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(短編集)

一人称単数



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【この小説が収録されている参考書籍】
一人称単数 (文春e-book)

一人称単数の評価: 3.83/5点 レビュー 166件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.83pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全166件 1~20 1/9ページ
No.166:
(5pt)

スワローズファンの方読んで‼

頭の中でファンタスティックに映像化される、現実とも幻想ともつかない不思議な出来事。
夢物語の短編映画を見ているようで、私には心地よかった。

書評では第7作「品川猿の告白」の人気が高いようですが、こんな猿が自分の中にいて時々現れてくれたら人生面白いだろうな、と思う。

そして、この本の空気感を吹き飛ばす第5作「ヤクルト・スワローズ詩集」‼
いやもう、あまりの面白さにこの本を食べたくなった(ぐらい)! 5回は声を出して笑いました。
ヤクルトスワローズファンの方、特に往年の。是非とも読んでください。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.165:
(5pt)

面白かったよー

村上春樹の自伝的な野球の話とか猿の話が面白かったです。一人称単数はいつも通りの村上春樹って感じがして良きかなーって感じだったです。With the Beatlesもとても良い教訓になる話だなーと思いました。以上!
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B089NDCT8P
No.164:
(3pt)

世の不条理と謎

村上春樹は世の不条理と世界の謎を溜め込んで、時々、芸術の形で吐き出しているのか? 私も年を取りかつての全肯定ではなくなったけれど、村上春樹のストーリーには引き付けられる。最近はラジオのパーソナリティとしても大活躍ですね。これからも個性的な人物造形を続けて欲しい。
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B089NDCT8P
No.163:
(3pt)

アルトゥール.シュナーベルさん

について、書いてある所があり、あんまり好きなピアノ弾きさんではなかったんだけど、シューベルトとか、やけに間があくんで、バタバタ弾いてるとことか?え?っと思ってました。
でも、最近読んでいるある本で偶然、御本人があれは小休止(つまり、スゥィングかな?)と証言していて、芸術にはスゥィングが大切と書いてあった。そうなんかな。
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B089NDCT8P
No.162:
(3pt)

ノーベル賞はむりかな

村上春樹の作品は楽しみにしておりそう言う意味で逆に残念かな。
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B089NDCT8P
No.161:
(2pt)

つまらない

村上春樹の作品は年々冗長になり、衒学的になっていく。疾走感がない。
古い音楽の知識を詰め込みすぎ。「どー---でもいいー---」と何度も思った。
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B089NDCT8P
No.160:
(5pt)

今までの短編集とは違って、『突き抜けている』感がスゴくある

これは、『女のいない男たち』の6年後の2018年『文學界』の7月号に3編、2019年の8月号に2編、12月号に1編、2020年2月号に1編、そして書き下ろしが1編という内容でリリースされている。

で、普段は最初から順番に読んでいくのだが、今回は違った。飛び抜けて目を引く作品があったからだ。それが『品川猿の告白』だ。

『東京奇譚集』を読了した方は理解していただけると思うのだが、『東京奇譚集』の中で、飛び抜けて光を放っているのが『品川猿』だ。この後日談、つまり品川区を追放された後のあの品川猿のその後が書かれているのが間違いない訳で、これは読まずにいられないということで、最初に読み始めた。

品川猿は、群馬のM温泉に今はいるらしい。相変わらず、ヒトの言葉を喋り、能力もそのままのようだ。ただ、ブルックナーを聴いたりすることはできないようである。

また、『一人称単数』のなかには、変わった作品がいっぱいある。その中で、特にびっくりしてしまったのが、『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』だ。ジャズを聴かれている方には、タイトルだけで、えっ、という感じになると思う。

それは、まずこれはありえないはずだ、ということがジャズ・ファンなら根底にあるからだ。それを見越した上で、この作品は書かれている。

このあるはずがないアルバムを、村上春樹は、完璧な想像力で、詳細までレビューしてしまう。特に、アントニオ・カルロス・ジョビンと組ませるあたりに感心してしまう。最近、ジョン・ピザレリがアントニオ・カルロス・ジョビンの孫であるダニエル・ジョビンと出したアルバム『Sinatra & Jobim at 50』を気に入っていて、そのアルバムの雰囲気が頭に残っているので、余計にこの短編がシミた。

また、『謝肉祭(Carnaval)』というのがある。実に面白い短編だったのだが、その中で、無人島に持っていけるたった一曲を選ぶ、というのが出てくる。よくある話題だが、村上春樹(もう、この短編集では僕ではなく村上として多く登場するのも面白い)は、シューマンの『謝肉祭(Carnaval)』を選んだのだが、この選ぶ過程で、平均律とかベートーベンのピアノ・ソナタとかを落選させる理由が面白くて、そうだなぁと頷きながら読んだ。

で、この作品の中で、村上春樹が選んだアルバムが、ルービンシュタインで、登場するものすごく醜い女性が選ぶのが、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのエンジェル盤だった。ルービンシュタインの方は、ぼくが知る限りCD化されていなくて(というか、ルービンシュタインのCD化されているのはショパンばっかりだ)、このアルバムを指しているのだと思う。さすがにこれは持っていないので、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのエンジェル盤を聴きながら、読んでみた。確かに、素晴らしい演奏で、もう一種類グラモフォンから出ているアルバムより、こちらが良い。

で、当然、村上春樹は、『古くて素敵なクラシック・レコードたち』で、このルービンシュタインのアルバムについて書いているのだろうな、と思って読み直してみたのだが、なんと両方のアルバムが掲載されていない。これにはちょっと驚いた。

選ばれた9枚は古い録音ばかりだ。なんでこうなるのだろう。自分の作品『謝肉祭(Carnaval)』で、ここまで持ち上げておいて、取り上げないということがあるのだろうか。

結論から言うと、『古くて素敵なクラシック・レコードたち』あたりでもう村上春樹はボケてしまっている気がする。こんな扱いをルービンシュタインもアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリも受けるべきではない、と思った。
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No.159:
(5pt)

本が無事に届いた、斬新です

保存が良い、新しい本です
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B089NDCT8P
No.158:
(4pt)

何とも言えない不思議な読後感

村上春樹作品はいつもそうだが、なぜ面白いのか?がうまく説明できない。けれども面白い。一つ確実に言えるのは文章の妙味があること。表現それ自体と他の作家と一線を画する文体。読めば村上春樹と確実にわかる文体。そこに魅力があることは間違いない。しかし、それでだけではなく不思議な(必ずしも起承転結ではない。伏線も回収されるとも限らない。けれども不思議と惹きつけられる)ストーリーも魅力の一つ。この短編集もまた村上ワールドを堪能させてくれた。
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B089NDCT8P
No.157:
(4pt)

村上春樹入門におススメ!

タイトルにも記したように、村上春樹入門におススメ! である。
なぜか?

理由1、短編集だから。
では、なぜ短篇集が良いのか。
それは、次から次へと世界が変わるので、読書の習慣がない人にとっても飽きずに読み続けられる可能性が高いから。
ふと気がついたら1冊読了。これは長編小説にはないメリットだ。
また仮に、「なんかつまらない」、「肌に合わない」などと、ネガティブな感情に呑まれたとしても、その1篇をさっさと終わらせて別の篇に行くことができる。
本書に収められているのは全8篇。どれもものの30分もあれば読了できるような小規模なものだ。経験則上、8篇もあれば、どんなに肌に合わずとも、どれか1つ位は面白いと思える作品と出会えるものだ。

理由2、内容
さて、内容的にはどうかと言うと、しっかりと”村上春樹”している。
どういうことかというと、
①幻想的なストーリー展開
②サブカルチャーへの深い造詣
③露骨な性描写。
ざっくりだが、これらのポイントは、村上作品を”受け入れる”か”拒絶するか”の尺度になるのと同時に、この作家を特別なものにするための”色”でもあるのだと思う。
本作は短編集でありながら、しっかりとこれらのポイントをおさえている。
中でも、「石のまくらに」、「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」、「謝肉祭(Carnaval)」以上3編は、とりわけ村上氏の従来の作品がもつ”色”を強く踏襲していると感じられた。
ほかにも、「品川猿の告白」は、ユーモアの滲み出る良作。
そして、とりわけ印象深く、出色の出来と感じられたのは「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」。
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」という架空の盤をでっち上げ、自ら批評を行う所から始まる当編からは村上氏のやんごとなきイマジネーションの発露をメキメキと感じられる。
これにはほとほと脱帽・感服した。

以上、本書を「村上ワールド」への入り口にしてみてはいかがだろうか?

※これまでに村上春樹作品を幾らか読んだことがある人にとって、本書はいささか物足りないと思うのではないかという気がする。それが☆4の主たる理由である。
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No.156:
(3pt)

THE 村上春樹の短編集

騎士団長殺しが村上春樹の全部乗せ長編という感じであったが、この一人称単数は短編の形での全部乗せという感じ。
物語としては昔読んだような気がしてワクワクしなかった。でも、村上春樹の表現やリズムを味わうという楽しみ方は今回も出来る。まあまあ快適な時間を過ごせる。
品川猿も他のと同じく今までにもあった形だなと思ったけど、この本の中で一番楽しく読んだ。
最近はもう期待度は低いのだけれど、これからも新作がでれば読み続けると思う。
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B089NDCT8P
No.155:
(3pt)

風邪ひいた時の夢みたいな内容

初春樹です。

「僕」=村上春樹で読んで差し支えないので、短編集というより妄想エッセーと呼んだ方が早い。

取り留めもない、特に伝えたい事も無いような文章が、回りくどく冗長な文体で綴られている作品だと感じた。

特に苦手な表現は、「A(もしくは¬A)」…というもの。厭世的で投げやりで気取った中二病、という感じで、正直嫌な人だなあと思った。
この滅裂な浮遊感が好きな人には刺さるのもまま分かる。

ただ自分には合わなかった。

比喩表現も「なんか上手いこと言ったろ!」と意気込んで滑っているきらいがある。比喩によって何が言いたいのか伝わってこない。

繰り返しになるが「…で、何なの?」で済んでしまうような取り留めもない話が多く、得るところが無かった。
別に全ての物語が教訓めいているべきだとは思わないけれど、不快感以外の「何か」を感じさせて欲しい。上手いこと言おうとしなくてもいいから。

小学生の夏休みの一行日記ほどにも考えさせられるものがなく退屈だった。
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No.154:
(5pt)

ほぼ新品

全くキズなく、満足して読んでいた
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B089NDCT8P
No.153:
(2pt)

衰えなのだろうか?

村上春樹は近年、長編より短編の方が魅力ある作品を創作できていたと個人では感じていたのだが、本作にはその魅力をまるで感じなかった。
本編の小説内でも自ら書いているが、テーマがないのである。まるでテーマがないことがテーマであるかでもような短編がいくつも続く。
女のいない男たちでいくつも見受けられた、読み手がハッとするような冴えわたった、人生の核心に迫るようなアフォリズムも見当たらなかった。
唯一、かすかに謝肉祭だけはそれらしきものを感じ取ることができ、かつての村上春樹の余韻がある。
あえて、そういった一読してテーマの希薄である短編を連ねたのどうかはわからないが、もしテーマを作り出そうと小説内で試みてはいるものの、それを生み出すことに失敗しているのであれば(私にはそう感じられた)これからの村上春樹の作品に期待が持てず、衰えたということであり、心配である。
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B089NDCT8P
No.152:
(5pt)

ここではないどこか

緩やかで、確かな死。
少しずつ進む話。
不穏な気配。
不条理。

もういっそ俺に生まれたなら。
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B089NDCT8P
No.151:
(5pt)

理不尽とか不条理とか、生きている証拠みたいなもの

世の不可解、不条理が自分を取り囲み、悩まし、自分を粉砕してしまうような話を集めたのかなと思ってみた。運命は自分を翻弄し、苛むけれども、作者の人生経験上、どうあがいても勝てないのであって、負けてオーライ。負け負け負けでやってきたみたいな人生だったと、一人称単数のまさに自分を振り返ってみた説話集なんじゃないかと思った。でもまあ、身に降りかかってくるそれにいちいち傷ついていたら、それこそ世の中、引きこもりとうつ病患者だらけになってしまいますから。おおらかに、寛容に、できれば太く、あるいはいじましく、生きていかないとね!みたいなことも含めて。
 私が好きだった話は、①チャーリー・バーカー・ボサノバ ②ウィズ・ザ・ビートルズ ③ヤクルトスワローズ ④謝肉祭 ⑤品川猿。一番好きだった表現は、好きな子に学校で出くわすと、どこからか小鈴がなりだす」というもの。
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B089NDCT8P
No.150:
(4pt)

面白かった

少し前に、「国境の南、太陽の西」を読み直しました。
面白かったんですが、やっぱり若干の古臭さみたいなものを感じました。
この短編集はさすがにそんなことはありません。
そしてエッセイのような、フィクションのような感じがとても面白いです。
短歌とか詩とかってあまりないパターンとも思いました。
そして不思議な出来事の雰囲気が好きです。
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B089NDCT8P
No.149:
(4pt)

(2021年―第94冊)私は村上春樹の熱心なファンではありませんが、結構楽しめました。

「文學界」誌で2018年から2020年にかけて掲載された短編7作に、書き下ろしの表題作をあわせた短編集です。

◇「石のまくらに」
:「僕」は学生時代、アルバイト先が同じだった、今は名前も忘れてしまった女性と一晩を共にしたことがある。彼女は短歌を作っていると話し、後日、自作の歌集を郵送してくれた。その女性とはその後、一度も会うことなく、長い年月が経った……。

 村上春樹氏の書く青年は常にcontraceptionを用いないことが知られていて、この短編の主人公も例外ではなのですが、とりあえずそのことは措いておきましょう。
 この「石のまくら」に登場する“歌人”は今どこで何をしているのかも定かではない存在ですが、「僕」の人生に三十一文字の物語群を確かに残しています。そのことを「生き延びた言葉たち」とか「(言葉たち)には証人として立つ用意ができている」などと表現しています。
 こうした記述をたどりながら、私は村上氏がかつて『 村上さんのところ 』の中で「悪しき物語を凌駕する良き物語を作っていかなくてはならない」と記していたことを思い出しました。表現者である村上氏の、表現することの気概のようなものを感じました。
 また同時に、「石のまくら」の中では、「あとに残すためには、人はときには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない」とも述べています。表現者が、自らの身を削って表現することの過酷さを、そして「石のまくら」に自らの首を載せることを強いられる苛烈さを、この文章に見て、私は心揺さぶられました。

◇「クリーム」
:18歳の時に「僕」は、以前一緒にピアノを習っていた女の子からリサイタルへの招待状をもらう。もう随分会っていなかった彼女から突然招待された理由を訝りながらも、神戸の山の上の会場へと足を運ぶ。しかしその会場は施錠されていて、コンサートが開かれる様子は微塵もない……。

 この物語の「僕」は、まず、この開かれることのないリサイタルへの招待状の謎に悩まされます。そしてその直後、会場近辺の公園に現れた老人から「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」を考えるように言われます。
 二つの問いに対する解などそもそもあるのかもわからぬまま、「僕」はその後の人生を歩んできました。「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある」という老人の言葉に導かれるようにして。

 オノ・ヨーコ『 グレープフルーツ・ジュース 』はまさにこうした禅の公案のような不思議な問いかけに満ちています。「空にドリルで穴をひとつあけなさい」とか「転居通知を出しなさい。あなたが死ぬたびに」といった具合です。ジョン・レノンの『イマジン』がこの『グレープフルーツ・ジュース』に強い影響を受けているのはよく知られています。そして、およそ解をもたないように思える問いへの答えを「むずかしいことを考えるためにある」頭を使って想像すると、何か新しいものが創造される場合もあると教えられる気がします。この《想像》が生む《創造》もまた、表現者が読者に促す事柄のひとつといえるのかもしれません。

◇「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
:「僕」は学生時代に、チャーリー・パーカーがボサノヴァを演奏するという架空のレコード評を戯言として書いたことがある。ところが、ニューヨークの街角でそのでっち上げに過ぎないレコードを実際に店頭で見つけてしまった「僕」は……。

 ここまでくるとこの短編集は、幻想譚を集めた書であるような気がしてきます。とはいえ、『トワイライトゾーン』のような怪奇や妖気の世界というよりは、この程度のことはどこかでひょっとしたら起こるのではないか、そしてそれでもその原因や理由は人知の及ばぬところに存在して、手が届かない、という幻惑感が募ります。そしておそらくは、原因や理由の究明が要諦ではなく、その不可思議な世界に身を置く「僕」は果たして何を思うのか、を探求するのが肝であるような気がします。
 今回はチャーリー・パーカーという夭折の天才が、語りかけてくる姿を幻視しながら、唐突に訪れる「死」に思いをはせる「僕」(と君)がいます。

◇「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」
:1964年ころ、神戸の高校生の「僕」はサヨコという同級生とつきあい始める。ある日曜に“約束通り”彼女の自宅を訪ねると、そこにはサヨコの姿はなく、彼女の兄が「僕」を出迎える。そしてこの兄は僕に小説の朗読を所望しだす……。

 これまた、約束したはずのサヨコがなぜか不在で、その不在の理由は一応明かされるのですが、それが真実であるのか否かはわかりません。そして10年以上の月日が経ったあとの兄との再会が何を意味するのか、国語の授業で求められるような《解》は得られません。遠い過去の出来事をあれはいったい何だったんだろうと訝しく思いながらも、その真実の姿は永遠にわからずじまいという、誰の人生にもひとつふたつは転がっている想い出の欠片に思いをはせる一編です。

◇「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
:これって小説ではないですよね。なにしろ「一九六八年、この年に村上春樹がサンケイ・アトムズのファンになった」という一文が出てきますから。

 戦力・実力ともに常勝巨人軍の足元にも及ばず、阪神タイガースのような強烈な地元愛がファンの間にあるわけでもない、ヤクルト・スワローズと、それがサンケイ・アトムズと呼ばれた時代から村上春樹氏がファンとして過ごした日々を綴った随筆です。
 もちろんそれはヤクルトへの愛を語るだけには終わりません。熱狂的なタイガースファンだった今は亡き父との思い出や、記憶があやふやになってしまった母がなぜか買い集めていたタイガースのテレフォンカード、自分が小説家と呼ばれることになったあの頃、などなど、村上氏の遠い昔のあれやこれやが、不思議な味わいをもったスワローズを詠った詩とともに提示されます。

 村上春樹氏の『 猫を棄てる 父親について語るとき 』(文藝春秋社)と共に読みたい一編です。

◇「謝肉祭(Carnaval)」
:「僕」は一人で出かけたクラシックコンサートで友人と出会い、その友人から「F*」という女性を紹介される。「彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった」その彼女とシューマンの『謝肉祭』の感想で意気投合して、彼女の家に通うようになる。妻は「F*」のことを「あなたのガールフレンド」と呼んでいるがさほど関心を寄せていない。ある日、「F*」と連絡が取れなくなって……。

 女性の見かけの美醜と、その内面である心や知性との対比や落差について語る物語かと思いきや、最後の段落で、これは村上春樹版『 グレート・ギャッツビー 』だということに思い至りました。遠いあの頃に、その心に魅せられたある人との苦い思い出があり、「それらの記憶は、あるとき、おそらくは遠い長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる」と記されます。(183頁)
 フィッツジェラルドの小説の結びでも「So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.(流れに逆らう小舟のように、僕たちは過去へと絶え間なく連れ戻されていく。)」と、語り手のニックが、記憶によって過去へと連れ戻される様子が描かれていました。
 

◇「品川猿の告白」
:「僕」は群馬県のM*温泉の宿で、言葉をしゃべる猿と出会う。ビールを酌み交わしながらその猿が語るのは、「好きな女の名前を盗む」という話だった……。

 言葉を話す猿? 人の名前を盗む?――村上ワールド炸裂の奇妙奇天烈な幻想譚です。

 猿は「愛というのは、我々がこうして生き続けていくために欠かすことのできない燃料であります。【中略】しかしたとえ愛は消えても、愛がかなわなくても、自分が誰かを愛した、誰かに恋したという記憶をそのまま抱き続けることはできます。それもまた、我々にとっての貴重な熱源となります」(205頁)と語ります。これは『 アフターダーク 』の次のことばと同じ系譜のものでしょう。
「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。(中略)もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。」

 その一方でまた、「どれほど鮮やかな記憶も、時間の力にはなかなか打ち勝てないものだ」(210頁)といううら寂しい真実も記されています。

◇「一人称単数」
:妻が出かけた後、「私」は久しぶりに背広を着て一軒のバーに入った。そこでウォッカ・ギムレットを飲みながら本を読んでいると、見知らぬ一人の女性客がからんでくる……。

 まったく見ず知らずの女だと思うのだが、女は「私」に、三年前に水辺であたながどんなおぞましいことをしたか考えてみろといいます。しかし「私」には心当たりがまるでありません。
 なんだかカフカ的不条理世界に放り込まれた、現代日本の名もなき男の居心地の悪さを味わう小説でした。

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一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.148:
(1pt)

性描写が不快だった

性描写が不快だった
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.147:
(3pt)

作家の感性が切り出して物語にした日常

主人公「ぼく」(村上春樹本人であることが明示された作品もある)のエピソード集。エッセイのような小説のような。高校大学頃にであったなにかと大人になって再会するような、日常的な作品が続く。ビートルズ、ヤクルトスワローズ、シューマン等が色を添えたり主体になったり。一見非日常だが、我々一般人にも起こっているような日常を作家の目や感性が的確に切り取ると物語になるのだ、という使い古されたような言葉を改めて思い出す。のんびりと隙間時間に読めるが、一気に読むとまた少し印象が違いそうな一冊。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P

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