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黒薔薇 刑事課強行犯係 神木恭子
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黒薔薇 刑事課強行犯係 神木恭子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.85pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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警察内の巨悪に挑む新人女性刑事の姿を描く警察小説。 担当した殺人事件が、刑事の父の不遇な人生に関連している。スリリングで謎多き出だしに期待が膨らむが、新人v.s.ベテラン、キャリアv.s.ノンキャリのありがち対立の中、不都合な人間があっさり消される組織犯罪という非現実的な様相を呈するのだった。交番勤務をちらつかせ部下に被疑者の殺害を指示する刑事部長など、どこの国の話かと思ってしまう。 刑事に思い入れのない主人公が、事件の真相に触れ、変貌していクライマックスは暗黒小説の趣。やれやれ…残念極まりなし。 | ||||
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序章、導入部とも面白く読み進みましたが、ピーク辺りから帰結まで主人公の考え行動に疑問点がでたのと同時に急ぎすぎて雑な仕上げになっている感じがしました。 | ||||
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. 実を言うと、私は本作について、小説としては興味が無く、まったく期待しないで読んだ。興味があったのは、著者が「元警察官」だという点であり、そこから読みとれるものを、「警察の現実」を検証する材料にしたいと考えただけだった。つまり「資料として読んだ」のだ。 だから、読み終えてみると「意外に読めるじゃないか。エンタメとしては十分水準に達している」と思った。 無論、小説として「傑作」だなどとは思わない。テレビの2時間ドラマの刑事物が「それなりに楽しめる」のと同じような意味合いでの、「エンタメ」的な面白さであり、その程度の「娯楽小説」だとも思う。 こう、偉そうに書くと、なかには反発なさる方もおられようが、私はこれでもミステリは、それなりに読んでいる。少なくとも、著者の数十倍は読んでいる。したがって、著者のように「好きなミステリ小説」として、(二上を作家デビューさせた)島田荘司の『占星術殺人事件』と、高村薫『マークスの山』(二上と同じく、高村は大阪在住で、同作は刑事ものの直木賞受賞作)の二つを挙げるほど、ミステリにナイーブでも無知でもない( 二上剛「黒薔薇 刑事課強行犯係 神木恭子」特設サイト参照)。 史上最初のミステリについて、ソフォクレスの『オイディプス王』を挙げる論者もいれば、日本のミステリ界では、常識的にポーの「モルグ街の殺人」だと考える人が多い、というくらいの「常識」はあるし、どちらも読んでいる。つまり、世界のミステリ史も日本のミステリ史も、ざっと語れるくらいの知識は持っているし、読んでもいる。 だが、私が好きなのは「ロジックとトリックのミステリ」、つまり「本格ミステリ」というジャンルであって、そのほかの「ハードボイルド」「冒険小説」「警察小説」といったものは、よほど評判になった作品か、「本格」味のある作品しか読んでいない。だから、初手から「本格」要素が薄いと予想された本書を、ミステリとして読もうという気は起こらなかった。あくまでも、私の興味は「現実の警察」であり「警察官のリアルな実感」を探るというところにあったのである。 そして、本書を一読して感じたのは、やはりこれは「元警察官が書いた小説」だということであった。 詩人として著名なW.H.オーデンが「罪の牧師館 探偵小説についてのノート」の中で、「オイディプス王」などに言及しつつ、ギリシャ悲劇と推理小説の共通点として「登場人物の性格が変わらない」という特徴を挙げている。 どういうことかと言えば、ギリシャ悲劇も推理小説(本格ミステリ)も、「必然性という運命=論理的整合性」によって支配されているからだ。つまり、ギリシャ悲劇においては「罪を犯した者は、その罪を償う運命(因果応報)を、神によって与えられる」し、推理小説においても「罪を犯した者は、その罪において身を滅ぼす(機械仕掛けの神である名探偵によって、謎が解かれ、罪が暴かれる)」ようになっている。その意味で、こうした物語は「首尾一貫」しておらなければならず、登場人物の「性格」が途中で変わってしまったのでは、「神=必然性=因果応報」という理路整然とした形式性(美)が崩れてしまうからだ。 ところが、古き良き「推理小説=本格ミステリ」とは違い、現代の「ミステリー」の中には、こうした「運命」とは縁も所縁もない作品が多数存在している。それらの作品においては、「首尾一貫性」など必要もなければ、求められてもいない。その時々、もっともらしく楽しめれば、それでいいのである。 そして、本作『黒薔薇 刑事課強行犯係 神木恭子』もまた、そんな「読み捨ての娯楽小説」としての「現代ミステリー」だと言えるだろう。 幾人かの(※ 同書単行本)レビュアーが指摘しているとおり、本作における「人物描写」には、およそ一貫性がない。当初はどう見ても嫌な奴だったのが、だんだんと良い面を描かれてゆき「本当は良い人だったのか」と思えてくるが、そういうわけでもない。良い面も悪い面も、ともにその人物の現実なのである。 だから、そうした一貫性のない人物描写がなされていても、それが「破綻」だと感じられはしない。むしろ「人間って、そういうものだよね」という、ある種の「リアリズム」を感じることすらできる。そして、そうした点で、たしかに本作は「面白い」のである。 しかし、こうして描かれた「リアルな人間像」とは、じつは、ながらく「文学」が描こうと努力してきた「人間」あるいは「人間の実存」とは、まったくの別物なのだ。 「文学」が描こうとしてきた「人間」あるいは「人間の実存」とは、人間一般の「本質」であり、表面の奥に隠されたものと理解されてきたのであり、それを「剔抉する(抉り出す)」ことこそが「人間を描く」という「文学的営為」だと理解されてきたのだが、本作においては、もはやそんな「人間」あるいは「人間の実存」や「人間の本質」など無いと、断念的に観念されている。 その時その時、状況に応じて喚起される「表面的な感情」が、その人のそれまでの性格を逐次変容させながら再構成されていく。結局、人間には、固定的な本質があるのではなく、変容していくものの総体的な束(「川」のようなもの)でしかない。その時その時の「表出」以外は存在しない。表面の「奥」にひそむ「本質」など無い、という実感なのである。 『「(…)月並みな言い方になるけれど、絶対的真実の発見は不可能で、我々刑事のできることは、相対的真実にすぎんのや」』(文庫版 P256〜257) そのとおりである。 しかし、それだからこそ、「文学」は「人間」の「実存」や「本質」を剔抉しようとしてきた。「人間の見かけ(表層)」だけではなく、「人間(そのもの)」を描こうとしてきたのである。 しかし、本書の著者には、そういう「文学」的な精神が無い。あるのは、「元刑事」らしい、ある種の「断念というリアリズム」だ。 著者の二上剛は、自作『ダーク・リバー 暴力犯係長 葛城みずき』についてのインタビューで、同作において『警察組織の腐敗ぶりが徹底的に描かれていますが、このリアルさは、二上さんが刑事だった時の見聞が元になっているのでしょうか?』という質問に対し、 『その通りです。放っておいてはいけない組織の一面を書きました。小説的に膨らませている箇所もありますが、ベースは今、現実に起きている腐敗です。組織もその一面をよく解っていながら黙認しているという、その問題点を突きました。無理だとは解っていますが、組織の反省の願いを込めて書いています。』 と答えて、自作に「警察批判」的な意図のあることを認め、否定してはいない。 しかしそれは、自分なりの古巣への、ある種の「恩返し」であるというニュアンスを含ませてもいる。 しかしまた、そうした「立派な(社会派めいた)意図」があるにもかかわらず、著者がいくら「現実の警察の暗部」を描いたところで、所詮、それは「娯楽フィクション」として消費されるに止まり、読者の誰も、それを本気で問題にしようとは思わないだろう。著者の小説には、「現実」を撃つほどの力は無い。 なぜならば、著者自身、自分に不都合な現実の描写を避け、あるいは美化している以上、そんなものに、現実を撃つ力など籠ろうはずもないからである。 . | ||||
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新人刑事がもまれながら悪に立ち向かう。と思っていたら、自分自身が毒をまとって更に強力な悪とにらみあっている。 まわりの刑事たちがお人好しに見えてきます。ただ者ではない彼女は魅力的です。 | ||||
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最近の警察小説ブームは大歓迎なのですが、どうも玉石混淆で…。 この作品は確かにキャリアとノンキャリの関係など、どこかリアルな感じは出ています。でも、話の組み立てがめちゃくちゃです。 素人丸出しの新人刑事が、勘がいいってだけで大化けして裏の警察を手玉に取るって…。 しかも、人が意味無く死に過ぎだし、都合が悪い!消すかって、そんなに簡単じゃないでしょ。 作者が元刑事だから、世の中一般人が知らないような裏の話はあるんだろうけど、スリルがないし面白くなかったです。 | ||||
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今までの刑事モノにはないリアルな描写が多く、さすが元本職の方が書いた作品だと思います。 長編ですが、話の展開が早くリズム良いので、続きがどうなるのか気になって最後まで面白く読めました。 主人公の神木恭子はとても魅力的なキャラクターなので、この先彼女がどのように刑事として成長していくのか、続編を読んでみたいです☆ | ||||
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元警察官が書いた警察小説だと後で気づきました。 なるほどと思うくらい組織関係でねちっこい設定描写がしてあります。 話は新人女性刑事の身の回りで起こる不可思議な事件捜査ですが…どんどん渦が大きくなっていくところが面白いです。 ただラストは少しきれいすぎるのではないでしょうか? | ||||
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第2回本格ミステリーベテラン新人発掘プロジェクト受賞作。こういう賞があるのは初めて知ったのですが、どんな内容かと読んでみました。これは面白かった!主人公の女性刑事の変貌ぶりが小気味よく、中盤からのテンポが良いので飽きません。実際にありえないとわかっていてもひきずりこまれるストーリーはまさに小説ならではないでしょうか。 | ||||
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最高におもしろかった! あっという間に読んでしまいました。 第2弾絶対に読みたいです!! | ||||
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あり得ない設定のようでいて、何故か現実感がある。 主人公の新米刑事が悪に染まっていってるように見えるが、私には強者に立ち向かう弱者そのものに見えました。 恭子のしていることは悪ではないと思いました。 今の日本で悪とは何か。悪はどこに在るのか。そんなことを考えさせられました。 リサを守ることしかできない恭子の心境を思うと切ないですが、でもリサを守ることができた''と最後には思いました。 もっと二上さんの本を読んでみたいと思いました。 | ||||
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ネタバレになるので詳しくは言えませんが、何で新米刑事がこうなるの?という読後の消化不良気味的な後味の悪さを感じます。颯爽と登場した新米女性刑事が何故か後半で急にドンドン悪に染まっていきます。「理解は出来るけど普通そうはならないでしょう!」と言うのが正直な感想です。新米女性刑事の正義感はどこに行ってしまったのでしょう? 色々なミステリーや警察小説を読んできましたが、これほど読みにくい文章にはお目にかかったことはないですね。素人そのものです。 都度、何度も読み返さなければならない行間の繋がりの悪さが至る所で目に付きます。 通常面白い小説と言うのはドンドン次の行へと進める工夫がありますが、この小説はイチイチ数行前を読み返さないと文脈が理解できません。 誉田哲也氏のように読者を次へ次へと誘うようなテンポの良い文章を勉強していただきたいですね。 プロットも装丁も良いのに非常に残念です。何故島田荘司さんが絶賛されているのかが全く分かりません。 新人故に文章力に目を瞑っているのだとしたら、「本格ミステリーベテラン新人発掘プロジェクト」と言うのは随分ハードルが低い感じがしました。 | ||||
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大阪在住の自分としては、物語の設定が大阪だったので、出てくる地名に親近感があり、話の内容に入り込みやすかったです。 作者の二上さんが、元本職のマル暴刑事やったということで、警察内部の事が事細かに描写されており、どこからどこまでがノンフィクションなのか、想像しながら読み進めました。話のストーリー展開もよく、飽きることなく一気に読み終えることができました。 次回、続編が出ることを期待しています。 | ||||
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圧倒的迫力、息をもつかせない展開、犯罪者をも飲み込んでしまう警察内キャリアの想像を絶する悪、どこまでが真実であり、フィクションなのかは別として、これを描き切った元マル暴刑事の二上さんの勇気に感動を覚えます。 | ||||
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