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(短編集)

敵討



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【この小説が収録されている参考書籍】
敵討
敵討 (新潮文庫)

敵討の評価: 4.50/5点 レビュー 20件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.50pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全19件 1~19 1/1ページ
No.19:
(5pt)

日本の最後の仇討

明治に変わり新しい時代に迎合していく人もいるが一途に仇討を果たす心意気に感動した。
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No.18:
(5pt)

硬質の時代劇

吉村昭氏の硬質の文体が好きです。
敵討ちという私的な戦いを、大きな歴史の中の、象徴として描かれたいます。
とても良かったです。
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No.17:
(5pt)

被害者や遺族の無念さや恨みを晴らすという敵討が持っていた機能が今の司法のシステムにはない

犯人が警察に捕まって裁判で有罪になることで、被害者の感情が救われるかというと疑問だ。被害者や遺族の無念さや恨みを晴らすという敵討が持っていた機能は今の司法のシステムにはない。
現代の視点から見ると野蛮な制度なのかもしれないが、そのエッセンスは被害者や遺族の為にも必要なんじゃないかな。35
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No.16:
(5pt)

敵討が認められていた時代からの変遷

吉村昭の著作群をやっと半数ほど読んだであろうか。綿密な調査取材に裏打ちされた説得力、

読者を扇情することなく、淡々とした文体、それだけに決して楽しい読書ではないが、

知識欲を満たしてくれる。

敵討、当時世間的に認められてはいたが、藩に届出したり、それを果たすまでは、脱藩浪人扱いだったり、

敵討の相手を早々に見つけられるわけでもなく、当時、敵討を果たすことは、多くの年月を要し、

途中で断念した者も多かったようである。

2編目の「最後の仇討ち」では、敵討の困難さのみならず、急速に近代化する維新後の敵討だけに、

より強烈な印象を受けた。敵討後、英雄扱いされた六郎自身かなり戸惑っていたようだ。

親の無念を晴らしたい気持ちはよくわかる、しかしそれが思い込みだったり、殺害された側がさらなる敵討を

企てたりするので、やはり司法に委ねるのが結局正義に適うだろう。
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No.15:
(5pt)

読み応えあり

吉村昭は実に良い。読ませる作家。
淡々としていて、しかし、胸に迫るものがあります。
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No.14:
(5pt)

素晴らしいの一言です。

作家はノンフィクションしか書きませんが、ほとんどは読んだ積もりで居ましたが、こんな時代が有ったのかと始めて知りました。 苦しい時代だったのでしょうね。
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No.13:
(4pt)

驚きました

近隣でこのような事件が起こっていたとは、知りませんでした。驚きでした。
一度、ぜひ、秋月を訪ねてみたい気持ちになりました。
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No.12:
(5pt)

直訴状: 敵討法の復活の儀

されば是より、仇討ちせる者は犯罪者なりとするをやめ、これを天道実踐者として尊重すべき者なれば、紫綬褒章を授与するを至当と愚考せるものに御座候。
誠恐誠惶

                       總理大臣閣下

遺恨あり 明治十三年 最後の仇討 [DVD]もおすすめ。
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No.11:
(5pt)

オススメです

吉村作品は半分は読みましたか、なかでもかなり面白かったです。満足です。
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No.10:
(4pt)

中編では惜しいほど

江戸末期から明治にかけて実際に起きた「仇討ち」を記録した中編歴史小説が2本。「個人と個人の問題である敵討には関心がなかった」という吉村さんがわずかに遺した「敵討」「最後の仇討ち」を収めている。いずれも吉村さんらしい、淡々としたノンフィクション風の筆致でまとめられている。

 「敵討」は、幕末直前の天保年間、松山藩を舞台にした「父及び伯父」の敵討を描いたもの。長い歳月をかけて「仇」を探す実子らの生涯を追うだけでなく、天保の改革を進めた老中水野忠邦の腹心で、妖怪とも呼ばれた鳥居耀藏を絡めたストーリー展開は、ミステリー風味があって読ませる。

 「最後の仇討」は、幕末の政治的な混乱のなか、九州・秋月藩内の抗争で藩士が藩内の対抗勢力に惨殺され、その長男が立身を遂げていた下手人(元藩士)を探す、という物語。目を引くのは、維新後の明治6年、仇討禁止令が発令され、それまで美徳とされていた仇討が通例の殺人罪として処罰されることになっていた、という点にある。上下2巻ぐらいの長編になってもおかしくない、中身充実の中編小説だった。
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No.9:
(4pt)

著者の本領ではないが・・・

仇討ちに関わる歴史小説二題。
 一題目、天保年間伊予松山藩江戸屋敷に仕える下士の剣術師範の兄が、背後から斬殺される。それを追求した父も返り討ちに会う。叔父と父を殺された男が、仇と目される男を探し続け、辛苦の末助太刀を受けながら本懐を遂げるまでを描く。敵は鳥居耀蔵配下で高島秋帆逮捕などに暗躍する男であった。仇であることの証拠がなく、敵討ちを終えたあと、本当の敵であったことが確認される。
 二題目、幕末九州秋月藩の次席家老臼井亘理は、京都で開明派と交わり、藩主の不興を買い帰国を命じられる。藩では過激な尊攘派と臼井の有能ぶりに嫉妬する主席家老が結んで、臼井の帰国を待ち受けている。若い尊攘派6人が家老の承認のもとに臼井を奇襲し、妻ともども斬殺する。
それを目撃した息子は復讐を誓う。山岡鉄太郎に剣を学びながら行方を追う。明治に入り、裁判官として出世した敵の所在を確かめた息子は、旧藩主邸で待ち構え、短刀で刺殺する。無期刑を受け獄に下るが、大赦を受け10年で出獄、無風な生活をまっとうする。日本史上最後の仇討ちとして記憶されている。
 吉村昭作品にしては、あっさりし過ぎていると感じた。著者として手応えのあまり感じられぬテーマではなかったか。
 二題目は、葉室麟も「蒼天見ゆ」で取り上げている。こちらは女性も登場し面白く読ませることに主眼を置いた書き方、硬質な吉村作品とは視点が違う。
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No.8:
(4pt)

目には目を

非業の死を遂げた人の怨みを晴らしても、亡き人は還ってこない。
しかし、怨みを晴らさなければ亡き人の魂が浮かばれない。
敵を討つことが武士の本懐であり美徳と評されていましたが、
武士以外の市井の人々においてもそれは変わらない。

古今東西、今も昔もそれは不変だと思うのですね。
現代においても非合法に敵討ちの復讐を成し遂げるという事件は
後を絶たないような気がします。

理不尽に家族を殺められたらあなたはどうするか?
長き手続きを経て裁判の結果「死刑」を勝ち得ても家族の悲しみはいやされないはず。
あり得ないが仮に、刑の執行役を遺族が担っても憂さは晴らせない。
ましてや未成年だから、道路交通法においては、などと言う理由で目を耳を疑うような
軽い刑が言い渡されれば、犯人出所後に報復を考える人も多いだろう。

仇討法を制定してはどうか?という高名な法学者もいるようですが、
犯罪の歯止めになることは決してない上に、報復の応酬を招いてしまわないかと考えてしまう。

短編の2作の本書ですが、とても考えさせられました。
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No.7:
(5pt)

満足。

文庫本が、近年多く 単行本を探して購入しております。吉村昭の単行本の出展をお願いします。
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No.6:
(4pt)

他人がとやかく言えるのか

吉村氏の「敵討ち」であるが、どちらも胸が痛くなる話であった。
「敵討ち」に伴う、諸手続きと、「敵」を探し出す苦労は並大抵のことではなく、生涯を「棒に振る」悲壮な覚悟すら遺族に強いる。
「最後の敵討ち」で、本懐を遂げたあとの、「討たれた」側の消息も詳細に述べられている。
「直久」の父親は縊死を選んだ。
関係ない母まで殺戮した「萩谷」は、「直久」が討たれたのを知り狂死する。
「報いはその血族も負うべき」という、主人公の気持ちはよくわかる気がした。
周囲のものが、喝采し、あるいは立場によっては非難し、現代であれば批判も渦巻くであろうが、所詮は他人のスケベ心からの好き勝手な言い分であり、苦しみは当事者にしかわからぬことだ。
このところ、神戸の少年A」が本を出版して物議をかもしているが、ご遺族にしたら何年経ってもさらに傷をえぐられる思いであろう。
時代が違えば、それこそ
「敵討ち」
も認められただろうに。今の司法は何の落ち度もない被害者ご遺族に決して寄り添っていないなと、痛感する。
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No.5:
(5pt)

原本、TV共にいいね

藤原さんはあまり気にする俳優さんではなかったけど今回はかなりグーです
松井奈緒さんは原作には殆ど出ない人だけど流石脚本家の見る目は秀逸です
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No.4:
(4pt)

いつもながら

所有しており、読んだのを忘れてしまい購入。しかし、吉村氏の作品は裏付けが凄い。いつも感心して読んでいます。
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No.3:
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伝十郎と六郎、それぞれの敵討ち

この本には、「敵討」「最後の仇討」の二作が載っている。
「最後の…」は「遺恨あり〜明治十三年最後の仇討」というタイトルでテレビドラマ化された。主演は藤原竜也さん、臼井六郎の役である。
吉村昭氏の著書は好きなので(まだまだ読んでない作品のが多いが)、ドラマの後だが、早速、原作を読むことにした。
「敵討」は、末期といえども、まだ江戸時代。 敵を討つ手順をふんで(願い出をして)、意気揚々と故郷を後にしたと思う。
時代はもっと古いが、ドラマの「水戸黄門」にも、敵討のシーンが出てくる。もっとも、たいていは相手が物凄い悪で、黄門様一行の前に討ち取られるのであるが。
しかし、時代物の本を読んだりしていると、一度姿をくらましてしまった相手は、探す方法も限られる、それも噂を聞いて行けば、本人ではない。
金は尽き、精魂尽き果てて、故郷へは帰れず、身分を捨てるような形で一生を惨めに暮らした、という話の方が多いくらいだ。
それにしたら「敵討」の伝十郎は、運が良かったと言えるのか、敵をみつけることが出来た。
「最後の仇討」の方は、時代が悪いというか、明治維新が起こり、日本はみるみるうちに変わり、廃藩置県だ、仇討禁止令だ、武士は武士ではなくなって刀を差してはいけなくなった。
驚くことには、六郎の父親を殺した人物は、判事になっていた。
最近になって「殺人の懲役(15年)」が15年でなくなった。 現代では「親の敵!!」なんていう言葉は聞かないが、時代が幾ら変わっても、親や子、身内を死に至らしめた相手に対する気持ちは同じだと思う。
ただ、自業自得とはいえ、敵を討たれた相手にも、妻子や兄弟がいるだろうにと思う。
「敵討」と「最後の仇討ち」、少ししか年月は違わないのに、両方とも敵を討つ話なのに、全く違うもののように感じた。
相手を仕留めた時、どんな気持ちだったのだろうか…。
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No.2:
(5pt)

見事な読み応えと、深い余韻

「敵討」に関する小説が二編、収められています。
前者は江戸末期、後者は江戸末期から明治にかけてです。
明治時代に、まだ敵討なんてあったのか、とまずは驚きますが、明治初期というのは、まだまだ江戸を引きずった時代だったことが、本書を読むとよくわかります。

いつもながら、著者の「とことん実証を重んじる姿勢」には頭が下がります。
何時にどこを出て、どう歩いて、どこに切りつけたか・・・こうした細部まで描かれることで、当時の空気、人物たちの息遣いが生々しく伝わってきます。

・・・と、吉村氏の小説論を語るなんておこがましいので、本書を読んでの個人的な感想を。

著者は「敵討がいいことなのか、悪いことなのか」といったイデオロギー的なことにはまったく触れていません。
なのに、読後感の爽快さから、やはりどうしても敵討は善だと思ってしまっている自分がいることに気づきます。これはもう、DNAなんじゃないかと思うほどに。
こうした「やられたら、やりかえすべき」という文化は、ひょっとしたら日本で「死刑廃止論」が一向に進展しないこととも根強くつながっているのかも・・・。
そんなことを感じた一冊でした。
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No.1:
(4pt)

復讐は虚しくて哀しいか

身内が惨殺されるという事態に陥れば、現代でもその加害者に対して復讐を遂げたいとする意志を持つ人は多いし、世間一般も復讐という思いに対しては同情的であるのは、殺人犯に対する死刑判決には8割以上の人々が支持していることでもうかがえる。
封建武士社会では、復讐は即ち「敵討」と言われ、美風とされていたし、むしろ、敵討をしないことは、武士道にもとる行為と非難された。
しかし、実際問題として、所定の手続きを取り、敵討の旅に出たとしても、仇に会える確立は極めて低く、更に、実際に敵討成就は、難しかったといわれる。
本書が題材にした敵討は二つある。
一つは、剣客の伯父を闇討ちによって、又、その伯父の敵討に出た父を返り討ちによって殺された男が、江戸から長崎まで足を伸ばし、実に8年の年月の苦心の末に敵討を果たした一件である。しかし、この苦難の敵討の間に心と体はすさみ、敵討成就後は抜け殻のようになって、梅毒で死んだ。
もう、一件は法治国家となった明治の時代に、江戸時代末期に、父母を目の前で惨殺された当時14歳の男が、13年の苦難の末、当時判事となっていた犯人を殺害した「最後の仇討」である。
江戸時代の美風であっても、法治国家では殺人でしかないこの行為に対して、明治政府がどのように対処したか、或いは一般の市井の人々はどのように反応したか。
何時もの吉村節調の淡々とした事実描写が、却って、仇討ちという復讐行為の虚しさにぴったりだ。
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