1Q84

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1Q84の評価:

3.66/5点 レビュー 983件。 D ランク

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平均点3.66pt

Amazonレビュー一覧

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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全199件 121〜140 7/10ページ
No.79
(3pt)

青豆さんって最初ビッチだと思ってたけど

ヒロインは、長いアイスピックをエモノとして人を殺すわ、つばを吐くわ、「ちんちん見せろ」というわで、キャラクター小説かと思わせる側面が強い気がするのは気のせい?
そして、そのヒロインはスタイルがよく、ルックスはいいか悪いかで言えばいい方、経験人数は少なくないが、あそこが新品同様と言えるぐらい(26歳まで処女で現在30歳)SEX回数は相当少なめで、ちょっと禿げた男性が好きっていうのは、作者の趣味か?
どの作品だったか忘れたけれど、「人は長く生きれば生きるほど磨耗していく、禿げはその磨耗の証で悪くない」みたいなことを書いていた作品があった。
他には、日米安保に直接言及した作品はなかったけれど、今回は言及している(作者の年齢から言って、当事者ではないにしろ、言及しておかしくなかったけれど)
性表現の多さ(過去作品と比較して)
と色々と気になる部分が多い。
最近自分が読んだ小説(『アンダーワールド』、『堕ちてゆく男』、『楽園への道』etc)と比べると相当軽い。何か物足りない。でも、それなりに面白く、すいすい読み進んでしまう。
完結を待たずに評価を下すのは速いと思われるので、とりあえずBOOK2以降を読んでみようと思う。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.78
(3pt)

BOOK2の感想

BOOK2に入り、青豆が最後の大仕事にとりかかるあたりで、ストーリーが動き出します。
このBOOK2で見え始める「恋愛小説」の部分は、私はそれなりの評価はしているため、BOOK1より評価は上にしました。
「からだを求めあう男女関係」を結び続けてきたあまり、真に求めている(求めるべき)「心のつながり」の存在があったことに気付かなかった(もしくは忘れかけていた、避けて通っていた)ことに気付く過程を、ありきたり感なく描けていると思います。
といいつつもこの評価なのは、この小説の宗教的部分というか、ファンタジー的部分が全く理解できなかったからです。
私自身、ファンタジーは嫌いではないのですが、どちらかというと、最初から最後まで徹底的に「非現実的な話」か、現実世界と非現実世界が共存している場合でも、その境界線がハッキリしている話の方が好きです。
そのためこの小説のように、現実と非現実の境界線が実にあいまいな場合、例えば「リトル・ピープルは、現代社会の何かを意味しているのだろうか」などと考え込んでしまい、あまり話にのめり込むことはできませんでした。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.77
(3pt)

これから面白くなるんだよね?

文体は、素晴らしいです・・
細部まで、リアルに想像することができました。
でも、構成がアニメチックで、時間つぶしに読む少女漫画?のような
スカスカの恋愛小説、そんな薄っぺらな深みのないイメージでした。
心に響くものがなく、共感できる部分もありませんでした。
期待が大きすぎた感があります。
(2冊目読み終えた時点での感想です。)
2冊で完結しているものだときいていましたが、
最後あまりにもブチッと切れているので
続きがあるように感じます。
しっくり来ないけど、終わりなんだよね…
という終わり方ではなく、
あまりにも尻切れトンボな終わり方なので、
「これで完結。」で納得できちゃう人は、
村上春樹の作品が好きなのではなく、
村上春樹ブランドが好きなのでしょう…多分。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.76
(3pt)

一キリスト者による村上春樹『1Q84』の評論。その結論は意外にも「高度な護教小説」というも

前置き:この評論は元来140文字限度のミニブログ「ついったー」にて行なったものであって、その段落のひとまとまりが、一ついーと分に相当している。
 1Q84読了。オーウェルの1984は「大きな物語」としての歴史、国家、政府、社会が、ビッグブラザーという語り部に支配され、個人の魂が窒息させられる。ムラカミの1Q84は「小さな物語」としての小共同体が、リトルピープルという語り部に支配され、個人の魂が窒息させられる。
 1984の世界と1Q84の世界と、その違いを象徴するのが月だ。月が2つある世界では、月が1つだけの世界とは微妙に違う歴史が進行する。月が諸物の運命を支配している、ということだろうか。ここで小生は、ハインリッヒ・シュリーアがストイケイアを「星の神々」と意訳したことを想起させられる。
 1984のストイケイア、ビッグブラザーは、全体主義国家という「単一の物語」を用いて人類を分散管理している。それに従う者は、魂の窒息と引き換えに、平凡な日常の生活を保障される。だが、ひとたびそれに背けば、過酷な運命がふりかかる。ストイケイアは禍福の神なのだ。
 
 1Q84のストイケイア、リトルピープルは、ポップカルチャーという「多数の物語」を用いて、それとは知られることなく人類を分散管理している。ところが、ある小共同体の少女が、その世界の成り立ちに関わるカラクリを、小説という媒体を通して暴露してしまうのだ。
 リトルピープルという禍福の神は、ヨリシロとなる人間の緩慢な死と交換にして「空気さなぎ」を作り出している。空気さなぎから生まれ出て来るのは、理解不可能な死か、理解不可能な他者か、どちらかだ。他者の他者性は自己の死と表裏一体、ということであろう。
 この「空気さなぎ」から生まれ出て来る他者アルイハ死は、それなくしては世界が成り立ち得ない、根源にあるところのカラクリである。人は他者なくしては、生きることができないから。人は、他者から生まれて、他者の死を看取りつつ、自己の死へと連れて行かれる存在だからである。
 人の始源が「他者アルイハ死」にあるならば、テンゴの始源である父親が生物学的父かどうかは、もはや重要でない。他者である父を看取るテンゴは、看取りの行為において、人生のベクトルを取得する。自己の彼岸にある他者から始められた自己が、他者の死を経て、自己の死に向う、というベクトルである。
 テンゴが「自己の死」へ向うベクトルを取得したとき、テンゴのための空気さなぎが静かに殻を開き始める。そこにはテンゴにとっての永遠の憧憬としての他者たるアオマメが眠っている。自己の死へ向うベクトルは、他者アオマメへ向かうベクトルと完全に同一である。他者と自己の死は同一なんだから。
 テンゴが他者アオマメに向かって生きるという実存的決断をする終章で、そのアオマメが生物学的に生きてるかどうかは、もはや重要ではない。他者イクオール死、であることのゆえに、死者アオマメは「真の他者」として、他者の他者性のうちにお隠れになっている女神的存在になっているのだ。
 準絶対他者アオマメに向かって生きるベクトルが、自己の死に向かうベクトルと同一化したことによって、死のベクトルを得たテンゴは、また、ほんとうに生きることのできるベクトルをも得たことになる。このベクトル上で、その命尽きるまで、テンゴの平凡な日常が展開され、彼は生きることができるのだ。
 
 「他者アルイハ死」から始まり、他者の死を経て、「自己の死アルイハ他者アルイハお隠れになった神としての準絶対他者」へ向かうベクトル。このカラクリを基本構造に使って、リトルピープルは「多数の物語」を語り、多数の小共同体を生み出して、人類を囲っているのである。これが1Q84の世界像だ。
 1Q84のベクトルはキリスト教のパロディーだろう。後者は、絶対他者たる神を始源とする人間が、絶対他者たる神の十字架の死を経て、お隠れになった神ソシテ再び来たりたもう神へと向かって行くベクトルである。このベクトルに生きることを自己の死へと向かうベクトルに選んだ者がキリスト者である。
 キリスト教のベクトルもまたリトルピープルのカラクリに過ぎないのか? テンゴとアオマメが1984の世界で属していた小共同体「証人会」はキリスト教の暗喩であろう。この証人会は1Q84の世界には存在しないのだ! つまりキリスト教のベクトルはリトルピープルの手の外にあるということになる。
 リトルピープルのベクトルは、キリスト教のベクトルに似ている。しかし、キリスト教のベクトルは1Q84の世界には存在しない(証人会の不在)それが1Q84の世界における終末論の希薄さの原因であろう。このことは、キリスト教のベクトルがリトルピープルのカラクリでは「ない」ことを示唆する。
 キリスト教のベクトルはだれが作ったカラクリなのか? 無神論全体主義のビッグブラザーではない。すると、どのストイケイアが作ったんでもない「ほんとうの物語」がキリスト教のベクトルかもしれないということになる。こういう読み方をするならムラカミの1Q84は高度な護教小説ということになる。
結論:「大きな物語」でもなく「小さな物語」でもない、しかし「大きな物語」をも「小さな物語」をもその根底から規定しているような「ほんとうの物語」が、1984の世界と1Q84の世界の差異分として、お隠れになってあるのである。この差異分こそが「Q」だ。
追考
 1Q84の「Q」が、1984と1Q84との差分としてのキリスト教のベクトルだとして。しかも、ストイケイア(ビッグブラザーorリトルピープル)の手によらざる「ほんとうの物語」としてのキリスト教のベクトルだとして。では、なぜそれが「証人会」という暗喩で示されているのか? 最後の問い。
 1984のストイケイア「ビッグブラザー」が語る大きな物語が提示するのは、国家、政府、社会が一体化した全体主義国家、バビロンである。メインストリームのキリスト教は、残念ながらこれに迎合して来たふしがある。古代の帝国教会、中世の教会国家、近世の国家教会、現代の体制翼賛的教会である。
 国家主義的キリスト教だと「ビッグブラザーの掌中の道具としてのキリスト教」ということになってしまう。これを回避するには、アーミッシュなどの反国家主義的キリスト教を提示すれば良いのだが、いかんせん本邦では馴染みが無い。そこで、戦前戦中の「灯台社事件」がある某団体を選んだのではないか?
 某団体が反国家主義的とは言え、現実にはその統治のシステムは擬似国家的である。また、戦中米国で行われた体制迎合方針を日本の「灯台社」の明石氏が批判して破門されているから、全くストイケイアの影無しとは言えない。そこで某団体に類似した、しかし、それそのものでない団体を描いたのであろう。
 教会は、1984が批判する世界像と1Q84が批判する世界像との狭間にあって、あの1984と1Q84との差分の「Q」である「ほんとうの物語」としてのキリスト教のベクトルを追い求めていかなければならない。それゆえ「Q」はQEDのQではない。Quest(探求の旅)としてのQである。
 キリスト教のベクトルが「ほんとうの物語」だとしても、ビッグブラザーorリトルピープルの誘惑に勝って「ほんとう」を守り続けるのは難しい。教会が暴力装置を使って住民を管理したり、精神操作を使ってメンバーを管理したり。1984と1Q84が描く「個人の魂の窒息」に加担することがあろう。
 このQuestに生きること自体がベクトルである。ワタクシという存在は、絶対他者タル神を始源とする。神を見ることは自己の死を意味する。その神が死ニタモウタ(十字架)その神がフタタビキタリタモウタ(復活)その神がフタタビキタリタモウ(再臨)その神に身を投げ向けて生きるベクトルである。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.75
(3pt)

娯楽小説家として読めば悪くない

正直に言うと今回の1Q84は過去の作品に比べて(海辺のカフカは読んでないのでそれ以外で)幾分質の落ちるものだった印象です。
たとえBOOK3、もしくはBOOK4で完結したとしても。
村上春樹は内面の混沌とした感情を表現したり、一人で思いをめぐらせ完結する流れを表現するのは非常に巧みですが、人との会話形式で感情を吐露させるような表現はそれに比べると数段質が落ちてしまうのか?羊をめぐる冒険でも似た様なパターンがありましたが今回はテーマが違っていたため雑になってたというか、そんなもんか?的な浅はかさみたいなものを感じました。
また著者が昔から拘っているものに対する描写と、そうでないものだけど登場人物の設定にしたものの描写にクオリティの差がありすぎて冷めてしまう部分もありました。
しかし上記のネガティブな条件をふっ飛ばしてしまうほどさらりとした文体と展開の鋭さは相変わらず冴えてます。
娯楽小説としてみれば十分寡作であると思います。
著者はこの作品で大きく方向転換をしたようです。
いままでは主人公「僕」が箱庭の中で物語を展開する「内に向いた」作品でしたが、今回のテーマは「愛」だったり親子関係だったり。モチーフにしたカルトやフェミニズムにも著者自身の問題提起があったのだと思います。テーマが内面から外に向かっていったようです。
そして書きたいことが沢山あるが故にどれも今ひとつ心に響かない。
フェミニズムからくる暴力やカルトの描き方には決して良い意味ではない驚きはありましたが。一つ一つの表現の質が今までの作品よりも雑に感じました。
親子関係に関しては深い部分が表現できていたと思いますが、自己愛と性愛の印象が強い村上春樹がそれ以外の愛を表現しようとしてもそれ以上に優れた表現が出来ていないというジレンマを感じました。
かなりネガティブに描いてきましたが、これだけの文字数ある小説を多くの人にさらりと読ませてしまう著者の文筆家としての力量は素晴らしいと思います。
村上春樹を絶賛する人も嫌悪する人もいますがレビューやブログの感想をみていると両方に的を得た意見があると思います。
一方盲目的に肯定したり、逆に全てを否定する人たちもいますが。
私はそんなに言うほど崇高な文学とは思えないし、毛嫌いするほど悪くない優れた娯楽小説家だと思います。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.74
(3pt)

面白い、読みやすい、が。

中学2年生が考え出しそうな、安易な人物設定が目立つ。
お金持ちは、株で大成功。
ボディーガードは、ゲイの元特殊部隊員。
男主人公は、元数学の天才児。
女主人公は、必殺仕事人。
秘密少女は、片言にしか喋らない。
もうひとつ。 本当に あそこまでの性描写は本当に必要だったのだろうか?
本書では、女子高生・婦警・人妻・熟女・幼女がレズ・複数・アナル・SM・幼児プレイ・近親相姦を繰り広げる。
「村上春樹」の本は万人が読む。
保護者なりは、上記の性描写が含まれていることを了解した上で購入するようにしたい。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.73
(3pt)

かなりの部分を斜め読みをしてしまったが、若い頃の恋愛を思い出させてくれた作品

 中国の国慶節休暇を利用して、Book1・2を一気に読破しました。村上春樹は高校三年の模擬試験の題材
だった、「風の歌を聴け」の衝撃的な出会いから、ほぼ前作読んでいます。ただ、最近は観念的な作品が
多く、若干のめり込めない気持ちでした。今回の作品は、私のお気に入りの作品(ベスト1・2になるか
も)「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のテイストで、次の展開が非常にやきもきして、
読み進めました。
 ただ、「世界の〜」と違って、一字一句かみしめるようには読めず、かなりの部分を斜め読みをしてし
まいました。村上作品は大分読みこなしているので、それでもストーリーと世界について行けたのと、す
こし冗長かなと思われる部分があったからです。これも自分が世の中を色々と経験して、それほど新しい
情報について感動を受けにくくなったのかも知れません。
 それにしても、齢60にしてこのようなみずみずしい小説が書けるのですから、すばらしいと思います。
これも、日々ストイックにジョギングをして体を鍛えているのと、好きなことしかしない潔さ(それによ
って失う物があっても構わない)があるからなのかも知れないと思いました。
 1984年と近い過去を題材にしていますが、今の小説やドラマに必須の携帯電話が全く出てこないのが、
新鮮でした。ポケベルはちょこっと出てきますが...。現在は公衆電話もほとんど使わない時代になって
います。私が高校生の時は電話といえば、固定電話か公衆電話でした。好きな女の子の家に電話を掛け
るために、よく公衆電話BOXに行ったことを思い出しました。彼女のお父さんやお母さんが出た場合(ほぼ
100%だった)のシュミュレーション(21時以降は、夜分遅くに、、、など)を頭の中でしたことが思い出
されました。コミュニケーションが現在ほどconvenientではなかった時代で、相手とのすれ違いや初めて
電話を掛ける時の勇気などが試されました。今では携帯のショートメールによって、気軽にコミュニケー
ションのとっかかりを得ることができます。現代社会は失敗しても傷がつかないようにお互いに予防線を
張っているような気がします。当時は初めて電話を掛ける時は、心臓が口から出てくるぐらい緊張した思
い出があります。
 「1Q84」は私にとってベストの村上小説ではないですが、そんな昔の思春期の恋愛を思い出させてくれる作品
でした。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.72
(3pt)

やっと序章がおわったの?

全く話が完結していません。
主人公の性格や置かれた状況をようやく説明が終え
ここから話がどんどん展開していくぞ
というところで話が終わってます。
ストーリーは「空気さなぎ」や「リトルピープル」など
抽象的なものがたくさん出てきていまいち
内容が理解できませんでした。
おそらく適当に想像して楽しんでくれ
ということなんでしょう。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.71
(3pt)

村上さんにお願い

「性交」と「射精」という単語を使わずに小説を書いてください。
これらはあまりにも直截的で情緒のかけらも見られませんので。
性が重要ならば言葉がもつイメージも大切にして欲しいのです。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.70
(3pt)

ぼんやりとしたままの世界にいて読むこと

私がこの本に抱いた印象を例えるならば、「9・11」が一番近い。
私はあの日、まだ小学生だった。
テレビに映るビルの映像を、意味もわからずに見ていたのだ。どのチャンネルでも同じだったから、見せられるままに見ていたという方が正しい。どうやらアメリカで何かが起こったらしいが、大人たちもよくわかっていないようだった。カメラでさえ映すものが見つけられなくて、仕方なくビルの周りをヘリコプターで飛び回っている感じだった。
そんな時に、一台の飛行機がビルに静かに突っ込んでいったのだ。
私も、母も、テレビのレポーターさえも、それがどういうことかわからなかった。
わかっていたのは、幼稚園児の弟だけだった。
弟はその映像を見ながら「今、飛行機がぶつかったね」と言った。
私は同じ画面を見ながら「そんなわけないよ」と答えた。
そんなことが、あるとは思えなかったのだ。
この本は、そういう感じがする。
青豆と天吾という二つの塔に、飛行機が突っ込む。その時、世界は私たちが知っていたはずの世界とは違うものになってしまったが、それをわかる大人はいない。どこか蠱惑的な美しさを持つ、とても恐ろしいことが起きているのに、誰もわからない。
この本は面白かった。
けれど、怖い。
誰を殺しても、たとえ物語が終わっても、この話が過去の話だったかもしれないのかもしれないけど。
私たちの生きている世界は、ある。
あるとは思えなくても、ある。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.69
(3pt)

もっとスマートに書いてくらたらな

青豆と天吾の物語を交互に1章づつ描く形をとっているのだが、
説明なのが重複している箇所があり。なので「そこのところは
もうさっきわかったよ」と省いても差し支えない場所が
たくさんある。
ストーリーはなかなかおもしろい。しかし、飽きやすい気がする。
食べ物にたとえると、インスタントのカップラーメンみたいで
たまにこのようなストーリーを読むと面白いが、読み終えると
しばらくこの手のストーリーはもういいやと思うでしょう。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.68
(3pt)

う〜ん・・・

やっぱり村上春樹だったかな・・・というのが率直な印象です。
発売前からのマスコミ報道が、私の期待感をものすごく煽ってくれたので楽しみに読んでみましたが、う〜ん・・・良くも悪くも村上ワールドだ!との結論に至りました。
それは前評判と実際とのギャップが私自身そう感じさせたのかもしれません。
でも、1Q84自体は純粋に楽しんで読めました。ごちそうさまでした。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.67
(3pt)

やや残念・・・。

うーん、どうなんでしょう?物語的には面白く読めたんですが、随所にええっ!と言わざるをえない箇所ありますねえ。天吾は良く描けていますが、青豆は最後までよくわかりませんでした。2人のリンクする設定も小学校の同級生じゃあねぇ・・。脇で登場する小松さんや、エビス・・さん、人妻のガールフレンド、300万支援の人物、天吾の父親、謎の老婦人、これらはすべて中途ハンパ。大味な作品という印象です。
また、性描写が多すぎる。ちょっと間違えばくだらんエロ小説にでもなってしまいそう。作者も歳を重ねこういった性表現が小説に必要と感じるその感性が理解できません。
まあ、良くも悪くも『村上春樹的』作品であることには間違いなく、この文体に安心感を覚える読者も多いのでは・・。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.66
(3pt)

売ったもん勝ち

この作品を簡単に説明すると、読者への「サービス精神」を徹底的に排除して、作者の暴走する妄想だけで書き上げられたような、空前絶後のマスターベーション小説です。登場人物に共感できるような魅力がなく、感情移入という行為がまったくできないし、物語自体も緻密かつ綿密に練り上げられものではなく、行き当たりばったり的な要素が強いし、最初から最後まで、不自然さと違和感がつきまとい、読み進むのが苦痛になってきます。未完成な失敗作に村上ブランドというシールを貼り付けて無理矢理商品化したような代物です。このような作品を大々的に取り上げて、さも素晴らしい作品であるかのように騒ぎ立てるメディアにも少々問題があるのではないかと思います。ベストセラーとはマスコミの操作によってでっち上げることができると知ることができました。読書に感動を求めている方には間違ってもおすすめできない本だと思います。以上、あくまでも個人的な感想です。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.65
(3pt)

現代日本のマスマーケットでは受け入れられないのでは。

2000年代末期、Mixiとニコニコ動画の時代において、わざわざこういう物語をマスマーケット向けに書いても、なかなか評価は得られないだろうという印象を持ちました。
決して判りやすく面白い作品ではないので。
特定のイデオロギーを信じる閉鎖的で排他的な共同体に対して警鐘を鳴らすというのは、文芸作品の持つテーマとして、現代において非常に重要な意味を持つでしょう。
しかしながら、そのテーマは、作者がこれまで得意としてきた文章のスタイルとは馴染みがたいものであるように思いました。
そのため、以前からの読者は重いテーマに辟易し、話題作としてエンターテイメントを期待して購入した層は、作者独特の表現にも、そのテーマにもなじめず、決して楽しめる作品とはなっていないように感じました。
その結果、マスマーケット向けの娯楽作品としては、あきらかな失敗に終わっています。
商品としては、売れればいいという話もありますが。
さて、マスマーケット向けではない文学作品としてBook1のみを見た場合、そのテーマは、近代社会において普遍性を持つもので、その点は大変評価できるものとなっています。
しかしながら、作者の一種独特の雰囲気を持つ流麗な文章は、現代日本において、読者をひきつける力を失いつつあるように思いました。
わかりやすく印象的なものに瞬時に反応することと、そのフィードバックが即座に返されることが当たり前になった時代において、文章の流麗さというのは、急速に過去のものになりつつあります。
また、女性の登場人物の描写が、フェミニズムやマテリアリズムやコマーシャリズムなどを90年代と00年代に経験した後、友人・知人ネットワークの中で上手くマーケティング用語に操作されるふりをしつつも、女性であることを非常に現実的に受け止めながら生活している現代日本の女性の読者には、共感の持てるものではないだろうなという印象を受けました。
文学作品は、出版された時代や舞台となっている時代の大衆風俗の描写が目的ではないので、それはそれでよいのですが、読者の共感を呼ばない文章で構成された文学作品は、読者に何かを訴えかけるのは難しいのではないでしょうか。
個人的な感想としては、本作品を読めば読むほど、自分がそれなりにものを考えられると思っている一方で、とりたてて優れた人間ではないことも自覚している、後期資本主義社会において大衆化された大学教育を受けた男女であるという、同作者に書かれた文章の商品のターゲットの中に自分が含まれていることを意識させられます。
未知の知識を蓄えることそのものを楽しめない読者にとっては、本商品に全て目を通すのは辛いでしょう。
大衆化された大学教育で得られる教養しか持ち合わせない読者には、本書のテーマは伝わりにくいでしょう。
大衆化される前の大学教育レベルの強要を持ち合わせた読者には、ただただ退屈なだけでしょう。
翻訳後に再評価される作品であるように思いました。
結論としては、本ページをみている人びとに、無邪気に薦めることはできないので、星3つ。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.64
(3pt)

独特

常に文字でギッチリの紙面、冒頭からダラダラと続くストーリー、数ページに渡っての解説や説明……等々、読みにくい要素満載なのですが、実際読んでみると不思議なことにすらすら読める。
基本的に退屈な場面が多いものの、盛り上がるところでは一気に盛り上がります。谷間から直接山場の頂上までワープした感じです。
それは多くの退屈パートがあったからこその盛り上がりなのですが、いかんせん退屈な所が長すぎる気も……。
総評としては、「つまらない」と「超面白い!」が混ざり合った「まあ普通かな」。
賛否両論のレビューも納得できます。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.63
(3pt)

同時代作家としての村上春樹

読み終わって数日経ちますがいまだに評価がつきかねる1冊です。
村上春樹の作品をほぼ同時代で読み続けてきた自分としては、納得できる部分と釈然としないが半々といった感じです。
今までの村上春樹作品が読者をひきつけてきたのは、良くも悪くもその距離感(突き放し感)だと思います。
全てを説明することなく、物語の中心に空白を据えることで読者の想像力、感受性を引き出す構成でした。
それに比べると今回の「1Q84」は物語の構成が以前の作品とは大きく違っています。
今まで以上に物語自体をどっしりと中心に据え、細部における謎もきっちりと書かれています。(それでも謎は謎として残っていますが)
以前からの村上春樹が好きな自分としては、この変化が違和感として残っている感じです。
ただデビュー以来20年を経て、2009年の同時代にあえてこの1冊を送り出した村上春樹の意図は、再読をした上でもう一度考えてみたいと思います。
噂されているBook3が出るのか非常に興味深いです。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.62
(3pt)

予定調和の物語

単純化することを恐れずに言えば、1Q84は偶数の物語である。青豆と天吾(2人の主人公)を交互に一章ずつ、12X2=24章に纏める構成。2つの月、世界。感応するパシバと、それを受け行動するレシバ。空気さなぎに寄って作られるdaughterと原型であるmother.
作品は著者によって完全に統御され、様々なエピソードを紡ぎながら、エンディングへと向かう。銃口を喉に入れ、引き金を引く青豆。24章で天吾の面前で空気さなぎから生まれる10才の青豆。
1Q84の世界は周到な構成を取りながら、決して作品自体を裏切り、物語そのものを「異なるもの」へと変幻することをしない。唯一、1Q84と言う表題で9をQとすることによって1+8+4=13と言う奇数、それも素数を紡ぐのみである。
小単位ではそれ相応に心を揺すぶるエピソードはあるが、究極に於いて、読者は作品を「読む」という行為に於いて、「異なるもの」、「生なる感覚」を感じ取ることが出来ない。
私は先に挙げたエピローグを正確に予想することが出来た。これは読者にとってとても不幸な事である。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.61
(3pt)

良くも悪くも、村上春樹

1、2とも読み終えました。
少し「ねじまき鳥クロニクル」に似てるかな、と思いました。
ただ、クロニクルははっきりした結論を書かず、
読者に想像させる余白を残していますが、
こちらの方は割ときちんと説明書きがなされているように感じました。
個人の好みにもよると思いますが、
手や脇に嫌な汗をかきながら、文章からイメージを沸かせて、
色々と想像を働かせて読んだクロニクルの方がパワーがあったかな、
という感じがしました。
あと、元々そういう文体と言われればそうかもしれないですが、
この1984は特に英語に翻訳されるのを前提として書かれたような、
なんというか、英語にすると映えるだろうな、という感じを受けました。
愛が全て、とか、
とうとう村上氏も口に出してしまったか、という感じがしました。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.60
(3pt)

不気味な小説

村上春樹の従来の長編小説の特徴は、〈僕〉という限定された視点を語り手に据えた一人称小説でありながらも、その驚異的な売り上げを誇る各々の作品からも明らかであるように、本来の個人的な物語の枠を超越した高い普遍性を獲得していることにある。
その要因は、小説内に存在する村上春樹独特の自閉システムにあるだろう。
〈僕〉とはつまり、社会から逃避・隔絶された、ブラックボックス内の極めて自我の希薄な、ただの〈スタイル〉として存在するだけの僕であるがゆえに、誰にでも変換可能な不特定多数の〈僕〉でありえたわけである。
しかし、海辺のカフカで社会とのアッタッチメントを宣言して自閉の殻を破ってしまった今、必然的にその普遍性は失われてしまったと言わざるを得ない。
苦労して確立した三人称スタイルもそれを補うことはできず、1Q84は極めて個人的な、私たちには興味の持てない小説になってしまった。
例えば、オウム事件の当事者の体験談ならば素直に興味を持つことはできる。だが、その体験談を通して部外者が感じたこと、決意したこと、つまりは「体験談の体験談」にまで興味を持つことは本来難しいのではないか?では一体この普通でない本の売れ行きは何なのか?
幼いころにたった一度手を握っただけの記憶を糧にした強い愛情。
むしろ、ここにこそ不自然で胡乱な、宗教的なものを感じるのは私だけか?
冒頭の「私を信じてくれさえすれば物語は真実になる」という文章の引用。
この「私」とは正に村上春樹を指すのではないだろうか?
もうすでに、村上春樹であるというその事実だけで、普遍性を獲得してしまうところにまで来ているのでは?
狂信的に崇められる教祖とは、本当にカルト集団の指導者なのか?それとも村上春樹本人であるのか?それすらもがあやふやになり〈僕〉は拠り所をなくしてしまう。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
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