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永遠の0
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永遠の0の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全402件 241~260 13/21ページ
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作者は著書について、現代の若者に60年前にあった戦争の事を語り継ぎたかったと話している。読んでその意図は伝わる作品だったが、実在する将校名が数人登場し批判の対象となるなど、その客観性を考えた時に小説(虚構)の範疇を逸脱しているという感は否めない。そのためストーリーの部分が海軍批判や戦争記述の長さに圧倒され、希薄になってしまったように思う。生還を貫こうとした天才的零戦パイロット(主人公の祖父)の死の謎を探る旅を通じて、特攻隊という極限状態を描こうとしたが主人公宮部久三と二人の孫の人物像は平面的で奥行きに乏しく、小説と言うよりも芝居の台本といった感じである。ここらが放送作家の限界かな。 | ||||
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未だ読了には至っていないが、大学で端くれとは言え歴史学を学んだ人間として、 この作品は“程度の低い教科書”だと断言させてもらう。 この作品は、構成として“聞き書き”の手法を採っているが、歴史学への醜悪な挑発と言える。 歴史学ではこの手法を“オーラルヒストリー”…いわゆる口伝の聞き取りと言う。 自分が世話になった教授でこれを専門にしている人が居た。 授業が面白く、話も上手な人だったが、殊の他オーラルヒストリーの手法については厳しい人だった。 教授曰く、人間の記憶はとかく主観的で曖昧なものであるが、 歴史学とは事実の探求であり、客観性が担保されなければ資料として意味を為さない。 “オーラルヒストリー”はそこに根本的な矛盾を抱える以上、 研究者は常に謙虚で慎重に居る事を忘れてはいけない、と。 その前置きの上で、2つの絶対条件を教わった。 1.録音は絶対してはいけない。話の記録はメモを取れ。 2.語り手と心から打ち解けられるくらい、何度も通って話を聞け。 1は、オーラルヒストリーの最も危険な落とし穴である“聞き手の主観”が“録音を何度も聞く”事で増幅されたり、 或いは“録音”という油断によって聞き落しが出る危険性を指摘するもの。 語り手の主観が混ざる以上“同じ話”は二度聞けないと思え、という事だった。 メモは単なる記録だけでなく、聞いた時の状況や“聞き手の主観”を整理した資料として扱え、 集中して話を聞く為、話を整理する為のツールにもなる、という事だった。 2は、オーラルヒストリーの中でも“思い出したくない記憶”、それこそ戦争体験等について、 気楽に話してもらえる関係性を築け、という事だった。 人間、話したくない事や美化した思い出もあり得る以上、 一回で全てが聞けると絶対に自惚れるなという訳だ。 また、何度も同じ話を聞いて今までの記録と衝き合わせる内に、 違った記憶や主観が出てくる事もあり、それこそ重要な資料になるという事だった。 印象的だったのは、その教授が話を聞かせてもらった人が夕張のメロン農家で、 何度も通う内に採れたメロンをたらふくご馳走してくれるようになった、というエピソードもあった。 それくらいの関係性を築けという事であるらしい。 改めて作品を省みると、卑しくもジャーナリストがある種の資料、 それも記事化する事を前提としてオーラルヒストリーの真似事をしている訳だが、 その手法はまるで最悪の典型例と言わざるを得ない。 そうして得られた情報が“正しい”とされるのは、例えそれが偶然正しかろうと、 行為自体が歴史捏造に等しい蛮行だからだ。 もしこの作品を読んだ人間が“歴史を正しく認めろ”と主張するような事があるなら、 こんな作品が罷り通る事は絶対に許されない。 エンターテインメントとして読み捨てるなら別だが、 題材として“歴史”を取り扱っている以上、やはり座視してはいけない。 誰かの作った資料を読み漁っただけの人間が書いたものであり、 判で押したような額面通りの事しか書いていないという意味と、 その例示する手法が完全に間違っているという事を以て、 “程度の低い教科書”であるとしか言いようは無い。 歴史学を学んだ者の端くれとして、この程度の事は言わせてもらいたい。 これが、例えば戦争体験を遠い記憶の向こうへ押し遣った祖父との、短くも濃密な交流を通じ、 あくまで主人公が“個人的な体験”として“祖父の歴史を知った”という作品であったなら、 ここまで酷評する事は無かったと感じている。 なお、幕間として描かれるライター男性が展開する主張の気色悪さは、 現実味があって一顧の価値があったと評価を付け加えさせて頂く。 | ||||
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この作品には多くの嘘が含まれています。子供時代、「ゼロ戦レッド」「大空の誓い」「紫電改の鷹」などの戦争漫画を読んでゼロ戦に憧れすっかり軍国少年になり、その後、戦前のファシズム思想史を専攻して、子供時代に読んだ戦争漫画や戦記物がまるっきり嘘だったと知った者にとって、絶対に看過できない嘘が多くあるため、黙っていられませんでした。 最初は単なる著者の不勉強のためであると思っていましたが、戦前回帰を目論む安倍首相に近づき、NHKの経営委員におさまったり、都知事選で同じく戦前回帰を公言する田母神候補支援を表明するなど、単なる勉強不足だけでなく、著者の権力志向による意図的な「嘘」だと考えるようになりました。 前半に色々な登場人物に語らせているように、ゼロ戦が旋回能力や航続距離の性能を向上させるため、防御を犠牲にした戦闘機であること。それはゼロ戦だけでなく、特攻作戦や日本軍の全ての作戦行動に共通していることは間違っていません。一人の戦闘機乗りを一人前に養成するのに、今の金額で約二億円ものコストがかかるのに、それををほぼ百発百中撃墜されるか、途中で故障して海上に墜落して無駄死にさせてしまう。今放送中の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、盛んに「戦わずして勝つ」というセリフが出てきますが、戦前の日本軍は全く真逆の過ちを犯していたのです。戦術、戦法が戦国時代よりもむしろ後退してしまっている。 しかし、著者はその原因を、新聞が戦争を煽ったためと片付けてしまっています。確かに戦前の新聞が戦争を煽ったことは確かでしょう。でも、戦前の新聞の力が軍部や政治家、国民すべてをコントロールしたと本気で思っているのなら大ばか者です。戦前の新聞なんて、部数は今よりはるかに少数部数で一家に一紙なんて読まれていなかったし、文盲率も高く、新聞の影響力などは微々たるものです。 本当に、戦争を煽ったものは何か? それは明治維新後、各学校に御真影を飾り、教育勅語を徹底的に浸透させた天皇制絶対主義にあることは明らかでしょう。維新直後は西欧諸国に遅れていることを自覚していて謙虚だったのが、辛亥革命、ロシア革命前夜で内部がガタガタだった清、ロシアにたまたま勝っただけなのに、実力だと勘違いして、無謀な戦争への道を突っ走ってしまったのは、天皇を振りかざせば何でも許されるという天皇制絶対主義国家自体の過ちです。しかし、著者はそのことには一言も触れておらず、新聞のせいにして終わりにしてしまっている。 また、フィリピンのガダルカナルなどでの戦闘を、アメリカと日本の戦いと片付けてしまっていて、原住民であるフィリピン人のことには一言も触れていない。戦前、フィリピンにはアメリカからの独立を目指す反米ゲリラ闘争を行っている人たちが各地にいて、最初、日本軍を「解放軍」と思い込んで歓迎したが、実際にはアメリカ軍より酷い原住民虐殺を行ったため、反米ゲリラが反日ゲリラに変わってしまった。そのため、日本軍はアメリカ軍だけでなく、フィリピンゲリラとも戦わなくてはならなくなり、自滅していったのです。そもそもフィリピンなどの東南アジアは、食料など豊富で、本当に「解放軍」であったなら原住民から食料を調達できて、ガダルカナル島の玉砕のように餓死者が大半であることはなかったはずです。先日亡くなった小野田元少尉が、その生き証人でしょう。なぜ小野田元少尉が何十年も逃げ回らなくてはならなかったのか。「解放軍」であったなら、敗戦後もフィリピン人と一緒に独立戦争を戦っていたはず。しかし、住民虐殺を行っていたから逃げ回らなくてはならなかった。戦争の舞台となったフィリピンの現地人について、一言も触れていないのは致命的な欠陥です。 小説(フィクション)だから、無視していいのか。著者がそう考えているのなら、小説家以前に人間として認めるわけにはいきません。 「生きて帰る」。そのモチーフを貫くのなら、ラストは特攻ではなく、どこかの島に意図的に不時着して生き延びるとか、アメリカ軍に投降して生き延びるとか、いろいろなラストシーンを選択できます。特攻せざるを得ないのなら、アメリカ軍ではなく、出撃地に戻って、特攻を命じた司令官室に爆弾もろとも突っ込み、司令官を爆殺する。そして、その事件は長く秘密にされていた、という結末にする。どうせフィクションというなら、私なら、そういうラストシーンにします。 著者はこの作品の映画を「反戦映画だ」と開き直っていますが、とんでもない。結局、最後に特攻をさせることで、「散華」(国の為に散ること)の思想を美化させているだけです。前半の、ゼロ戦が一発弾が当たれば撃墜される防御の思想がゼロの戦闘機だと語らせるのは、一見公平な立場に立った小説だと誤魔化すため、また「散華」を美化するため小道具に過ぎなかったのだとわかります。 | ||||
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これを最初に読んだとき、このゼロ戦乗りの話はどこかで読んだ事があるなあってずうっと思っていて、思い出したのは柳田邦夫の「ゼロ戦燃ゆ」です。 これは本当のドキュメンタリーで面白かった。この「永遠の0」もゼロ戦乗りの話はほとんどそこからの引用で、たとえば、横滑りとか、左手ひとつで帰還したとか、それをもとにして小説仕立てにしたものでしょう。(「ゼロ戦燃ゆ」は本当の取材ももとにしたドキュメンタリー)でも僕にはやっぱりオリジナルのほうが迫力があって面白かった。まあ、こっちには小説仕立てにしたというメリットはあるのですが・・・ | ||||
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侵略を美化する恥ずかしい本。 読む価値もないですね。 特攻隊が悲劇の人だろうと何だろうと日本以外の諸外国の側から見れば他国侵略に協力した戦争犯罪者でしかないわけ それに特攻隊は薬物を使って精神状態を異常にしてから飛び立ったという報告もある。拒否して逃げ回った人も多くいる 特攻隊は国のために死んだのではない 自分が死ぬことで家族や恋人がこの閉鎖的な村社会日本で差別受けることなく生きていけるそう信じて飛んでいった 特攻隊を悲劇の英雄にすることは奴隷制度や人権侵害を正当化させることに等しい恥ずかしいこと | ||||
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友人に勧められて読みましたが、薄っぺらで全く感心しませんでした。「壬生義士伝」と同じ手法ですが、足元にも及びません。 そんな作品を、映画でどう表現したのか興味があり観てみました。普通、原作より映画の方が良い場合はほとんど無いのですが、 この作品に関しては、一部の役者の力量で、多少は観られるものになっていました。 なぜ高評価を得ているのか、全くわかりません。 今後この作家の作品を読むことはないでしょう。 | ||||
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感想を一言で言えば「釣られた!」してやられた気分。本屋大賞もテレビでの良すぎる評価も全てプロモーションであることに気付くべきだった。 物語は放送作家らしく、関連資料を周到に寄せ集めてキャッチーなエピソードをつなぎ合わせ飾り付けた素人小説。見たあと時間を無駄にしちまったと後悔するような本質が薄い3時間スペシャルみたいな作り。 導入のゼロ戦に関するエピソードは殆どが「大空のサムライ」からのコピペで興醒め。宮部の死なずに必ず生き延び戦い続ける姿勢も坂井三郎氏の持論そのもの。 祖母の前夫である特攻隊員宮部の人間像を関わりのあった人に語らせ探っていくストーリーだが、取材対象がかなりの高齢者なのに、インタビューに対して理路整然すぎる語りが老人らしくなく最後まで不自然で違和感が消えない。 最後に宮部の命を救った祖父と宮部の関係が明らかになる。 あれだけ生に執着していたのに、たまたま命を助けられたことだけで、ただの顔見知りに妻を託し特攻志願するだろうか? 特攻出撃を決意したのは、軍人として戦争に加担していた自分への贖罪意識か? 無責任な上層部に対する命がけの抗議か? 著者が特攻攻撃を肯定しない姿勢を盛込みました感たっぷりな、敵艦突入後不発弾となる結末。 物語上ラストで、敵にも尊厳を持って名誉ある戦士として弔われたのが最期の救いかも? 結局作者の言いたかったことは何か? 軍指導者に死ぬことを強要され、無責任な煽動マスコミに祭り上げられ、馬鹿げた精神論がまかり通る戦争の狂気と理不尽。 この時代に生まれたばかりに、普通の生活が蹂躙され人生を翻弄された若者世代のとんだとばっちりの日本暗黒史。 集団ヒステリーに呑み込まれ、貧乏クジを引かざるを得なかった学徒を慮り尊厳を護る、やりきれない想いを追悼する気持ちなのかな? 言いたかったことには共感できるが、作りが稚拙で感動にはたどり着けない。 | ||||
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ここに書かれていることは事実かもしれないが、実際の特攻戦術には、その陰にもっとひどい側面もある。 色々な手を使い、当時の軍上層部は若き青年たちを、単なる鉄砲玉のごとく無駄に消費していったのだから。 しかしここにはその手口は描かれきれてはいない。 それは著者の思想信条上都合も悪かったからでしょう。 いわゆる右派タカ派系の人は特攻隊は描こうとしても、大陸の戦線で苦しんで亡くなられた方や、南方で苦しんで亡くなられた方々については殆ど描こうとされない。 そして軍隊の中で日常化していたシゴキと、それにともなう暴行が、無理な戦争を遂行させる為の手段と化していた事実も決して描こうとはしない。 この小説の中の海軍はまだましな方で、陸軍におけるそれは今から見たら鬼畜の様な世界であったはず。 戦争を知らない世代は、近現代史を学習する機会もない世代は、この小説の様なものを読んで戦争の中で無駄に死に追いやられた人たちの本意を理解できないまま、 再び戦争の道具として使われる事への疑問を解消してしまうのだろうな。 | ||||
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三日坊主の私には珍しく、最後まで面白く読めた小説ですが、エピローグが、ハワイのパールハーバーにある戦艦ミズーリに行ったときに、ツアーガイドさんから聞いた話の丸写しで、最後の最後で落胆しました。 | ||||
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多くの人が指摘しているが坂井三郎「大空のサムライ」と内容が酷似しており、これを模倣したのは明らかである。 「黄金のバンタムを破った男」についても、ボクシングのノンフィクションをコラージュしただけのもので作者のオリジナリティーは感じられない。 大作家のように言われるが、私にはインチキとしか思えない。 | ||||
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最近、映画にもなり話題性があるので読んで見ましたが 何も感動しません。 何故あれだけ必ず生きて帰ると言った男が意図も簡単に 生き残りのクジを渡したのかが 理解出来ないし、そしてその結末には、がっかりしました。 ただ戦争、特攻については深く考えさせられました。 | ||||
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時代をまたいだ心のつながりを戦争や特攻を背景として描いています. 本書は特攻に関わった人々の体験談を軸に進められます. 著者の百田さんは取材熱心,調査熱心な方として知られてますが, 調べた内容を全部詰め込もうとしたあまり,肝心の体験談が説明的 で時には第三者的な口調で語られ,興ざめしました. 時々体験者がいう「これは戦後知ったことですが....」という言い訳 がましい書き出しには思わず失笑. 戦記として読んでも中途半端,小説として読むともっと中途半端の 印象です.内容は星ひとつですが,テーマ,コンセプトは好きなので 星2つにしました. | ||||
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読了後、「小説」として言わば“感想0”の稀有な書です。 だいいち本書は、「小説」としての体は成していません。 なかんずく本書の展開において、「現在」の書き方は軽薄そのもので、 全体を通した筆力は言わずもがな、唖然とするほどトホホなプロットは 稚拙にも程があり、評価以前です。 「過去」の戦時中のくだりは、首尾一貫ほぼ史実・資料で固められていますが、 そこに百田氏の創作した世界は、限りなく皆無に等しい希薄さと言えます。 史実・資料に基づく文章は、それとして粛然と読み進めることになりますが、 本来「作品の本筋に対して効果的な付加価値を与える」という参考資料の役割は 完全に転倒しているため、徹頭徹尾、集めるだけ集めたであろう史実・資料自体が 本書の核となってしまっており、延々とその披歴に終始する構造です。 よしんば「資料集」として見ようにも、首尾一貫ビンビンに既視的、副次的で、 寄せ集めた資料群を皮層加工のまま大量に切り貼ることで、一遍の「小説」を 創作した気になっていよう様は、幼稚を通り越してただただ気の毒で、 イタいとしか言いようがありません。 本書が「小説」である以上、評価・論評の対象は、言わば作者の技術であることは 免れないものです。 作中の歴史的な事象・資料自体を論ずることが「小説」としての本書の出来を 評価・論評することになる、と勘違いし混同してはいけません。 たとえば、「本書の題材をきっかけに平和を考え、読み進めるに従って知り得た 史実・知識で、より平和について意識を深めた」旨と評します。 あいにく、典型的に的を射ておらず、本書自体の一義的な評価としては成立しません。 広義では評価たりえますが、あくまで二義的以降の感想にとどまります。 将来にわたって普遍的に共有されるべき本書の題材における史実・資料の内容 そのものを多角的に論じ、評価することは、“本書の書評とは別枠で”極めて 重要と考えます。 しかし、くり返しですが、そのことと本書の「小説」としての出来を評価することは 別次元の作業です。 史実・資料・文献を参考にし、引用することは、ごく当たり前のことです。 問題の焦点は、それらが文脈の中でどのように機能しているかにあります。 作品の中で、そこに引用した作者の意図、効果、整合性を読み解き、創作された作者の 世界観と有機的に融和しているか…。 一部の引用や参考どころか、ほぼそれで出来上がっている史実・資料・文献の皮層 だけをいじって、あたかも自らの言葉で一遍の「小説」を著しましたと言われても、 「小説」としての要素を満たしている代物ではないと言う他ありません。 そもそも、繊細かつ大胆なこれらの題材をモチーフに背負って、「小説」で自らの 世界観を著すことは、この力量の氏では不可能だと伺えます。 それは自動的に、氏を取り巻く編集者のセンスを質すものでもあり、マクロ的には 看過している出版界も同じです。 氏には、小説家を標榜するのでなく、適性として放送作家に戻ることを強く勧告します。 大人として普通に本を読む習慣があり、ごく常識的な読解力があれば、 本書は「小説」として高い評価になるべくもありません。 | ||||
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小説、物語としてはとても面白いが戦争体験者の話が客観的過ぎる。一般的あるいは上辺だけの知識としてしてしか戦争が表現されていない。 体験談ならば自分中心の話になるはず。一般論とは違ったり、聞いたことのない島の基地とかでてきたりとか・・・ 浅知識ではなくもっと本物っぽく書いてもらいたかった。 それが出来なかったのは百田氏が戦争の真実に深く入り込もうとしてないからではないか? 戦争もの小説を個人的にお薦めるなら佐々木譲氏の作品です。 | ||||
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レビューの殆ど感動した人ばかりで、感動しなかった自分が異端者に感じる。 読めばわかるが、リアルさがない。 主人公が祖父を知る人々から話を聞くのだが、どう見積もっても話し相手は80才超えの人たちばかり。 あれほど明瞭に65年以上も前の事を覚えているとは思えない。 小説は小説で割り切って読むしかないのだろう。 しかも映画化され、それも感動した方が大勢いるのに驚いた。 きっと日本がアメリカと戦争をしていた事も知らないのだろう… 自分の叔父が特攻隊員だった。 特攻出撃のまえに終戦になった。 戦争は特攻だけでない事実も知って欲しい。 その意味では知らないより知る事が重要なのだろう。 結果的に日本の教育現場の情けなさと嘆かわしい部分を上手に突いた小説だと思った。 | ||||
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文庫本で一番の売上を記録、とういうことだったので 遅ればせながら手に取りましたが 読みだしてすぐに「あれれ」と。あまりにも壬生義士伝にそっくり。ネットで調べてみると 作者本人が「壬生義士伝のオマージュである」と発言しているのがわかりました。アマゾンでの評価はかなり高いようですが浅田ファンとしてしてはとうてい納得のできるような作品ではありません。この作品を読む前に(読み終わった人も)「壬生義士伝」を読んでみてください。評価が変わるのではないのでしょうか? | ||||
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いちばん恐ろしいのは、この本を読んで「勉強になった」という感想が、かなりあるということです。 ややこしいのは、この本がちょっとどうかという点が、ひとつではないところです。 星1つのレビューを読めば、いろいろ挙げられています。 1 「小説としてのクオリティが低い」という問題 2 「プロットがパクリ」という問題 3 「種本がある」という問題 4 「これほどデリケートな題材を、ここまで安易に扱っている」という問題 5 「作者が、どうも当時の戦争に関してあまり詳しくないらしい。(私も詳しくないのでよくわかりませんが)」という問題 6 「1とかぶるが、登場人物がバカ」という問題(これが一番問題なのだが、長くなるから書かない)。 などなど。 それぞれが独立して、ちょっと放っておいてはいけないレベルだと思うのですが、問題点が多すぎて、結局、届いてほしい人たちに、批評が届かないという結果になっている…という気がします。 今はエンターテイメントのすべてが、コピーの時代だし、戦時中ではないのだから、「けしからん」小説や、「問題のある」マンガや映画があっても、私はかまわないと思います。 また、旧日本軍をヒロイックに美化したり、逆に左翼的な思想を押し付けるような小説も、ひとそれぞれが、読むのも書くのも自由なのかもしれません。 それから下手な小説家は消えろなんて思わない。私はJ−POPの音程のあやしい歌手の曲が、そんなに嫌いじゃない。 ただこの本の読者が、そういう批評に耳をかさず、こんな小説がこの数年ずっと売れ続けていることが、私はひどく恐ろしい。私は賢くないが、この小説が、ちょっとどうかというレベルの小説だ、ということぐらい解る(解ってて読んでいる)日本人であってほしい。 特攻隊の小説を書いた作者が、バラエティ番組で、ニコニコしながら、「儲かりました!」なんて言ってるのを見て、なんとも思わないなんて、ほんとにどうかしてる。 | ||||
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「愛」のため、あるいは「愛する者を守るため」に戦ったのだ、という結末は、あの戦争の歪んだ本質を隠蔽することになると思います。過去の、とういか、わりと最近の戦争文学、映画は、全てその解釈になっているような気がします。そのような作品には、あの戦争を、肯定はしないが積極的な否定はしないみたいな間違った社会心理を感じます。「理由はどうあれ、一生懸命戦ったのだから、愛する者を守るために戦ったのだからしかたが無いじゃないか」というのは、では何故、あそこまで泥沼にはまるまで戦いを止められなかったのかという疑問にはぜんぜん答えていないし、終戦直後、帰還兵を忌避し差別するような社会心理が生まれたという事実とは全く矛盾します。 残念なことに、今や大岡昇平や、島尾敏雄のようなリアルな、本質に迫るような文学はほとんどないですね。そういう、民族にとって苦しい事、思い出したくない事を隠蔽するような社会心理状況だから、秘密情報保護法を通してしまうし、新自由主義のような前近代的な格差社会を危機意識なく受け入れてしまうのだと思います。 | ||||
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これほどまでにヒットする前に読み終えましたが、何度も読むのが嫌になりながら、他の本を何冊も読み終えた後にフィニッシュしました。 というのも、よく読書をする人にはわかると思いますがこの小説ムダな文章が多すぎるんです。特に戦争の状況描写。始めはこういうもんだと読み進めたんですが、テレビで著者が小説は必要最小限の文章だと本が薄くなってしまうから、必要ない文でも足していって分厚くしますみたいなことを仰っていたのを聞いてから、読む気を無くし、数ヶ月放置になりました。 とはいえ、戦争を乗り越えてこられた先人への感謝を思い起こさせる良いプロットなので星プラス一つです。 | ||||
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この小説が売れに売れているという。ゲエーッ。 意外に分厚いので読む気も起こらず、末尾から4ページほどに目を通してみたが、結局のところ特攻を美化しているという印象だった。 この小説に五つ星を付ける人が800人近くもいる日本は、なんて気持ち悪いんだ。 知り合いに特攻から奇跡的に生還したジイさんがいるから、読んでもらって感想を聞こうと思う。 こんなチャンスをくれた著者に感謝して星一つだ。 | ||||
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