応仁秘譚抄
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丁寧に包装されて配達予定日に届いていました。所蔵本として大切にしたいと思います。 | ||||
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表紙も綺麗で、中身は若干黄ばみがかっていたが、落書きもなく綺麗な状態でした。 | ||||
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日本史には若い頃から特段興味なく、60過ぎまで生きてきました。大河ドラマでようやっと信長、光秀、秀吉、家康の関係を少しだけ理解して、その前の時代はどのようになっているのか知りたくなりこの本人たどり着きました。義政は本当にしょうがないやつだなと思って読み進め、最後に、なるほどと思った次第です。一度読んでも損しない本だと思います。 | ||||
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2012年の小説。応仁の乱を足利義視、日野富子、細川勝元および足利義政(に仕えた老僕)という4つの視点から描くというユニークな構成である。 室町幕府の8代将軍足利義政は、僧籍にあった弟の義尋に将軍の座を譲るという。たとえ、男の子が生まれてもすぐに法体にすると堅く約束する。しかも、幕閣第一の実力者である細川勝元が後見人になる。義尋はそれならと了承して還俗する。ところが、伊勢貞親などの近臣たち(彼らは将軍の信任だけが権力基盤)の妨害でなかなか将軍の座が譲られない。義政はとにかく優柔不断。そんなことをしているうちに、正室の日野富子が懐妊。ということは、伊勢貞親よりもむしろ富子が足利義視への将軍譲位を妨害しているらしい。富子の兄の日野勝光は、念の為に足利義視に妹を嫁がせ、更に、日野富子と足利義視に肉体関係を結ばせることで融和を図ることも考える。日野富子は、やる気になるが、足利義視は酔いつぶれてしまったためうまくいかず。ちなみに小説では富子は一度だけ細川勝元を誘惑し、富子はお腹の子は勝元の子である(のだから、勝元は我が子を将軍に推すべし)、と言い張っている。ともあれ、日野富子は山名宗全を後ろ盾にする。伊勢貞親は足利義視排除に動くがこの陰謀は成らず。伊勢貞親は失脚する。 細川勝元は、山名宗全の養女を嫁にもらっている。また、畠山家の家督争いでは、勝元も宗全もどちらも畠山政長を支持。ところが、山名宗全は途中で畠山義就支持に鞍替え。これで、勝元と宗全はこじれていく。政長と義就の争いは、勝元が義政の手出し無用命令を律儀に守ったために義就勝利。勝元株は暴落する。勝元は密かに宗全に復讐するため挙兵準備を進める。宗全も気づいて慌てて戦争準備。赤松政則の手勢が山名宗全の播磨に乱入するなど地方で勝元軍は先制攻撃を開始する。勝元は、義政・義視の身柄もしっかりと確保。ただし、日野勝光や日野富子は勝元の手元にいながら宗全に通じている。 西軍劣勢だが、大内政弘が西軍の援軍として上京。御所の日野富子らは勢いづく。形の上では東軍総大将となっている足利義視はここで身の危険を感じていったん逃亡。しかし、東軍が勢いを盛り返すと、義政は次期将軍の待遇を改めて保証。義視は室町御所に戻ってくるのだが、戻ってみると、義政はまたもや煮え切らない。細川勝元を信用できなくなった足利義視は再び比叡山に逃亡する。この足利義視を山名宗全が迎え入れる。足利義視もとまどうが、ともかく西軍総大将として、融和の道を探るしかないと開き直るのだが、どんどんこじれていく。和睦の話は何度も出てくるが、誰かが納得しないのでいつも潰れてしまう。一方、細川勝元は足利義視の近臣を懐柔し、スパイにしている。西軍の主力である越前守護・斯波義廉の勢いをそぐため、一介の国人から成り上がった朝倉孝景を越前守護にするという禁じ手も使う。しかし、勝負はつかず。そうしているうちに山名宗全は死に、細川勝元も死去。小説では細川勝元は山名の手の者に毒殺されたとする。山名宗全は和睦交渉決裂の責任をとって切腹しようとしたがそのときの傷がもとで死んだという。こうして、足利義尚が正式に第9代将軍となる。日野富子の教育の効果もあり、足利義尚は学問、武芸のいずれにおいても才能を発揮する。とはいうものの、義尚は、義政の愛妾にちょっかいを出すと、この愛妾は義尚になびき、足利義政がヘソを曲げるというしょうもなさに富子は頭を抱えてもいる。 足利義政は東山山荘造営に情熱を傾ける。資金協力を求められた大名や荘園領主はしぶしぶ応じるが、莫大な富を持ちながらびた一文ださない富子を恨は大名たちに恨まれる。 足利義視は美濃に落ちていく。戦も終わるころ、山名氏と細川氏は和睦し、大内政弘も講話に傾く。その大内政弘の仲介で足利義政と足利義視も和睦する。足利義尚は将軍の権威を高めるため六角高頼征伐に向かうがゲリラ戦に手を焼き、そのまま陣没している。足利義視は美濃で静かに暮らしていたが、足利義尚の急死により、息子・足利義材(よしき)に征夷大将軍の座が転がり込んでくる。足利義視はその半年後に病没している。 足利義材は将軍になると富子排除に向かう。また、足利義材は畠山政長を頼りに政権運営を行い、六角高頼をうまく討伐して大いに面目を保つ。日野富子は、細川政元に接近。細川政元は、足利義政の弟・堀越公方足利政知の子・清晃を擁立(これが第10代将軍足利義高)。このクーデターは成功し、足利義材は幽閉されてしまう。日野富子は義材を毒殺しようとするが、義材は一命をとりとめ、越中に脱出する。晩年の日野富子は幕府とは距離を置き、まったくの宮中人になっていたという。富子の死後、義材は大内義興の支援を得て将軍職に復帰する(足利義尹)。が、またもや追い出されて阿波に落ちていく。 足利義政に仕えた老僕は、足利義政は次の時代をつくる者がまっさらの上に下地を描けるよう、旧秩序を徹底的に破壊しようとした(だからあんなにいいかげんでむちゃくちゃだった)のだと義政を弁護している。 最後は、「咲き満ちて 花よりほかの 色もなし」という義政の名句で結ばれている。 | ||||
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応仁の乱では数年間にわたり戦乱が続いて都は荒廃し、その後幕府の退潮が早まり社会的な支配構造の変化が始まった。 戦国時代への大きな転換点と位置付けられている。 本書では乱の当事者である足利義視、日野富子、細川勝元、足利義政それぞれがどのような背景や理由を持ち、どう行動したかが描き出されている。両陣営の間で翻弄される義視も、彼なりの筋道ある行動原理が示されている。 最後の義政のくだりに小説としての落としどころが置かれている。現実逃避して文化活動に勤しんだ義政の言動を強引にニヒリズムでを言い訳しただけのような構成で、どうも共感しづらい。富子の女性としての描写も少しずれている気がする。 | ||||
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