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戦艦武蔵
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戦艦武蔵の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全83件 41~60 3/5ページ
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本書は記録文学で著名な小説家である吉村 昭氏が、1966年(昭和41年)に処女作『星への旅』に続いて、同年に発表した吉村 昭氏の記録文学としては処女作に当たる小説になります。 吉村 昭氏は生前「小説を書く際には、当事者からの聞き取りが不可欠である」と発言され、昭和41年という終戦から21年しか経過していない時点で執筆された本書は、多くの関係者が存命中に書かれた小説のため、本レビュー執筆時で戦艦武蔵沈没から70年を迎えた現在では聞くことの出来ない非常に生々しい証言が綴られており、極めて貴重な小説となっております。 | ||||
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終戦の日に一気に読み上げた。 著者の作品は詳細な取材、史実に基づいたもので本当に引き込まれる。当時の国力を注ぎ込んで、多大な労力と年月をかけて完成させた巨艦の出来るまでの男たちの生き様と、あっけなく撃沈してしまう不沈戦艦の対比。終戦69年もたったが、日本人が狂気的なエネルギーで何よりも優先させた戦争の本質をリアルに感じさせてくれる作品。 | ||||
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陽の射し込まない暗がりの書庫、片隅の書架に置かれていた「本」がこれ。 戦記もの大好き少年だった頃、書房の名前は忘れましたが、少年向け戦記ものシリーズがあって繰り返し熟読、玩味、更にリアリティー追及のため、「丸」なる雑誌を購読、その写真を閲し、「なんとか部隊かく戦えり」とか「嗚呼!!無敵皇軍どっかに散る」的な題詞、意味不明ながら読んでましたが、そのころかなぁ、トラック島の「大和」、「武蔵」と思しき二隻並んだ遠景写真が世に出て、どちらが「大和」か「武蔵」か的な議論がいっとき在ったのは、みたいな、まぁそんな些細な記事すら見落とさぬ、戦記オタクであったのですw。後年、福井静夫元造船士官の判定で決着したやに記憶しております。 ところが、この作品、棕櫚縄にいわば度胆を抜かれる思い、庭に棕櫚があったから尚更で、なんであれがカーテンなんだと!棕櫚縄を編んですだれ状にするということが皆目想像できず、とは言え何やらスッゲことが書かれてる予感がして読み進んでしまったのです。初読では、学校群なるものもなく、只管お受験勉強すべきところを、理解不能な用語もあり、地理的な知識及ばずながらも、どんどん読み進み、理解できたとは言えないのですが、その内容たるや、戦争を異なる面から考えるきっかけとなったのも事実。 圧巻は、二か所、一つは「設計図」の紛失、これ当事者が「少年」図工ということもあり、身につまされる思い、その心象、心理、実に肉薄するものがあって書物による圧迫感初めて体験、ページを繰るに手に汗したほどです。次いで、シブヤン海における武蔵の戦闘艦橋崩落、鉄の構造物が崩れ落ちる!という想像だに出来ない物凄さ、圧倒されましたです。 艦長から副長へ、戦闘詳報のメモ、シャープペンと伴に手交するシーンがありますが、いまだにそのシャープペンが印象に残っているんです、なぜだろう? 更に、武蔵生存者は「マニラ海防」の主体となって散華、ほぼ全滅、悲惨の極み、虚しくもあり、「敗戦」記念の日近づくや思い出されるのであります。また、後記にある、長崎の老人の証言が「時代」を髣髴させる、そんな作品で、今日的な問題点を考える上でも読んで損などなく、寧ろ「戦争」とかいう、決して正当化できない代物考察の一助になるやと愚考します。 吉村氏の力量、恐れ入るのは後年のこと、この作品を読んでいなかったならば、たぶんほかの作品も読まなかったに相違ないのです。 | ||||
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文藝春秋で佐藤優が紹介していたので読んでみた。人間の描写よりも戦艦武蔵を建造する為に物凄い量の物資が消費されて行くことに圧倒される。戦艦自体も相当な大きさだが、それを建造するためのドッグや進水のための仕掛けにも惜しげもなく鉄、木材、油脂が使われていく。戦闘シーンも、砲撃戦よりも、船が破損して鉄片が体を切り裂く様が執拗に描かれる。 | ||||
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大和が呉で、武蔵が長崎で製造されたんですね。武蔵の起工からミッドウェー海戦後の引き渡し、山本五十六の死、そして米軍による執拗な武蔵攻撃・沈没を経て救助された乗組員の顛末までを淡々と描いています。 | ||||
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ともすれば事務的にも見えるのですが あまり感情をこめずに綿密な取材にもとずいた淡々とした表現の著者です 事実はそれだけで人の心を打つのですね 捉え方はそのひと次第そういう本です。 | ||||
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艦これから船に興味を持ったのですが、それよりも艦船プロモデラー長徳氏がその道に入るきっかけとおしゃっていた本ということで購入して読んで見ましたが、ただただその内容に圧倒されるばかりです。本来、建造というものがどれほど困難を極めたものなのかがひしひしと伝わってきます。こんなに大変ならゲームでもホイホイと出てくるものではないな、と納得。ゲームからリアルへ目を向け始めたは提督諸氏にオススメの一冊です。 | ||||
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色んな意味で凄まじい物語です。技術も管理も執念を感じます。それを調べる作者も執念も感じます。 | ||||
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淡々と歴史資料や関係者インタビューを基に書かれた 「戦艦 武蔵」の圧倒的な史実の重みに、胸が苦しくなる思いである。 巨大戦艦の時代は過ぎ去り、活躍の場がないまま、何千にもの命を 英霊という名に変えるためだけの戦場に、突き進まなければならな かったのか! その背景にこそ、我々、日本人が考えるべきテーマがあると思う。 吉村昭氏の小説は、その背景を熱く論じるのではなく、客観的な事実の 積み合わせの中から、我々に問いかけてくる。 今、秘密保護法、安倍総理靖国神社参拝の時、感慨深く読ませて頂き ました。 | ||||
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秘密保護法に関連する背景知識を得る為に、購入しました。 歴史背景は、とても大事なことです。じっくり読ませていただきます。 | ||||
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4回も芥川賞候補になりながら受賞を逃した吉村昭氏が書き上げた渾身作『戦艦武蔵』を、今更などと思いながら読むことにした。 現場、証言、史料を周到に取材し、緻密に構成した『戦艦武蔵』は、評者が先に読んだ『零式戦闘機』など戦記物としての記録文学に新境地を開いた氏の最初の作品である。 読了後気が付いたのは、氏が大上段に構えて反戦などを唱える思想性を露わにすることもなく、日本海軍が発注した「戦艦」を生き物のよう客観で捉えながら書き終えていたことでした。 「戦艦武蔵」の誕生から死までの事実だけを読者に与え、「さ~、読者のみなさん!どう思いますか?」と、得体の知れない著者の思いを投げかけてくれたように感じながら評者は読み進んだのですが、戦艦武蔵誕生に携わった何千人もの人たちの情熱が辿る結末が、巻末の二ページほどに収斂され、それを読む虚しさをどのように表現していいのか評者は戸惑うのです。 手段(戦争に備え兵器を造る)が、徐々に手段が目的化(兵器を造る=開戦へ突き進む)されていったのではないのだろうか?と、『戦艦武蔵』『零式戦闘機』の二作を読み終えたのです。 司馬遼太郎氏は、明治を崇高な時代だったと書き、吉村昭氏は、戦記物や幕末から明治を書いた小説で史実だけを捉えて書く、などの評論を読むと、その安易な比較論に、評者などは辟易としてしまいます。 明治新政府が突き進んだ「富国強兵」政策が太平洋戦争敗北までの悲惨な結末を齎したことなど司馬遼太郎氏の『この国のかたち』や対談集などを読めば理解できるはずであるし、吉村昭氏が書く戦記物から真実に迫ろうと生き残った関係者を訪ね何度も聞き取る労を重ねながらも書き上げた本書『戦艦武蔵』を読み終えたら、両氏の思いが根底で相通ずるところがあるのだろうと想像できたからです。 吉村昭氏が、「第1回司馬遼太郎賞」の受賞者に推されながら、その作家(司馬遼太郎氏)の作風に自分とは相容れないものを感じ受賞に戸惑いを感じ、受賞を辞退したのだと世に喧伝されている。 が、読者は気楽に作家の書いた作品で気に入った作品だけを楽しめば良いのではないかと愚考しているのです。 大昔に読んだ司馬遼太郎氏の直木賞受賞作『梟の城』が、評者にとって面白い作品ではなかったし、これから読む吉村作品の中でも面白くない作品に出会うかも知れないと思ひながら本書を読了しました。 | ||||
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ハマってしまった。。。 この著書を読んで。 ふ~っう。 疲れた。。。 しかし、故:吉村昭氏は凄い。 この膨大な資料! 関係者方々のインタビュー!! | ||||
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BS朝日の「にほん風景遺産」で佐世保を放映した時「戦艦武蔵の艤装は佐世保で行った」という話がありました。武蔵は長崎で建造されたことは以前から存じておりましたので、この話に違和感を感じました。しかし、この本を読んで動力部分が佐世保で艤装されたことを知りました。 吉村昭氏の本は「高温隧道」がきっかけで読み始めましたが、いずれも歴史上の調査が実に詳しいのに驚かされました。 「三陸大津波」もとても良い歴史書と思います。 | ||||
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同じような題材でも、著者がどのような目線でモノを見るかで著述は変わります。前間氏の技術論に対し、吉村氏は人間論。そんな感じがします。だからこそセットで! | ||||
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私の父から、某帝国大学造船学科在学中、 長崎での武蔵の建設に学徒勤労動員で関わった話を聞かされていた。 この作品を読むまでは、私自身、武蔵に関しては、なんの活躍もしないまま、 撃沈された、非論理的“愚行”の象徴として馬鹿にしており、 父にもそのように話をしたことを覚えている。 しかし、私も、この作品と出会うことで、この認識を改めた。 本作品で、吉村氏は、日本帝国海軍の夢と野望を賭けた「武蔵」のその誕生と 終焉を愚直に追いかける。 しかし、吉村氏の高い表現力を持って描写されると、空前の巨大戦艦の、 どこが凄いのかということが、手に取るように理解できる。 主砲46センチメートルから発射される爆風の凄さ、 千を超える水密区画と、それを制御し船体を水平に保つシステム等々、 船を支える技術の凄さ、それらの意味を一つ一つ解説されると、船の持つ性能が、 圧巻としか言いようがないものであったことがわかる。 これらは、超えないといけない様々な技術的な壁を乗り越えて達成されてきたものであった。 すなわち、このような戦艦を作成する世界最高の技術が日本にはあったのだ! ちなみに、武蔵、大和に採用された水密区画構造は、その後、沈没しにくい船を作る技術として、広く世界中の船に採用されるようになり、 この技術の採用により、海難事故が激減した。 すなわち、大和、武蔵という戦艦にむけて開発された技術は、海運業の世界の安全性を高め、広く人類に貢献した技術になった。 作品後半では、「武蔵」の終焉が語られるが、様々な比喩を用いた、 圧巻の描写力で、読者は、戦闘のまっただ中に立たされる。 そして、援護も受けられないまま、これでもかという空爆を加えられ続け、 ついに浮沈戦艦とされた巨艦も静かに沈んでいく。 この時、私は、武蔵をいきもののように感じ、限りない いとしさを感じた。 日本は戦前、徐々に技術大国に躍り出ようとしていた。 戦時中、この武蔵のように世界最高の兵器を創出するために、 世界トップを目指し、その技術力に研鑽を積み重ね続けた。 戦争には負けたが、戦後、それらの磨かれた高度な軍事技術が民間へ放出され、 戦後の日本の発展の礎が築かれたのだ。 猪口艦長が最後に残した言葉、 我たおるるとも必勝の信念に何ら損する処なし。我が国は必ず永遠に栄いくべき国なり。 皆様が大いに奮闘してください。 僕らは、バブルの時代に、祖父たちから、渡された大切な命のバトンを落とし、地面にたたきつけ、 踏みにじってきたのではないのだろうか? そんなことを強く感じ、言葉に出来ない感謝を先人たちに感じ、涙が止まらなかった。 傑作です。皆さん、必ず読んでください。 ちなみに、私は、より具体的なイメージを得るために「戦艦「大和」の真実」を参考にしながら、本書を読みました。 PS: 本日、フィリピン中部沖シブヤン海の水深1キロに沈んだ武蔵が発見されたというニュースが伝わってきた。 戦後70年目の年である。 戦死された英霊から、私達のことを忘れないでほしい、 そして、日本を立派な国として栄えさせるよう、皆さんで精進してくださいといわれている気もした。 戦後の教育を受けた僕らは、戦時中のことはすべて愚行だと馬鹿にして、 さらにいわれのない罪を先人たちに押し付けることに熱狂して、 真摯に英霊たちの声を聞いてこなかった。 そのことが本当に悔やまれる。 | ||||
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素晴らしいです。実に緻密で精力的な取材を重て書かれています。筆者の個人的な思いは文中では殆ど直接的には語られず、全体を読んで読後に何万人もの関係者の思い、情念の固まりが武蔵という船に具象化されて私の心に立ちはだかるような、異様な熱さを感じました。吉村先生は、戦後最大の作家だと思います。 | ||||
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もう亡くなった私の父は、昔、三菱長崎造船所で働いて居て、この「戦艦武蔵」の建造にも参加して居ました。父から聞いた事の詳細が本を読んでよく判りました。 | ||||
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新版 ナガサキ―1945年8月9日を読んで、この作品を手に取りました。 戦争とは、このようなものだったと、淡々と、飽くまで淡々と。 武蔵と名付けられるにいたった、第二号艦の誕生から、最期までを 語りつくす。 「殊に九門の主砲が一斉に発射された場合には、強烈な爆風が艦の 全面を覆、乗組員の肉体はあとかたもなく飛散してしまう。」 「甲板上におかれた測定器は、爆風の圧力が人体には到底耐えられ ないものであることを示していた。そして、甲板上から集められた籠の 中のモルモットも、多くは内臓を露出させ、眼球を飛び出させていた。」 46センチ砲を積んだ、艦長263m、最大幅38.9m、7万トン、40cmの厚い 鋼鉄に守られた戦艦とは、狂気なのか、英智なのか、執念なのか。 物語は、最後の10ページに、一気に凝縮します。 全ては、読者の判断に委ねられます。 100点。 見事です。 | ||||
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ミステリータッチの導入部。昭和12年(1937年)7月。九州一円の漁業界が気がついた棕櫚の繊維の消失。海苔の養殖のために必要な網の製造に使われる棕櫚の繊維が市場に全く見当たらないという。この事態は、実は長崎造船所で極秘のうちに進められていた巨大な戦艦の造船によって引き起こされたものであった。 戦艦の規模は、艦の長さ263メートル、最大幅38.9メートル、重油満載量68,200トン、主砲46センチメートル、速力27ノット(時速50キロ)など、当時としては考えられないものであった。この規模の戦艦を、日本帝国海軍の威信をかけ、海外の国々にはもちろん、国内でも誰にも知られないように完成させる。そのために造船中の船台の遮蔽(目隠し)に棕櫚縄のスダレをかけることが発案され、それが市場で買い占められたのである。 この戦艦の名は「武蔵」。時は第二次世界大戦に入る直前、起工式は昭和13年3月も末のことであった。本書は戦艦「武蔵」の造船、並行して呉造船所で進められていた戦艦大和の造船のプロセスが細かく、記述される。この間、完全極秘。建造担当の技術員や労務者にたいする身元調査、機密護持のためにとられた拷問を含む苛酷な措置。しかし、完成したものも「武蔵」はあまりにも巨体であること、戦争の形態が航空主体に変化しつつあったことなどもあって、特別の活躍の場(?)もなかった。不沈といわれた武蔵は、昭和19年(1944年10月)シブヤン海にて米軍の爆撃、魚雷の集中砲火を浴び撃沈された。 著者は昭和38年秋に友人のロシア文学者泉三太郎から戦艦「武蔵」の建造日記を借用し、当初はさほどの関心もなかったが、次第に戦時中の異常な熱っぽい空気が紙面から吹き上げてくるように感じて、「戦争そのものの象徴的存在」である「武蔵」の建造から壮絶な終焉までを書く気になったと「あとがき」で述懐している(pp.270-271)。 「解説」で磯田光一氏は、「『戦艦武蔵』は、極端ないい方をすれば、ひとつの巨大な軍艦をめぐる日本人の”集団自殺”の物語である」と言い切っている(p.275)。 | ||||
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この作品は薄い文庫本にまとまっているが、これを書きあげるまでにはこの百倍以上の資料が積まれたんじゃないかと思う。 ほとんどの読者同様、船の設計・建造に門外漢から始めた筆者は、多くの資料や現場・関係者への調査を積み重ね、紙の上に完全なる武蔵を造り上げた。 恐れ入るのが、凡百の作家なら調べた労力と時間とカネが惜しくてつい不必要な資料・あるいは人間ドラマを入れて作品を膨らまし、結果的に陳腐な作品に仕上げてしまうところを、この作者はそんな誘惑は最初からバッサリと切り捨てて、調査の労力すら作品中には匂わせない。 なるべく平易で明瞭な言葉・構成をもちいて船をひとつ造り上げる複雑な工程を的確に描写し、読者の興味をそそる形で呈示する。 また、あんな大きな船を作る小説を書こうと思うと、とっかかりが無い事にはまとまらないから、まず設計技師なり現場監督なり一人の登場人物に焦点を絞って書き上げるのが王道だが、あくまでも船を取り巻く人間のエネルギーと、その徒労に終わる運命を読者に傍の特等席から見せる形をとっている。 幾人か登場人物はあるものの、ごくあっさりとしか人間像は描かれず、焦点はあくまでも船、それで最後まで苦もなく読ませるから、恐ろしい筆力だと思った。 当時武蔵に注がれた一流の技術者たちの仕事に、作家として一流の仕事で返したすごい作品。 個人的にも、吉村昭の長編を読んだのは二作目だけれど、一生読める作家に出会えた気がして嬉しかった。 | ||||
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