ヴェネツィアの悪魔
- ヴェネツィア (11)
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ヴェネチア本島のすぐ北にあるサン・ミケーレ島は、ヴェネチア市民のための共同墓地のみで構成された本当に小さな島だ。面積が限られているため、10年たてば遺骨を取り出して移すか、市に後処理を依頼しなければならないという規定がある。いとこの遺体を引き取りたいとある青年が島を訪れたところから物語は始まる。ところがこの青年は管理人を脅し、棺の中にあったヴァイオリンだけを盗み、遺体を放置したままどこかへ消えてしまう・・・そんなシーンからこの物語は始まります。 2つの時代の出来事が平行して描かれます。ひとつは現代のヴェネチア。夏休みのアルバイトに、先祖代々残された古い資料の整理をたのまれたイギリス人の貧乏学生ダニエルは、風変わりな雇い主に迎えられます。熟年のヴェネチア人男性スカッキとそのアメリカ人男性の恋人、つまり彼らは深く愛しあっているホモセクシュアル・カップル、そして不思議な雰囲気を持つ家政婦ラウラ。たのまれた通り、彼はその資料整理に取り掛かるのですが・・・。盗まれたヴァイオリンと貴重な書類を狙う人物や、別の殺人事件を追っている女刑事に出会い、だんだんと事件に巻き込まれていきます。 もうひとつの出来事が起きたのは1733年。孤児となってしまい、ヴェネチアにいる叔父スカッキの印刷所で働くために田舎から出てきたロレンツォが主人公。彼が恋した少女は音楽の才能豊かなユダヤ人レベッカ。まだ彼らがゲットー地区に住居を制限され、差別も受けていた時代のこと。彼女はユダヤ人であることを隠して、教会にヴァイオリン演奏のため通っているのですが・・・。 1733年の印刷業者スカッキは現代にダニエルを雇ったスカッキのご先祖。そして、物語の冒頭で墓から盗まれたヴァイオリンは過去にレベッカが使っていた名製作者による希少なもの、どちらの時代の事件でも、似通った不気味なイギリス人が暗躍するところは、なにやら時代を超えて悪魔めいたものが存在している気配さえ漂います。巻き込まれた当人たちは気づくすべもないけれど、2つの時代の事件が関連しているのは明らかなことで、偶然とはいえ、とても興味深いです。 ひとつの小説でふたつのお話が味わえる、とてもお得な一冊だと思います。このヒューソンという作家さんは、イギリスとイタリアを往復しながら著作されているようですが、かなりイタリアに惚れこんでおられるのでしょうか。どの著書を取っても風景が目の前に浮かんでくるようで、りっぱな観光案内にもなっています。今回の作品は古い時代も描いていることから、クラシックな雰囲気に満ちた魅力的な作品に仕上がっています。 ただ・・・個人的にはどうしてもこの翻訳者の訳が好きになれません。翻訳者というのは、外国語ができるだけでなく、十分な日本語の能力を持ち、ある程度、文学的な才も必要だということがよくわかります。最初の「死者の季節」に比べたら多少はましになったけれど・・・まだどうも文章がぎこちないという印象を受けてしまいます。 「シャープとフラットの区別ができる船頭を、ぼくのところに連れてきてくれ。そしたら、朝食のあとでサンマルコ寺院の前に金貨の山を置いておいても、夕食時にそれを見ることができるだろう。」 「花をつけた緑色の頭がそよ風に揺れているアーティチョーク畑の向こうを見ても」 「あのヴァイオリンに値段がついていなかったと思うか。私はあれを女の膝に置き、ほどなく私自身もそれに続いた。」 たぶん直訳そのままにしているのでしょうが・・・原文から離れて大胆に意訳するのが怖いのでしょうか。けれど日本語として意味が通らなければ、いちいちひっかかって物語そのものが頭にすんなり入ってきません。 また全般にセリフの言葉使いが非常に子供っぽいと感じます。翻訳者が思い描いた登場人物のイメージが、著者ヒューソン氏の意図したものとはあまりにもかけ離れているという気がしてなりません。日本は、アイドルが40歳近い年齢になってもできるだけ若く見せようと、子供っぽいくらいに振舞うような社会ですが、あちらでは20代の男性は大人であることを求められ、言動もりっぱな大人です。「ぼく、○○だよね。」「○○しちゃった。」「喜んじゃう」「つまりそれが○○ってわけ?」のような言葉使いは、たとえば「ぼくは○○だ。」「○○してしまった。」「喜んでしまう。」「つまりそれが○○というわけか?」というふうに訳してはいけないのでしょうか。先に翻訳された「死者の季節」でも、27歳のイタリア人刑事に「ぼく、27だよ、子供じゃないよ、もう。」という話し方をさせていましたが、非常に違和感がありました。 他にも「若くてがさつなワイン」→未熟な?または荒々しい?何かもっと他に適切な表現の仕方があるのでは・・・?「南ティロル地方」は、日本ではチロルと訳した方がわかりやすいのではないでしょうか。ル・カレやフォーサイスなどを訳された大先輩たちの翻訳を研究して、さらに鍛練されてほしいと思います。 | ||||
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この作品のプロットは複雑である。ヴェネツィアの印刷商の末裔の依頼によりイギリスの青年とちょっと謎めいた美貌の家政婦により、印刷商の倉庫の壁の中で発見された作曲者不詳の楽譜とヴェネツィアのはずれにある墓の中から盗まれた10年前の殺人事件の犠牲者である美人演奏家とともに埋葬された名器ガルネリの織りなす現代の物語と300年前にその楽譜を起こし、その才を認められて名器を与えられたユダヤ人女性と当時のスカッキ家の若者の織りなす物語が複雑に交差する形式をとっている。そうして、その二つの物語の結末も深く複雑にひも解かれていく。秀作。 | ||||
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2つの時代の「恋と裏切りと陰謀」の物語が幻想の海の都を舞台に、「華麗な旋律」とともに展開されます。音楽好き、ミステリー好きにはたまらない設定です。最初は、交互に展開される2つの時代の話が交わりのないままに進み困惑しますが、次第に収束に向かい、最後に二つの時代が一つの恋の物語として終焉する筆者の展開力に感服しました。ベネチアには2回旅行をしました。冬の垂れこめる雲の下の灰色の海、暗い夜と街灯。一転して夏に訪れた際の輝く海とサンマルコの威容。ページをめくりながら旅を思い出しました。 | ||||
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評価がまっぷたつに割れていることから、この本を楽しめる人はどんな人を考えつつのレビュー。 ストーリーの面白さを追いかけるタイプのミステリファンには、不向きかもしれない。 しかし、ロマンチックな歴史ロマンス小説が好きな人、洋物の恋愛小説の好きな人、お行儀のいい青年主人公に、自己投影できる人なら、堪能できるだろう。ヒューソンファンには、いわずもがな。 ヒューソンの作品の主人公は、たいていは善良な、という言葉がぴったりくる青年である。強引ではない、自己主張も強くない。秀才で人当たりがよく、女性には引っ込み思案で、女性に対しては徹底的に受け身である。 一度流れにのると奔流に身を任せる。このあたりの描写は本当にうまい。翻訳も見事で、文学的である。 ただこの作品では、過去の場面と現在の場面の語り口がちがうため、違和感があるのが残念。 過去の人物たちも充分に魅力的なのだが。 | ||||
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音楽とアートと伝説と人間模様がベネチアンガラスのように溶け合った名作である。 もしもベネチアに2-3泊するのであれば、これは道中、そして行った後で読むには最高のスリラー小説。 ベネチアは街そのものが観光名所である。サンマルコ広場やドージェ宮殿は言うまでも無い。この小説は現代と18世紀にまたがって書かれているが、18世紀初頭まだ電気もないベネチア。夜になれば酔っ払いがドボンと落ちたに違いない。 そういうリアリティとともに、生活者にとってみればスクオーラという所謂共済団体の役割が大きかった。現在もスクオーラは活動しているし、当時はアートを競っていたのだ。この本は当時の生活者がスクオーラサンロッコに持っていたイメージを再現している。そして今でも見ることができる。オリジナルタイトル Lucifer's Shadowの悪魔は、ティントレットの画題として、今でも見ることができる。 さらに大運河に不思議な印象を残すカ・ダリオや新ゲットー(新とつくが、もちろん一番古い)もこの本がガイドしてくれる。 またビバルディ、ジャンジャックルソーといった当時のスターをとにかく人間くさく、ストーリーに織り込んでいる。さらにはガルネリやパガニーニまで。 | ||||
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