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すずめの戸締まり
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すずめの戸締まりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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わざわざ震災の描写を入れる必要があるのかと思ってしまう。こういう要素を取り入れないとヒット作を作れない監督というイメージがついてしまった。次回作は是非ともそういう要素なしでヒット作を世に送り出してほしいという感想しかない。 | ||||
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読む価値なし | ||||
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ネタバレ極力ないよう書いたつもりだが後半は核心に触れている部分あり。 先に注意しておくと、君の名は は好きですが、 天気の子については、能力を失った陽菜が懺悔のごとく祈っているシーンなどグッとくるところもあるものの、全体としては微妙だったと思っています。 ◇文体◇ 小説でしかできない/許されない表現というものはある、ということは大前提に置いて、 この作品は一貫して主人公の少女すずめが日記として書いたというスタイルになっている。 果たしてその必要性があるのかというと正直あまり無く、というのもすずめから見た別のキャラクターの一人称の心理が覗けるというよくわからない状態にしばしば出くわすため。 なお、この他者の心理が覗ける文体が何か後半の叙述トリックに絡んでくるとか、そういうことはない。警戒せず読んで良い。 脚本みたいだ、という意見にも頷ける。いかにも「ここでRADの曲かけてダイジェストいきますよ」って具合の雑〜な文章がある。いいんだけど流石に味を占めすぎじゃないかしら? …というように、 私のように先にシナリオを知った上で映画を観るか決めたい、という考えを持っていない人間は、別に文章で摂取することにこだわらなくてもいいだろう。素直に映画館に行ってほしい。 比喩表現はくどい。それがすずめの精神の特徴なのかというと別にそういう訳でも無さそう。 文章の予測がつきやすい。つるつるとそうめんを啜るように読めるライトな文体。ある意味の安心感・安定感があり、そういうものを求めている層は読んでいて心地良さを感じると思う。 ◇文章で気になったところ◇ 「ぐるぐると煽らられる」(Kindle版251ページ) =シンプル誤植。 「サイドブレーキを上げながらぼそりと言う。『こりゃあ、今日中には帰れねえな』」(同201ページ) =これから出発するという流れのシーンでなぜ上げた(引いた)のか? →手元で調べたところ、まれにツイッターでサイドブレーキを下ろす、の意味合いで上げる、と言っている人を確認した。わけがわからないが、映像で下げていれば同じ勘違いだと思う。 もし映像でも上げて「今日中には〜」と言っていたらかなりシュールなシーンになると思われる。 あるいは、すずめが免許を持っていないため間違えたと好意的に解釈も可能といえば可能。 ◇シナリオ◇ オチ…というよりクライマックスにあたる部分は、「これ知ってるなぁ」と思わざるを得ない手垢のついたもので、そこにオリジナリティは感じない。 失ったものに対する供養(「時々でいいから思い出してください」というような)が脚本の根っこの部分にあるが、クライマックスでの独白はそこからだいぶ離れて、いやに楽観的というか個人的なものに矮小化されたように感じた。あくまでこれはすずめの物語なんだという強調をされた。ここのあたりは好き好きあると思う。 個人的にあまり好めないのが、序盤から中盤まですずめがずーーっと状況に対処しているばかりで、読んでいて退屈なところ。要石を追うというプロットの都合仕方ない部分もあるけど、ダレる。ここらへんはごっそり削いでも話が成立してしまう。 また、すずめが草太に惚れた理由がよく分からない。新海オタクでは無いので君の名はと天気の子しか観ていないが、その中でも一際惚れる理由が無い。ボーイミーツガールでセカイ系なんだからそこはきちっとやって欲しい。世界と彼を天秤にかける理由があまり無い。 ご都合主義色がかなり強い。 運命的な、と言えばまぁそれまでなのだが、かなり「たまたま」に助けられている。 「たまたま」実家に出現した後ろ戸(彼岸への門)を通ったことを「たまたま」夢で何度も見るので覚えていたとか、そのおかげで彼岸にいるミミズ(作品世界の地震などの元凶)本体に攻撃できたとか、 そこにおいても「たまたま」気に入ってくれた、要石である喋るネコが力を貸してくれた…とか。 向こうに行って直接叩く、という要石の作戦もすずめが初めて通った後ろ戸を覚えていなければ成立しない。しかも二つの要石が取れてしまった(片方は要石自身の手で)以上すずめが後ろ戸を通れなかった場合元凶の完全顕現=完全な詰みで、かなりザルな作戦だ。 あとは説明不足というか、いよいよ説明を放棄しているところがあったり。 要石である黒猫に操られて?環が言いたくもないことをすずめに投げるよう差し向けたのはなぜか、とか… そもそもなぜ狐とかでなくネコなのかとか 猫は素体なのか本体なのかとか 本当に神さまなのか、実は変質した人間なんじゃないかとか(この線、もっと言えばすずめの母が当代要石なのでは、と踏んでいたが違かった) 草太の祖父は登場するが父はどうした(既に故人?理由?)とか… 毒(要石)をもって毒(ミミズ)を制す的な感じで要石自身も決して善い神さまでは無いのだろうけど、ほんとに何がしたいのかわからない神さまだった。 それが神さまだ、と言われて仕舞えばおしまいなのだが古事記の神々だってもう少し筋は通っていたぞと言いたい。 あるいは破滅願望のようなものを感じた。ここらへんは本当に説明が欲しいところ。 …と、思い出せば他にも書けるところはありそうだが書いても誰も読まないので一旦終わりにしたい。 | ||||
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残念なことに表紙が折れていました。 そのため星2です | ||||
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情景説明に力を入れすぎて文体は遊んでるし比喩はしっくりこないし小説というより台本って感じでした。おそらく新海誠の映画を見たことがない人がこの小説を読んでも伝えたい情景は全く伝わらないでしょうね。 内容に関してはジブリを意識しすぎているのに電撃文庫みたいな文体なので味が全くないという感じ。新海誠は宮崎駿にはなれないし、野田洋次郎は久石譲にはなれませんよ。もっとオリジナリティのあるものを作ったらいかがでしょうか。 | ||||
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7割読んだけどまぁつまらない。続きが気にならない。 今回でハッキリと分かった。新海監督は物語を作ることは出来ても圧倒的にセンスがない。 天気の子の実力が監督の本当の実力だったのだろう。 ずっと監督を追いかけてきてその確かなセンスの向上に歓喜し、君の名は。では今の新海誠ならこのくらいのエンターテイメント大作は作れるだろうと納得した。が、天気の子で地に落とされた。 君の名は。はアナザーストーリーの小説も大変に素晴らしく、物語にしっかりとした土台があった。 ハッキリ言うとゴーストライターを疑うレベルで天気の子と今作は酷い。 長年彼を追いかけてきたファンとしては非常に残念だ。 | ||||
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読了させていただきました。まず後半、物語が加速するたびに、誰視点での物語かわからなくなってしまう場面がいくつかあって、感情移入できませんでした。あと痛そうなのと、冒険?に仕立てたトラウマをえぐられる感じが苦手でした。読み終えられて良かった。 | ||||
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深海作品に期待はしなかったが、案の定期待を裏切らないどこかで読んだような作品だった。映画やるから脚本をノベライズしました的な作品。もう「君の名は」バブルは来ないのだろうと強く感じる。 | ||||
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お決まりの展開、先が読めてしまうベタな演出、時代遅れの古いセンス。 何度も見てきたロードムービー(小説)だった。 新海監督ってもっと作家性が有って、挑戦的な人だと思ってたのに、今回の作品に新しい要素やチャレンジ精神なんかが全く見受けなかった。 映画でなら、あの映像美で誤魔化せるっていう考えなのか? それとも、周りの大人のせいで思うように作れなかったのか? 新海誠の作品だから、なんとなく良い作品って評価される気がしてならない。 周りの大人がうるさいなら「ほしのこえ」みたいに、また一人で作って欲しいな。 大変だと思うけど。映画、見ないかな。 | ||||
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ネタバレあり。 全ての登場人物の行動がご都合主義以下の軽く薄っぺらい。とりわけ主人公に協力する田舎女子高生やスナックママ、閉じ師の友達が本当に都合よく動くだけの装置でしかない。サクサクと主人公女子高生を無条件脊髄反射的に助けるためだけに使われる存在。彼らのシーンを全てカットしても普通に物語が成立してしまう。いわゆる尺の無駄。丁寧な人物描写を省いてまで作りたかったのがミミズ大暴れなのか。 それまで震災での辛い思い出など匂わせもしなかった冒頭から突如幼少期の可哀そう思い出。それを確認して終わり。 え、これで終わり? 「辛い過去があっても大丈夫だよ。みんな見守っているよ頑張ろうよ」ですか? そんなことを十年経った今になって言われても響きません。 | ||||
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