寂しい写楽
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この作家は時代小説を量産しているが、言葉の時代考証がなっていない。江戸時代にはなかった言葉(もしくは用法の異なる言葉)が山ほど出てくる。 最悪は「がんばる」だろう。これは江戸時代は「眼張る」の表記で、歌舞伎役者が舞台で、両眼をカッと極限まで見開いて見得を切る意味。延享二年(一七四五)の並木千柳の造語。現代の用法は昭和十九年のサトーハチローの造語。 「目から鱗が落ちる」も、いただけない。これは新約聖書『使徒行伝』の言葉。キリスト教が禁教だった江戸時代の物語に使うのは、ダメだろう。 「同じ穴の狢」は昭和三十五年の高見順の造語で、江戸時代は「同じ穴の狐」と言った(応永二十七年(一四二〇)の『論語抄』の言葉)。 「大変」は江戸時代は、現代と違って「すさまじい凶事」の意味で使うが「非常に」という現代の意味で使っている。 「旧姓」もダメ。結婚して同じ苗字になるのは明治三十一年に成立した民法で「夫婦は同姓とすべし」とされてから。明治九年の太政官布告では「妻は実家の姓を使用すべし」だから、江戸時代は養子に入らない限り「旧姓」は有り得ない。 「士農工商の身分制度」もNG。江戸時代に士農工商の身分制度などは、なかった。明治政府のデッチ上げで、平成時代になって日本史の教科書から「士農工商」の文言が消えたほど。 その他、時代劇NGワードを列挙していくと、意気消沈・度肝・無視(内田魯庵の造語)、へちゃむくれ(平出鏗二郎の造語)、勘違い・文句(樋口一葉の造語)、爆発的・緊張・演出・分野・否定的(森鴎外の造語)、得意気(幸田露伴の造語)、似顔絵・説明・必死・提出(坪内逍遙の造語)、図星(里見弴の造語)、原因(西周の造語)、興味(井上哲次郎の造語)、二つ返事(禽語楼小さんの造語)、全面的(戸坂潤の造語)、考案(久米邦武の造語)、船着場・姿勢・雲泥の差・展開・苦手・好意的・説教・状況・強調(夏目漱石の造語)、臍曲がり(渡辺一夫の造語)、普段(若松賤子の造語)、時間(柴田昌吉の造語)、要望(東京日日新聞の造語)、衝撃的(深田祐介の造語)、天候・無駄・居心地(国木田独歩の造語)、理由(山縣有朋の造語)、視線(松原岩五郎の造語)、信頼(徳富蘆花の造語)、環境(市川源三の造語)、交流(水守亀之助の造語)、状態(田口卯吉の造語)、駄目(尾崎紅葉の造語)、心配(河竹黙阿弥の造語)、積極的(末広鉄腸の造語)、順風満帆(『国民新聞』の造語)、目玉(津村節子の造語)、一段落(織田純一郎の造語)、発展・具体的(中江兆民の造語)、興奮(小栗風葉の造語)、体調(北杜夫の造語)、魅力・甲高い・扮装(谷崎潤一郎の造語)、嫌悪(中村正直の造語)、的を射(平野謙の造語)、突破(矢野龍渓の造語。それまで「突破」は忍者の意味(突破・乱波・素破・透破など)、構図(永井荷風の造語)、精力的(宮本百合子の造語)、飛躍的(石坂洋次郎の造語)、結果的(芥川龍之介の造語)、勉強(『新聞雑誌』の造語)、順調(谷崎精二の造語)、本格的(勝本清一郎の造語)、反応(岩川友太郎の造語)、分担(明治十六年の造語(法律用語)、耐久性(野村龍太郎の造語)、目測(大日本帝国陸軍の造語)、提案(伊藤博文の造語)、大車輪(都新聞』の造語)、棚ぼた式(サトーハチローの造語)、連帯責任(東京日日新聞の造語)、嵐の前の静けさ(大曲駒村の造語)など、山ほど。 | ||||
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大変満足しています。 | ||||
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板元蔦屋重三郎がしかける北斎興行の熱気と祭りのあとの寂しさを描いた群像劇。蔦屋重三郎(喜多川重三郎)は江戸の出版元(書肆・板元)。 この店とかかわりのある山東京伝(伝蔵),葛飾北斎(鉄蔵,春朗),十返舎一九(幾五郎),曲亭馬琴(倉蔵),喜多川歌麿(勇助だが番頭と同じになるので歌麿と呼ばれている),大田直二郎(大田南畝),それから東洲斎写楽(斎藤十郎兵衛だが主として写楽と呼ばれている)が主な出場人物。それぞれの出自と北斎興行との関係が描かれるがみんな寂しい。 群像劇といえば,アーサー・ヘイリーが有名だが,いまは過去の人だから面白いのに見向きもされなくなっている。『ホテル』『大空港』『自動車』『マネーチェンジャーズ』など,その業界の内幕を描いたらピカイチ。 で,宇江佐真理はアーサー・ヘイリーを超えているかというと,残念ながら寂しい。出場人物の故事来歴を丁寧に紹介している分,まどろっこしい。かといって,それを抜かすとプロットだけになってしまう。重三郎がしかけた北斎興行がしっかり描けているかというと,あまり小説的面白さはない。なにしろ,登場人物はどれも一癖も二癖もある。そのひとりひとりだけで一篇の長篇小説が書けてしまう。その証拠に,歌麿,春朗,伝蔵たちを中心とする高橋克彦の「だましゑ歌麿シリーズ」は7冊もある。鉄蔵は娘の応為を中心に何人かの作家が手がけている。その密度で描いていくと,大河小説になるだろう。 かといってダメ作かというとそうは思わない。この「寂しい」が尾を引くのだ。おそらくこの本はプロットが簡単なだけに,いつまでも頭のなかから去ることはないだろう。そんな寂寞感が残る。 | ||||
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能の揺るがせない根本原理は顔が動かないとういうことである。それは多分霊や気の変化に対して動かさない方がよく対処でき、よく対処するとはそういうことだということである。 翻ってというか翻して云えば、顔はたとえ表情が変わっても共通の位相をもっていて素顔の表情やその心に返っても元々同相の位相をもっている。写楽が写楽として言いたかったこと、表現したかったことはそういうことだったのではないかな、と私などは直截に当時に立ち返る本書を読みながら考えた。 動かさないから動かないものとした能楽に対し、写楽は動かないから動いても動かせないものとして役者の顔を描いてみせた。 逆に苦言すれば、何が寂しいと云ってそれを理解しないこちら側の感受性や理解力のなさの方なのかもしれない。 | ||||
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宇江佐作品は大好きで、よく読んでいます。この人が書く「写楽」に関心があったので、早速購入しました。 まず、蔦屋重三郎や山東京伝、十返舎一九といった人々の人物伝のような様相もあり、勉強になりました。 が、肝心の写楽に対して、作者本人の「愛」がなかったように思います。 幾五郎(一九)のセリフで「だれも(写楽を)相手にしないでしょう」という突き放し方も、残酷な気がします。 写楽絵の「工房説」をとっていらっしゃったようですが、個性派の北斎が集団の中で、しかも他人名義で絵を描くかどうかは疑問です。写楽が「だれ?」という議論は「斉藤十郎兵衛」とほぼ決着がついていることなので、下級武士にして能役者である写楽の葛藤に焦点をあてても面白かったのでは? と思います。 写楽絵には他の絵師とはひと味ちがう重厚さと躍動感があるので、それを北斎や山東京伝といったネームバリューのある人たちの「お手がら」にまとめるのは、長年の「写楽論争」に追従しているのではないか、と思えて残念です。 | ||||
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