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戦艦武蔵
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戦艦武蔵の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全91件 61~80 4/5ページ
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BS朝日の「にほん風景遺産」で佐世保を放映した時「戦艦武蔵の艤装は佐世保で行った」という話がありました。武蔵は長崎で建造されたことは以前から存じておりましたので、この話に違和感を感じました。しかし、この本を読んで動力部分が佐世保で艤装されたことを知りました。 吉村昭氏の本は「高温隧道」がきっかけで読み始めましたが、いずれも歴史上の調査が実に詳しいのに驚かされました。 「三陸大津波」もとても良い歴史書と思います。 | ||||
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同じような題材でも、著者がどのような目線でモノを見るかで著述は変わります。前間氏の技術論に対し、吉村氏は人間論。そんな感じがします。だからこそセットで! | ||||
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私の父から、某帝国大学造船学科在学中、 長崎での武蔵の建設に学徒勤労動員で関わった話を聞かされていた。 この作品を読むまでは、私自身、武蔵に関しては、なんの活躍もしないまま、 撃沈された、非論理的“愚行”の象徴として馬鹿にしており、 父にもそのように話をしたことを覚えている。 しかし、私も、この作品と出会うことで、この認識を改めた。 本作品で、吉村氏は、日本帝国海軍の夢と野望を賭けた「武蔵」のその誕生と 終焉を愚直に追いかける。 しかし、吉村氏の高い表現力を持って描写されると、空前の巨大戦艦の、 どこが凄いのかということが、手に取るように理解できる。 主砲46センチメートルから発射される爆風の凄さ、 千を超える水密区画と、それを制御し船体を水平に保つシステム等々、 船を支える技術の凄さ、それらの意味を一つ一つ解説されると、船の持つ性能が、 圧巻としか言いようがないものであったことがわかる。 これらは、超えないといけない様々な技術的な壁を乗り越えて達成されてきたものであった。 すなわち、このような戦艦を作成する世界最高の技術が日本にはあったのだ! ちなみに、武蔵、大和に採用された水密区画構造は、その後、沈没しにくい船を作る技術として、広く世界中の船に採用されるようになり、 この技術の採用により、海難事故が激減した。 すなわち、大和、武蔵という戦艦にむけて開発された技術は、海運業の世界の安全性を高め、広く人類に貢献した技術になった。 作品後半では、「武蔵」の終焉が語られるが、様々な比喩を用いた、 圧巻の描写力で、読者は、戦闘のまっただ中に立たされる。 そして、援護も受けられないまま、これでもかという空爆を加えられ続け、 ついに浮沈戦艦とされた巨艦も静かに沈んでいく。 この時、私は、武蔵をいきもののように感じ、限りない いとしさを感じた。 日本は戦前、徐々に技術大国に躍り出ようとしていた。 戦時中、この武蔵のように世界最高の兵器を創出するために、 世界トップを目指し、その技術力に研鑽を積み重ね続けた。 戦争には負けたが、戦後、それらの磨かれた高度な軍事技術が民間へ放出され、 戦後の日本の発展の礎が築かれたのだ。 猪口艦長が最後に残した言葉、 我たおるるとも必勝の信念に何ら損する処なし。我が国は必ず永遠に栄いくべき国なり。 皆様が大いに奮闘してください。 僕らは、バブルの時代に、祖父たちから、渡された大切な命のバトンを落とし、地面にたたきつけ、 踏みにじってきたのではないのだろうか? そんなことを強く感じ、言葉に出来ない感謝を先人たちに感じ、涙が止まらなかった。 傑作です。皆さん、必ず読んでください。 ちなみに、私は、より具体的なイメージを得るために「戦艦「大和」の真実」を参考にしながら、本書を読みました。 PS: 本日、フィリピン中部沖シブヤン海の水深1キロに沈んだ武蔵が発見されたというニュースが伝わってきた。 戦後70年目の年である。 戦死された英霊から、私達のことを忘れないでほしい、 そして、日本を立派な国として栄えさせるよう、皆さんで精進してくださいといわれている気もした。 戦後の教育を受けた僕らは、戦時中のことはすべて愚行だと馬鹿にして、 さらにいわれのない罪を先人たちに押し付けることに熱狂して、 真摯に英霊たちの声を聞いてこなかった。 そのことが本当に悔やまれる。 | ||||
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素晴らしいです。実に緻密で精力的な取材を重て書かれています。筆者の個人的な思いは文中では殆ど直接的には語られず、全体を読んで読後に何万人もの関係者の思い、情念の固まりが武蔵という船に具象化されて私の心に立ちはだかるような、異様な熱さを感じました。吉村先生は、戦後最大の作家だと思います。 | ||||
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もう亡くなった私の父は、昔、三菱長崎造船所で働いて居て、この「戦艦武蔵」の建造にも参加して居ました。父から聞いた事の詳細が本を読んでよく判りました。 | ||||
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新版 ナガサキ―1945年8月9日を読んで、この作品を手に取りました。 戦争とは、このようなものだったと、淡々と、飽くまで淡々と。 武蔵と名付けられるにいたった、第二号艦の誕生から、最期までを 語りつくす。 「殊に九門の主砲が一斉に発射された場合には、強烈な爆風が艦の 全面を覆、乗組員の肉体はあとかたもなく飛散してしまう。」 「甲板上におかれた測定器は、爆風の圧力が人体には到底耐えられ ないものであることを示していた。そして、甲板上から集められた籠の 中のモルモットも、多くは内臓を露出させ、眼球を飛び出させていた。」 46センチ砲を積んだ、艦長263m、最大幅38.9m、7万トン、40cmの厚い 鋼鉄に守られた戦艦とは、狂気なのか、英智なのか、執念なのか。 物語は、最後の10ページに、一気に凝縮します。 全ては、読者の判断に委ねられます。 100点。 見事です。 | ||||
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ミステリータッチの導入部。昭和12年(1937年)7月。九州一円の漁業界が気がついた棕櫚の繊維の消失。海苔の養殖のために必要な網の製造に使われる棕櫚の繊維が市場に全く見当たらないという。この事態は、実は長崎造船所で極秘のうちに進められていた巨大な戦艦の造船によって引き起こされたものであった。 戦艦の規模は、艦の長さ263メートル、最大幅38.9メートル、重油満載量68,200トン、主砲46センチメートル、速力27ノット(時速50キロ)など、当時としては考えられないものであった。この規模の戦艦を、日本帝国海軍の威信をかけ、海外の国々にはもちろん、国内でも誰にも知られないように完成させる。そのために造船中の船台の遮蔽(目隠し)に棕櫚縄のスダレをかけることが発案され、それが市場で買い占められたのである。 この戦艦の名は「武蔵」。時は第二次世界大戦に入る直前、起工式は昭和13年3月も末のことであった。本書は戦艦「武蔵」の造船、並行して呉造船所で進められていた戦艦大和の造船のプロセスが細かく、記述される。この間、完全極秘。建造担当の技術員や労務者にたいする身元調査、機密護持のためにとられた拷問を含む苛酷な措置。しかし、完成したものも「武蔵」はあまりにも巨体であること、戦争の形態が航空主体に変化しつつあったことなどもあって、特別の活躍の場(?)もなかった。不沈といわれた武蔵は、昭和19年(1944年10月)シブヤン海にて米軍の爆撃、魚雷の集中砲火を浴び撃沈された。 著者は昭和38年秋に友人のロシア文学者泉三太郎から戦艦「武蔵」の建造日記を借用し、当初はさほどの関心もなかったが、次第に戦時中の異常な熱っぽい空気が紙面から吹き上げてくるように感じて、「戦争そのものの象徴的存在」である「武蔵」の建造から壮絶な終焉までを書く気になったと「あとがき」で述懐している(pp.270-271)。 「解説」で磯田光一氏は、「『戦艦武蔵』は、極端ないい方をすれば、ひとつの巨大な軍艦をめぐる日本人の”集団自殺”の物語である」と言い切っている(p.275)。 | ||||
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この作品は薄い文庫本にまとまっているが、これを書きあげるまでにはこの百倍以上の資料が積まれたんじゃないかと思う。 ほとんどの読者同様、船の設計・建造に門外漢から始めた筆者は、多くの資料や現場・関係者への調査を積み重ね、紙の上に完全なる武蔵を造り上げた。 恐れ入るのが、凡百の作家なら調べた労力と時間とカネが惜しくてつい不必要な資料・あるいは人間ドラマを入れて作品を膨らまし、結果的に陳腐な作品に仕上げてしまうところを、この作者はそんな誘惑は最初からバッサリと切り捨てて、調査の労力すら作品中には匂わせない。 なるべく平易で明瞭な言葉・構成をもちいて船をひとつ造り上げる複雑な工程を的確に描写し、読者の興味をそそる形で呈示する。 また、あんな大きな船を作る小説を書こうと思うと、とっかかりが無い事にはまとまらないから、まず設計技師なり現場監督なり一人の登場人物に焦点を絞って書き上げるのが王道だが、あくまでも船を取り巻く人間のエネルギーと、その徒労に終わる運命を読者に傍の特等席から見せる形をとっている。 幾人か登場人物はあるものの、ごくあっさりとしか人間像は描かれず、焦点はあくまでも船、それで最後まで苦もなく読ませるから、恐ろしい筆力だと思った。 当時武蔵に注がれた一流の技術者たちの仕事に、作家として一流の仕事で返したすごい作品。 個人的にも、吉村昭の長編を読んだのは二作目だけれど、一生読める作家に出会えた気がして嬉しかった。 | ||||
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莫大な資金、資材、労力を投入、最新の造艦技術によって建造された世界最大の戦艦武蔵。しかし、一度もその威力を敵に見せ付けることく、ほとんど初陣とも言える戦い(それも決戦とは程遠い)であっけなく沈没。航空戦が主力となった太平洋戦争中期、大鑑巨砲主義の象徴ともいえる武蔵はすでに時代遅れだった・・と言うのは易しいのですが、果たしてそうでしょうか。六度にわたる米機の集中攻撃(第二次以降は武蔵を狙い打ち)で、計20個の魚雷、18個の爆弾を撃ち込まれて「やっと」沈んだ武蔵を、米軍はどう思ったでしょう。第5次攻撃まで速力22ノットを維持。魚雷20個中11個、爆弾18個中10個が第6次に集中。なかなか沈まない武蔵に、米機のパイロットも恐怖したのではないでしょうか。これぞまさに不沈戦艦の名に恥じない大健闘だった!と思いたい。 本書は英文版 戦艦武蔵 - Battleship Musashi: The Making and Sinkingとして、米アマゾンでも多くのレビューがついているようです。最近は日本人にでさえ忘られそうな感のある武蔵ですが、アメリカでも本書が読まれていると知と、何となく明るい気持ちになります。 | ||||
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吉村昭の出世作であり、代表作の一つ。多くの関係者に会って証言をとり、一次資料に当たって事実をつかむというスタイルを固めたという意味でも、吉村昭にとって非常に重要な作品と言える。 戦艦という“モノ”を主人公に据えつつ、作者が描いたのはそれに関わった数多くの人間(造船所関係者、軍・警察関係者、長崎の人々・・)の姿であり、戦争が生み出す狂気である。あの戦争が根強く続いたのは、無数の人間たちが示したエネルギーがあったからだ、という作者の信念を、この作品は明らかにするのである。 本書のメインとなっているのは、空前の巨大戦艦を建造するプロセス。三菱重工の技師や工員を始めとする人々が心血を注ぐ様には驚かされ、ドキドキし、時には呆れるような思いにもなる。次々に訪れる試練をどう乗り越えていくのか?巨大な船体をどうやって無事に海に浮かべるのか?まさに「プロジェクトX」の世界そのものだ。 読み終えて冷静に振り返ってみると、多くの人達の膨大なエネルギーが戦争に向けて投じられたことが良く分かる。自らの考えを前面に出すのではなく、事実を淡々と積み上げていくというスタイルゆえに、かえって読者は戦争について考えさせられるのではないか。これが吉村昭の「戦史小説」の特徴であり、大きな魅力だろうと思う。 ※本書の執筆動機や取材・調査について書かれた『戦艦武蔵ノート』も読む価値あり。 | ||||
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武蔵と言えば、大和の兄弟艦で、ほとんど活躍の機会なく沈んだという知識しかなかった。 その前提として、すでに空母ー戦闘機が先述の中心となっていたのに、時代錯誤とも言える海軍の大戦艦主義をもとにして造られた、徒花というか、マンモスのような存在だったと広く認識されている。 著者はこれに沿って、武蔵の構想から始まって建造過程、無為に過ごす戦時中、そして最後までを細かく描写している。 その筆致は終始抑えられたもので、かえってそれが圧倒的な迫力をもって読者に訴えかけている。 1960年代の著書であり、武蔵なみに重量感がある小説である。 著者が好きになったきっかけの作品。 | ||||
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淡々と武蔵建造から沈没までが書かれています。 人を中心に書くのではなく、戦艦に焦点を置いている書かれ方でそれがまた良いです。 戦艦が中心だから、どこかに共感する事も無く、ただ武蔵の一生がこんなにもあっさりしていて尚且つ虚しく感じられます。 零戦についての本も読んだのですが、極力モノに焦点を当てる書かれ方をしているように感じられました。 でも、武蔵も零戦もその書かれ方だからこそ感じるモノがあって、読んで損は無い作家さんだと思います。 | ||||
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日本が世界に誇る巨大戦艦。その建造から終焉まで。 感情を挟まずに坦々と描き,飾らないが故に,或る人には退屈に感じるかもしれません。 しかし,細部に至るまで調べ上げ,構築された文章からは,時代の空気感や背景までもが感じられた。 どちらかというと,建造の方に多く頁が使われており,その終焉は,あまりにもあっけなくてはかない。 遂にその力を発揮することなく沈んでゆく巨大戦艦の最後の姿に日本海軍の終わりをみた。 | ||||
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武蔵は大和の陰に隠れた目立たない戦艦で、終戦間際まで戦い抜いた大和と比べて、武蔵はあっけなく沈められたという誤った知識しか持っていませんでした。しかし、この本との出会いで私の考えは一新されました。 規格外の超巨大戦艦を秘密裏に建造する。 この困難な事業に対して、当時の技術者達が「如何にして成し遂げるか?」を徹底的に考えて、ささいな事でも出来る事は妥協することなく実行していく姿は胸を熱くするものがあります。 巨大戦艦から航空機へと戦術が変化する中で、期待を込めて造られた武蔵も運用すること自体が負担であり、戦局が悪化していく中で戦果を上げられずに、いたずらに重油を消費しながら走る武蔵の姿は侘しさを覚えます。 不沈艦と信じられていた武蔵も、容赦のない米軍の攻撃を受けて満身創痍になりながら撃沈していきます。 4年以上かけて造った船が1日の戦闘で破壊されていくさまと、3千名以上の乗員が死んでいく状況は凄惨としかいえません。その様子を冷静な事実描写で表現する吉村先生の文章は「冷たさ」よりも、戦争の「愚かしさ」、「悲惨さ」を感じさせてくれます。 武蔵を感情的に美化、擁護、批判などをして読者を引き込むのではなく、克明な状況描写で武蔵に関わった人々と同じ高揚感や寂寥感を味わわせてくれる吉村さんの文章は、40年経った今でも色あせない名作です。 | ||||
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国家機密、極秘指令によって、長崎の三菱ドックにて2号機が建造される。呉では1号機が建造されている。ドックの中の人にも全体像は明かされぬまま建造がはじまる。周辺は高等警察が徘徊する。長崎の町は入江ではあるが、小高い山もあるため、軍艦を隠すのも難しい。今話題のグラバー邸も登場し、警察が摂取することもある。1枚の設計図が無くなった。大変なことになる。大騒ぎであったが、解決した。ひっそりと関係者が消えていく。巨大な戦艦を表すのに鋼板の厚さと砲口の大きさ、全長の長さが表現される。ピンとこないが大きいのは確かだ。 | ||||
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戦時下においての戦艦武蔵はまさしくウドの大木であった。日本海軍が理想としていた洋上決戦での勝利と制海権取得による勝利の方程式は、皮肉にも日本軍が行った真珠湾攻撃によって戦闘機による制空権の制覇に移行していた。武蔵が竣工した時にはすでに日本は太平洋の制空権を奪われ石油が手に入りにくい状態であり、無駄に油を消費することを恐れて武蔵は戦闘にも参加させられなかった。反面、「不沈艦」の異名を持つ武蔵は帝国海軍の誇りでもあった。しかしたった一回のそれも半日足らずの戦闘で武蔵はあっけなく沈没してしまう。これだけの史実を見るとウドの大木と言われても仕方がないが、武蔵が建造されたのが海軍工廠ではなく民間の三菱重工長崎造船所であったことに意義がある。戦後の重厚長大産業を支えたのは三菱などの財閥系の重工や造船であり、そのノウハウは武蔵を造ったことで育まれた部分は多くある。本書は戦艦武蔵がどのように戦ったかではなくどのように造られたかに重点を置いている。読み方によっては工業立国日本の基礎をつくった人たちの記録でもある。すべてが秘密裏に行われた計画だったにもかかわらず、よくぞここまで克明に建造にいたる経緯を掘り起こし記録できた筆者に改めて敬意を表します。 | ||||
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戦艦大和はわりとメジャーですが、二番艦武蔵の実態はあまり世間には知られていません。 というのも、建造時は恐ろしく秘匿性が高かったうえ、竣工して試験運転されていた時も秘匿性の高さは変わらなかったから。 その戦艦武蔵ですが、吉村昭氏によって文面で大きく復活させられたのが、この「戦艦武蔵」です。 建造当時の極秘裏開発のエピソードは、“隠しカーテン”となる棕櫚のかき集めに始まり、 進水式〜艤装工事に至るまで克明に、かつダイナミックに描かれています。 一見「建造話」という名目からして地味に思えますが、当時の日本海軍によって「いかに巨大な戦艦を完全極秘裏に作り上げるか」をスリリングに描き出し、 物語後半の「実戦投入話」に負けず劣らずの魅力が秘められています。 実戦だけが「戦争」の話ではない。一隻の船の誕生前夜に至るまでも「戦争エピソード」なのだ。 それをこの本は深く語っているように思えます。 | ||||
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「戦艦武蔵」子供のころ戦艦が大好きでした。大戦艦の時代は終焉を迎えているにも関らず、大戦艦を建造し、戦争に突き進む日本。建造する技術者たちの苦労は想像を絶するものだったのでしょう。秘密裏に建造されるため、一般人への取り締まりを強化することで、人間は見てみぬふりをし、密告制度により一般人全てが憲兵隊化してしまう恐ろしさ。 働く場所に恵まれず、トラック諸島での訓練だけの日々。 最後の戦いの場面は、頭の中で爆弾が破裂する音、兵隊の叫び声、敵機の音、血の匂いなどが 炸裂します。戦争はかっこいいものでもなく、悲惨なものであり、してはいけない行為なのであることを吉村作品を読んで理解すべきです。 爆撃をうけ、傷つきながらも戦う武蔵は戦艦ではなく生き物のようです。 | ||||
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歴史に疎い私ですが、吉村昭氏の歴史物はわかりやすく、 非常に勉強になっています。 臨場感にあふれる巧みな文章、執念ともいえるべき 数十回にわたる長崎への入念な取材・・・。 この本を読んで益々吉村昭ファンになりました。 | ||||
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戦艦大和は広く知られているが、同型艦である武蔵のほうはそれよりは知名度が低い。 本書はその武蔵の建造を中心に最後までが綴られた本。 同型艦ながら、製作場所・組織が違う点で、武蔵の建造には興味深いエピソードが多く、それらが緻密な取材によって描かれている。 いろんな困難を、当時から優れた日本人の創意工夫・工作技術には誇りを感じる。 (大和は呉の海軍工廠で、武蔵のほうは民間である三菱で作られている。) 自ら切り開いた航空戦力の時代と巨艦巨砲時代の終焉に、 最後まで抗するかのごとく存在した史上最大の戦艦の物語。 | ||||
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