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(短編集)
寒灯
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寒灯の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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北町貫多が秋恵との同棲を始めたころからの短編小説4話収録のいわゆる秋恵もの。とても読みやすく、西村賢太氏がまだ芥川賞、受賞前後の作だが、短編とはいえ流れるような続きのような4話だと思いました。何度も読み返したくなりました。単行本「寒灯」の真っ白な表紙が美しい。シンプルな装丁も素敵です。 | ||||
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装丁とは裏腹の内容であった。なんだろう?この文章は?一体何を言いたいのだろうか?そういう疑問を持ってしまう。 | ||||
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貫多による、繰り返す不条理な怒りと言葉の暴力、そして、本当の暴力。 耐える恋人、秋恵さん。この構図がありながら、展開も想像が着くのに 何故か読んでしまう! そして、やっぱりなあ~、んんんんと言いながら、読んでしまう。 不思議な中毒性のある作風で、「暴力変態版の寅さん」という 感じです。今回は、「腐泥の果実」では、冷え行く貫多と秋恵の感じ が読み取れます。 | ||||
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理不尽極まりなくともエクストリーム描写は少なく秋恵の落穂拾いの趣。にも拘らず会話には一際爆笑の四編。 | ||||
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この作家の作品を読むのは2作目、 日本伝統の私小説家、 とはいえないような印象を持っていました。 非常に端正、古典的で折り目正しい文体、 そのなかの端々に自虐の態を装ったユーモアが軽妙であり、 作家のサービス精神に微笑まされます。 さてこの作品、作家が未だに恋慕するある女性との悲しい愛のものがたり。 ということなのですが、読んでいる途中で読者は不思議な感覚におちいるのです。 この作品は実は戯曲であり、読者は劇場のソファーに座りつつ、 その眼前では簡素な舞台装置、スポットライトを浴びながら 俳優が演じる愛の物語をじっと見つめている。 そんな錯覚というか印象を抱きました。 それにしてもこの女性主人公、実に素敵な女性です。 まるで一点の曇りもなく非の打ちどころのない、天使のようではないですか。 それを溺愛しつつも、なぜか不思議に湧きあがってくる攻撃性の荒波に飲み込まれ、 加虐的にいたぶる男性主人公、「なんてひどいやつなんだ」と観客は思うのでした。 しかし、なんと日本的なのでしょうか、この心美しい女性主人公は まるで「鶴の恩返し」のごとく虐待に耐えつつ、収入の乏しい男性を養っていく、 ある意味被虐、日本的マゾヒズムの精髄を観客は楽しむことが出来ます。 男性主人公も、投影同一視的に女性を理不尽にいたぶり攻撃しつつも、 愛の対象を破壊しつくした後に悔悛の涙に泣きじゃくるのです。 はてさて、「鶴の恩返し」であるならば「貴方はけして見てはなりません」 という殺し文句が出てくるはずなのですが。それは何なのでしょうか。 実は、これこそが作家が内に秘めたまま、けして読者に明かさない、 秘中の秘なのです。 「見てはならないもの」が作品中に記されてはいない、しかし何処かに書かれているはずである、と読者。 ですから延々とこの先も、作家はこのモチーフで書き続けることが出来るのでしょう、きっと。 実は、この「秘密」とは読者の心奧に息を潜めつつも、 数世代にわたって継承されしぶとく生き続けてきた何ものかなのですが。 と私的に読後感じたしだいなのです。 男性の加虐性の描写が、どこか作意が目立ちいま一つの感がありました。 その辺を総毛立つほどの迫真性が加われば、さらに魅力的な心の地獄絵図が出来上がるのではないでしょうか。 | ||||
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4つの短編からなる一冊。巻頭の「陰雲晴れぬ」から巻末の「腐泥の果実」までで、人生初の同棲生活から、別れて8年後の生活が収められている。どの話もエピソードは違えど、今迄に発表された秋恵との日記であることには変わりなく、感謝、暴言、反省のパターンである。 しかし巻末に、秋恵に逃げられてから八年後に当時の想い出の品と偶然遭遇し、その品をしみじみ眺めながら、改めて当時を懐かしみ反省し、できる事なら心から詫びてやり直せないものかと想いを巡らせる一編が有ることで、今迄の秋恵モノとは違う趣きの哀愁を帯びた一冊に感じた。 西村賢太はもう六冊目だけど、彼の古臭くも、なぜか読み易い文体に触れると、期待と安堵の入り混じった妙な心地良さを覚える。 | ||||
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これだけでも完成されているが、他の西村作品との重なりがあり、より味わい深いものになっている。 | ||||
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最後に収録されている「腐泥の果実」。秋恵と別れるきっかけになったエピソードだが、 どうも貫多の演出が過剰なような。いくら「我が儘に出来ている」とは言っても流石にこれは ないだろう、と。・・・別に常識に照らしてとかではなく、西村氏の小説を殆ど読んでいる ファンとしての感想。これだから私小説は難しい、ということなのかもしれないが。 その他の作品はそこそこ楽しめたので無類の貫多好きとしては賞味期限切れはまだ先と思いたい。 | ||||
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芥川賞受賞後の著者第一作品集。著者おなじみの秋恵もの4連発。 相変わらずのてだれた筆致で、女虐めのありさまが展開する。その、極めて自然にエスカレートする悶着のゆくえが、相変わらずの無駄のない達者な筆づかいで流れてゆく。否、従前よりもさらに磨きがかかってきた感すらある。その、バトル勃発の不穏な空気を湛えた会話の展開が、何ともいえぬサスペンスな期待を抱かせるとともに、叙述の文体がその会話の流れに歩を合わせるように、漢語混じりのきびきびと引き締まったものへと収束してゆくさまが心地よい。 細かいことだが、『陰雲晴れぬ』の二人の会話で、貫太が「また僕だけが嗤い者にされるじゃないか」と言うと、秋恵が「誰に笑われるっていうの」と返す場面の、漢字の使い分けなど、鴎外が知ったら泣いて喜びそうな肌理の細かさだ。 また、『肩先に花の香りを残す人』では、最後に相手の月のモノの臭いを嗅ぎつけ、邪な企みの矛先を無念におさめる様が漢語交じりのタイトな男言葉で描かれ、スタイリストとしての著者の面目躍如たるものがある。 こんな、言葉に対する丁寧で行き届いた扱いといい、本そのものの装丁といい、さらにはタイトルのセンスの良さといい、恰も老大家ここにあり、の風格が出てきたような気配だ(H23.11.3)。 | ||||
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私が一人の作家にのめり込むのは松本清張さん以来ふたりめです。 相変わらずの放蕩ぶりのあげくの自己反省、そして清造への思い込み の凄まじさ。もう痛快のワンパターン。西村ワールドをすべて 受け入れます。早く新作を読みたくなります。 | ||||
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貫多と秋恵の同棲生活を描いた短編集。 毎度の事ながら貫多の酷い行動振りが強烈に印象に残る。 それでも西村氏の私小説を読み続けるのは、貫多の持つ性格、つまり卑屈で卑怯、傲慢、我儘、短気な弱い部分に自分も思い当たるところがあるからかもしれない。 そうした人間の弱い部分に共感したり、批判したり、読者の心中を大きく揺れ動かすのが西村氏の私小説の魅力の一つだ。 それはかつて太宰治の「人間失格」を読んだ時の衝撃に似ているかもしれない。 また、独特とも言える文章も大きな特徴。 西村氏の作品を読み続けているため、最近ではこの文章に触れると、安心感すら覚えるようになっている。 誕生日を祝って腕を奮って豪華な料理を作ってくれた彼女に料理を作り直させたり、誕生日プレゼントの内容を批判したりする貫多の姿はまさに最低。娘を持つ親の立場でみると、自分の娘は貫多のような駄目な男とは絶対に一緒になって欲しくないといのが正直なところ(笑)。 | ||||
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秋恵もの、短編4篇を収録。表題作「寒灯」は、確か芥川賞受賞後第一作として発表されたものだと 記憶しています。 私小説作家西村氏の真骨頂は秋恵シリーズにあり、という意見もあるようですが 私は十代、二十代の貫多を描いた短編や、風俗嬢の登場するものの方がずっと好きです。 というのもこの秋恵もの、最初は笑って読んでいたのですが、ふたりの生活の実態が分かってくるにつれ、 だんだん笑えなくなっちゃったんですよ。 以下に述べることは、本作には描かれていないこともあるのですが、 秋恵さん、奴隷以下ですね。だって、奴隷は少なくとも衣食住をご主人様に保証されているでしょう? 秋恵さんは基本的な生活費を稼ぐこと、生活のための雑事(家事のことです)、2人分すべてやらされ、その上連れ合いの趣味(当時は食べていけないんだから趣味ですよね)を手伝わされ、ドメスティックバイオレンスを振るわれ、おまけに2人の生活を始めるための資金だって、秋恵側から出ている。ひどい搾取ですよ、これ。虐待もいいとこ。もしこれがアメリカで、秋恵が訴えるべきところに訴えたら、貫多は間違いなく手に縄がかけられますよね。1年も持ったなんて、秋恵さん、よく耐えた、偉い! 実家へ逃げ帰る道まで閉ざされたら、あとは他の男に頼る以外、ないじゃないですか。貫多自身が彼女の進む道筋をつけたようなもんでしょ。ざまーみろってんだ。 貫多は他人を骨の髄までしゃぶるように利用しつくす、まさに悪漢ですね。しおらしく反省してみせるところがあっても、ひどく情緒的な反省ばかりで、自分の本当の悪辣ぶりを自覚しているとはとても思えない。いつまでも秋恵との生活を忘れられないのも、初めて素人の女性が自分を好きになってくれてといっしょに生活できた、なんて甘い感想は本当は嘘。楽してたんですよ、楽を。あんな楽ちんな生活、後にも先にも初めてだったから、執着してるんでしょう。この悪党! あー、すっきりした。小説の主人公にこんな悪態ついたの、 この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (100周年書き下ろし) 以来だわ。あの時は辛辣すぎてレビュー公開を拒否されたけど。でも、これはOKだよね。だって、小説の登場人物だもの、貫多って。でしょ? 作者は長編に挑んでいるらしい。期待してます。だってファンですもの。 | ||||
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合いからず、理不尽で露悪的な魅力に満ちた作品となっていると思う。ただ、初期の様な、ドギマギさせられような破滅を楽しむ怖ろしさはなく、同じ主題を繰り返すことによる深みもない。言わば、今はその過程にいるのかもしれない。「腐泥の果実」にはその予感を感じさせれるものはあった。 | ||||
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震災後の国家の一大事というのに相変わらず思い切りどうでもいいような些末な事柄に終始。 無論、天下国家などとは無縁。 しかし、それはそれでおもしろいから困ったものだ。 極端に気の短い男とそのつれあいの掛け合い漫才。と書くと身も蓋もないだろうか。 発達障害の男の症例。といってもあながち外れてはいまい。 山田詠美が「大スター」と言っただけのことはある。 大器、である。 | ||||
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毎回、同じような内容なのに、まったく飽きさせないほど、西村さんの文章は秀逸です。時代は平成なのに、なぜか昭和40年代のような匂いを漂わせているのは、ひとえに西村さんの文学的筆力、知性の成せる技でしょうか。 今回も恋人「秋絵」シリーズですが、ひょんなことからキレまくり、ありったけの屁理屈を彼女に浴びせまくるシーンは、笑う場面じゃないのに、笑ってしまいます。 表題作「寒灯」では、大晦日に秋恵が彼(貫多)のために、年越しそばの出汁を鰹節から本格的に取ってくれるのですが、些細なことが引き金になって、癇癪を起こし、暴言を吐く。 「肩先に花の香りを残す人」は、タイトルが情緒溢れていますが、秋絵が中年男性が愛用する整髪料の匂いが気にならないと言うと、「頭も顔も悪く、そのうえ鼻も悪いときたら、取り柄がないじゃねえか、蓄膿女め!!」と無神経な事を口走る。 また「腐泥の果実」では、貫多の誕生日に、理由あって秋絵の帰宅が遅く、あまつさえ食事の時間も散々待たされ、「ビフテキじゃ腹の足しにならねぇよ、カツが食べたいから、パン粉を買ってこい!」とキレまくる。 キレるきっかけが、全くもって子供じみていますが、よくあれだけつらつらと暴言が吐けるなあ、とボギャブラリーの豊富さと頭の回転の良さに敬服してしまいます(笑)。 どうせ最後はキレてまた反省、この繰り返しですが、水戸黄門様の印籠の如く、「さぁ、そろそろキレるぞ、ほ〜ら、出たぁ!!」という感じで楽しませてもらっています。 西村さんがこの無尽蔵のエネルギーを発散できずに持て余し、苦しくならないためにも、今後も末永く私小説作家として、読者を魅了してほしいものです。 | ||||
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