もうひとつの命
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
もうひとつの命の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近書いたものではないのでは? 読了後そんなことを思った 痛々しい会話、意味の無い独白、書き分けできていない登場人物たちが私にそんな感想を抱かせたのだろうか また、言葉に頼りすぎている印象も受けた 天才と何度も記述があるがよく分からないし、たかが肉親というワードだけでそう何人も人を殺すだろうか? そのへん高校生というそれならではの思うことがもっとあるはずだと考えられるが 一言でいうなら、早く神のゴミ箱書いてください | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最初からぶっちゃけちゃうと、読み終えたものの「なるほど、分からん」というのが正直な感想。 しかしよく分からんけど「うん、これは確かに入間人間作品だ」という不思議な納得感があったのも事実。 本作はある種の群像劇っぽい構成。 主な登場人物は六人の少年少女と一人の魔女。 小学校の林間学校で赴いた山中で助けた魔女から「もうひとつの命」となるという不思議な木の実を貰った 少年少女たちの高校時代に起きた木の実が起こす奇跡、ないしは悪夢の様な出来事を 事件に巻き込まれた少年たちの視点を切り替えながら語られる形を取っている。 本作のキーアイテムとなる「もうひとつの命」と呼ばれる木の実なのだけど、 この木の実が起こす奇跡は単純な死んだ人間の蘇生ではなく、 死んだ時に望んだ「なりたい自分」になれるという代物。 ただし、前作の「きっと彼女は神様なんかじゃない」もそうだったのだけど、 最近の入間人間はこのパターンにハマっているのか起きる奇跡の形が「猿の手」なんである。 この「猿の手」っぽさは木の実を食べた少年の一人、和田塚のエピソードにおいて顕著で 料理のスキルを磨いて金を取る形で友人の腰越にメシを作ってやるなどして 「一人でも生きていける人間になりたい」と願っていた和田塚が自らの死を経過して迎えたのは 「自分以外の他人の存在が一切認識できない」という悪夢の様な状況。 街中には無人の車が走っているし、自宅に帰れば両親が活動しているらしき痕跡は認識できるけど、 その動いている他人の存在は一切認識できず、同時に自分の存在も認識してもらえないという 文字通り「一人で生きるしかない」世界に放り込まれるという形で望みが叶えられてしまうのである。 この悪夢の様な状況から必死で抗い脱出を試みようとするのが「普通」なのかもしれないが、 和田塚自身が妙にこの世界を受け入れて、「他人」の存在が持つ意味を学び取る姿が淡々と描かれる辺りに 入間人間独特のドライさというか、不思議な達観が見て取れて中々に面白い物がある。 作品自体の軸となるのは幼い頃に妹を事故で失った少女・藤沢となっている。 作品の冒頭で自分の葬式の最中に棺桶の蓋を蹴り上げて蘇った少女・稲村の死に この藤沢が絡んでいるらしい事が次第に明かされ、 稲村の剣道部仲間で幼馴染の七里に纏わりついて嫌われている事を知りながら距離を詰めてきたりするなど 藤沢が何かしらの目的を持って暗躍している事が読者に暗示される。 この藤沢の七里への距離の詰め方ってのが……ことごとく不意打ちキスというのがまたw 自分が嫌っている藤沢に隙を突かれて唇を重ねられる度に笑えるほど動揺し、 次第に自分が藤沢をどう思っているのか、藤沢が何を考えているのか分からなくなって グラつきまくる七里の姿はまさに百合。 「安達としまむら」が一年以上刊行停止している中で「入間人間の百合が読みたい!」と フラストレーションを溜めまくっている方は是非読みましょうw (本当にどうなっちゃったんですかね、「あだしま」は?) 本作の面白さは同じエピソードを視点を変えて何度もなぞり直す描き方にある。 藤沢の暗躍の裏にある意図はそれ以外の人物の視点で描かれる章で起きたエピソードを 同じ時間軸を藤沢側の視点で描く事で明かされるのだけれども、 小学生時代は粗暴だった腰越が何故ある時点から急に親しみやすいタイプになったのか、 稲村が死に至るまでにどんな鬱屈や焦燥を抱えていたのか、そしてそれを藤沢がどう利用したのか、 全てのエピソードの「裏」が明かされるたびに藤沢の「黒さ」が明かされていく形を取っている。 藤沢は真っ黒なキャラなのだけど、不思議と作品が重くならないのは偏に「魔女」の存在がある。 藤沢が山の中で助けた魔女が高校生となった藤沢の前に再び姿を表す所から藤沢視点のエピソードが始まるのだけど、 土足で藤沢の部屋に現れて何故か居候を決め込んだ魔女の妙な人間臭さが話に妙なコミカルさを与えている。 寝る時は「ドラえもん」みたいに押入れに布団敷いたり、藤沢の暗躍先に現れるのは良いけど カフェに設置されたゲーム機にはまっていたり、晩飯のおかずにイカの刺身を所望したりとやりたい放題。 こういう空気を読まないキャラがしれっと顔を出す辺りに「おお、これこそ入間人間だ」とファンとしては歓喜雀躍。 ただ、読み終わっても複数の登場人物のその後が読者の想像にお任せだったり、 腰越の弟や藤沢の妹に絡む部分、稲村が生前に見せていた天才ぶりみたいな所も明確には描かれてはいない なので、どうしても作品全体を通しての「結局、この話は何だったのか?」という着地点が見え辛くはある。 でも意図不明な駄作だったかと言えば「入間人間の作品を読んだ」という不思議な満足感だけは確かに残る。 2017年は刊行される作品数が妙に減ったり「あだしま」の続きが出なかったりとファンとしては色々不満が残ったけど、 取りあえず「入間人間成分」の不足分を最低限補うぐらいの読みごたえはあった。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 2件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|