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天路の旅人
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天路の旅人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全104件 61~80 4/6ページ
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沢木耕太郎氏の紀行文は「このように生きてみたい」と憧れを抱かせるものが多いのですが、青年期に読んだ「深夜特急」以上のものは無いなあと思っていました。しかし、本書は深夜特急を凌駕する感動を老人となった私に与えてくれました。青年になった子供たちに是非読んでほしい一冊です。しかし、深夜特急も自分の息子は読んでくれていませんが・・・ | ||||
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感動して読んでいます。 | ||||
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お疲れさまです。 沢木耕太郎さんの、深夜特急の TV番組(大沢たかおさんの?。)の リアル世代のはずなので、 愛読しておりました、といいつつ 熱狂的な 愛読者でもありません。 ただ 某TV番組(N局)の、観て、本書が発刊 されると、情報を得て、 迷いました。 けれど、 こうして、入手しております。 時間の都合がつきましたら、 読んでみたいです。 貴重な、作品を ありがとうございました。{笑}。 | ||||
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どんどん旅に引き込まれて一気に読めます。細かな地図がないのでネットで調べて確認して楽しみましたが、中国の地図では地名が中国表示なので・・。でもこれも興味深いことでした。 | ||||
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まだ、途中までしか、読んでませんが、面白いです。知らないことばかりで、楽しくて仕方ありません。 | ||||
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未知の領域への冒険とそこでの友情が心躍ります 日本軍の密偵としての任務は特殊ではありますが・・ | ||||
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西川一三さんの生き方に魅了され、沢木耕太郎の文力のおかげで、楽しくチベット行脚を追体験させていただきました。 | ||||
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ノンフィクションが好きで、特に戦前からアジアを西欧の植民地から解放すべく軍部の意向とは違った日本人が何人かいたことを知って興味を持った。このような人物を埋もれさせた、利用しなかった戦後の日本政府はもったいないことをした。かなりの長文だが一気に読んでしまった。 | ||||
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こんな日本人がいたのかと感動するだけでなく、読後、脳裏に残る本である。戦中戦後を通して、内蒙古から中国北部、チベット、インド、ネパールと歩いて、各地の文化、宗教に溶け込んだ西川一三の生きざまを描いた感動のノンフィクションで、ストーリー自体に好奇心を刺激されたのに加え、著者の巧みな文章にどんどん引き込まれて行った書であった。 | ||||
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モンゴルやチベットに少しでも興味のある方、もし、なかったとしても、戦前まで受け継がれていた日本人の気質に触れたい方におすすめです。日本人としての生き方や在り方を見つめ直せるものでした。私もまだまだ旅を続けてみたくなりました。 | ||||
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未だ読みかけなので中間評価ですが、沢木さんの軽快なタッチの文章が心地よい本です。 | ||||
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内容はもちろんよかったこと、とても読みやすかったです。 また、この本を読むきっかけとしては、5年前に亡くなった祖父が子供のころ満州開拓で渡っていたことより、読ませていただきました。 ありがとうございます。 | ||||
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長い話であり、知らない地名、聞きなれない人の名前、読み続けるのは困難かと思われたが、読み進めるうちにぐいぐい進んでいく西川氏に引っ張られ読み進んでしまった。まっすぐな人柄、自分の気持ち、考えを決してごまかさない、諦めない生き方に感動した。 | ||||
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第二次世界大戦末期に 中国西域に潜入した密偵、西川一三の 8年に及ぶ旅の顛末を描いたノンフィクション 日本に強制送還されてから 盛岡市で化粧品卸業を営んでいた西川に、四半世紀前に盛岡に定期的に出向き、一年間、計50時間に及ぶインタビューを行いながらも、完成までに7年もの歳月を要した大作 そのインタビューは 西川が仕事を終えた後の 町の居酒屋で はじめは口が重かった西川と だんだん打ち解けて はじめは二合に決めていた酒が、 最後の方は 四合ずつになったというエピソードで始まるが 読むにつれ、その西川の旅の内容では、そうもなるであろうと思われた。 一人の人生に焦点を合わせる 沢木ノンフィクションを 久しぶりに堪能 | ||||
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かの西川一三を書き上げた。 かつて紀行本を多読していた時に知った名前。 戦時中の1943年から戦後1950年の8年間。 青年はラマ僧に扮し内蒙古からインドまで歩いて旅をする。 想像を絶する壮大なパノラマが広がる。 それは”聖なる刻”。 情報は地図もコンパスもなく、足跡と見聞きのみ。 根源ある旅の喜びと意志の強さに深く感動する。 | ||||
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この本は2週間ほど前アマゾンでも在庫なしでしたので、近隣の書店数店まわりましたが、重版中で2月に手に入るとのことでした。しかし昨日アマゾンで在庫ありとなっていたので重版が完成したのかと思い、早速購入し、本日配達していただきました。 大変速い配達で感激いたしましたが、なんと本のカバーの角々が白く剥げていてがっかりしました。3刷2022年12月25日になっていましたので、どこかにずさんに在庫していたものとおもいました。 沢木耕太郎さんの本は読後も長く保存するのでこのダメージは残念に思います。配達時の封筒でよれてしまったのでしょうか。 例えば小さな物を購入した時に無駄と思えるような大きな箱にはいってくることもあり、それこそ資源の無駄使いに思いますが、書籍も購入者にとっては大事なものですからもう少し気を使って、包装紙にくるんで封筒に入れるとかしてください。 | ||||
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久しぶりに、しっかりと時間をかけて本を読んだ気がした。それは乗り物に載って旅をするのではなく、自分の脚で旅をするような、気持ちにさせた読後感。 第二次大戦末期、中国大陸の奥深い西域まで密偵として潜入した若者、西川一三。 日本の敗戦を知った後も、ラマ僧に身を隠したまま、引き寄せられるようにまだ見ぬ世界の先への歩みを止められない旅と人生を、西川の著作と一年間の徹底的なインタビューとをもとに描き出した一冊、『天路の旅人』。 困難を突破しようと苦労しているときが、旅における最も楽しい時間だとしたらば、旅を続けたい旅人は旅を終える安息をよしとせず、すぐにまた旅に向き合い、旅に歩みはじめるのだと思っていた。だが、西域から帰国した西川一三はそれを選ばなかった。 西川一三は帰国後、盛岡で、毎日昼はカップラーメンを一杯とコンビニの握り飯をニつだけを食べ、毎日夜はつまみもなく酒二合だけを居酒屋で独酌し家に帰る、そんな三百六十四日を繰り返し日々を働く。それは、朝起き火をおこし茶とツァンパを毎日食む旅と同じ、削ぎ落とされて単純化された幸せな旅の日々の続き、であったのかもしれない。 沢木耕太郎は最後に西川と別れたとき、雪降る中、自転車を引く後ろ姿に向けて「気をつけて!」、と声をかけようとするが飲み込んだのだと、書いている。 気をつけて、は『深夜特急』の最後、これからの旅人に向けてかけられる言葉、「恐れずに、しかし気をつけて」とかけた言葉と想い交わるものだ。 でも西川の旅は、いま危険なき路を、恐れなき家族の待つもとへ歩んでいる。それは天路でなくとも西川一三の旅の続きなのだ。雪降る先に消えてゆく西川一三の旅は、雪の中に始まり、雪の中に消えてゆく、そんな始まりと本の結びとなっていた。 | ||||
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西川一三(かずみ)という人は、戦争中に内蒙古の鉄道会社で働いた後、中国西北部の状況を探るスパイとして、交戦中の中華民国の支配地域に入り、そのまま8年間青海省からチベット、インド、ネパールなどを放浪して、インドからの強制送還という形で日本に帰ってきた方です。同じ時期に木村肥佐生という人物もよく似た経路を通って移動しており、二人は、一時期一緒に旅行をしていたりもしますが、帰国してからのこの二人の人生の歩み方が対照的で考えられさせました。 彼の旅は放浪であり、地域の状況を情報として報告するという目的はあるのですが、それも日本の敗戦後は意味のないこととなります。日本や世界がどのように動いているのかもわからない場所で、それでも西川は、未知の土地を訪れたいという気持ちに突き動かされて、インドからアフガニスタンに入りたいと願います。その気持ちは印パ戦争のために西へ進むことができず、実現しないままに、インドにおいて日本人であることが露見して、日本に強制送還となります。 驚くべきは、内蒙古からラサまでの移動はずっと徒歩であることです。その時代に移動手段がそれしかなかったのですから当然と言えばそうなのですが、それもガイドをつけての旅行者というものではなく、駱駝の引手という労働者としての移動であったり、ラマ僧の巡礼としての移動であったりというものです。旅というよりは、その日を生き延びる毎日が積み重なって何千キロという移動がなされているという印象を受けました。 80年代初めごろのバッグパッカーを少しだけ体験した身としては、旅の途中に会った、長期の旅行者の中には、観光が移動の目的ではなく、移動することを目的として旅をしていると感じる人に何度か会った記憶があり、その時感じた印象と同じものを西川一三という人物に感じました。 それは、巡礼者の精神ともまた少し違うように思います。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道は、最近はひとが押し寄せて大変なことになっているようです。四国八十八ヶ所のお遍路道もめぐる人は多いです。ラサやメッカへの巡礼となれば、道中の厳しさも大変なものと思いますが、それでも巡礼とは、その目的地があり、そこをめぐってまた戻ってくるという目標があります。西川一三も様々な巡礼道をたどりますが、いずれも聖地に詣でることには西川自身にはあまり思い入れがあるわけではなく、また、出発地に戻ることを前提として考えていない点でも巡礼者の精神とは異なっています。西川一三は、移動し、漂泊すること自身に意味を見出していると思えます。 同じ時期によく似た行程を移動し、最終的には一緒に日本に送還されることとなった木村肥佐生は、帰国後はアメリカの対中国情報活動へ積極的に協力し、チベット語の能力を生かして大学教授となり、チベットを何度も訪問したり、ダライラマが日本を訪れたときにはその世話をしたりと、経歴を生かしたその後の人生を築きました。西川の人生はこれとは対照的です。帰国後、原稿用紙3000枚をこえる旅行記を書き上げると、自身とはなんのゆかりもなかった岩手で化粧品のちいさな卸会社を起こして、年に364日その会社と家を往復する生活をなくなるまで続けました。1988年になって、新世界紀行というテレビ番組で、西川一三の旅路が紹介されましたが、この企画で本人が旅路を再びたどることを持ちかけられた時も、同じ所へ行っても仕方がないと断っています。 私自身が、同じようなチャンスがあった時に、そのような長い旅路をたどるような選択をして、それを生き延びて日本に帰ってこれるかどうかについては、まったく自信がありませんが、もし自分であれば、帰国後はきっと木村に近いような、経験をいかに生かすかを考えて生きるように思います。それゆえに、私がこの本を読んで西川一三の旅路とその後の生き方を尊く感じるのは、自分にないものへの憧れかとは思いますが、格好いい人生に思えます。 「深夜特急」の旅をして、それを本にまとめた沢木耕太郎が、西川一三の著作とその人生に興味を持つのは納得ができますし、最初のかかわりから25年を経てこの本をまとめられたことは、必然であったかもしれません。沢木耕太郎が西川一三を出版するに至ったことを祝福したいと思います。西川自身はすでに亡くなっていますが、たとえ存命中にこの本が出版されたとしても、彼自身はさして喜びもしなかったのかもしれません。出版された自身の旅行記も、木村の旅行記もほとんど読んでいなかった様子なのと同じように、この本も特に目を通そうとしなかったのかもしれないという気もします。それが旅の暮らしのなかで、繰り返し仏に対面した西川が得た、彼の哲学なのかもしれないと思いました。 | ||||
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人がなぜ旅に惹かれるのか?その理由の大きな一つが読めました。 | ||||
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本を読み、地図を見るとその時代の国々の情勢が伺えます。 | ||||
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