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静かなノモンハン



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【この小説が収録されている参考書籍】
静かなノモンハン (講談社文芸文庫)

静かなノモンハンの評価: 3.94/5点 レビュー 17件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.94pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全17件 1~17 1/1ページ
No.17:
(1pt)

日焼け本

40年前発行とは言え、日焼けしすぎ。
静かなノモンハン (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:静かなノモンハン (講談社文芸文庫)より
4061984101
No.16:
(2pt)

読了できなくとも良い

生々しい体験が伝わります
静かなノモンハン (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:静かなノモンハン (講談社文芸文庫)より
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No.15:
(5pt)

戦記物ですが読みやすいです。

戦記物の中では読みやすい部類。3人の兵士にフォーカスしたこの書籍ですが読みやすく、3日ほどで読んだ記憶があります。

戦闘シーンは読んでいて実際の戦場に引き込まれるようなリアリティがあった。

戦車対徒手という絶望的な戦いを生き延びた兵士の物語。
静かなノモンハン (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:静かなノモンハン (講談社文芸文庫)より
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No.14:
(5pt)

損耗率のリアルが分かる本

本書は、小説家で詩人 の
伊藤桂一(1917.08-2016.10)による
小説『静かなノモンハン』(初収は講談社 1983)
の講談社文芸文庫(2005)版です。
「ノモンハン事件(1939.05-09)」に従軍した
方々から綿密に取材し、それを3人の「語り」
(narrative)という形式で文章化した作品です。
3人は上等兵・衛生伍長・少尉(小隊長)であり
兵・下士官・将校(尉官)という構成です。
著者自身も召集され北支・中支(いずれも当時)
と転戦した経験があるだけに、小説とは申せ
実在感あふれた語りとなっています。戦争の
リアリティーを追体験できる小説です。

『静かなノモンハン』(1983)は、翌1984年
芸術選奨文部大臣賞と吉川英治文学賞を受賞し
ています。著者はこの作品の取材方法や記述方法
を踏まえ、自ら「戦場小説」と呼びました。
「インパール作戦(1944.03-07)を描いた
『遙かなるインパール』(1993)も、同じく
「戦場小説」の範疇に入ります。みなさんは
ノモンハンの荒野で、敵戦車の火炎放射器に
よって焼かれたり、インパールの密林で、
飢えて泥の中、寝たきりのまま捨てて行かれる
ことを想像することができるでしょう。戦争の
リアルを実感することができます。

「ノモンハン事件」とは日本側の呼称であり、
モンゴル側では「ハルヒーン・ゴルの戦い」と
呼びます。つまり「ハルハ川の戦い」です。
満洲国+日本 VS モンゴル人民共和国+ソ連
の戦いです。もともとは満洲(当時)と外蒙古
(当時)の国境での小競り合いに過ぎなかった
のですが、結局は不幸にも、旧陸軍の関東軍と
ソ連軍の間で、航空機、火砲、戦車、その他の
装甲車両…を駆使した、本格的な戦争となりま
した。

ノモンハン事件は日本陸軍が初めて体験した
航空機+車両を主体とする「近代戦」です。
結果は完膚なきまでの大敗です。ソ連崩壊後の
文書公開によると彼方の損害も決して小さくは
なかったことが明らかになってはいますが、
関東軍が「北進」を放棄させられ、「南進」へ
と「転進」を余儀なくされたことを考えますと
戦略的に敗北したことは間違いありません。
かつノモンハン事件の反省もなければ、責任
追及もなされず、米英を相手に開戦し、結果
国土のほぼ全土が焦土と化し、敗戦を迎え
ました。責任の一端は、ノモンハン事件の時の
スタッフたちが「復活」して来て「指導」した
参謀本部に存在すると考えられています。

「損耗率」とは軍事的には「部隊の将兵のうち
死んだり負傷したりした人の割合」を示す用語
です。その評価は諸説ありますが
・損耗率が10%になりますと、部隊の戦闘行動
に支障が出るようになります。
・損耗率が15%になりますと、部隊まるごと
交代させるか、あるいは人員補充や再編成が
必要になります。
・損耗率が30%になりますと、その部隊はもはや
戦力としての算定ができなくなります。従って
「全滅」と呼びます。
・損耗率が50%になりますと、再編成すること
すら不可能になります。従って
「壊滅」と呼びます。
・損耗率が100%になりますと、将兵はひとりも
残っていない状態です。従って
「殲滅(せんめつ)」と呼びます。旧日本軍は
「玉砕」あるいは「総員壮烈なる戦死」と
大本営発表していました。

ノモンハン事件の主力であった旧日本陸軍の
第23師団の損耗(戦死傷病)は
「76%に達した」(『ノモンハンの夏』)
とあります。また第7師団はその一部が第23師団
に組み込まれる形で参戦し
「約33パーセント」(本書)
の被害を出しました。
「全滅」とは、通常の語感では、損耗率100%を
指すのだろうと誤解しがちです。しかし、そう
ではなく、損耗率30%で「全滅」です。つまり
約3分の1で全滅です。
第23師団は、全滅も、壊滅も通り越して、殲滅
との間に位置します。
いったん「壊滅」した第23師団はその後、再編
されますが、結局「南方」に送られ、ルソン島
で敗戦を迎えた由です。

上記のように、損耗率という数字だけで物事を
考えますと、戦争の一つの側面のみを見ること
になります。現場(つまり戦場)の一人一人に
とって「損耗」が何を意味するのかは抽象的に
しか見えてきません。戦争のリアルを感じる
ためには本書が貴重であると思います。
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No.13:
(5pt)

満州事変以降の関東軍の動向は、日本人として、重要な歴史認識です。

大事な日本人の歴史です。
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No.12:
(5pt)

日本の悪しきエリートが招いた悲劇が克明に記されている

第二次大戦への一つのきっかけともなったノモンハンが
いかなる戦いで、どのような背景の産物であったかというのが
非常に平易な文章で克明に記されています

この中で語られる悪しきエリート像は
数年前の原発事故でも見られるように今の日本でも変わっておらず
他山の石として、よくよく気をつけていかねばならないと感じます
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No.11:
(5pt)

ノモンハン事件の問題・過酷さが、三人の兵の体験を通じて真に伝わってくる書

ノモンハン事件に関する書を複数読みましたが、(自分が読んだ中では)ノモンハンの前線の兵がどの様に過酷な状況におかれ、どの様に戦ったか、この書が最も具体的に臨場感をもって表現した書と思いました。過酷な状況での戦闘体験記は複数読んできましたが、この書に書かれた体験の過酷さ、その中で前線の兵達が忠実に神がかった戦いをした様子は、他記とは次元が異なり超越したものと思いました。

日本の過去の戦いの中でノモンハン事件が際立って何故疑問視されているのか、概要記録や数値的な結果だけでは十分理解できずにいたのですが、この書で前線の次元を超えた過酷な状況、その中で戦う兵士の健気さ、隊や仲間に対する誠実な帰属意識をみてようやく理解できました。ノモンハン事件について多くの情報が閉ざされたり曖昧にされる中で、三人の兵の体験という表現を用いて事件の実態を伝え、この悲劇を繰り返す事がない様という思いを多くの人に持たせるという点において、著者は大変な貢献をされたと思いました。

実戦に出たての一般兵が手りゅう弾、火炎瓶、時には円匙で戦車を攻撃したというのはかなりの衝撃で、弾丸が飛んでくる傾向をもつかんだという神がかった実話は、極限の中においてよく事前訓練がなされ、隊の中で士気や信頼関係が築かれ、忠実さがあってこそと思いました。また、その様な優秀な隊や兵士たちの命が結果的に軽々しく扱われた事は本当に残念な事と思いました。敵側のソ連軍ですらノモンハン事件の報告書で日本軍について高級将校に弱さについて指摘しつつ、若い指揮官や兵の精強さについて評価していたとの事で、肝心な日本側で情報の多くが閉ざされたり曖昧にされて悲劇を繰り返したというのは繰り返してはならない事と思いました。

(こちらは別の書や情報源からの発見ですが、)無謀という意味での過酷な戦闘の中、兵たちが忠実、頑強に戦った例として、以前に「 太平洋戦争 最後の証言 第二部 陸軍玉砕編 (角川文庫) 」でガタルカナルの一木支隊戦闘記を、「 死守命令―ビルマ戦線「菊兵団」死闘の記録 (光人社NF文庫) 」でミートキーナの戦闘記を読んだのですが、以上二つの作戦もノモハン事件と同じ参謀から起案された話とつながり…。ミートキーナの個人宛に出された死守命令が将校の自決につながったり、ガタルカナルの一木支隊は歩兵第28連隊で、ノモンハンで壊滅した後に(再編しつつも)ガタルカナルへの出兵を命じられた経緯を知り、強い怒りを覚えました。

(「静かなノモンハン」自体の話に戻りますが、)複数賞を受賞されている書との事で、文学作品としても表現や構成がすぐれていると思いました。著書の強い思い入れも伝わってきて、「死者生者の魂に、私は、とりかこまれ、...大丈夫です、あなた方に喜んでもらえるような作品にしあげますからと、いいつづけてきた記憶」という著者コメントを感慨深く読ませていただきました。
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No.10:
(5pt)

戦場の現実

1939年(昭和14年)の5月から9月にかけて起きたノモンハン事件については、数々の本が書かれていますが、この本は、実際にノモンハンで戦い、生還した3人の兵士の体験談を元にしており、戦争の迫真を伝えています。
ソ連軍の戦車隊に対して、歩兵達が、サイダー瓶で火炎瓶を作って 立ち向かったこと。持ってきた飲み水が尽きると、草の葉に付いた夜露をなめて、渇きを辛うじて癒やしたこと。戦場に散乱、放置された多数の遺体を、停戦後に ようやく収容したこと。

戦闘員の約30%が戦死。部隊によっては、ほぼ全滅と言われる中、生死を分けたのは、一瞬の偶然、気まぐれな運次第としか、言いようがありません。
また、収容しきれなかった遺骨は、今も ハルハ河の水底や、ノロ高地の砂中で、朽ちていることでしょう。
日本軍もソ連軍も、お互い1万人近い犠牲者を出しながら、何を守りたかったのか、思いをめぐらさざるを得ません。
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No.9:
(3pt)

戦争の悲惨さ

山崎豊子の大地の子を並行して読むと満州、中国東北部での日本人の悲惨さが良く理解できる
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No.8:
(5pt)

今までの本に書いてないことが分かった。

噂は知っていたがこんな酷いとは知らなかった。でも楊 海英著「日本陸軍とモンゴル」を併せて読むと内モンゴルと外モンゴルの関係も良く分かる。是非皆様にもお勧めしたい。
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No.7:
(4pt)

村上春樹も参考にした?

中国前線に従軍経験がある著者によるノモンハン事件のルポ!ソ連のペレストロイカ後、日本もこれで善戦していたという記録が公開されている。日露戦争後、日本軍が経験したことがない大平原で行われた大戦闘!
 武器の優劣、戦略戦術の優劣などを論じた本ではない。そのため、軍事マニアとか戦史好きが好むようなスタイルではないが、日本人が忘れてはいけない、戦争の記録だと思われる。
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No.6:
(1pt)

読み方が解りません❗

勘違いしまして?本がなかなか届かないので不審に思っていました、電子書籍なのでしょうか、読み方が解りません教えてください
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4061984101
No.5:
(5pt)

生々しい記録

普通の人が極限状況でどう感じながら戦ったのか、淡々とした言葉で語られています。
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No.4:
(1pt)

電子図書の欠点?

購入した直後に 携帯電話がこわれ、その後 復旧しましたが どうやってみるのか、わかりません。困っています。もし良ければ 教えていただきたい。
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No.3:
(5pt)

ノモンハン事件に参戦した3人へのインタビュー

こんな戦いだったとは初めて知りました。後世に残すべき貴重な記録に
なっています。
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No.2:
(5pt)

信じがたいほどに凄惨、苛烈な戦い。「これが戦争なのか」

北海道出身の3名、鈴木上等兵、小野寺伍長、鳥居少尉のノモンハンでの体験談を著者がまとめたもの。
ハルハ河の東側のノモンハンのでの日満軍対ソ蒙軍の戦いで、実質的には日ソ戦だ。この砂漠の真ん中で街や道はもちろん草木もほとんどなくモグラしかいないような場所をめぐって、1939年5〜9月、すさまじく激しい戦いが繰りひろげられた。
関東軍上層部は無理解か怠慢からかこの戦いを軽視したらしく、十分な手当をせずに現場兵士は、圧倒的に兵量にまさるソ連軍を相手に筆舌しがたい苦戦を強いられるとともに、砂地でろくに陣地も構築できず、さらには餓え渇きとも戦うことになった。
敵は無数に繰り出す戦車隊や機関銃の装備を誇るのに対し、日本軍は砲撃隊などもいたが基本的には旧来の白兵戦で戦車に対する基本的応戦手段は火炎瓶だったというのだから驚きだ。くつもの隊がほぼ全滅したというし、例えば小野寺伍長の大隊も850名だったのが最後には30名程度しか生き残らなかった。
日本軍(関東軍)は、中国、満州で比較的弱い貧弱な装備の中国兵としか戦ったことがなく戦争というものを甘く考えていたのではないだろうか。そこへ大量の戦車を有し近代的装備のソ連軍と本格的対戦をして大敗してしまったのだと思う。そもそも、ノモンハンという土地が戦略的にそれほど重要なところであったのかどうか疑問だし、現在から振り返れば狂気の沙汰だった。
以前に読んだ伊藤桂一の「若き世代に語る日中戦争」は、著者が当事者でありながら日中戦争を客観的表現していて冷静に読むことができるのに対して、本書は実際に起きたことをそのまま表現しているだけなのだろうがあまりに凄惨、苛烈で、三名の誰だったか「これが戦争なのか」という感想をもったというのが印象的。
鈴木上等兵は平穏なチチハルに駐屯していて、軍も現地満州人と友好的関係を築いていた。鈴木上等兵は現地のある家から除隊後に婿に来てくれと頼まれて本人も多少その気になっていたなどと平和とも言える環境であったが、その後ノモンハンに派遣された。そこでの鈴木上等兵の戦闘はわずか1日であったが、凄惨極まる戦いになり本人も重症を負って瀕死の状態になる。昏睡し、夜に目ざめたときには「ああ、死んだのか」と思ったという。
三名の体験証言はそれぞれ衝撃的だが、特に最後の鳥居少尉の話は身につまされ、涙が出てしまう。
鳥居少尉の戦線も苦戦を強いられて敗色濃厚であって、死を覚悟した鳥居少尉は陣地内の本部に挨拶にでかけ、そこで階級は下だが同郷で近所に住んでいた平本に偶然出合い、戦場での再会を喜び、しばし地元話をする。鳥居と平本とは幼いころからの知り合いでほとんど兄弟のようにして育っていて、「兄さん」「よっちゃん」と呼び合う仲だった。鳥居は平本に「無事に帰って、また一緒にやろうじゃないか。無理をするなよ。やられるとわかっていたら、出るな。むつかしい、いい方だが、わかってくれるな」といって互いの検討を祈って別れた。
そして、、、 その直後に部隊は撤退することになり退避行の最中に、不意に不自然な砲弾が一発だけ飛来し、鳥居の頭上を越えて前方部隊の真ん中に落下した。その砲弾は平本ただ一人だけを直撃し、平本一人だけが爆死した。もちろん即死で遺体は飛散した。
偶然に鳥居に再会した後、不自然なタイミングの意図不明な一発の弾丸により平本だけが戦死した。
鳥居は泣き、平本の遺体を集めて小指だけを切りとって持ち帰り、遺体は砂地に埋めた。目印となるように鳥居の背嚢をそこに置いた。
それからしばらくして停戦となり、鳥居らは遺体収拾のために前線であった場所に戻ったが、鳥居も多忙であったので平本のことは忘れてしまっていた。そこでソ連兵に出会いタバコをもらい、座って一服していたときだった。

(以下、抜粋です。)
すると、その時、私の耳に、パタ、パタ、と、物のひるがえるような音がきこえてきました。まわりは、しんとしていますので、その音は耳につきます。
何だろう? −と思って、音のするほうをみますと、砂の上に腰を下ろしている私の左の足から、ほんの1メートルほどの先に、背嚢が一つ置かれていましたが、その背嚢の蓋が、みていると、パタ、パタ、と音をたてて、めくれるのです。あたりには、まったく風はありません。風があたっても、少々の風では、革の背嚢の蓋はめくれないのです。しかも、私の眼の前で、背嚢の蓋は、パタ、パタと、恰も私に呼びかけるようにして、めくれつづけます。
ととつぜん、私は、電気にうたれたような、衝撃を覚えました。
(平本だ、そうだ平本だ、平本の背嚢だ)
と、はじめて気付いたのです。私はこの場所が、平本を仮埋葬した場所であることを、つい、忘れてしまっていたのです。あまりに考えることが多かったためです。それに、つかみどころのない草原と砂丘の地形ですから、はっきりした記憶もなかったのですが、気付いてみると、ここはたしかに、後方へ撤退する時の集結地点でした。
私は、立ち上がって、背嚢に歩み寄って調べてみましたが「平本」の註記がみえます。背嚢に手を置いたまま、私は、
「そうか、平本、おれが気がつかんで、呼んだのか」
と呼びかけていました。声に出したのです。
「よしよし、おれが掘り出して、おれの手で焼いてやる。安心せよ。ほったらかしにして、すまなんだなあ。ゆるしてくれよ」
曹長が、ちょうどもどってきましたので、私は円匙をかりにやらせ、自分の手で、仮埋葬した平本の遺体を掘り起こしてやったのです。
いまも、私は、ノモンハンの戦場のことを考えますと、頭の奥に、あの日の情景が浮かんできます。背嚢の蓋が、風もないのに、パタ、パタとめくれた、あの物音がきこえ、合図としたのです。
そうして、平本に限らない、あの戦場でいのちを終えた多くの将兵たちは、みなたれもが、私たちに向けて、呼びかけていたのです。その呼びごえに答えてやらなければならない−と、そのことだけを、いまも私は、片時も忘れたことはありません。
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No.1:
(5pt)

日本人の経験した大戦車戦

昭和58年2月刊行
翌年 
第34回芸術選奨文部大臣賞及び第18回吉川英治文学賞受賞

戦車と言えば、ドイツの機甲師団がまず思い浮かぶが
古くは騎馬隊その後の騎兵隊が同様の意味を持つと思われる。

日本にも有名な戦車戦があったようだ。
ソ連が鉄道網で補給を準備して来たのに対し、
徒歩での行軍五日に及んでの戦い。

航空戦の緒戦こそ飾ったものの
大勢を決めた地上戦においては
此方には戦車は残らず(一部後方へ退避させた?)
速射砲(対戦車砲)も破壊され最終的には
集団のソ連戦車隊(火炎放射器も装備)に肉迫、取り付いた上、
支給のサイダーの空き瓶の火炎瓶で燃やすか、
円匙(野営用シャベル)で機銃を叩いて曲げ
砲身に手榴弾を結びつけて戦闘不能にする事で応戦しながらもほぼ全滅に至る。
僅かに生き残っても前線の状況は戦後まで、口外が許されない状況だった。

この作品は軍務経験を持つ著者が
三人(当時の上等兵、衛生兵、少尉)の体験者に取材したもの。
あとがきでは「多くの、死者生者の魂に、私は、とりかこまれ、励まされながら、執筆をつづけてきた、格別に切迫した経験がある。」と述べている。

巻末に参考資料として司馬遼太郎(関東軍戦車連隊の小隊長だった)との対談があり、氏が何故ノモンハンを書けないかが記されている。
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