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女の陥穽 御広敷用人 大奥記録1



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【この小説が収録されている参考書籍】
女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)

女の陥穽 御広敷用人 大奥記録1の評価: 3.57/5点 レビュー 14件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.57pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全3件 1~3 1/1ページ
No.3:
(2pt)

前シリーズとの整合性がなくて釈然としません

前シリーズで勘定吟味役だった水城聡四郎が御広敷用人に転じています。
すなわち物語として前シリーズから連続しているはずですが、8代将軍吉宗誕生の裏にあった暗闘や大奥を震撼させた絵島生島事件の真相の説明もまるで異なります。
ラストでそれまで執拗に狙われていた伊賀者から、もう狙わないと宣言されたのに、新シリーズではまた狙われてるし、京に行くのは2度目なのに初めてみたいになってるしで、継続するシリーズとしては整合性に欠ける部分が多すぎることがどうしても釈然としません。
好きな作家さんだけにとても残念です。
女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)Amazon書評・レビュー:女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)より
4334764053
No.2:
(1pt)

これは続編だったのか。

途中から読んでしまったが、前作で、勘定吟味役をしていたのが、大奥の係へ。で、女と伊賀者がライバルで、争っていくような展開へ続くのか。話が続くことが前提だろうから、一巻だと大きな展開がなくて面白くない。売れる作家が、最初から長期連載の前提で本を出すのはマンガの手法っぽい。
女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)Amazon書評・レビュー:女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)より
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No.1:
(1pt)

やたら初歩的レベルでお勉強不足が目立つよ

前シリーズを読んでないので、こちらの作家さんが、どのように八代将軍徳川吉宗が宗家を継承するまでのストーリーを組立てたのか解らないのだが、本書を見る限り、ずいぶん無茶なこじ付けをやっているなぁ〜というのが率直な感想。
  もちろん、小説のことなので、たとえば「山本周五郎」さんの『樅の木は残った』の「原田甲斐」や、『栄華物語』の「田沼意次」のように、これまで通説では悪玉視されてきた人間の評価を、すっかり引っ繰り返すようなのもあって結構だと思うが、読んでみて、それほどの強い意欲も感じられないし、プロットの組立ても甘いうえ、加えて時代考証ミスや歴史事実についての不勉強が、やたらと目立つのが残念。
  あまりジクジク穿り返すのは好きではないが、幾つか拾ってみると、
  『根来修験が表に出たのは、天正のころじゃ。織田信長にさからって、散々にその軍勢を翻弄した……』と。
  しかし、根来宗徒は「織田信長」とは協力関係にあったのであり、根来衆が敵対したのは「羽柴秀吉("小牧・長久手の戦い"のとき、根来は、徳川家康・織田信雄連合軍に組して秀吉方に敵対した)」。
  『(志摩国)鳥羽を過ぎれば、そこは紀州藩領……」も間違い。
  すでに「伊勢松坂」から紀伊徳川家領だし、幕領の「宇治山田(現、伊勢市)」を挟んで城下町「鳥羽」は紀州へ向かう道筋から大きく外れている。
  『当初は伊賀者の独壇場であった……』は、土偏の「壇」ではなく、手偏の「独擅場(どくせんじょう)」だね。
  土壇場(どたんば)とごちゃ混ぜ? ちゃんと辞書くらい引きなさいな。
  『 「どうした」姉小路の顔色を見た天英院が訊いた。「お方さま…」 』っての、思わずプーっと吹いちゃったよ。
  仮にも前々将軍徳川家宣公の御台所(正妻)さまで、落飾したとはいえ「従一位・天英院近衛氏」を捉まえて、御局さまか何かの御殿女中じゃあるまいし、「お方さま」って呼び掛けはないよな。ここは江戸城大奥の筆頭者らしく、やっぱり「御前さま」というのが適当だろうね。  
  『 「右近将監どのは、かつて館林家(間違い。正しくは甲府家)の家臣越智の家に養子に出され、越智姓を称していた』 綱條が続けた……」ので、「天英院」が推した「松平右近将監清武」は将軍になれなかったというが、現に、清武の実兄・6代将軍「家宣」も、甲府徳川家の家臣「新見備中守正信」の養子に出されて「新見左近」を名乗っていた時期があった。「かつて養子に出された」のが理由で「松平清武」が八代将軍を継承できなかったわけではない。
  拾ってゆくと切りがなくなりそうなので、この辺で止めるが、だいたい「伊賀者」や「お庭番」などの「隠密」を、ドロンドロンの「忍者」なんかと混同しているようではねぇ。
  この種、やたらに詰らない初歩的ミスが頻出するのにはガッカリさせられたね。
  こういうのって、出版する前に、作家仲間さんたちの輪読会かなんかで読んでもらい、少し叩いてもらって灰汁を抜いてからプリントの運びにしても遅くないのではないかと思うな。
  追伸.)八代将軍の地位が紀伊家の「徳川吉宗」に転がり込んだのは「六代将軍徳川家宣」の遺言があったからだ。
  薨去する直前、家宣は、数え年4歳の息子「鍋松(七代家継)」では、とうてい将軍職は勤まらないので、尾張家の「徳川吉通」に七代将軍を譲ろうと考えたのだが、側近の「新井白石」が「お家騒動になります」と諫止したのが、ことの発端。
  そこで家宣は、では「鍋松」に七代将軍を継がせるとして、『もしも「鍋松」に万一のことがあったときは、尾張家の「五郎太(吉通の息子)」か、紀伊家の「長福(吉宗の息子。のちの九代将軍家重)」に継がせることにせよ』と言い遺して亡くなったという次第。ところが「鍋松」あらため「七代将軍徳川家継」が数え年8歳で夭折した時、すでに尾張家の「徳川吉通」も「五郎太」も共に死去していて、けっきょく八代将軍のお鉢は、紀伊家の「長福」にまわって来たと思し召せ。
  だから、疑うべきは、ほんらい八代将軍となるのは息子の「長福」であって父親の「徳川吉宗」ではなく、「吉宗」の役割は「将軍後見」だったはずなのに、「吉宗」が「長福」に代わって将軍に座ってしまったこと。
  じつは、六代家宣の正室だった「天英院」が、「幼児の将軍はだめ」と、「将軍後見」でなく「将軍」そのものに就くよう「吉宗」を強くプッシュした結果だった。「八代吉宗」は、じつは「家重」に将軍位を繋ぐ中継ぎの将軍だったってわけね。
  血統的に遜色のないはずの尾張家の「徳川継友」や、六代将軍家宣の実弟「松平清武」に、八代将軍の地位がまわらなかったのは、家宣の遺言に2人の名前が挙げられていなかったせいだった。
  江戸時代における「遺言の重み(後継者を指名するさいの家父長権の強固さ)」というのを承知しないまま、現代人の常識で想像力ばかりを働かせると、このへんの歴史的経緯を読み違えることになる。史実や通説を理解したうえでなら、小説作家が、独自な創作を史実に加えるフィクションも結構だと思うが、歴史上に実在した人物を小説中に借りて書くならば、やはり、そのへんの時代的なリアリティーも大事にして欲しいなぁと思った。
  そういう縛りを乗越えてこそ、時代小説を書くことに「書く醍醐味」というのがあるのではないか。
女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)Amazon書評・レビュー:女の陥穽―御広敷用人大奥記録〈1〉 (光文社時代小説文庫)より
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