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国境の南、太陽の西
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国境の南、太陽の西の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全187件 21~40 2/10ページ
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自分の心と感覚が素直に満たされ、自分らしさを実感できる体験、子供の頃にうっすらとそう感じていた体験をした。その後の人生でもそれをさらに追い求めて生きていったものの、その体験からは離れていくばかりであった。自分の心が求めるものはあっても、現実の社会ではつじつまを合わせて生きていく以外なく、もちろんそれで人並みの幸せを掴むこともできた。ただし、ぽっかりと自分の心に足りないもの・得られていないものにも気づき、それを求めたい心もある。それは過去の原体験。しかし、それを夢中で求めるならば人を傷つけてもしまう。自分の求めに従って生きていきたい。1度はそれに走る決心までした。それでも人と人との関わりの中では、青年期を過ぎた今、現実を生きる中で自分と調和させることを選んだ。少し憂鬱な前進を続けて行こう。 | ||||
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何年ぶりに読んだのでしょうか。 そして何回目でしょうか。 先を知っているはずなのに先が気になって読んでしまいました。 歳を重ねるにつれて視点が変わります。 それも読書の面白いところです。 | ||||
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非常に良いとされた中古本を買いました。 かなりヤケてました。 中古だからやけは仕方ないけど、ここまでヤケてるなら、可か良いくらいにして欲しい。 そもそも字体も小さい旧版の本の時点で、非常に良いはやめて。まあ、個人の問題だから、それは仕方ないのでしょうが、だんだん小さい文字は読めなかなってきてるので。 | ||||
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運命の女とそうでない女がこの世には存在する。互いに歩み成長することで運命の女とは別の次元への変化を必要とされる、究極的には悪を成しうる(悪を成して人を損なわせた業を背負う)男の12歳から37歳までの物語。 村上春樹さんがかかえていた悪というテーマは、『ネジ巻き鳥クロニクル』、その後、阪神淡路大震災、地下鉄オウムサリン事件を経て、本作主人公ハジメの業へ流れ込んだかに感じました。 自らの悪について、自ら傷つけてしまった人や心を損なわせてしまった人について、深く考えるきっかけや気づきを与えてくれる、示唆深い佳作だと思います。 | ||||
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私たちは常に現実を現実だと思い込んでいる。しかし、実のところ現実などというものは脆く果かない。生きるための仕事や雑多な家事、空を流れる雲や、刺さるような日差しは、確かなものだろうか? ふいに立ち現れる非現実は、日常を転覆し、私たちを混乱させる。しっかり足を地につけているつもりではあっても、ふとした拍子に足を踏み外す。一旦足を踏み外せば、全く違う状況に置かれることになるだろうし、永遠に戻れなく可能性もある。選択肢は無数でありながら、その選択は自分で選んでいないかもしれないのだ。この小説はただの恋愛小説ではない。現実と非現実に翻弄される私たちの意識に語りかける物語である。 | ||||
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二回目の再読であるが,緊張を感じつつ楽しく読むことができた。著者43歳の頃に発表した作品であり,平易に見えるが,同じような作品を探すのは簡単ではない。 問題はAmazon.co.jpにおける多くのレビューである。5段階で評価を下しているが,それらは作品評であったり,製品配送サービスに対する苦情であったり,作中人物の生活様式評であったり,性描写への感想,作者に対する論評等さまざまである。価格と時間の対価を支払って読んだ人間が何を感じたかを掲載することで,購入決定の参考にしてほしいという企業意図であろう。だが,それらのレビューは,誰が,どのような動機で書いたものか不明なため参考にすることは難しい。また,それを購入,読書する側の条件もまちまちであり,万人向けのレビューはあり得ない。 しかし,私も他のレビューに倣って評すると,37歳の「島本さん」の描写に美しさ,魅力を,私(男66歳)は感じることが難しい。それではこの作品をもとに映画を作るのはどうであろうか。圧倒的美女の女優がいたとして,それが演じればその魅力を感じることも可能かもしれない。また,「イズミ」と思われる表情のない女性のもたらす緊迫感も実現可能かもしれない。ところが,そのような映画では演じる人達の会話,言葉遣い,表情,街の雰囲気が作品を簡単に裏切るであろう。この小説では一つの世界が完結して書かれていて,それを楽しむことができる。 | ||||
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村上春樹ファンですが、気持ち悪くて嫌いです。 | ||||
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起伏の多い物語ではなかったが、何故か引き込まれて一気に読み終えた。小洒落た言い回しや横文字を辞書で調べる必要も無く、読み易く(笑)また、登場人物の心の葛藤や心情がよく描かれ、やっぱりなんだかんだ言っても「村上春樹は良いなぁ」と思ってしまう。強いて言うならば、これまで読んだ大半がそうだったように『自死』で終息させ「後は読者の皆さんの感性で考えて・・」という手法が頻繁だと、さすがに嫌悪感を覚えてしまうのだが・・? まあ、昔の作品を中心に十冊近く読ませてもらったが、その中では、目立たないものの上位ではないだろうか? | ||||
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Boy meets girl. という英語表現があります。 定冠詞 the も、不定冠詞 a も付かず 複数形でもない単数形の boy は 抽象的・本質的に「男子というもの」を意味します。 全体で「男子というものは女子というものに会うものだ」 という意味になります。分かりやすく申しますと 「男と女が出会って恋をする」 という人生(人間)の法則を表していることになります。 太古の昔から現在に至るまでそうでありましたし 将来もそうなるであろうと考えられます。 本書を読んで私は新しい真理を実感するに至りました。 それは "Boy meets girl again." そう「男と女は再会する」です。 一言で言ってしまいますと本書は 主人公である「僕」(名前は「ハジメ」)が 小学校で同級生の女子「島本さん」と再会する話です。 再会するまでの伏線や 再会してからどうなったかが本書の肝です。 "Boy meets girl again." が小説をはじめとする 古今東西の芸術作品の原動力となったことは明白です。 最大の典型例はイタリア・フィレンツェの詩人 ダンテ(1265-1321)の叙事詩『新曲』です。 ベアトリーチェに出会い、再会します。 あるいはフランスの作家 スタンダール(1783-1842)の『赤と黒』も ある意味、男と女が再会する話と言えなくもありません。 ピストルで銃撃することを「再会」と呼ぶならの話ですが (その後、独房で本当に再会する場面があります)。 日本文学ならば 開高健(1930-1989)の『夏の闇』も 冒頭、パリで日本人男女が再会するところから始まります。 女はベルリンから、男は東京から、やって来たのでした。 昨今では珍しい書簡体小説を挙げるならば 宮本輝氏(1947-)の『錦繍』も再会を奇貨として ストーリーが進行して行きます。 1つの再会から悲劇が起こりもう1つの再会から 本論が始まるという構成です。 このように "Boy meets girl again" は 小説における定番のひとつになっていますが 本書はその村上春樹氏(1949-)版と言えます。 氏の長編小説の系譜で申しますと、本書は 『ダンス・ダンス・ダンス』(1988)の後 『ねじまき鳥クロニクル』(1994-5)の前に位置します。 あるワールドともうひとつのパラレルワールドがあり 2つの話がパラレルに同時進行する構成が 村上氏の長編小説のひとつの典型ですが 本書はそうではなくて リアルの文体で書いたリアルの小説です。 その意味では『ノルウェイの森』(1987)と同じ系譜に属する 作品ですからファンが多いように感じられます。 4人の女性が登場します。 ①「島本さん」 ②イズミ ③イズミの従姉 ④有紀子(妻) ‥もちろん割かれている文章の量も違いますし メインストリームが「島本さん」であることは 間違いなのですが、それに限定することなく 全員について小説上の存在意義を考察することは この作品を理解するのに役立つと思われます。 なぜなら村上氏の小説には性的描写も含まれますが それは作品上の必然性があって描かれていて 同様に登場人物には役割と意味があるからです。 個人的には「有紀子(妻)」が若干 物分かりが良過ぎるように描写されている かもしれないと思いました。 "God is in the Details." (神は細部に宿り給う)と言ったのは ドイツ系米国人の建築家 ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969) であるそうですが それは本書にもあてはまります。 例えば、冒頭で 「父親が学徒出陣して‥」という記載がありますが 最近刊行された『猫を捨てる 父親について語るとき』(2020) によりますと、それは事実でありました。 凝縮された記述(つまり細部)の中に 村上氏の深い心情が充填されていることがあります。 そういう細部に注意して本書を読むのも一興です。 順不同で具体例を挙げますと ・豊橋市という地名 ・カールという名前のドイツシェパード (カール・マルクスにちなむという設定) ・土建屋である義父が説く市場原理 ・株式操作に代表される高度金融資本主義 ・青山の明治屋 ・『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』のピアノ (映画『カサブランカ』の) ‥などです。 本書が単行本として上梓されたのは1992年です。 ソ連が崩壊した翌年であり いわゆるバブル経済は終わった直後くらいであり そういう時代背景と照らし合わせる読み方も可能です。 最後に、本書を読んで私の "Boy meets girl again." を 振り返ってみましたが 幼稚園から大学まで1回も同窓会に行ったことがない (その通知すら来なくなって長年が経過)ので 同窓会での再会は全くありません (そう言えば同窓会からの通知はすべて寄付金の要請でした)。 "Boy meets girl again." という法則は 誰しもが体験しうる可能性を持ってはいるものの それが実際に具体的な love affair に発展/転化することは 現実にはあまりないのかもしれません。 村上氏はそれをテーマとして ミステリアスな要素も秘めつつ 比較的ストレートな抒情性を残した作品にまとめました。 本書のファンが多いのもうなづける気がします。 | ||||
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ハルキ作品では『世界の終わり〜』が一番好きな元文学青年です。『国境の南〜』はなんかセックスシーンばっかりあった気がして何となく読み返すのが気が引けていたんですけど、ずいぶん大人になったので再読。今のいちばんの印象はイズミ。「こういう人、いる」と思ってしまったからかもしれない。男性問題で致命的に損なってしまうと、昔は可愛かったのに、数年経っただけで「んっ、なんでこんな暗いオーラに!?」と思ってしまう人は割といる気がする。結局、人って一度損なわれてしまうと二度と回復できないものもあるってことなんだと思う。ともかく、イズミは素敵な人に出会って楽しくいきてほしいと思ってしまった。 | ||||
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身勝手な奴の話だなと思って読んでいたら、主人公自身がそう言い、登場人物も認めていて、笑ってしまった。 と同時に、その身勝手さには私自身にも思い当たる節があり、それはそれで身につまされる。 自分に欠けているもの、それを埋めてくれるかもしれない他者に欠けているもの。 埋まらなくとも欠けているものが何かわかればよいかもしれないけれど、それがわからない。 わからないことが不安、なのかもわからない。 そして、仕事や家庭に自己表現なり自律なりを見出して、安定しているかに自分を納得させている。 そのあたりが身勝手、ということに現れてくるのだろう。 欠落を認識すること、欠落を埋め合わせること、埋め合わせが仮でしかないこと、仮であることを自覚すること、欠落を受け容れること・・・。 辛い。 辛いのだけれど、何かを夢見てとか、想いがあればとか、そんな話ではないところに、「なんかオレの話、聞いてくれただけで、スッキリしたよ」な気分もあって、結構好きな小説。 | ||||
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読んだ直後は面白かったのに、すでに結論を忘れてしまいました。 私小説的な。 | ||||
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『ダンス・ダンス・ダンス』と同じくらい好きです。 | ||||
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漱石の「こころ」とこの本、読後の衝撃が大き過ぎ、二回以上読めない。 | ||||
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春樹作品の中でかなり上位に好きです。思わず作中の音楽をYouTubeで検索して聴いてました! | ||||
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島本さんは一体何を抱えていたのか、イズミに関する謎の正体は何か、読み進めていけば明らかになっていくと思っていたが、最後まで理由は明かされなかった。その釈然としない終わり方に満足できないという感情がある一方、読者の私と同じようにあらゆることが分からない状況下で揺れ動く主人公の感情を鮮明に感じとる事ができた事への満足感に似た感情を覚えた。 私はこの何とも言えない余韻の後、次はどの村上春樹の作品を読もうかと考えていた。 | ||||
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村上作品の最方法と断言できます。 だれすも、自分の心の穴を厳格で埋めてるのではないでしょうか。 でアリティとファンタジーの区別がわかなくこともときにはありある。 それを壮大に表現したのがこの作品ではないか。 | ||||
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読み始めたら止まらない、辞められない。彼独特の表現が気に入ります。一気に読み終えました。 | ||||
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村上春樹の中でも特に大好きな作品だ。 20代の時に読んでこんな大人になりたいと思ったし、40代の今読んで、こんな子供時代を送れたらよかったのにと思う。誰にでも青春はあるし、誰にでも老いは訪れる。誰にでも忘れられない記憶があり、誰にでも逃れられない責任がある。そんな当たり前のことをこの本をめくるたびに思う。 村上春樹独特の非現実要素(影の声とか暗渠とかそういうたぐいのもの)がほとんど現れない物語であるため余計にその繊細さが際立つ。 | ||||
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妻子を持ちそれなりに裕福なある男の話。たまにいやらしい所がちょこちょこ…。これが村上春樹さんなんですかね?でも総じて面白かったです。島本さんは本当に謎の女性でした。 | ||||
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