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俺の文章修行
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俺の文章修行の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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町田康に殴られたというのが感想。 この作品が著者との初めての出会いだった。 文章表現の妙、奥義を垣間見せられる内容。 ぼくは今この本を8周目の復読に向かっている。 図書館でとうとう予約されたので購入を決意。 ものを書く仕事をされてる方は必読じゃないかなと。 ・2025年5月9日追加︰ 「俺の文章が読みにくい、と言い、俺を気の毒な人を見るような目で見る仁がある。嘲笑する仁もおらっしゃる。だけどな、おまえらな、俺がわかりやすい文章を書かれへんと思うテイルお前らの方が気の毒やとおれは思う」(本書252頁より) | ||||
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もうちょっとサービス精神あってもええんとちゃうけ?元々、こちらの文豪は構成力がない故におもろい、のが魅力の方。一方で、告白や古典翻案ものは、居抜き物件でスナック新規オープンみたいな安心感とチーママのノリの良さが、その文学的魅力の味の素となっているいるとごろうじろ。さて読者も期待に応えるか、はたまた金返せやと罵詈雑言の嵐となるかは、買って読んでのお楽しみ。ご機嫌よう。 | ||||
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畏るべき倫理の人(道徳の輩ではなく)、町田康の全部見世といってよろしいかと。 丸裸どころではなく、お尻の穴はもちろん、それを裏返しに引きずり出して内臓まで曝しております。 今までの作品がここに書かれたことに従って読み解かれ、不本意な格付けをくらうやもしれんのに、「ちゃんとせなあかん」という意志をどうしてもまげることができん。公明正大にやらな気が済まん。そうやって、作品世界を燃やし尽くしてしまう、町田さんの潔癖がすさまじく炸裂しております。ぜったい損やん、そんなこと。いや、男には譲れんもんがあるんや。 「いけず」というタームのもとに、これまで苦心惨憺して開発、磨き上げてきたレトリック技法を、その理論から、具体的な使用法まで明かしてくれてます。もちろん、こんなものを実際に使ってみたら、「おりゃ、町田のあれ読みよったな」とバレバレで、余人がなんの用心もなしでは使えるわけはないのですが。 特筆すべきは、やはり、第三部です。おもろい文章を書きたい、こんな俗っぽいところから始めた話が、文章論をとびこえて、小説論、芸術論、人生論へと到達します。「文は人なり」。それを突き詰めていけば、そうなるしかないわけでございます。 町田さんの小説同様に、「いけず」に惹かれてどんどん作品の内奥に入っていくと、かならずしも気色はよくないところに連れて行かれてしまう。そのゴールで「ここどこ」と途方に暮れる、そうなります。 と申しますのは、町田さんの根本のところにあるのは、「おもろい」というのは、究極「個」であることを引き受ける、自覚することからしから生まれないという覚悟かと。。また、その「個」は「個」たるゆえに不断に「世界」と摩擦しており、その摩擦が止む事なんてない、「世界」には、別の「個」も含まれる以上、孤独というものが解消されるなんてありえないんですよ。そう言っておられると読みました。拙者は。 とにかくフェア、ミュージックフェア。そして親切。自分の理論、実践にしたがって、文章を書いておりズルしてません。それでいて、「そこまで書かんでええ、そこまでかみ砕いてしまったら、へんに安くみられるぞ」を恐れません。なんで、これほど高尚というか切実な内容、中身をもつのに、阿呆みたい、わかりにくい文章で書くのかまで、はっきり書いてしまっています。それぐらいのことが分からないような奴、ほっとけ。そうならない。なんでなんで。 冒頭、倫理的といいましたのそういうことでございます。これ読んで、さあ儂もいっちょ書いてみよかい、そう思う人は、やはり、町田さんと同じほどの勇者か、と思われます。 | ||||
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いやぁ、面白かったです。 町田さんは感性の人だと思っていたのですが、様々な思考や試行があってあの数々の作品が生み出されていたのだという発見がありました。 一方で、この著作は文章のテクニック論ではなく、この世に蔓延る駄文の数々への批判かつ問題提起であると見ました。自分アホなんですんません、と言いながら駄文が駄文たる所以に斬りこんでいく。痛快です。 と書きながら自分の駄文が恥ずかしくなってきました。すんません。 | ||||
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物書きに興味があったため購入。エッセイのコーナーにあり、確かにビジネス本とは構成も書き方も違い、エッセイ的な語り口調でした。 が、口語体のようで「ぬ(ない)」といった日頃使わない文庫的口語体と、 ふりがなのない一般的ではない漢字・単語の多様性、 最大のポイントはとにかく1文が長い(、句読点が多すぎる)文章で非常に読みづらかった。 文章修行というタイトルに惹かれたものの、その辺りの文章表現はどうなのか?と思うくらい読みにくさのあまり頭に入ってこず。 1章も読み切らないでやめてしまった。2025年1月初版の作品ということで、今後を考えるとそんなに増版は期待されないかなという印象。 表紙のデザインは可愛いですけどね。 | ||||
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これは巷に溢れる小説の書き方本とは一線を画する。町田康氏のあの独特の文体の秘密が書かれているが、この本をお手本にしても参考にはならない。何故なら、この世に町田康は二人はいらないからだ。 ここで紹介されている”見聞きしたものを文章に変換する装置”の具体的なイメージが私には湧かない。 さらには、文章の”いけず”として紹介されている12種類の技法の、どれ一つとして私には習得できそうもない。この本を読んだからと言って、あるいはこの本で紹介されている方法をどんなに練習したからと言って、作者の言う”ええ文章”が書けるとは到底思えない。最も疑問に思うのは、32章の「読み書き表裏一体の姿勢」の中で、〝推敲”のことをインチキクズ手品として全否定している箇所である。推敲が得意なプロを否定しているが、宮沢賢治研究家によると、宮沢賢治は推敲に推敲を重ねるので、最初に書いた文章と推敲を重ねて完成した文章ではまるで別物だとのこと。町田康氏の意見によれば、宮沢賢治はプロではなく素人ということなのか? ただ、この作者は人気作家である。多くのファンがいるのだろう。文章が上手くなる指南本としてではなく、単なる面白い読み物として読む分には最高だろう。町田康マニアにとっては、おおいに楽しめると思う。 | ||||
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作家の気迫と覚悟に触れる一冊だと思った。 | ||||
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