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(短編集)
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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古本という事でしたが、傷み汚れも無く良い状態でした、普通に読む分には全く差し支えないのでお得な買い物でした。高橋克彦センセイの作品久しぶりによみましたが、少し怖くて面白くて良かったです。 | ||||
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夏の夜にクーラーを消して読む。冷たい炭酸水をおともにして。 | ||||
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まだ本は来てませんが、克彦先生と交流がありぜひに読んでみたく購入。・・・・思っていたより早く昨日付きました。早速読んでいますが面白い! | ||||
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高校生時代に、知り合ってから30数年来の読者である。田舎ゆえ、すべての著書を入手できたわけではなく、本書は、最近、存在を知って求めた。 最初の数行を読んで、思わず奥付を確かめた。2011年秋の発表から続くことを知った。粛然とした。 周知のとおり、この年は、東北地方太平洋沖地震、俗に言う東日本大震災に見舞われた悲運の年である。宮城、福島、岩手は、とくに被害が悲惨だった。沿岸部は大津波で数万人が犠牲となり、内陸部も建物倒壊と重軽傷者多数(揺れそのものは内陸のほうが大きかった)を出して、日本近代でまれにみる甚大な被害と傷を残したのである。 東北地方は、海陸問わず被災者となった。宮城内陸部に住むレビュアーも生命までは奪われはしなかったが、それなりに避難と復旧の苦難を味わされた。 被災三県の住民は、大なり小なり、思いを共通にする。 被災三県の岩手。著者は盛岡市在住である。つまり、著者もれっきとした被災者なのだ。それをまず思い起こしてほしい。三県に住んでいるということは、沿岸部には親戚や知人が住んでいた、という可能性があるということだ。レビュアーのいとこ、親戚も住む家を失っている。著者にも、そうした縁がある人が沿岸部にいたはずだ、ということを想像してみてほしい。 沿岸部には、あの震災以降、身体をなくした人たちの逸話が語り継がれるようになった。一部マスコミでも取り上げられるようになった「震災怪談」。多くは、慙愧の念とともに粛然とするものばかりだ。恐怖はない。知った人々になぜ、恐怖しなければならないのか?皆、もう一度会いたいと思う人々。身体を失っても、会いにきてくれると、うれしい。それが生き残った被災者の、犠牲者たちへの思いである。 その思いを共有する被災者にとって、本書は、単なるホラー作品ではない、と声を大にして指摘しておきたい。 著者は、ホラーを得意とする作家ではあるが、あの震災を生き残った被災者として、多くの知人とともに苦難を体験したはず。先述したように、大津波で知人を失っただろうし、知人の縁者にもそうした悲運が襲ったことは、同じ被災者として想像に難くない。なお、被災地に生きる。犠牲者たちの人生をより知り、冥福をより強く祈る間柄でもあるだろう。 そうした被災者が願うのは、犠牲者が永遠の苦難を受けることのないように、ということだ。 そうした観点から、本書を読むに、単なるホラーではない、ことに気づかされる。なぜなら、犠牲者たちは、笑顔だから。そして、作品のラストは恐怖ではなく、感情が浄化されている。つまり、救われている。 被災者をネタにした、冒涜している、と非難する向きもあるだろうが、同じ被災者として、それはない、と思う。 これは、被災した作家ならでは、の著述だ。著者自身も深く傷ついたはず。そして、周囲には、同じく傷ついた人がいる。著者は虚実を巧みに操る作家だが、ひとりのヒトでもある。だから、ネタではなく、災害の辛苦を共有した同胞たちへの悼みを、自分に出来る方法で、表したかったのだ。あえて小説に記すことで、ショックを和らげながら、鎮魂の祈りを捧げたい、ということだ。作家の自分にしかできない、そして、それが出来る立場なのだから、と。発表時期がそれを裏付ける。被災間もない初夏ごろからの執筆であろうことが、推察できる。あの震災で、だれもがメンタル的に厳しい中、被災者たちを主役にした作品を著すことにどれだけのエネルギーが注ぎ込まれたことか、想像してみてほしい。その年の内に、秋に発表したことに。著者自身傷ついた心を癒すリハビリでもあり、同胞たちへの哀悼の花束であったであろうことを。 写真をモチーフとしているのは、著者の写真好きももちろんあるが、記憶に残す、記録という意味合いがある。記憶シリーズに通じるとは感じた。作家が、自身の得意分野や興味が深い分野を作品に反映させるのは、よくあること。神林長平氏が、戦闘機に対する興味を深くしていった結果、生まれたのが、「戦闘妖精・雪風」シリーズだったように。著者にとっては、写真をモチーフにすることで、創作意欲を奮い立たせたのだ。同時に、写真論がなければ、読み進めるのがつらくなるはずだ。偏りすぎているという評があったが、著者の心情、被災者たちへの思いに心めぐらすと、平常心を保つのに必要だったし、写真論がなければ、ただただ、辛い感情、慟哭しかつづられていないのだから。過去収録の作品の再録も、同様の理由だろう。統一感と緩衝材を兼ね備えた作品が選ばれている。そうしたことも含めて、読者にさりげない配慮がされた構成になっていることは特記したい。 本書を知り、購入検討の際に、レビューを目にした人々へ。 本投稿は、震災から6年を控えた2日前である。レビュアー自身も遅れはしたものの、本作とのめぐり会いとシンクロニシティーに驚いたひとり。それは、先述した読み始めすぐの奥付確認の行為から察して欲しい。自分は、このタイミングで手にしたことに感謝したい。当日は黙祷。多くの被災者がするように。毎年の恒例であるが、改めて、あの日を思い起こすことになるだろう。 著者は、小説として発表した以上、エンターテイメントとして捉えられるのは覚悟しているだろうが、同じ被災者として、単なるエンターテイメントとして捉えることはできないし、してほしくない。読むべきでないという評もあったが、通常のエンターテイメントではないことを理解できていない視点からの断定。著者だけでなく、多くの311被災者が嘲笑されているかのようでもある。多くの感情から生まれた作品集であることに思いを馳せてくれたら、著者はうれしいと思う。レビュアーもそれを切に願う。 | ||||
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著者の小説は、岩手に1年仕事で住んでたときに出会った。 そのころは記憶シリーズがちょうど出版されていて、そのホラータッチが気に入り、読み始めた。 今回の作品は、最初の3つは私の好きな記憶シリーズを彷彿させる久方ぶりに気に入った作品だった。 また、震災は東北にお住まいの方々の心に多大なキズを負わせたのだとこの小説からも伺える。 2作品ほどどこかで読んだ覚えがあると思っていたら、前作のたまゆらりに所収されていた作品だったので、ちょっと残念だった。 | ||||
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カメラと写真を中心においたホラー短篇集です。 3.11の被災地で、死者が写り込む様になってしまう「さるの湯」から始まる9篇が収められています。 それぞれの短篇のテーマやモチーフが少しづつ重なる形で、物語は違うのですが「しりとり」の様に繋がってゆきます。 私が気に入ったのは、この中で唯一「ホラー」の要素のない「約束」です。 何十年も前に分かれた同棲していた女性の息子との出会いから物語が始まります。 その別れた女性の気持ち。 実の父親と知りながら、そんな風な様子を全く見せず会談をする息子。 何十年前の「約束」を果たすため急遽病院に駆けつける主人公。 「若さ」故に相手の気持ちも解らず別れてしまった二人が、一つの「約束」に依って結びつきを取り戻す物語です。 そこには、主人公のデビューのきっかけとなった「写真」があった訳です。 この本を通して面白かったのは、「写真」と言う「芸術」の意味を求めてゆく所です。 現時点の「真実」を捉える「写真」に、作者の「意思」「意図」はどうあらわされるのか? 「写真」=「芸術」ならば、当然ぶつかる問題かも知れません。 | ||||
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