(短編集)

こちらあみ子

【この小説が収録されている参考書籍】

【この小説が載っている参考書籍】

評判

こちらあみ子の評価:

4.20/5点 レビュー 118件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.20pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全180件 101〜120 6/9ページ
No.80
(4pt)

気分転換にちょうど良かった

毎日ノンフィクションや科学論文ばかり読んでいて疲れていたので,何か文学的な著作を読もうと思って手に取りました.質の良い邦画を観た後のような心地よい読後感を味わえました.他の作品も読んでみようと思います.
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.79
(5pt)

私は著者が異常性の裏側にある拒絶された者の悲哀を書きたかったのだと思うのですね。

芥川賞作家・今村夏子さんの原点となるデビュー作品集。私は本書を読んで完全に著者の本質を理解できた気がします。「こちらあみ子」の風変わりな少女あみ子の同級生のり君への恋心「ピクニック」の七瀬嬢が恋人げんき君に尽くす献身「チズさん」のお婆さんに対する私の執着はそのまま「むらさきのスカートの女」の権藤チーフの日野まゆ子への親切心と本質的に同一なのではありませんか!純粋無垢のピュアで一途な心を私は笑ったり不気味に思えたりはできません。私は著者が異常性の裏側にある拒絶された者の悲哀を書きたかったのだと思うのですね。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.78
(4pt)

純粋すぎる切なさ、悲しさ。

「あみ子」はなんとも言えない読後感にさせられました。解説にはちょっと変わった女の子とありましたが、やはりあみ子は軽い知的障害と思わざるをえません。あまりに純粋、ゆえの残酷さ。でも時間をおいてまた読んでみようと思います。「ピクニック」はさらに不思議な物語。この主人公もちょっとどころではなく変わっている。独特の世界を持った作家さんであることは確かなようです。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.77
(5pt)

綺麗で可愛い麒麟さん

表紙に惹かれました。
この麒麟の可愛さにやられました、とても素敵!
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.76
(4pt)

生きるとは。。。

ちょっと不思議な小説です。

あみ子の世界にぐいぐい引き込まれていきます。

多様性のある社会ってこんな感じかも、と思える一冊です。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.75
(5pt)

コミュニケーションの不思議

現時点での最新作『むらさきのスカートの女』を読んで、とても面白かったので、第一作品集『こちらあみ子』に戻って読んでみた。
本作には、表題中編のデビュー作「こちらあみ子」と、同じく中編の「ピクニック」、短編の「チズさん」の、3編が収められている。

「こちらあみ子」は、発達障害のある少女あみ子と、その家族や同級生たちとの日常を、あみ子の視点から描いた作品。
あみ子は当たり前のことをしているつもりなのだが、結果としては、多くの場合「善意の人たち」である周囲の人たちを、傷つけたり苛立たせたりしてしまう様子が描かれる。
問題は、あみ子がそのことにまったく気づかないでマイペースに生きてしまうところなのだが、無論、あみ子に悪意のあることではないからこそ、ことは厄介になってしまう。

「ピクニック」は、ローラーシューズを履いた女の子たちがダンスをしたり食事を運んだりするのが売りの店に入ってきた、ひとまわり年上に新人である七瀬さんと、語り手のルミたち歳下の先輩の交流の物語。
七瀬さんは、年上でありながら、先輩たちに非常に丁寧で献身的に接するため、ルミたちからも愛される存在になるのだが、彼女はある売り出し中のお笑いタレントと付き合っていると言う。ルミたちは、七瀬さんの話を素直にうけとめて、彼女を応援するのだが、七瀬さんの後に入った若い女の子が、先輩に対する礼儀を欠き、特に七瀬さんのことをバカにしたような態度をするため、ルミたちはその新人に注意をするのだが、その新人はルミたちに、七瀬がタレントと付き合っているなんて話は嘘に決まっているし、それを真に受けて応援しているルミたちは人が良すぎる、と反論するのであった。そうこうするうちに、七瀬がつきあっているはずのタレントが、アイドルとの結婚を発表し、七瀬が職場に姿を見せなくなってしまう。

「チズさん」は、認知症が入っているらしい独居老人であるチズさんの家をたびたび訪問して、チズさんの生活をサポートしているらしい女性の一人称小説。
ある日、語り手の女性がチズさんの家で、いつものようにチズさんの面倒を見ていると、突然、チズさんの子供家族が訪れ、語り手の女性はなぜか、その家族に見つからないようにあわてて身を隠すのだ。

このように紹介すると、なんだがまともなコミュニケーションが成立していない、ちょっと暗い小説のような印象を与えるかもしれないが、そうではない。
と言うのも、今村夏子の小説の主人公たちは「常識」に欠けるところはあるものの、自分のものの見方に自信を持っており、それを朗らかに生きる、とても魅力的なキャラクターの持ち主ばかりだからだ。
あみ子は無論、ルミも七瀬も「チズさん」の語り手の女性も。

彼女たちが、躊躇なく信じている他者とのコミュニケーションは、第三者的には「独り善がり」で「一方通行」なものの組み合わせでしかないのかもしれない。だからこそ「ピクニック」の新人の女の子は、そんな「嘘」や「嘘を鵜呑みにしてのつきあい」に苛立ちを隠せなかったのだろう。彼女には、それが「偽のコミュニケーション」だと思えたのである。
その意味では、あみ子のコミュニケーションも完全に一方通行であり、「チズさん」の語り手のそれも同様であって、およそこれらの作品に中には「双方がお互いに理解しあってのコミュニケーション」というものが登場しない。
だからこそ、どこか非現実めいた不思議な感触をあたえるのだが、しかし、「双方がお互いに理解しあってのコミュニケーション」なんてものが、本当に「当たり前」なのか? いや、そもそも、そんなものは実在するのだろうか?

私たちは普段、完全ではないにしろ「双方がお互いに理解しあってのコミュニケーション」ということをしている、つもりになっている。
しかし、考えてみれば、私が相手を本当に正しく理解しているのかどうかは、いささか疑わしいし、逆に相手が私を正しく理解してくれているというのも疑わしい。
お互いに、付き合うのに支障がない程度の理解はあるだろうが、しかし、本当にどれだけ理解しあって、私たちは人づきあいをしているのだろうか。

そのように考えてみると、もしかすると私たちの人づきあいは、じつのところ「こちらあみ子」「ピクニック」「チズさん」に描かれたコミュニケーションと、ほとんど違いはないのではないだろうか。

だが、しかし、それが「いけないこと」なのだろうか、とも思えてしまう。
「双方がお互いに理解しあってのコミュニケーション」というのは、なるほど「完全」ではあるものの、どこか窮屈な印象を与えもする。そもそも他人が自分の裏表ぜんぶを理解するなんて、あまり嬉しいことではない。
ならば、あみ子やルミや七瀬や、あるいは「チズさん」の語り手が体現したような、他者への「肯定的な誤解」や「肯定的幻想」に裏づけられたコミュニケーションというのは、ある意味で、完全に正しいのではないだろうか? むしろ、これこそが「正しいコミュニケーション」であるからこそ、私たちは彼女たちに肯定的になれるのではないだろうか。

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

【補記】(2019.07.12)

以下にご紹介するのは、現時点で既巻の今村作品5冊を、すべて読んだ段階で書かれた「今村夏子論」である。
つまり、個々の作品論ではなく「作家論」として書かれたものなので、それまでに書かれた作品論としてのレビューの巻末に収録させていただいた。
なお、下の書籍タイトルは、上から刊行順で、末尾に付して数字は、私が読んだ順番である。

『こちらあみ子』(2)
『あひる』(4)
『星の子』(3)
『父と私の桜尾通り商店街』(5)
『むらさきのスカートの女』(1)

==================================================

 あなただって変な人:今村夏子論(拡張版)
  一一 Amazonレビュー:今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』

本書『父と私の桜尾通り商店街』には、表題作の他「白いセーター」「ルルちゃん」「ひょうたんの精」「せとのママの誕生日」「モグラハウスの扉」が収められている。

現時点での最新作である『むらさきのスカートの女』から読み始めて、『こちらあみ子』『星の子』『あひる』と読んできて、現在刊行されている本としては最後に残った本書『父と私の桜尾通り商店街』を読了した現時点では、本書が最も完成度の高い1冊だと思う。

今村夏子の作風については『あひる』を読んだ段階で、「ドラマ性の偏見を突く:今村夏子論」を書いたので、本書については、その読みが外れていなかったかどうかを確認しながら読んだのだが、どうやら私の読みは、大筋で外れてはいなかったようである。

おなじことを繰り返すのも何なので、先に前記の『あひる』についてのレビュー「ドラマ性の偏見を突く:今村夏子論」を紹介してから、後で本書『父と私の桜尾通り商店街』について書くことにする。

------------------------------------------

 ドラマ性の偏見を突く:今村夏子論
  一一 Amazonレビュー:今村夏子『あひる』

今村作品は『むらさきのスカートの女』『こちらあみ子』『星の子』に続いて4冊目だが、今村夏子の実像が、かなり見えてきたように思う。

本作には、表題作「あひる」のほかに「おばあちゃんの家」「森の兄妹」が収録されているが、他の長編や作品集にくらべると、やや児童文学的な柔らかさが強いように思う。
しかし、独特の「不穏さが漂う」といった点は、他の作品と変わりはないので、本質的な違いはどこにもないと言って良いだろう。

さて、4冊目にして私が読み取った「今村作品の本質」とは、今村が描くのは「どこか不穏さをかもす、しかし優しい日常」といった「上っ面」ではなく、「日常に存在する不穏さに、過剰なドラマ性を見てしまう偏見を突いてくる、その批評性」ということである。

例えば『星の子』は、新興宗教の信者家族を描いており、それゆえの周囲との軋轢葛藤も多少はあって、その点で「危うさ」や「不穏さ」が漂うのだが、しかし、物語は最後まで、よくある「破局」も「どんでん返し」もなく、「そのまま」の日常が続いてしまう。

これは、本作品集の「あひる」や「おばあちゃんの家」も同じで、これらの作品の語り手家族も、なにやら熱心に「神さまを拝んでいる」ようだが、それで大きな破綻がおとずれるわけではなく、物語はありふれた日常的生活の中に収まってしまう。
「おばあちゃんの家」のおばあちゃんは、認知症のせいか、最後は性格が変わってしまうが、悪い方に変わるわけではない。単に活発になるだけだ。
また「森の兄妹」に登場するおばあさんも、すこし怪しげではあるが、結局はただの子供好きなおばあさんに過ぎない。

そして、これは『むらさきのスカートの女』や『こちらあみ子』でも同じだ。
これらの作品では、直接「宗教」が描かれるわけではないけれど、いわゆる「変人」や「知的障害者」といった「普通から外れた人たち」が描かれて、多少は周囲の「普通」に波風を立てはするものの、それで決定的な「破局」や「どんでん返し」的なものがおとずれるわけではなく、最後は「日常」に回帰してしまう。

つまり、今村の描く「日常」とは、私たちの考える「影の差さない日常」などではなく、「ときどき影が差す(ものである)日常」なのだ。

私たちは、普通に生きていれば、ときどきその生活に「不穏な影」がさすものなのだが、それはたいがい「不幸の予兆」などではなく、たんなる思い過ごしで、いつのまにか何事もなく過ぎ去ってしまうものだ、ということを知っているのではないだろうか。

それなのに、私たちは「小説」などのフィクションのなかで「不穏な影」がさすと、それを、何か不幸がおとずれる「サイン=合図」であり「複線」だと思いこんでしまう。そのような「物語的紋切り型」に馴らされてしまって、小説というものに「偏見」を持ってしまっているのだ。

つまり、今村夏子は、そうした「偏見の虚構性」を、物語において突いているのである。「その発想は、馴れによる偏見に過ぎないよ。予感はあくまでも予感であって、的中する予言でなんかないんだ」という批評であり、これはきわめて「純文学的な試み」だと言えるだろう。

私たちは「新興宗教」というと「うさんくさい」とか「何か裏があるのではないか」などと、紋切り型の発想で偏見を持ってしまうが、言うまでもなく新興宗教にもいろいろあって、それは人間に白人もいれば黒人もいるとか、日本人にもネトウヨもいればパヨクもいるしノンポリもいる、といったことと同じである。

しかし、私たちは「密室殺人が起これば、そこにトリックがある」などといったような「パターン」で物語を見てしまう。たしかにこれは「効率的」な読み方ではあろうものの、慎重さには欠けて、きわめて「先入観に無自覚」であり「偏見」的だと言ってもいい。

今村夏子は、こうした私たちの「物語的偏見」を、「反・物語」によって逆照射して見せているのではないだろうか。「こっちの方が、当たり前(普通)なんですよ」と。

------------------------------------------

私は、上のレビューで、今村の小説を「反・物語」と表現した。これは、「小説のお約束」を意識的に裏切ってみせる、批評性を込めた小説、のことである。

よく言われるように、今村の作品は「不穏」と「優しさ」が同居している「不思議な世界」なのだが、この「不思議さ」は、小説的に「ありがちなパターン」にはハマらない、むしろ本来ならば相性が悪いとさえ考えられている「不穏」と「優しさ」が同居させられている点においてこそ、良い意味で読者は「予想」を裏切られ、その意外性を楽しむことができるのだ。つまり、平たく言えば「ありきたりの小説」ではないのである。

しかし、上に紹介した「今村夏子論」でも指摘したとおり、そうした「面白さ」は、読者の側が「小説」ばかりではなく、「人間」に対しても「偏見」を持っていればこそ、なのだ。

「普通の(まともな)人間」とはどういうものであり、「普通の(まともな)正義」とは、「普通の(まともな)人間関係」とはどういうものかといったことについて、決まりきった「常識」としての偏見に縛られて、そこから外れたものを「おかしなもの」「狂ったもの」「間違ったもの」と、深く考えることもなく決めつけてしまっているからこそ、そうしたものの裏をかいてくる今村夏子の作品は、「不思議」な作品であり、それでいて読者にひと時の「自由」を与えてくれるのである。
「あなただって、べつに普通である必要はないんだよ」と。

例えば、「白いセーター」の語り手は、いたってまともな女性のようだが、こまっしゃくれた子供にひどい目にあわされたあげく、最後は、ちょっと「おかしな人」になってしまう。
なぜに「嫌な思い出」のしみ込んだセーターを後生大事にしまい込み、それをときどき持ち出しては匂いを嗅いだりするのだろう。これは「普通」なら、倒錯的な行動なのだけれども、しかし、嫌な思い出によってこそ、つかめる「リアルな世界」というものもあろう。わたしたちは「きれいごととしての普通」のなかでだけ生きているわけではないのだ。

「ルルちゃん」では、語り手が知り合った、「普通」に魅力的で、しかし虐げられた子供に対する情の濃い女性が登場する。この女性は、常識的には非常に真っ当な人だし、やや過剰とも思える(ある意味では、イワン・カラマーゾフ的な)「虐げられた子供たちへの愛情」についても、本人は十分に自覚的なので、決して「異常」呼ばわりするのは妥当ではないだろう。
そして、その女性が、自分の力では救えない「虐げられた子供たち」への代替的愛情表現として、人形のルルちゃんを抱きしめるという行為も、決して異常なものとか言えない。
しかし、ルルちゃんの立場に立てば、それは迷惑なものにしか感じられないだろう。だからこそ、語り手は、ルルちゃんをその女性から「盗んだ」のではなく、「救出」したのである。それが語り手の「普通」感覚なのだ。

「ひょうたんの精」は、「普通」に読めば、幻想小説か「幻想にとり憑かれた女性」の物語ということになるだろうが、他人にはそうとしか思えなくても、彼女自身はそれを少しも不都合には感じておらず、その世界観を納得して生きているのだから、彼女の世界観が否定されねばならない謂れはどこにもない。
彼女は何も「間違って」いないし、狂ってさえいない。あえて言うなら、すべての人は、程度の差こそあれ、それぞれの幻想世界に生きているからである。

「せとのママの誕生日」も、「スナックせと」に集った、元従業員の女性たちがそれぞれに語る「ほとんどあり得ない奇妙な思い出」が、「矛盾なく」交錯する世界である。
「せとのママ」がいるかぎり、彼女たちの物語は、決して否定されることはなく、むしろ他には代えがたい独自性を持つ「大切な思い出」として、そのまま存在し得るのである。

「モグラハウスの扉」も、モグラさんという道路工事作業員の語った「物語」を生きる女性と、その女性とその女性の信じる世界を共有しようとする語り手の物語であり、彼女たちの間には、何の矛盾も不都合もない。

「父と私の桜尾通り商店街」にいたると、語り手が掴んで離さない「物語」は、現実の方を変えていこうとさえする勢いだ。

こうした「物語」から伝わってくるのは、私たちの持つ「普通」「常識」といった物語は、「周囲の顔色を窺い、周囲の世界観を内面化した、借り物」でしかない、ということなのではないだろうか。

たしかに無難に生きるのであれば、その方がいいのかも知れないけれど、しかしそれは、自ら進んで「凡庸な世界」を選ぶことでもある。
もしも私たちが、もっと「自分らしい世界」を生きたいと思うのであれば、「周囲の(無難な)世界」を弾き返すくらいの強度を「自分の世界」に与えなければならない。無論、それが出来るのは、「世間を目」を怖れない特別な「強者」たちであって、彼女らは、決して「敗者」などではないのである。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.74
(4pt)

成人のあみ子も見たい

こちらあみ子とピクニックの2本立ての小説。こちらあみ子がメインでこれに尽きます。変わった女の子のあみ子の幼少時代の何気ない日常を描く。広島弁がいい味出してます。あみ子と兄は誰の子供で、なんで養子になったのかは謎。あみ子の成人の物語も見てみたくなる作品です。ピクニックは何を表現したいのか不明な作品でした。一気に読めましたが。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.73
(5pt)

とても素晴らしい作品だと思いました

表題の「こちらあみ子」
夜、寝る前に一気に読んだのですが…
読み終わって直ぐに布団に入ったのですが何かこう、心がざわつくような少し苦しいような複雑な心境で…
色々と考えさせられるような…
正直、心が揺さぶられました
そして本の内容や「あみ子」のことが頭の中でグルグルして色々と考えるなり寝付けなくなってしまいました。
布団の中で仰向けになってぼーっと薄暗い天井を眺めながら、口からは自然と「いやぁ、まいったな」と両手で顔をくしくし撫でながら呟いている自分がいました。
私にとっての「あみ子」はそんな作品でした。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.72
(5pt)

自らの感覚に従って生きる

まず、あみ子の幼稚さに無性にイライラした
私…真っ当に子供時代を生きられなかったせいか?嫉妬のような腹立たしい気持ちと、どこか懐かしさと物哀しさの入り混じった、奇妙な思いが最後まで続いた。
この時代に、都市部でこういう子は大体が特殊学級行きになるだろう。
あみ子は知性はちゃんとある子供。が、いわゆる「普通の人生」を歩む事を、自らの感覚で拒否しているように見える。
あみ子のような人生を選択しても、ちゃんと受け入れてくれる場所が、今の日本から消えないで欲しいと思う。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.71
(5pt)

あみ子の感性が愛おしい

あみ子の感性が愛おしくて、たとえ世界があみ子を見離しても、僕はあみ子を側で見ていたい。側に居れたらどんなに楽しいだろう。あみ子の性格や生き方は発達障害とかなんとか病名を付けて安心したがる人がいるでしょうが、そんなの無駄です。あみ子はあみ子、竹馬に乗ってくるさきちゃんはきっとあみ子の良さを知っています。成長するということが、あみ子のような女の子を爪はじきにすることであるなら、この世界はすごくくだらない。
あみ子の目から見た世界が強烈で、新鮮で、騙し騙し生き残っていた自分の魂が生き返った気がしました。あみ子に直接ありがとうって伝えたい気分です。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.70
(5pt)

奇妙なざわめき

「こちらあみ子」「ピクニック」「チズさん」の三篇をおさめたこの小説は、いずれも通常の生活の中に微かな差異(ズレ)を持ち込むことで派生する奇妙なざわめきを描いている。つまり、あみ子やチズさんや七瀬さんの存在それ自体がぼくたちの日常や社会の見え方をある意味で異化する効果をもつ仕組みとなっているからだろうか。
だが、彼らに特別な問題行動があるわけでもなく並はずれた能力があるわけでもないけれど、ただただ一生懸命さと純粋で一途なふるまいがきわだっているといえる。それゆえに物怖じすることもなく一途にふるまえることが日常的な常識や通念に対して微かな変化をもたらすというということなのだ。

あみ子の症状がどういうものであるか定かではないがある種の知的障害であることは文脈を通して理解できる。また、学校へは行ったり休んだりしていて、その気ままなふるまいもクラスから容認されていることも何となく分かってくる。お母さんの書道教室があるときは部屋の出入りが禁止されているがあみ子はその書道のようすを別の部屋からのぞいて見ている。
あみ子は教室に通う同級生のり君に対してある意味で憧れと好意的な気もちをもっているがまともには相手をしてもらえない。周囲からもあみ子には親切にしてあげるように注意されていることも理解できる。
ついに、あみ子はのり君に自らその気もちを打ちあけるのだが・・・

かすれて、苦しそうな声だった。のり君はあみ子が手にしている一枚のチョコレートクッキーを見てから、机の上に並べてある二枚に視線を移した。その二枚は、たった今あみ子がハートの形をしたチョコレートクッキーから、ただの丸いクッキーに変身させたものだった。湿っている。のり君の口から震えた声が出た。あれは、と発声したようだったが、はっきり聞き取ることはできなかった。少しの間があって、次にのり君が言葉を発しようと口を開きかけたその瞬間にあみ子が叫んだ。「好きじゃ」「殺す」と言ったのり君と、ほぼ同時だった。(p102-103)

無垢なる者にはけっして効率や計算や利害はない。その一途な気もちと行動がストレートであるがゆえにある種の混乱と常識を揺さぶる力があるということなのかもしれない。そのことによって互いの関係性や周囲の見え方に奇妙なズレと変化をひき起こすのだ。だが、物語は劇的に変化するのではなく僅かに少しづつ変わっていくだけで切ないほどに静かに閉じられている。

書道教室の先生でお腹に赤ちゃんのいる母、一緒に登下校してくれる兄、やさしい父、穏やかな三人のくらしも母の出産をきっかけにして大きく変化していく。兄が不良になり家族のようすも少しづつ変化し事態はだんだん深刻になっていくのだが、作者はその状況を丹念に描くことで物語を成立させる。
この変化の意味するものは何か、静かに閉じられた物語の読後に広がる名状しがたい切なさとやるせない不思議な気持ちは何処に由来するのか。
あみ子にしてもチズさんや七瀬さんにしてもどちらかというと社会的にはやや弱者といえるところが共通しているけれど、この作品が切なさとともに小説の強さとなっていることもそのことに起因しているのかもしれない。
『こちらあみ子』はそういう作品で心に響くきわめて印象深い小説といえる。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.69
(5pt)

パソコンの中を整理していたら出てきた、7年前に書いたレビューの下書き

要領の悪い主人公の少女。何が取り柄なのだろうと思いながら取り留めのない回想を読む。
文章は絵画のように明確だが、この子に何かいいところはないのだろうかと、いぶかりながら。
途中からは幻覚ともつかない音まで現われて、作者は何を言っているのかとまで思う。
しかし、一番最後になって、そういう話だったのかと不思議に腑に落ちて、この少女を抱きしめたくなる。
オチは物語に不可欠なものでしょうが、こういう種類の人間の心を描いたものはこれまでにないのでしょうか。
作者の文学に対する誠実さと、才能を見せられました。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.68
(5pt)

あまりにも残酷で、純粋で、どこまでも鮮やか

あみ子の突拍子もない言動、行動のひとつひとつに苛立ちを隠せない。許せないようなシーンも出てくる。

しかし中盤で気付く、断定はできないが、彼女は発達障がい(それともまた別のなにか)を抱えているのではないか。
そう感じた瞬間、作者の強烈な表現力と世界観が私をあみ子の見ている世界へ連れて行く。
彼女の見ている世界は、あまりにも残酷で、純粋で、どこまでも鮮やかだった。

あみ子が規格外の形で伝える想いはいつも誰とも交差しない。あみ子はその理由がわからない。
無垢は時に凶器となる。常識は時に誰かの首を絞める。そうやって彼女とその周りの人間たちはお互いを傷つけ合っている。気付かないうちに。救いようがなく、ひたすらに清かった。

この本は読んでいてとても辛かった。けれど作者の凄まじい筆力により、ラストまでページをめくる指は止められず、駆け抜けるように読了した。読んでいる最中は、まるで誰かに殴られながら走り続けているような感覚だった。あみ子もこんな気持ちだったのだろうか。

今まで自身が苛酷な目に遭っていることにも気付けなかった彼女が終盤、『こわい、こわい、こわい』と泣け叫ぶシーンで胸が張り裂けそうになる。
不憫で、ひたむきで、愛おしいこの子をめいっぱい抱きしめてあげたかった。
読了後も、心のなかにあみ子が居るような気がして、しばらくずっと苦しかった。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.67
(5pt)

心にたくさんのキズを残すような作品。

読みやすい、直木賞作家の本ばかり選んでしまうため、芥川賞作家の本はあまり読んだことがありませんでした。
人に勧められて手に取り、あまりの衝撃に一気に読みきりました。

あみ子は、ちょっと変わった女の子。家族からも、周りからも少し疎まれているけれど、それに気がつけずに生きている。

こう書いてしまうと、どこにでもある普通の小説の主人公のようにも思えますが、あみ子はいわゆる発達障害の子供です。
読めば読むほど、今村さんの表現力に驚かされます。あみ子の行動、あみ子の障害に気づかずに『変な子』として忌み嫌ってしまう周囲の反応。胸の奥の辺りが疼いてしまうぐらい、リアルに描かれています。

あみ子の認識の外で、周囲はどんどん変わっていきます。きっかけがあみ子であっても、あみ子はそれがわかりません。

あみ子と社会、噛み合わないふたつがもどかしく苦しい。あみ子だけではなく誰しも、自分の気づかぬ間に人を傷つけ壊してしまう可能性があるかもしれません。社会で生きることの難しさと、人の個性への理解、受容が大切であると改めて感じさせられました。

書評やレビューでは、あみ子に勇気付けられたというようなものも多くありました。確かにそう感じられないこともないのですが、どちらかといえば、社会の難しさや気味悪さをあみ子という切り口から書き上げた風刺のきいた作品であると感じました。

多く考えさせられる作品で、何度か読み返すとまた見え方が違う気がします。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.66
(5pt)

解説も必読!

文庫の解説というのは、むしろない方がいいと思うことが多いのですが、この町田康解説は、それ自体作品として成り立っているといえます。
 あみ子を読んで感じる共感と困惑の原因がどこにあるのかを、みごとに表現しており、まさに解説の絶品です。
 私は本作で、西加奈子の一連の小説や、松本大洋の鉄コン筋クリートを連想しました。
 あみ子の救いは、まだ姿を見せない竹馬の少女にありそうです。どんな距離でも竹馬をコツコツ鳴らしながら近づいてくる小学生が、いいコンビになってくれそうな気がします。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.65
(5pt)

「芥川賞」らしい作品

「芥川賞2年連続ノミネート」の言葉が帯を飾り、裏には太宰治賞・三島由紀夫賞ダブル受賞と言う言葉も踊ります。
そして、「こちらあみ子」を読み終えた時、それらの評価が紛れのないものであることを感じずにはいられません。
「あみ子」と言う、普通とはちょっと変わった、と言うか世の中を超越した子どもを主人公にしたことにより、周りの様々な環境や条件などが消去され、人間の行為の本質的なものだけが見えてくる、そんな作品でした。
ちょっと知恵足らずのあみ子が、男の子を好きになり、一途に愛します。
けれど、彼との別れが来て初めて彼の名前を知ります。
彼女の行動は、周りに誰もいないかの様に、彼だけを見ています。
全く他人を気にしないあみ子の純真な行動が、日頃様々な雑事に追い回されている日常生活を忘れさせてくれる様な気がします。
何も考えずに行動できた幼児に戻った様な行動です。
私は、この作品こそ「芥川賞」らしい作品の様に思えました。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.64
(5pt)

すみれ色の不条理

読了時、呆然とさせられる作品、読了後もなお登場人物達の声が、映像が、消えることなく胸を締めつけてくる作品を、久しぶりに読みました。

デビュー作にして、代表作。デビュー作にして、文芸賞受賞。という肩書きや世評といった物差しを抜きにしても、この作品は、それまでのどの作品にも似ていないという点において、傑出していると思います。

優しく暖かみのある語り口、読みやすく簡潔な文体で、突きつけられる容赦なく残酷な世界。子供の視点で描かれていますが、読者の目に映るのは、あみ子が見ている世界だけではありません。読者を、いつの間にか傍観者から、そこに引きずり込む筆力には、圧倒されました。まるで、鼻先に突きつけられた様に、色彩が、匂いが、音が、押し寄せてくるのです。ただ、言葉の力だけで。むしろ、言葉だからこそ、言葉による表現だからこそ、これほどまでに、心を揺さぶる事が出来たのではないかと思えるほどに。
その手法には、賛否両論あるとは思います。それほど、この作者の描く世界は残酷です。あたかも背後から殴られたような気持ちになってしまう人もいるかもしれません。
しかし、それがたとえ不快感やざわざわとした違和感であったとしても、言葉の力だけで、読者をその世界に誘い込み、心に触れてくる。これは、素直に凄い事だと思います。
今村夏子さんだけが描ける世界だと思います。
時代を越えて、読み継がれる傑作だと思います。

『回想の太宰治』のなかで、美知子夫人は、売れない新人時代の太宰について「少数でも、次回作を待ちわびる熱烈な読者がいた」と書いています。太宰はその読者達の為に作品を書いたそうです。芥川賞が欲しくて欲しくて、川端康成に「刺す」とまで書いた太宰。「芸術は、権力を得ると同時に死滅する」と自らを路傍の辻音楽師にたとえた太宰。どちらも、太宰治ですが、個人的には、後者の境遇と信念と読者への心づくしが、数々の傑作を生み出す原動力になったのではないかと思います(あくまで私見です)。

この作品を越える作品を、いつか読める日が来ると信じて、今後も今村夏子さんを、応援します。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.63
(5pt)

何年経っても色あせない本です。

あみ子の強烈なキャラや登場人物、背景、話の展開が全て面白く、読み始めてすぐ話の中に引き込まれました。
あみ子の初恋が粉々に砕け散った場面では悲しさよりも切なく、やりきれない気持ちにもなりました。
3作の短編集でどの話もインパクトが強く、心に住み着く本です。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.62
(5pt)

せつなさと愛おしさー静かな熱量が伝わってくる傑作

あみ子は変わっている。
あみ子はみそっかすだ。きっとクラスの隣の席に、あみ子がいたら困ってしまう。
担任に世話をしてねと言われたら、死にそうな気分になるかもしれない。
隠しても隠しきれない気持ちを、あみ子はひきだす。けれどあみ子はなにもしない。
ただそこに居るだけで、わたし達を落ちつかせなくする。なのに決定的にキライにはなれない。
これがデビュー作とは思えない。作者の確かな書く力と、静かな熱量が伝わってくる傑作。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307
No.61
(4pt)

買いです。

曰く言い難い余韻を残す短編がふたつ収められています。
どちらの作品も発達障害か、性格の偏りを持った少女と女性を軸にしているのですが、周囲との繋がりや関係性に重きを置いて物語を進めているので、読みながら自分のすぐそばで起きている出来事のような気持ちになって息苦しさを覚えます。
久しぶりに他の作品も読みたい作家に出会いました。
こちらあみ子 Amazon書評・レビュー: こちらあみ子より
4480804307