色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

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評判

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価:

3.41/5点 レビュー 1,022件。 B ランク

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平均点3.41pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全562件 461〜480 24/29ページ
No.102
(4pt)

つくるの色は黄色だったら良かった。

今回の村上作品をミステリー小説として面白く読了しました。
他のレビュワーが指摘してない点ですが、興味深かったのは陰陽五行説あるいは仏教の五色に
基づく色彩設計がこの小説の読解の鍵と思えました。
このレビューのタイトルもそれを考えるとおそらく納得できるでしょう。
多崎ではなくは黄川田とか黄金崎とかの姓であればつくるは人生が歪まなかったのではないかと
感じました。
またその歪みの解決も色彩問題の整理でしたね。
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4163821104
No.101
(5pt)

不可逆、そして狭間。

2度と同じ日は繰り返さないという不可逆性。でも昨日と同じ日が繰り返すと錯覚して僕らは生きている。錯覚なしには生きられない。
複雑に絡み合った関係性の狭間。そこだけが自分の居場所であるという覚悟は、過去になった日々が全て消え去りはしないと思い込むからこそ持てるのだろう。
不可逆な人生にささやかな希望が見えた。
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4163821104
No.100
(5pt)

交響曲

まるでチャイコフスキーの交響曲のような小説です。
ゆっくりと穏やかにそして強く深い。
今までの作品も好きですが、違いはあるにしろ紛れもない村上作品であり、この作品も好きです。
ノルウェイの森は好きとか嫌いとかずっと意見が分かれ語られてきましたが、この本も同じように語り継がれる作品のようにも思われます。
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4163821104
No.99
(5pt)

とても面白いです

とても面白かった。こんなに面白い本は久しぶりに読みました。
ねじまき鳥の頃の文章に近いものを自分は感じました。
1Q84を読んだ時に「村上春樹はもう現代を描かないかもしれない」とちょっと思ったのですが、杞憂でした。
とても同時代性のある物語で、リアルです。ラストがとても良いです。
どうしてこんな話を思いつけるのでしょうか。凄いことです。
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4163821104
No.98
(4pt)

村上春樹のアドリブ演奏を文章で堪能する

小澤征爾氏との対談本を読んでいらい、彼の作品にでてくる音楽作品に興味をもつことは当然ですが(彼がJAZZ喫茶をしていたゆえに音楽に詳しいということだけではなさそうですが、クラシック音楽にも圧倒的に詳しいのはすごい!)、彼の文章のリズムを最近気にしています。今回の作品は、まさにアドリブの妙、自由にそしてリズミカルにストーリーが展開してます。名人芸ですね。
作品に関して音の話題をひとつとりあげるなら、フィンランドを主人公は訪問しますが、フィンランド語と名古屋弁は音が似てるといわれてます。村上春樹は、そこまで細工したのでしょうか。でも、無関係でないような気がします。つくるがヘルシンキについてから、名古屋弁のみゃあ、みゃあ響きを思い出さした(笑)色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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4163821104
No.97
(4pt)

足りないものを埋める、それが村上春樹の物語の目的

村上春樹の作品ですっきりとした読後感を感じたことは無い。長編の作品はほとんど読んだが終盤から最後にかけての物語の流れは割とパターンが決まっていて、とりわけ主人公の内省が最後まで続き外面的な“結果”を書き切らない事が多い。今回の作品もその例に洩れず村上春樹らしい作品だと感じた。 そのような作風は小説を読み終えた後特有の余韻よりも割り切れない結末と煮え切らなさを感じてしまい好きになれない。しかし私はそれでも村上春樹の作品を読み続ける。ひとえにそこには言葉によって作られた彼の物語を“読む”という行為そのものにたまらない心地良さを感じるからだ。「村上春樹の作品には治癒能力がある」と何処かの精神科医が言っていたような気がする。 彼の物語には必ず“欠陥”を持ったものが登場する。そしてそれは何らかの手段や方法を経て解決へ向かう事になる。私はそこに言い知れぬ希望の形を感じるのだ。なぜならその“欠陥”は私の中にも内包されてる登場人物と私の共通項出あるように思えるからだ。それは普段言葉にならないような些細なものであるが故に可視化されることがなく自身も気づく事の無い僅かな“欠陥”かもしれない。しかし彼の物語の中ではそのような些細な“欠陥”はやがて大きな破滅をもたらす引き金となる。だがその破滅はまた他の誰かの中に内包されているある性質、要素により中和されたり解決へ向かう事になる。そのどれもは物語の中に登場するものである。言い換えればあらゆるものは何かを始めることも終わらせることもできるということであり、そのために必要な全てを揃えることで村上春樹は物語を作り上げているのだと思う。 この作品にもあらゆる要素が登場する。そこには苦悩を続ける主人公が彼の“欠陥”を埋めるために決意と行動が描かれている。私はこの物語に何か足りないものを埋め合わせる心地良さを感じた。
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4163821104
No.96
(5pt)

著者の新境地に拍手!

今回の新作は文藝春秋からの出版ということで、私はあるひとつの固定したイメージを持っていました。それは、中編規模の作品で、大作というよりはむしろ周縁に位置する作品であるが、重要な出来事に作者が強くコミットして書き上げた作品であるというものです。『約束された場所で―続アンダーグラウンド』とか、『TVピープル』とかの短編小説、インタビュー集などです。特に、オウム事件の被害者と加害者の両方に取材し、この事件に関わりを持った人々の人生がどのように変わったのか、この点に着目して作者が書き上げた秀逸なルポタージュ作品です。
 
 私は今回の新作は、オウム事件のような命に関わる重大な事件に巻き込まれた人々、またはそれと関わりを持った人々の人生がその出来事によってどのように変化したか、またその出来事によって受けた心の傷に対してどのような態度や決意を余儀なくされたのか、という問いに対する著者のひとつの返答ではないかと感じました。

 この作品は友人4人に裏切られ、心の傷を背負った主人公の立ち直りと再生の旅(巡礼)を描いた作品です。裏切った人々にはそうすべき決定的な理由がありました。しかし、そのような態度決定が友人関係の解消、それぞれがそれぞれの人生を歩むべき方向性を決定したのです。サルトルの言葉を借りれば、ある一つの態度決定・意志決定(アンガージュマン)が、意志決定した主体に対して、そうした意志決定に対する「責任」を課すことになるということです。意志決定は自由ですが、そのことには必ず責任が伴うのです。この新作では、裏切りに対する責任が友人達に別々の道を歩ませ、そのことに対する心の傷を負わせる結果になったという点です。これがオウムの加害者が取らねばならない重い責任につながります。一方、被害者である主人公多崎つくるも、心の傷を消し、自殺をやめ、新たな生きる目標を探す旅に出ることが、彼が自らの意志で選んだ生きる道であり、裏切りから立ち直りたいと決めた意志決定に対して、彼が果たさなければならない「責任」なのです。

 このように新作を理解することで、私は著者の意図を何となく理解できたような気がしています。そしてこの作品のモティーフになった意志決定と自己責任が、次回の長編=大作に何らかの形で継承されていくのではないかと期待しています。それは新潮社から出版されることになるでしょう。

 残念なのは、シリアスな内容である反面、今回の作品にはエンターテイメント性が不足してしまったことです。そして、もうひとつは、「物語性」もまた友人女性の妊娠と死以外には特に見られなかったことです。この点も次回に期待し、著者のさらなる飛躍を期待して感想を締めくくりたいと思います。
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4163821104
No.95
(5pt)

村上氏の人間観察力

3年ぶりの新作ということもあり、読む前から期待が高まっていました。読んだあと、ああ、村上春樹さんは、きっと他人に入り込むのがうまい人なのだ、と、改めて感動させられました。
今回、主人公は30代の男性、団塊ジュニアと呼ばれる世代です。
村上さんの作品で、その世代の主人公は初めてだと記憶しております。(1Q84はもちろん、80年代の30代だし、カフカは15歳の少年でしたがどこか現実離れした話でしたし、他は村上さん自身の年代、という印象が強かった)
そこで私は、団塊ジュニアの世代の方々が、村上さんの周りに多く出現するようになった、
仕事や、プライベートでも、だから主人公にしたのかなあ、と感じました。
そしてきっと、村上さんはすぐに親友になれる方なのかなあ、と。親友くらい仲良くならないとあそこまでその世代が感じていることを文にできません。
それとも、村上さんには何か人の心を読み取る、魔法のような力があるのでしょうか…。
残念ながら、私は現在23歳ですので、本当の団塊ジュニアの方々は「いやあ、あんなんじゃないよ」って思われてるかもしれません。
主人公は私の従兄弟と同じ歳です。そして、団塊の世代というのは、自分の親が嫌いで、自分の親のようになりたくないから、あまり教育熱心ではない人が多かった、と聞いています。(私の従兄弟の偏見だとは思いますが。)
自由にされすぎていたことで、夢がわからなくなって楽しく仕事をしていなかったり、
ずっと、フリーターをやっている団塊ジュニアの方が私のまわりにはたくさんいらっしゃいます。
その方々のことを思い出して、ああ、村上春樹さんはそれを書いたんだな、すごいなあ、と感じ、
私たちゆとり世代を主人公にする日は来るのかな、と楽しみになったりもしました。
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4163821104
No.94
(5pt)

何も変わらないともいえるし、変わってしまったともいえるけど

随分読みやすく、わかりやすくなったなあと感じました。多くの人に読まれるということを少しは意識するようになったのかもしれないし、なんとなく昔からのファンの人が残念におもう気持ちもわからなくもないですが、それでも僕はとても楽しく面白く読みました。同じものを同じように書き続けていくわけではないし、誰でも年を重ねていくものです。そのことで作家を批判したり劣化したなどと思うのは悲しいことです。ファンであればそういった変化も楽しみながらついていけばいいのだとおもいます。
作品には具体的にあらわれないですが、たぶん絶交されたのが95年、2011年にみんなに会いに行く、その16年間の空白を取り戻すというあたり、日本が大きな災害や事件で塞がれた心につながっているのかなと。
また、まさかと思ったのですが、赤白黒青の色は庄司薫の赤頭巾ちゃん〜のシリーズを思い起こさせます。まさか??、なのですが、もしかしたらいままでよりもより深く読み手に対して何かを引き受けるというか、彼の言葉でいうとコミットしようとしているのかも?などと勝手に想像していました。日本の作家はあまり読んでないとどこかで書いていたので、関係ないかな…
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4163821104
No.93
(5pt)

まだ途中ですが。

テレビの放送を見て興味本位で買ってみたのですが、これが結構面白い。何が面白いかって?それは自分で読んでみて下さい。絶対お薦めです。
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No.92
(4pt)

魔都・名古屋近郊に生まれ育った色彩の無い読者の感想

とある有名なエッセイにて「魔都」と称された(賞された?)名古屋
近郊に育った私は今作も非常に興味深く読ませていただいた
といっても、名古屋の地名が頻発したり、
小倉抹茶スパやおっぱい丼は出てこないです(まぁ当たり前ですが)

集大成と銘打たれた前作に比べると、
著者も肩の力が少し抜けた感じで、文量的にも話的にも冗長でもなく、
私は冒頭から安心して読むことができました
逆に言うと、サプライズ的感動は大きくないというか、
ネガティブなレビューに書かれているように、
テーマとしてはこれまでの作品と重複している面が多いです
ただ、友情というものが前面に出てきているのは珍しいかな

人物描写も割りとあっさりしてるし、回り道もあまりしてないので、
読了後のスッキリ感は(前作より)あるのですが、
終盤に向けての収束の仕方なんかは特に物足りなさもあります

ファンタジーな要素をいかにリアルな世界に持ち込むか、
著者のそんな一面が凄く好きなファンとしては、
良書ではあるが物足りない、というのが率直な感想です
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No.91
(5pt)

痛み、あるいは悼み。悲しみ、あるいは哀しみ。

この作人になっているテーマは村上春樹氏本人に伺ってみないことにはわからないことであるのですが、読み進める上でいくつかのキーワードが頭をよぎりました。

それは、痛みと悼み、悲しみと哀しみ、です。

自分の痛みと人に思う悼み、自分の悲しみと誰かを哀しむこと。
自分と他者は全く別の存在なのですが、自分たちがわからないところでお互いに求めあい、しかし、傷つけ合っています。
それはひるがえって自分の存在を求めていることであり、また、自分の存在を傷つけていることでもあります。
そこに感じる痛みと悲しみは完全に自分のものであると信じ込んでいたのですが、ふとした瞬間に誰かも同じように思っているという悼みと哀しみを覚える、そのようにしていくしか私たちは生きていけないのかも知れません。
自分の存在はここにあるのだという確証を得るために他者を求め、他者を求めると他者を自分に取り込もうとする、あたかもすべてを理解してもらえると根拠のない確信を得ます。
だけれども、他者は自分のように思ったり感じたりするわけではないということを言葉や態度から知り、距離を置いたり、完全に離れたりします。
こころは残ったままに。
哲学者のデリダは「私とは他者にとっての他者である」といいました。
この私と他者というコインの裏表のような関係を私たちは普段の生活の中で余りわかっていない状態で生活しています。
「魂」の部分でつながっているのかも知れませんが、その「魂」を見たり感じたり出来ないもどかしさ、その気持ちが私たちを不安にさせます。
そもそも原初的は不安は「死」と「見捨てられ不安」であるとされています。
その不安をぬぐうためには誰かに接するというアタッチメントが必要だともあります。
さらには、誰かからのアタッチメントを待つのではなく、自分の気持ちを素直に表現し、自分から近寄っていく勇気と覚悟がより高度なアタッチメントを形成します。
人がわからないところ私たちは傷つきます。
逆に、自分は知らないところで人を傷つけます。
それがいつの間にか悲しみとして蓄積され、いつの日か表面に出てきます。
それに耐えたり、耐えられなかったり、何気なく暮らすように見えて、誰もが傷ついているのかも知れません。

長くなりましたが、今回の小説を読んで以上のようなことを思いました。
私たちの世界にある原初的な不安や自分と他者の痛みと悲しみ、それらをどのようにして受け止めるのか、それらを「魂」としてどうやって引き受けるのか。
私自身が読んで考えたのがそれでした。

すばらしい小説でした。
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4163821104
No.90
(5pt)

おかえりなさい

デビュー以来いろいろと試みて、結局は出発したところに戻ってきたけど、新人の時より音域は上にも下にも広がっているように感じられる。自分の制御下にある和音を自意識ではなく、読み手にも配慮して(時にはサービスもして)奏でていて、新しい価値の提示ではなく、昔からそこにあるものを職人として見せることによって読み手に感じさせる匠の技を見た。だから初めて読む小説に既視感を覚えたり、懐古を感じたりするのだ。
 特に、全体を通暁する調和に関する考察が面白かった。面白くて哀しくて、怖かった。だから赦しにつながる、という領域には自分はまだ到達していないけど。彼の考察に反駁する考察も見いだせないけど。
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4163821104
No.89
(5pt)

面白いけどな

評価がわりに低くてびっくりしました。村上春樹好きには嬉しいファンサービスがちりばめられてて、楽しく読めました。フェイスブックとかスマフォが出て来るのも意外で良い。
物語全体の雰囲気が、初期の感じ、特にダンスダンスダンスあたりを彷彿させるので終始にやけてしまいました。1Q84の3巻では失望したのですが、この作品はとても満足でした。村上春樹久しぶりの良作な気がします
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4163821104
No.88
(5pt)

小説の存在意味

小説は書評のために書かれるわけでも 過去の作品とは違う新しい刺激を与えるために 書かれるわけでもなく ただその作品を必要としている誰かのために 書かれるのが 理想的だと思います そのような意味でしっかり作られた作品だと感じました。
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4163821104
No.87
(4pt)

「到達点」と言いたくなる

著者の文学的な達成と成長をささやかに(しかし芳醇に)匂わせる、硬く小さな果実のような作品だと思いました。

さほどヴォリュームもなければ、物語に劇的な起伏もありません。驚かせるような新機軸も手の込んだ仕掛けもなく、読者をはっとさせるような荒唐無稽なエピソード、著者独特のアイロニーとユーモアに富んだ比喩、洒落た小道具も(比較的)少ないと言えるでしょう。
プロットを細かく設定せず、手なり(手の赴くままに)で書かれたような作風は、これまでの著者の長編作品の中においても、ひときわに強く感じます。しかしそれらの要素は熟達した水泳選手が到達地点をしっかと見定め――あとは水の流れにすっかり身をまかせきって泳いでいるようなシンプルかつ流麗な流れとなって、このミニマムな作品を傑作たらしめているように思います。

今作の主題を「赦しと再生(への理解)」などと、安易に言ってしまうことは容易いのかもしれません。しかし、(仮設された)そのような古典的かつ普遍的な主題の下、「多崎つくる」の物語は、闇の中をひっそりと流れる小川のように淀みなく――畏れるべき神秘(あるいは神秘的な何か)の存在への畏敬を随所に感じさせながら――リアリスティックに、ユニークに進行し――やがて来たるべき結末を迎えます。

読後、「多崎つくる」の凍てついた心と身体を静かに、じわじわと暖めてくれていた小さな炎の存在。それが読者である私自身にも「フィジカルな効用」をもたらしてくれていることに気づき、驚きと感謝の吐息を漏らしました。

※余談ですが、著者はレイモンド・チャンドラー「プレイバック」を訳しながらこの作品を書き上げたのではないでしょうか。読みながら、ところどころでそのように感じました。そう遠くないうちに早川書房から村上訳「プレイバック」が発売されることに1ヶ月ぶんの給料を賭けようと思います(笑)。
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No.86
(5pt)

36歳になったら、また読み返したい

村上春樹さんの作品は数本しか読んだことがないのですが、なぜかこれは気になってしまったので購入。
すらすら頭の中に流れ込んでくるようなかろやかな文章でとても気持ち良く読めました。

私はまだ大学生で、つくるが死について深く考えた20歳前後と同い年です。
だから、36歳のつくるが16年前の青春時代ことについてアクションを起こして過去を振り返っていく、そういうことができません。そこからの話も、酷く切ない気持で読んでいました。歴史は変えられない。自分も歳を重ねれたらこんなふうに思う時がくるのだろうか? 今仲のいい友人はこれから16年先どんな風に変わっていくのかな? と自分を振り返りながら読んでいました。

未来が怖いな、そう思えるような最後にのこる寂しさや孤独感は、きっと今どれだけ毎日を必死に生きても付いて回ることなのかもしれない。
そんな人生の哀れさをしみじみと感じられる一冊でした。
若い人には書けないとものすごく感じました。

この歳でこの小説を読んだことで、私のこれからの人生はまた変わったものになる気がします。
私が三十路を過ぎたら、もう一度読み返してみたい。
そうしたらきっと、この作品は物語の奥深くで、20歳のころの私を思い出させてくれる気がします。

ずっと大切にしていきたい、そんな一冊でした。
読んで本当によかった。
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4163821104
No.85
(4pt)

実験的なのでは

村上さんの作品は、”幾何学”から”トポロジー”、”多次元”に変化してきたと思います。それと同時に徐々に、社会にコミットメントするように変化してきています。
この小説は「1Q84」に続き、すごく構築的な多次元世界をつくるために、ほぼ全てがメタファーと記号になっていて、その意味を固定化させないために、ものすごく平滑な表現になっています。だからすごく読みやすいし、意味不明と読まれてしまう部分もあるように思います。
ある目的(言いたいこと)に向けて描いているのではなく、この小説の構造が目的になっていると思います。
いろいろな部分がいろいろな形でつながります。
この小説は「ノルウェーの森」などとは違い、”今”を観察し分析した小説だと思います。だからこの小説がおもしろくないなら、”今”がおもしろくないのだと思います。
少し違和感があるのは、”ネット”で良さそうなところを”ツイッター”や”フェイスブック”、”グーグル”という単語を使っていたところです。これも記号なのだろうけど。。。
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No.84
(5pt)

喪失を通り抜けた受容

この作品の中で繰り返し言及されるリストの「La mal du pays」というピアノ曲は、静けさの中にかすかに悲痛な叫びを聞き取れるような曲です。

作品の終わり近くになって、主人公は、かっての友人の一人と話すうち、次のような思いに捕らわれます。
「人の心は痛みと痛みによって繋がっている。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を流さない許しはなく、喪失を通り抜けない受容はない」

たいていの人は、最愛の人を喪うという経験を必ずします。例えば、親を亡くしたり、恋人や友人を失ったりというのは極めて普遍的な経験です。しかし、それを乗り越えるのは難しいし、その乗り越え方は多様です。村上春樹はそのような喪失と回復を繰り返し描いていますが、この作品は極めてダイレクトに、喪失そのものを受容すべきものとして描いています。かっての友人の不幸な死は、決して肯定はできないが、受容せざるを得ないのです。

現在の恋人は、魅力的な異性として、さらに彼女自身の発言によって、喪失の受容を促しますが、恋人がそのような発言をすることは、この小説をある意味で簡明で大衆的なものにしています。しかし、作者にとって本当に望ましいのはノーベル賞受賞ではなく、大衆からの長期的な支持ではないでしょうか。村上春樹は、世界の大衆からの長期的な支持を得ている希な存在だと思います。
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4163821104
No.83
(5pt)

ハルキズムの向こう側

村上春樹がデビュー以来コツコツと積み上げてきたハルキズム。本作はその対局にあるところで書き上げられた小説である。その春樹らしい心意気に頭の下がる思いがする。創作家とは生涯かくありたいものだ。
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4163821104