一人だけの軍隊: ランボー1
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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ハリウッドアクション大作『ランボー』の原作である。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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Amazonで検索を掛けたら1冊しか無く、定価の3〜4倍のプレミア価格でした。DVDやBlu-rayの方が安価だが2時間前後もまとまった時間が取りにくいので本は魅力。内容は分かっているので訳文を噛みしめて読書します。 | ||||
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ずっと探していて、やっと購入が叶いました。懐かしい!素晴らしい!本当に嬉しい! | ||||
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ヴェトナム帰還兵がある町で拘束され・・・というお話。 いわゆるヴェトナム戦争後の問題をアクションシーン満載の娯楽小説にした作品に思えました。そういう意味ではデミルの「誓約」に通じる所のある社会派小説としても読めるなかなか奥の深い小説だと思いました。 これが書かれた当時は訳者あとがきにあるようにヴェトナム帰還兵が色々な意味で問題になっていたというのはよく聞きますが、流石にここまではやらないであろうという事象が描かれていてそこら辺は著者のマレルの筆力のなせる業か、単純に面白いアクション小説としても読めました。 それと、主人公がいじめられて切れた末に町を破壊する所はキングの「キャリー」を想起させますが、マレルはこの後キングと仲良くなってホラーも書くようになるので、類縁性がなくもないと思いました。 それと、昔観た映画版と細部が違い、結末も違う様に思えましたが、勘違いでしょうか。もう何十年も前のことなので、また見直さないとよく判りませんが。 ともあれ、社会派アクション小説としてはかなり良くできた作品に思えました。機会があったらどうぞ。 | ||||
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息子に頼まれての購入です。面白かった用ですぐ読み終わったといってました。 | ||||
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大筋は映画と同じですが、小説と言う媒体である本の方が各キャラクターが細かく書かれていて、一概にどちらが悪者、被害者、加害者と言う区分けもされていないでの印象は結構違うかもしれません。これは映画と小説のどちらが優れているかと言うのではなく、映画の方は制作された当時の基準の2時間以内に纏めるとなると90分前後の時間がベストだったと思いますし、逆にもっと盛り込むとなると逆に2時間の枠を超えていたと思います。それに私自身、両方とも最高点を付けて評価しています。 映画の方が無理解で(そもそも理解しようとすらしない)冷たい仕打ちをしてきた世間に対して、ティーズル保安官とタイミングが悪く出会ってしまった田舎町で鬱積していた不満が爆発してしまった。と言う立ち位置で描かれていたのに対して、小説の方は今まで通り過ぎてきた街で同じ目に合っていたのもありますが、ランボー自身の方からも保安官のティーズル相手にトラブルに首を突っ込んで行き、映画ではやむを得ない一人を除いて、誰一人殺すどころか戦意を喪失させる程度に痛めつける所でとどめていた反撃も、小説の方では何の躊躇もなく狙撃して射殺しているので、主人公ランボーの暴力を行使する事へのその結果を含めての思考、除隊してからの自分をどれだけ把握しているかが大きく違います。 映画のランボーは帰国してからの世間からの仕打ち、それに追い打ちを賭ける様に何の資格も技術もなくアルバイト程度の仕事にも就けない屈辱、そういう経験を経てストレスを感じる世間とは極力接触せず、自分の唯一の戦闘能力の高さにすら嫌悪感を痛いているのに対して、小説の方は同じような不満を抱き世間にも自分にも抱いて悩みながらも、理性を失ってしまうと戦闘本能が全開になって見境なくなり、逃げる人間を追ってまで徹底的に行動を起こしてしまうと云う事になるでしょうか。 ティーズル保安官は小説では朝鮮戦争の英雄としてちゃんと明記され、今は別居中で仕事にのめり込む事でそのことを忘れようとしている人物として描かれていて、ランボーと接触し追跡した挙句に反撃を受けた事で、自らも戦闘本能に目覚めて対峙していくのですが、そうなるとこれは朝鮮戦争とベトナム戦争と言う2つの大きな戦争を挟んでの父と息子程年の離れた、理解しあえない世代間の差を描いたものではないかと思います。 両方の戦争とも本当の敵は旧ソ連、今のロシアなのですが、戦勝国ムードで盛り上がってそのまま参戦した朝鮮戦争で戦い無事帰国して英雄として社会復帰した父。 対するランボーは捕虜になり重度の精神障害を患った上、勝敗どころか軍は逃げるようにして引き上げてきて、はっきりとした成果を得る事も出来なければ、何時まで経っても何かと理由を付けては社会復帰をしようともする気も見せない、理解できない人間になって戻ってきた息子と言う構図でしょうか。 只、映画でも小説でも1番辛く惨めな思いをしたのは、もしかするとトラウトマン大佐だったのではと思います。 それは映画の方では最後の最後、包囲されて大佐から無理やり説得されるあまり、今まで鬱積していた思いのたけをランボーからぶちまけられるにあたって、初めて指揮していた自分とは違い実際に戦場で戦った人間のあまりにも過酷な戦場を潜り抜けてきたのを知り、何から何まで知っているつもりだったランボーが泣いてわめいて苦しんでいる姿を目の当たりにして驚愕し、小説の方ではちゃんとした一人間としての兵士を育てていたつもりが、実際は復帰してきても社会生活に適応できないまでに人間性を奪い精神的に追い詰めダメージを与えているのを改めて知り、最後は自らの手でその責任を取る行動をするからです。 巻末に初出版当時の訳者のあとがきがあり、そこでも同じ事を言っていましたが、自分の目の前にある日突然、汚らしい身形をし髪も髭も伸ばし放題に伸ばした、生意気な口をきく正体不明な人間が来たら自分ならどう対応するのか?それがランボーだとして、映画を観、小説を読んだ後でも自ら歩み寄り親しくなろうとすのか?駅周辺で見かけるホームレスにそんな同情を覚えなければ顔をしかめて避けて通っているのを思い返すと、映画であれ小説であれティーズルの行動を批判する気にはなれません。 広大なアメリカの、その町で生まれ育ち、そのまま一生その町から出る事無く老いて死んで苦であろう田舎町の人間には、まだまだ偏屈と言うか極度に排他的な一面があるとあったので、小説や映画の様な騒ぎにはならないまでも、小さなトラブルは多々あったのではと思ったりもしました。 | ||||
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