いますので 補足しておきますと フォーサイス氏は もともとジャーナリストで 『イースタン・デイリー・プレス』 『ロイター通信』に勤務し パリ支局でド・ゴール番 東ベルリン支局で支局長を勤めました。 英国放送協会(BBC)に移ってからは ビアフラ戦争の取材を精力的に行いました。 ビアフラ戦争はナイジェリア内戦とも 呼ばれます。 ビアフラがナイジェリアから独立 しようとして失敗した戦争だからです。 ナイジェリアには石油が埋まっています。 後述いたしますが ビアフラ戦争は単なる内戦ではなく 石油の利権や旧植民地支配の歴史もからみ 大国が干渉する戦争となりました。 要点だけ申し上げると 英国はナイジェリア連邦軍を支援し その国策に沿って報道するBBCも ナイジェリア連邦軍を支持しました。 しかし 現地で取材していたフォーサイス氏は ビアフラを支持します。 その理由の詳細は 本書『ビアフラ物語』や 自伝『アウトサイダー 陰謀の中の人生』 (角川書店 2016) をお読みいただけますと幸いです。 ひとことで申し上げれば ジャーナリストとして見たこと聞いたこと 取材したことに基づいて ビアフラの方に義があると フォーサイス氏は判断したようです。 その理由となる証拠(evidences)を こつこつ積み上げたのが 本書ということになります。 しかし BBCの方針(つまり国策)に 従わなかったフォーサイス氏は 左遷され干され 辞職を余儀なくされました。 そして 生活に困ったフォーサイス氏が 35日間で書き上げたのが ミステリーとしては処女作の 『ジャッカルの日』であり その後はみなさんご存知の通りです。 訳者・篠原慎氏(1934-)の 表現を借りるならば本書は ①ビアフラの側に立った ②「告発」の書である。 ③その半面、公正さを欠くので 「偏見」の書でもある。 (私も判断がつきません) 確実に言えることは 本書は ジャーナリスト・フォーサイス氏の 「集大成の書」であり ミステリー作家・フォーサイス氏の 「原点の書」 となったということです。 しかし 本書の記述は詳細を極めますので ビアフラないしナイジェリアについて 相当の予備知識 あるいは相当の興味関心熱意がないと なかなか本書の通読は難しいかもしれません。 いきなり本書にとりかかるよりも まずは前述の自伝『アウトサイダー』のうち 関連のあるところ(おおむねpp.178-265)を 読まれる方が賢明かもしれません。 ご参考までに ビアフラ戦争について 要点をまとめておきます。 ナイジェリアは アフリカを逆Lの字と見たとき ちょうどタテとヨコの交差点にあります。 ギニア湾に面した西アフリカの国です。 人口はアフリカで最大です。 世界有数の産油国であり アフリカの経済大国のひとつです。 多民族の連邦国家ですが 中でも3つの民族がメジャーでした。 ①ハウサ族(イスラム教)(遊牧)(北部) ②イボ族(キリスト教)(商業)(南東部) ③ヨルバ族(混合)(農耕)(南西部) キーワードを挙げると上の通りです。 1967年5月30日 イボ族が主体となり ビアフラ共和国として ナイジェリア連邦からの独立を宣言します。 1967年7月6日 ナイジェリア連邦軍が反撃し ビアフラ戦争(ナイジェリア内戦)が始まります。 連邦軍は ビアフラを経済封鎖し 軍事的にもビアフラを包囲して 食料や物資を遮断します。 ビアフラ戦争の死者は200万人とされ その多くが餓死者でした。 冒頭の「クワシオルコル」におかされた 小児たちの写真は世界に衝撃を与えました。 大国も干渉しました。 ナイジェリア連邦軍を支援したのは ①英国(旧植民地の分割を望まない) ②ソ連(アフリカにも影響力を及ぼしたい) です。これに対し ビアフラを支援したのは ①フランス ②南アフリカ です。 ビアフラの独立を承認したのは コートジボワール(フランス系) ガボン(フランス系) ザンビア・タンザニア・ハイチ の5カ国でした。 ド・ゴールのもとで顧問を務めた ジャック・フォカールは 「フランサフリック」と呼ばれる政策 (旧植民地との紐帯を強める政策) をとっていました。 フランスはビアフラを支援します。 フランスがしかけたと考える人もいます。 ビアフラの指導者は チュクエメカ・オドゥメグ・ オジュク中佐(1933-)でした。 フォーサイス氏が初めてあったときの 階級が「中佐」と記載されています。 「将軍」とする人もいます。 ビアフラの大統領となりますが 2年半続いた内戦は終わり オジュク氏はコートジボワールに亡命します。 恩赦によって1984年 ナイジェリアに帰国しました。 オジュク氏の父親は 英国からナイトの称号を得ている サー・ルイス・オジュクです。 イボ族出身で本人も 英国オックスフォード大学 リンカン・コレッジ卒業なので オックスフォードなまりの英語を しゃべりました。 要するに フォーサイス氏はオジュク氏の パーソナリティを支持し ビアフラを支持したのかもしれません。 数学や自然科学と異なり ジャーナリズムの世界には 絶対的な真も偽もありません。 (歴史の世界もそうでしょう) 文字であれ映像であれ言葉であれ facts(事実) を積み重ねるのが ジャーナリズムの仕事であろうかと 思います。 積み重ねた事実(file of facts)に 基づいて 一定の命題を唱える(結論を出す) のもジャーナリズムの仕事に 含めてよいかと思います (逆に結論が先にあって それに合うデータだけ拾ってくるのは ある国の優秀な官僚の仕事です)。 ビアフラ戦争に関して ビアフラとナイジェリアのどちらが より正しかったのか 山のようなデータがあり過ぎて とうてい私には判断がつきません (どちらも正しくかつどちらも間違い ということもありえます)。 「反骨の人」であり 「潔さの人」であるフォーサイス氏は 旗幟を鮮明にして BBCを追われました。 しかし ミステリー作家として成功しました。 特に 『戦争の犬たち』の冒頭に出てくる アフリカから飛行機で脱出するシーンは 実話をもとにしています。 暗いなかに迫力のある描写だと感じました。 その点だけでも フォーサイス氏がビアフラで取材したことは 小説に結実したと言えると思います。 | ||||
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僕の好きな作家のエッセイに赤道ギニアのクーデターについての話があり、そのクーデターにF.フォーサイス氏が関わっていたそうです。この話は彼は、ナイジェリア内戦の敵側指導者であったオジュク将軍と、イボ族に安住の地を提供するために資金援助をしたのが理由だそうです。それがきっかけでこの本を読んだのですが、第一部では、ナイジェリアからの分離独立までの経緯が、二部では内戦とその内幕(飢餓地獄)、そして内戦後の後日談が書かれています。 コンゴ内戦もですが、ナイジェリアでのそれも国際世論と言う目に見えないものによって、善と悪が形成されてしまったように思います。イボ族の虐殺が端を発しての分離独立ですが、政府自身が守ってくれないのなら、離脱してでも自分たち部族の手で身を守ろうとするのは自然の摂理です。ですが、ビアフラにとっての不幸(コンゴのカタンガもそうですが)は、その地に石油等の地下資源が豊富に埋蔵されていたがために、分離独立が阻まれ、係争の地と化してしまった事です。飢餓地獄に苛まれ、最終的には、なし崩し的に終結した内戦によって、オジュク将軍は自身の私利私欲で独立を画策した極悪人のレッテルが張られましたが、彼は父親の代から受け継いだ資産、財産の全てをイボ族のために擲ったというこの一事だけでもその人間性が判ります。フォーサイス氏もその人柄に惹かれたからこそ、彼の自伝を手掛けた上に、クーデターの資金援助をしたのだと思います。ちなみにイボ族は、勤勉である上に、この世の困難は天の与え給うた試練と解釈し、それを克服し自分の糧とすると考えているそうです。この点にも魅了される所以です。 オジュク将軍は2011年11月に78歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りしつつ、この稿を終わります。 | ||||
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フォーサイス唯一つのノンフィクションとのこと。ただいまフォーサイスを全巻読破中なのですが、「マンハッタンの怪人」に続き途中で諦めそうになりそうな内容です。「戦争の犬たち」が大変おもしろかったので、その背景を知りたく購入しましたがちょっと後悔しています。 | ||||
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