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国境の南、太陽の西



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【この小説が収録されている参考書籍】
国境の南、太陽の西
国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西の評価: 4.22/5点 レビュー 233件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.22pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全187件 41~60 3/10ページ
No.147:
(5pt)

村上春樹の中で一番好きな本だけど

バブル期の終焉、脱サラして妻の義父から継いだバーの経営によって資本主義社会における一定の成功と安寧を手に入れ、家庭的にも物質的にも何不自由のない生活を送っていた主人公。そのスタイリッシュで満ち足りた生活にある時から不協和音が鳴り始める。思春期に出逢って交友を深め、ふいに別れてしまった、片足に障害を持つ少女、島本さんが主人公のお店に突如姿を現すようになったことによって。不倫小説の体裁は取っているけれど、二人の失われた真実の愛が描かれるわけではないし、言わば運で手に入れたような仮りモノの成功や家庭の幸福が決定的崩壊に到るわけでもない。何より、島本さんはその後どういう人世を辿ったのか、誰と結婚したのか、なぜ突然終焉の前に姿を現すようになったのか、何一つ自分を語ろうとせず、互いに自己開示のない二人の距離は縮まることはない。ただ、二人の再会を機に、東京という都市で生きることを選択したバブル期の誰しもが直面した、資本主義の実体価値以上の競争原理の中で、偶然にも勝ち組の仲間入りを果たすことによって何の疑問もなく築き上げた主人公のアイデンティティーが一気にぐらつき始める。その意味で、中年に差し掛かろうとする男のアイデンティティー・クライシスの物語とも言える。幾つかの出会いと別れてを経て、新たな人生を手に入れる中ですでに更新され、記憶の中でしか存在しなくなっていた島本さんとその島本さんと一緒にいた頃の自分が、実在の島本さんと再会したことによって、突然現実のものとなる。そのことによって今の現実を俯瞰するもう一つの視点を獲得した主人公は、これまでの人生を再度読み直し、加速度的に更新し始める。妻に島本さんとの中を問われた主人公が語るこれまで歩んで来た自分の半生の言語化は、圧巻である。村上春樹の小説の中で、決まって主人公の男性は、自己との対決を迫られる。が、この主人公ほど、今、ここに確かに実在する現実とリアルと向き合わされた者はいまい。人生とは、現実の中に確かな居場所を持って築かれるものであると同時に、過去からの時間の中で幾層にも積み重なって生成する不安定で流動的な意識の流れなのであり、そもそも目に見えているものだけでは出来ていないのだ。物質的充足は、人間と人間との実存的交わりを成立させるための必要条件ではあっても、十分条件ではない。ここで主人公の妻は何ら瑕疵はなく、あくまで夫の裏切りの被害者である。しかし、家庭生活の安寧しか人生に求めるもののないこの妻は、夫と一人の人間と人間としての実存的交わりを結ぶための何かが決定的に欠落しており、そのことに気づくことができない。島本さんが再び去った後、この夫婦は、物質社会の上に成り立った華やかでありかつ空虚でもある家庭生活に、島本さんという訪問神によって一瞬垣間見させられた人間存在の深淵にどうにか蓋をして、再び戻って行くのか、それとも一緒にゼロからもう一度出会い直し関係性を結び直すことができるのか、あるいは、バブルが弾けたようにこの二人もそれぞれの現実存在と向き合って袂を分かつのか、それは主人公に我が身を重ねた読者の想像に任せられる。この小説は、バブルに浮かれる日本人への強烈なアッパーカットだったと思っている。

しかし、村上春樹の小説の主人公をはじめとする登場人物達の悩みは、所詮、知的中流階級のブルジョワチックな文化に根差したもので、それゆえに、それをどんなに深く掘り下げたところで、現代における差別や貧困など、切羽詰まった状況に置かれた、社会の底辺に生きる社会的弱者の声なき声、社会の不条理や人間の心の深淵が描かれることはない。村上春樹は、地下鉄サリン事件や東日本大震災などを機に、社会の問題にコミットしようとした時期もあったが、その後は再び元の安寧なフィールドへと帰って行ってしまった。小説家として、腹を括って、社会の底辺であがき苦しむ弱者の声に耳を澄ますことができるか、その声の代弁者として全身全霊でその痛みを引き受ける覚悟がつくのか、つかないのか?ノーベル文学賞を授かるには、小説家としてのそういう圧倒的な真摯さからのみ発せられる迫力や熱が彼の作品にはありそうで、なさそうな、決定的な物足りなさが、最大のネックになっていると思う。今のところこの作家は、現代が人生や人間の意味を矮小化させる傾向にあったとしても、その矮小化された世界においてだって、そこで生きる人間はそれなりに悩んでいる、という矮小化された倫理観を反映させた小説の枠にとどまり、そうした世界における等身大の本好きの若者の需要に応えた小説でしかない。彼の作品には、人生の生老病死の苦しみもなければ、この世界の本質的な不条理や不平等への怒りもない。現代とて、世界には、本など何の助けにもならず、誰からも助けを得られない、差別や格差、貧困、暴力、内戦等の不条理に根差す孤独な戦いを強いられている社会的弱者はごまんといる。小説家としての類い稀な才能を注ぎ込むべき使命を見いだすことができず、その真の使命のために才能を生かし切れていない不必要な余力感が、この作家の非常にもどかしく、また、残念なところである。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.146:
(4pt)

最後がモヤッと

ドキドキの展開なのに最後が意外にモヤッとした結末になります。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.145:
(5pt)

悪い星のもとに生まれた恋人たち

再読しました。きっかけはKindle版が出たことと少なからずある「島本さん幽霊説」のためです。

村上春樹さんは1949年1月12日生まれでハジメは1950年1月4日生まれですね。
他にジャズを流すバーの経営や猫好きなど共通点もあり村上春樹さん本人にも思えてしまいます。

「島本さん幽霊説」を唱える人は「雨の日にだけ現れる」「10万円の封筒が消える」「別荘からいなくなる」などを根拠にしています。島本さんは幻覚だとか島本さん=イズミ説もあります。
島本さんは青でイズミが現れる時は赤がそこにあったりもします。

村上春樹さんは自身の著書「職業としての小説家」で小説の書き方について「プランを立てず展開も結末もわからないまま即興的に書く」と話しています。
ですから幽霊説には疑問を持ちます。
雨の日以外にも島本さんは現れます。「三月半ばの暖かい午後」
島本さんの煙草に火をつけたり雨に濡れた島本さんのためにバーテンにマッチやタオルも持ってこさせたりもします。

10万円の封筒を手渡した40代の高級官僚のような男から島本さんは政治家などの庇護のもとにあるのだと思います。
タクシーを呼ぶのを断ることや別荘からいなくなったのも40代の男が常に島本さんの後をつけて見張っているのではないでしょうか。あるいは島本さんは箱根の山の中で自殺したのかもしれません。
ハジメに迷惑をかけないために。「私が関わると何もかも駄目になっていく」と島本さんは言っていました。

村上春樹さんが好きで翻訳も出しているレイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」のあとがきに映画化する際に監督がチャンドラーに「あの運転手を殺したのは誰ですか?」と質問したら「私が知るわけない」と答えたエピソードが載っています。
村上春樹さんに「国境の南、太陽の西」に関して同じように質問したら同じような答えが返ってくるような気がします。
あるがままに受け止めてるのが一番と思います。「幽霊説」やあれこれ言わずに。
村上春樹さんは「登場人物がひとりでに動き出す」とも話しています。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.144:
(4pt)

村上節全開

幼い時から限られた人にしか心を開けなかった主人公が望外な幸せを手にしたところ、これでいいのだろうかと思い悩む。。。筋としてはそんな話です。主人公は多くの方が思い描く村上春樹作品の登場人物のステレオタイプのような人物で村上さん作品が好きな人にはたまらないと思います。
1980年代の雰囲気がたっぷりつまっていて、村上さんの文章もノリにのっていてグングン読み進められます。
ただ、性描写が他作品よりもくどい気がするので苦手な人は要注意です。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.143:
(4pt)

Kindleで20年ぶりに

もはや現代日本文学を代表する存在、村上春樹の中期(そう言ってよいかわからないけど)の作品
ノルウェイ〜羊を〜からの流れを組みつつ今後の作風へと移行している「手応え」が感じられる作品だと思う。
春樹文学に普遍の、失われた女性へのコミットメントが描かれる。
電子書籍版で20年ぶりに読みました。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.142:
(5pt)

読む歳で印象が変わりそうな良書でした。

20代後半の社会人です。
ネタバレは避けますが、物語の時間軸のちょうど真ん中が今の私くらいの年代です。
そのためどこか懐かしく、身近で、将来にも思いを寄せるような本でした。
10年前に読んでおけば良かった、または10年後にまた読みたいと思える良い物語でした。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.141:
(5pt)

真実に迷った方々に是非。傑作です。

真実に巡り合える時期は人それぞれであり、分からぬままにも確かめる勇気が無いままにもしっかりと捕まえられる人、見過ごしまたは何気に先に期待し、進み行く人。殆どの人が、その時の自身の存在をそこにとどめる勇気や決断が無いままに、理由や言い訳に後から追いかけられ、追われ逃げてはまた繰り返して行く。
人を傷つけてもさえ、それすら正当性を確かめるようになってしまう。
わたし自身、この小説を読んだ後に、ようやく今の自身の存在すら無い今の自身に、真実の見過ごしに気付いた次第。おこがましく恵まれた環境に生き大した生き方をしていないという自覚はあったにしろ、読み終えてかなりのショックがある。生活環境は主人公とはまるで違うが、その体験のほとんどが今までのライフプロセスに酷似していたせいもあるが。。

【ヒステリアン.シベリアナ】まさしくその通りな生き方だったことに慄いて、小説にアンダーラインを引いています。
太陽の西に向かい始めていた自身を足踏みさせ、今の自身という存在に何らかの意味を見出す事の重大さ。自身は力の及ぶ限りその作業を続けなければならないんだと思わざるを得なかったです。
わたし以外の方々も、少なからず心当たりがある存在は過去にあったと思います。そういう方々に助言です。
純粋性は可能な限り、その真実にひたむきな相手に向けて、先を見越した生き方に全ては正しく
人の人生は語ってはくれません。時間はどうあがいても反対には回らず、逆行の努力を重ねて奇跡的な現象が起きたとしても、それはその存在の途中で固まり、また繰り返しにあなたを試して来るにとどまります。
皆さんの【島本さん】【ハジメ】は、わたし同様、必ず存在していたと思います。

とにかく、村上氏の小説は恐ろしい程の人間への洞察とまるで人の人生を予知し訓示する言葉や設定内容。更には一度誘い込まれると逃れられないその背景に広がる観察と人と物、音と視覚。
定義等の範囲にとどまる事のないそれらの存在或いは意識を現象と比喩で思考への促し。
もし、仮に私如きの生き方をして来た人間が、20代に村上氏の小説を読んで生きていれば、まるで違った人生になっていたと思います。つまり、私は読むべきものを無意識のうちに読まずに生き、読むべき時期に村上氏の小説を読み始めたと思います。

特に、正直、この小説を人生の節目を迎える時期に読んでいたら、間違い無く私はもう少しまともな人生になっていたとすら思えました。
しかも、この小説の終わりにはそのような人はこう生きろとすら予知したかのように語られてもいます。私なりの勝手な個人的解釈レビューを書いて申し訳無いのですが、
はっきり言って、この本は恐ろしい程の傑作です。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.140:
(5pt)

それでも雨が静かに降り続けるのはどうしてだろう。

私はこの本が村上春樹の本の中で最も好きな本である。もう何回も読んだ。幼少期の甘い名も無き恋が、思春期、青年期を経て社会に至るまで通奏低音として鳴り響く長大なポリフォニーである。徹底したリアリズムで、よくここまで詳細に観察できたものだと本当に感服する。
 主人公は未熟さ故に失ってしまった想いを抱いて、高校生になっても大学生になっても世帯主になってもいつまでもその面影を求め続ける。多くの人を傷つけては、そんなことをし得る自分へ幻滅した。「でも僕にはわかっていた。もしもう一度同じ状況に置かれたとしたら、また同じことを繰り返すだろうということが」。いつしか己の見える景色は皆色褪せていき、最後には砂漠だけが残っていた。「いったいこの僕という人間のどこまでが本当の自分で、どこから先が自分じゃないんだろう」。「こんな生活をこのままずっと続けていくことはできない」。そんな時だ、自分のためだけの宿命的な匂いを放つ彼女に再会したのは。「僕の心はもうほとんど定まっていた」。こうして自ら色褪せた歯車を大きく狂わせて激しく衝突する。「あのときに、彼女は本当に僕のことを求めていた。彼女の心は僕のために開かれていた。でも僕はそこで踏みとどまったのだ。この月の表面のようながらんとした、生命のない世界に踏みとどまったのだ。やがて島本さんは去っていき、僕の人生はもう一度失われてしまった。」よく読んでると主人公の口から二度、同じ言葉が語られていることに気づく。島本さんという面影を追い求めていた時期と、そして永久に失われてしまった時と。二人は結局、全く正反対の道を選んだのだ。「僕」は国境の南へ、島本さんは太陽の西へ。「僕」だけが砂漠に取り残された、いや、自ら残ることを選んだというべきだろう。あれほど熱烈に希求していたはずなのに、「僕」は結局この色褪せた世界で生き残ることに決めたのだ。「僕」は有紀子と「明日から新しく始めよう」と言った。島本さんに「明日」はなかった。こうして取り残された「僕」を「幻想はもう助けてはくれな」くなった。それなのに、それでもなお、「僕」の心の海に静かな雨が降り続けている。

 これを私が徹底したリアリズムと称するのは、それが本当とか正しいかどうかはさておき、私にとって本当にドンピシャすぎるためだった。私も小学校の頃、訳も分かっていない未熟さ故に大切な人を失ってしまった。傷つけてしまった。そして事ある度に姿形を変えて大きく影を落としていることに気がつき、慄いた。でもどうしても頭に浮かんで離れないのだ。どうしようもないのだ。わかっていても結局人を傷つけ続けていく自分に、言いようのない罪業を感じることさえあった。随分とナルシスティックに聞こえると思う。でも、あの時ほど、人のことを好きということが、愛するということが、なんの混じり気もなく純粋な形だったことが他にあっただろうかと思うのだ。あの時の未熟な私は、その意味が分からなかった。そして分かった頃にはもう遅く、どんなに欲しても永遠に失われてしまったのだ。それ以来、決して見つかるはずもないその欠落を求めて彷徨い続けているのだ。はっきり言って病気だと思う。頭ではよくわかっているのに、それでもどうしてもやめることができない。単なる不倫文学と言われればそれまでかもしれないが、行き着く果てに破滅的とはまた異なる、色褪せ失われ続けていく世界にただ一人残されていくという感覚が、ここには描かれているのだ。それでも私は主人公と同様に選ぶことになるのだろう、たぶん。それなのに、それでもなお雨が静かに降り続けるのはどうしてだろう。
私は、こんな風景の描かれたこの本が本当に好きだ。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.139:
(5pt)

この作品大好きです。

私はハルキストではなくアンチですが、ノルウェイの森の次にこの作品が好きです。

なんでなのかわかりませんが、波長があった感じです。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.138:
(5pt)

新海誠への影響

『ノルウェイの森』につづくリアリズム長篇小説で、春樹的なファンタジーやSF的要素はないか、ほんのほのめかし程度に終わっている。発表は九二年で、発表時点のどの中篇ないし長編と比べても圧倒的に「笑い」が少ない。雨降りのなかでジメジメしている。
『ノルウェイ』はそれまでの春樹の中篇ないし長篇の春樹的な文章から大きく脱却した文章で書かれていて、地の文章での「笑い」はかなり後退していたが、緑というとても魅力的なヒロインのお陰でかなり笑える小説にもなっていた。

アニメ監督の新海誠は春樹が好きだが、新海がとくに影響を受けた春樹作品はこの『国境の南、太陽の西』じゃないかと思った。新海は春樹が好きながら、その作品には春樹的な「笑い」や軽みはまったくない。新海作品にはいつも「笑い」がない。新海は笑わないでいつも泣いている。
新海は執拗に好きな人との唐突な別れやすれ違いを描いてきたが、春樹の小説を表面的に解釈すれば、春樹も失踪などの形でそれを執拗に描いてきた。『国境』は、転居して離れ離れになったかつての同級生と大人になって再会するという話であるが、再会する場所と時間はいつも決まっている。決まって雨の日に再会する。雨の日だけに決まった場所で会うことができる――もちろん新海の『言の葉の森』を連想させる。
新海に『雲の向こう、約束の場所』という作品があるが、タイトルといい『国境』をやはり思わせる。『雲の向こう』では春樹の『アフターダーク』がちらりと出てきて、影響元を誠実に告白していたが。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.137:
(5pt)

島本さん、大原イズミ、そして村上さんのこだわり

久しぶりに読み返してみると、すぐれた作品であったので、安心した。

内容はそれほど複雑な構成ではない、小学生の頃の初恋の女性、島本さん、そして高校時代に交際した大原イズミが、36歳となった“僕”、東京青山でBarを経営する男性、の前に現われる小説である。こう言ってしまうと簡単だけれども、分かりやすくてムダな部分がなく、村上さんの一部の長編のような冗長な印象がなくて、取っつき易い。

細部には、村上さんらしいこだわりが、幾つもある。例えば登場する高級車やカクテルの取り上げ方、前者についてはBMW等についてある程度詳しい人でないと分からないし、後者についても村上さんは、カクテルだからどういう酒をベースに作ったと言う説明もなく、話を進めていく。まるで、もし興味があるのだったら、自分で調べてみたらいかがですか、と言わんでもばかりに………。それが、村上さんの小説なのだろう……。

島本さん、大原イズミの扱い方の対照、それがこの小説の最も際立ったところなのだろうけれども、妻である有紀子の父親、すなわち義父の占める位置も重要であり、その義父が象徴する1980年代の不動産、株式に代表されるバブルを無理なく描いていて、時代を反映している小説と言って良いのではないだろうか。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.136:
(5pt)

誰にでもいる島本さん

ネタバレです。ご注意下さい。
大人時代の島本さんは実在しない、という読み方を考えてみました。
直接的には、無くなった封筒が鍵で、受け取ったじてんでは、確かにそこに存在している、とわざわざ点まで打って2回も繰り返しているのが伏線です。そう考えると、島本さんとの箱根でも行為が、イズミとの行為に似ていたり、タイミング良すぎるイズミの登場とか、またはそれ以外にイズミが全く登場しないことなども合点がいきます。もちろん、タクシーの中のイズミも妄想です。
イズミをひどく傷付けてしまい、それによって自分もひどく傷ついたといっています。浮気の露見や、その後の別れの情景が描かれていないので、いっそう、酷いことがあったのだろと想像されます。そして、その傷のために20代を無為に過ごし未だにトラウマが残っている。30代で結婚してかなり回復していたのが、同級生から久しぶりにイズミの消息を聞いて病がぶり返し、妄想の島本さんを創り出した、という読み方です。
自分じゃ無い自分、ここじゃ無いどこか。そういうものにとらわれ続けるいつもの村上春樹の主人公の苦悩と不安、そして喪失と再生の物語。幼い頃の女友達、というのはやっぱりいつまでも想い出として心に残っていて、1人っこということをことさらに自分の特殊性の言い訳にしつつ、扱いきれない自分のココロと葛藤を続ける。ココロの折り合いがなかなかつかない、純粋過ぎて、弱くて、哀しい自分。
そういうモヤモヤの時期を乗り越えて、しっかりとした、またはつまらない大人になるという話。純粋過ぎてなかなか大人になれなかったハジメは、ほとんど偶然に経済的にも成功し、何だか作り物の生活の中で身の置き場が見つけられず、スッキリしないなか、イズミの話を聞いて罪悪感からますますココロが不安定になっていく。ココロの中でこうして島本さんとの経験を作り出し、そしてイズミの幻影も作り出し、時間をかけて自分を取り戻して家庭に帰り、また1からやり直せる、再生の物語。その再生を助けられたのは、結局1番彼を愛している妻だった、という救いではないでしょうか。こういうことは、大なり小なり誰にでもあることかと思います。私にとっては、家族を大事にしたいと思わせる、良い本でした。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.135:
(5pt)

村上春樹最高傑作!文句なし!

アマゾンで買った本のみレビューしています。物語・作り話が好きなので小説しか読みません。リアリテイー等は関係ありません。事実と違うなどと言ってる人がいますが、なぜ事実じゃないと知っているのでしょうか?学者が書いているから?不思議で仕方がありません。物語では信長は本能寺で死ななくてもいいのです。面白いか面白くないかのみが判断基準です。それではよろしくお願いします。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.134:
(5pt)

ミッドライフ・クライシス!

「中年の危機(ミッドライフ・クライシス)」という言葉を知っているならきっとご同輩ですね。
仕事と家庭と恋の誘惑の板挟みになった経験をお持ちでは?
本書は、大人の責任を抱え始めた我々に訪れる、あの不可解な衝動の正体に迫ります。

【恋愛のイデア】
主人公のハジメは、12歳の時に出会った島本さんへの憧憬を忘れずに暮らしてきた。
高校時代のガールフレンドのイズミ、肉体関係に落ちた彼女の従妹、妻となった有紀子。
彼女たちの先には島本さんの姿を、いわば恋愛の理想のイメージとして描いていた。
36歳のある日、架空の世界にいたはずの島本さんが突如目の前に現れる。

「でもそれは幻ではなかった。店に戻ったとき、島本さんの座っていた席にはまだグラスと灰皿が残っていた。」
「僕はその隣に腰を下ろして、目を閉じた。音楽の響きが少しずつ遠のいて、僕は一人になった」

【至高の体験】
経済的成功や円満な家庭は、彼が望んで得たという実感を次第に奪い始めた。
一方で、島本さんへの恋愛感情は唯一無二の至高体験であり、彼の生の本質へのつながりを強めていった。
ハジメは島本さんとの人生をはじめからやり直す覚悟を固めた。

「それから秋がやってきた。秋がやってきたときには、僕の心はもうほとんど定まっていた。
こんな生活をこのままずっと続けていくことはできない、と僕は思った。それが僕の最終的な結論だった」

【太陽の西(破滅)へ】
「二度と私にどこにも行ってほしくないというのであれば、あなたは私を全部取らなくてはいけないの。
私のことを隅から隅まで全部。私が引きずっているものや、私の抱え込んでいるものも全部。」

人生を手に入れようとしたハジメとは逆に、島本さんは破滅を共にする相手を求めていた。

「私は十二のときから、もうあなたに抱かれたいと思っていたのよ。でもあなたはそんなこと知らなかったでしょう?」

ベッドの上で、島本さんの魔性が姿を現す。彼女は情欲をむき出しにして、ハジメの体を弄んだ。

【日常への生還】
彼女と別れたハジメは、抜け殻のようになって日常に戻ってきた。
自分本位な言い訳は消え去り、孤独の中で本当の自分に向きあう。

「みんないろんな生き方をする。いろんな死に方をする。でもそれはたいしたことじゃないんだ。あとには砂漠だけが残るんだ」

私たちは自己の内部から湧き上がる奇妙な衝動に操られ、変わることなく、何処にも行きつくこともなく生かされている。

「誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた」

この世界は、幻想へと向かおうとする私たちを、痛みを伴って現実世界へと何度でも繰り返し引き戻します。
しかしそれは、人生をより深く生きるという意味において、人知を超えた救いの手でもあるのかもしれません。
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4062060817
No.133:
(4pt)

村上春樹は、良くも悪くも、期待を裏切る。

村上春樹さんの小説は、良くも悪くも、予想や期待を裏切ると思います。

ひとつの作品を読んで、面白いと思って期待して他の作品を読むと、まったく違う作風の小説で驚きます。

村上春樹には予定調和という物がない。

マイルス・デイビスがそうであったように、常に新しい世界にチャレンジを続けている。

そこが素晴らしいし、自分はそこに期待するようになりました。

あと村上春樹さんの小説は、考えたくないことを考えさせられたり、嫌なことを思い出させられたりしますね。
でもそこがいい。
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4062060817
No.132:
(4pt)

「素敵、このままぜんぶ食べてしまいたい」

彼女は僕のそばに来て、僕のペニスをそっと指で包み、僕の唇にキスした。
彼女はとても長い時間をかけて僕の乳首を舐め、陰毛を撫でた。
僕の臍に耳をつけ、睾丸を口にふくんだ。彼女は僕の体じゅうにキスした。
彼女は僕の足の裏にまでキスした。
彼女は僕のペニスと睾丸を手のひらでそっと包んだ。「素敵」と彼女は言った。
そしてとても大事そうに僕のペニスをゆっくりと舐めて吸った。
彼女はワンピースを着たまま片手でストッキングを脱ぎ、パンティーを取った。
それから右手で僕のペニスと睾丸を持ち、舌で舐めた。
そしてスカートの中に自分の手を入れた。
そして僕のペニスを吸いながら、その手をゆっくりと動かし始めた。
彼女はまるで生命そのものを吸い取ろうとしているかのように
僕のペニスを吸いつづけた。彼女の手はまるで何かをそこに伝えようとするかの
ように、スカートの下にある自分の性器を撫でていた。
少しあとで僕は彼女の口の中に射精し、彼女は手を動かすのをやめて目を閉じた。
そして僕の精液を最後の一滴まで舐めて吸った。
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4062060817
No.131:
(5pt)

純愛

12歳の時に出会った島本さん。中学生になり、自分から遠ざかって
しまったもののその後のハジメの人生はかなり孤独で空虚なものになる。

純愛小説だと思う。
「ノルウエイの森」を短くしたらこんな感じになるんじゃないかな。
会いたいけど会えないこととか、そばにいるのにどうにもならない
想いとか。結果大事なものを損なってしまうこととか。
村上作品には「死」がついて回るが、本作も例外ではない。

読みやすいし、長さもそんなに長くない。村上春樹の世界観がぎゅっと
つまった作品である。おススメだ。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.130:
(4pt)

嫌悪感無く、好きです。

所詮不倫だと切り捨てる論評もありますが、そこはあまり気になりませんでした。私が男だからでしょうか(笑)
まぁ、それは置いておいて…、世界観が好きな作品です。これは、ノルウェーの森と並びリアリズムを描いた作品にはならないのでしょうか。
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4062060817
No.129:
(4pt)

著者の死生観は好きだ

主人公は妻以外の2人の女性と深く関わるのだが無意識のうちに2人を傷付けてしまう。そのことで自分も傷付いてしまう。主人公は現実と非現実の境界に生きており、非常に危うい。著者の性描写はあまり好きではない。またその事に文学性は感じられない。でも著者の死生観は好きだ。「人は皆死んでゆくし、いろんな死に方、いろんな生き方がある」とか「腐敗と崩壊の影」「壁に焼き付けられた影のように」とか。いずれにしろ、男女の若い時期の純粋さ、危うさ、潔癖さがよく表現されている。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817
No.128:
(5pt)

不思議な1冊

初版が出た1995年、自分はまだ若かった。一読して、特に何かを感じたという印象はない。せいぜい、名前を持つ登場人物たちに違和感を覚えたくらいだろうか。それからさまざまな経験をし、主人公と同じくらいの年齢になったとき、書棚で埃をかぶったこの本が目に留まった。改めて手に取ってページをめくると、小説の世界に引き込まれるような感覚に襲われた。食事も忘れて一気に読み終え、本を閉じて嗚咽した。不安も恐れも知らなかった頃、まったく気付かなかった主人公の"喪失感"が、痛いほど伝わってきたのだ。今も、表紙を見ると当時の自分の状況を思い出し、心がざわつく。多くの方が指摘されているように、しばらく時間をおいて読み直すと印象が大きく変わる不思議な1冊だと思う。
国境の南、太陽の西Amazon書評・レビュー:国境の南、太陽の西より
4062060817

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