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たぶん最後の御挨拶
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たぶん最後の御挨拶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全36件 21~36 2/2ページ
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小説を読んで「東野圭吾」という人物を知りたい人には買って損なし. 自伝+自作解説まであり,小説と解説をリンクすると深い. | ||||
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大好きな作家ですが、 あまりエッセイは読んでませんでした。 ふとしたきっかけで、手に取りました。 エッセイでもおもしろいな、と思いました。 小説とは違う、 素顔な作家、素直な作家の声。 自作解説は、かなりよかった。 『天空の蜂』は、 僕も最高傑作のひとつだと思う。 思いのほか、反響の低さに、作家はがっかりしたという。 僕も同感。 劇団四季に寄せてる文章があるのは、 ちょっと不満。 エンターテインメント性を重視する作家の勢いそのままに、 映像化作品も、その臭いはしてくる感じ。 | ||||
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昨年は東野圭吾の当たり年だった。トーハン調べによると2008年 年間ベストセラー 単行本・文芸部門で、トップ3を独占している。 東野氏は2005年度の直木賞を受賞してから一気にメジャーになったが、意外なことにテレビドラマで有名な「ガリレオ」は1998年の作品だ。 「ガリレオ」に代表されるように、彼の作品は理系的な題材がよく用いられ、スタイルもまるで論文を読んでいるかのような単純明快な文章である。 著者はこのように、コンテンツに理系の題材を用いていることで元理系作家として注目されることが多いが、彼の作品をいくつか読んでみると小説を書くというプロセスそのものにも理系のスタイルを持ち込んでいるような気がしていた。 そして、「たぶん最後の御挨拶」をみてそれを確信した。 この本では、自らの著作約60冊を振り返っている章があるのだが、そこで分かったのは以下のような著作スタイルである。 ・失敗作を作り直している ・今までにないパターンを常に模索している ・一度成功したパターンを、角度を変えて別のネタに再利用している ・徹底的に読み手の立場に立って書いている ・環境の変化にすばやく対応 これは、まさにユーザー中心設計手法で、しかも典型的なカイゼンの手法ではないか。 とうとう小説の世界も人間中心設計とカイゼンの時代が来たのだ。 そういえば、東野氏がデビュー前に5年間務めた職場はトヨタの部品メーカー「デンソー」なのだから当然か。 | ||||
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東野圭吾は小説家であってエッセイストではない。だからこうした本の刊行を著者自身が心から望んでいるとはあまり思えない。エッセイの出版は本書で5冊目だ。「たぶん最後の」というタイトルもなかなか神妙。本書が絶対に最後だと「言い切っていない」からである。とはいえ、本書に収録されたエッセイは読ませるものが多い。「最後の御挨拶」という表題も十分に頷ける。でも私はやはり彼の小説を読みたい人間である。 本書で特に印象的なのは、「年譜」と「自作解説」そして「映画化など」の前半部分の内容である。27歳の若さで乱歩賞を受賞してからの彼の作家人生は決して「青信号」ばかりではなかった。幾度となく受賞を逃し、その後も連敗記録を重ねていったことが率直に語られている。その苦労や粘り強さが現在の東野圭吾を支える原動力になっている。絶対の自信をもって出版した本がまるで売れなかったことも赤裸々に綴られ、なんだが不思議なくらいに励まされる。「あの東野圭吾にもそんな不遇の時代があったのか!」と読者は驚きの念を持ちつつ、本書を読み進める。そしてある重大な事実に気がつくはずだ。「それでも彼は小説を書き続けた」ことに。 作者自身による簡潔な「自作解説」は有益というよりは、興味関心が尽きない。すべての著作を読んでいるわけではないが、作品に込められた作者の真意(魂というべきか)を読み抜いていたときには思わず作者とコラボレートしたような感覚になる。「読み方は自由」であるのがルールであり、それは彼の後半のエッセイで明確に述べられている。アイディアの一端を知っただけでも読者はその作品に親近感を持つ。最後に一言申せば、私は東野圭吾に心から感謝している。大袈裟な言い方をすれば、人生の幅が拡がったような気がするのだ。ひとまず彼の作品を読み終えるが、また再開したい。そのときには今とは違った「構え」で接し得るだろう。ありがとう、東野圭吾。 | ||||
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「あの頃ぼくらはアホでした」とこの本を読むまでは、作者はてっきり文学青年で、作家とし ての王道を歩んできた方なのかと思っていました。今や日本のミステリー文壇を代表する作家 の一人になった作者がもともとは本嫌いで、若いころから将来を嘱望され、期待通りの作家人 生を歩んできたわけではないことを知って、平凡なサラリーマンの私も元気が出ました。もち ろん、才能があったからこそ、ここまで来られたのだとは思いますが、壁にぶつかった時、東 野圭吾でさえも不遇の時代があった、と思えば、壁を乗り越えるための元気が出そうです。自 作についてのコメントや裏話が読めますし、これが最後のエッセイだとのことですので、東野 圭吾ファンは必読の一冊だと思います。ただ、エッセイというより自叙伝的な内容なので、著 書を読んだことがなくて、いきなりこの本から入ると面白くないと思います。エッセイとして 見ると内容は平凡です。あくまで東野圭吾が書いたものだからこそ価値がある一冊だと思いま す。 | ||||
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ご存知、直木賞作家の数少ない、そして最後の(?)エッセイ。小説にはあまり見られないが、全体的に関西人らしいユーモアがあふれており、非常に読みやすい。これまでの経歴や思い出、好きなものなどがくだけた口調で語られる。 会社員時代に書いた、しかも下書きもなしにいきなり書き始めた第一作が江戸川乱歩賞の2次選考まで通ったということには驚かされる。「才能」としか言いようのないものがこの世には存在するのだ。 「鳥人計画」が吉川英治文学新人賞の候補になったという出来事も興味深い。私はこの作品ではじめて東野圭吾のことを知った。いわゆる本格推理でない広義のミステリーを読んだのは初めてだった。テーマが私の好きなスポーツということもあり、すごく新鮮でワクワクしながら読んだことを覚えている。この本で彼のファンになり、だいたいの作品は読んだ。忘れられないと同時に、お勧めの小説である。 最近の東野は、本格推理を離れて、もっと大きなテーマのミステリーを書くようになった。前述のとおり、私には彼の「鳥人計画」が面白かったので、本格推理より広義のミステリーのほうが好きである。したがって、このような変化は大歓迎だ。それだけ、彼が経験を積み、人間として成熟してきたということかもしれない。成熟したからこそ、人間の悪意や加害者の家族について考えるようになり、視野が広がってきて、より深みのある作品を書けるようになったのだろう。 しかし、文学賞落選記録15回といえば相当な数である。才能のある彼でさえ、直木賞を取るのにデビューから20年ぐらいかかっているのだ。それに比べれば、私が今目指している英検一級などは大したことはない、努力すれば必ず取れるのだ、と励まされた気分になった。これからも彼の活躍を祈りたい。 | ||||
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この本を読むと,やっぱり東野圭吾はエッセイストではなく小説家なのだなぁと実感させられます。小説での練られた文章表現と比較し,エッセイのそれは別物。自分の年譜を語る文章も「苦労している」系の表現を多用しつつも読んだあとに残る感想は「順風満帆じゃん」となってしまいます。これほど小説とエッセイの文体が変わっちゃう人も珍しいのではないでしょうか? しかし,やっぱり東野圭吾ファンには嬉しい一冊。自らの作品の解説(感想?)もあり,これまでの作品を思い出して楽しめます。また読みたくなるし。そういう懐かしい思いに浸るにはいい一冊かも。 | ||||
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単純に言って、とても面白い本です。著者の日記といった感じがしました。 年代ごとに自分史を整理して、作品ごとの思いを列挙し、そして様々なテーマで。 最後の「楽しいゲームでした。みなさんに感謝!」は、力がこもっていて、人柄の良さも感じさせられ、 これからもこの作家の作品を読み続けたいと思わせられます。 「あとがき」でエッセイは最後とほのめかしていますが、はっきり最後と言い切っていないところが怪しいのです。 「おそらくこれが最後」と言っているし、『「これで最後だから」は、作者自身に対して言っているように思えるし、 いずれにしてもこの本のタイトルが『たぶん最後の御挨拶』ですから、“たぶん”ってのが、最初から曲者です。 | ||||
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私は、著者の熱心な読者ではなく、エッセイも本書が初めてなのだが、本文中に宣伝がなされている事もあり、読後『あの頃ぼくらはアホでした』が読みたくなってしまった。 小説を読み慣れないので、著者が自身で自著に触れている文章を初めて読み、会社員からあまり売れない作家生活へその後有名作家へと“変身”していく舞台裏と共に興味深いエッセイであった。 個人的には、ガメラ撮影現場の様子・カップ焼きそばの奥深い作り方・横浜の梅林での30品目への挑戦・(『誰が本を殺すのか』にも提案されていなかった)犯罪防止用にローテク書店印のすすめの各文章を面白く読んだ。 『たぶん最後』と言わず、小説の筆休めとしてブログ的な短文を書き溜めて、書籍化して欲しいものである。 | ||||
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待ちに待って買った本と言うのは本当に久しぶりである。もう、何十年とそんなことは無い。でも、この本は発売の前から近所の本屋さん2、3件を今年1月はじめから毎日のようにまわってまだかまだかと探していた。 そして、当たり前だけど、やっと発売日に入手。期待していただけあった、探しまわっていた甲斐があった。この本、最高に面白い、そして、親切である。この人らしいと言うか、ちょっと浮け狙いすぎるくらいである。 なかでも、一番買って得したと思ったのは、先生の本を先生自身が解説してくれているところである。ここまでしてくれる人は他にいない。この部分だけでもすごく良いガイド本である。他にもいろいろあるが、それは買ってのお楽しみと言うところか。私は先生の本は、まだまだ5冊くらいしか読んでいない、ビギナーなのだけど、この本をガイドに読み進んでいこうと思う。 私は先生と同じ大学の卒業生であり、その大学の近くに住んでいることもあり、非常に先生に親近感を持っている。これは、どうも私だけではないようで、最初に言った近くの2、3の本屋さんでは、いつも先生の特集コーナーがある。年がら年中特集の札を立ててある。 こうして、みんな応援している。エッセーはこれで最後とは、残念な限りですが、その分、約束どおり、これからも面白い小説をかき続けて欲しい。そんな気持ちにさせる名エッセーです。 | ||||
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東野さんのエッセイを読んだのは初めてだったので楽しく読みました。へー、バツイチなんだぁとか、お父さんが老人ホーム入ってるんだぁとか、不遇な時代が長かったんだぁ(私は売れてなかったとは知らなかったので)とか、色々と東野さんを取り巻く環境が判ったりで楽しかったです。 私は、“手紙”、“片思い”、“容疑者Χ”、“運命と魂〜”なんか好きなので、これ読んで以外に軽い人なんだなぁなんて思ってしまいました。 | ||||
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東野圭吾エッセイ、面白いです。エッセイというより、作家東野圭吾の自分史、作品史という方が正しいのかもしれません。 全編、東野氏の人間味がでていて、「この人、推理小説の作家???」という印象を持ってしまうかもしれません。 「作家東野圭吾の裏側(じゃないですね)『全部見せます』」という内容です。作家の「楽屋落ち」本、好きな方にお勧めします。 「東野圭吾」を知らなくても、十分に楽しめます。作家という人種はまったく・・・ですね。 | ||||
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私は「秘密」「白夜行」「片想い」の3作品が東野さんの作品で最も好きです。 本書「たぶん最後の御挨拶」を読むと、私がなぜこの3作品が最も好きなのか納得できました。(まぁ勝手に推測しただけかもしれませんが。。。) 東野さんは府大(関西人は大阪府立大学のことをこう呼びます)卒業後、結婚され、その後、離婚されています。 秘密はその離婚後に、デビュー以来初めてあえて1年間何も出版せずに、満を持して出版されました。そして、推理作家協会賞を受賞し、広末主演で映画化もされ久しぶりのヒット作となりました。 そして、その秘密の後に、白夜行、片想いが続いて発売されています。 私はこの3作品が家族のことを描いている点で共通点があることに気づきました。 いずれの作品も別れ(妻への失恋・愛する人との死別・離婚)がキーワードになっています。 離婚後に続けて発表されたこれらの作品はある意味必然的に家族と別れがテーマになり、それは東野さんの離婚という経験が大きく反映されているであろうことに気づきました。 本書はこういった作者の当時の心情や、作品に込められた想いの背後に何があるのかを考察できる内容を備えている点で、ファンにはとても貴重な本(最後のエッセイ集)だと思います。 | ||||
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「訴えたいことは小説で」ということで,これが最期のエッセイ集になるとのこと。 乱歩賞受賞という華々しい文壇デビューを飾りながら,その後自作の映画化を期にベストセラー作家になるまでの苦労(文学賞十数連敗)と紆余曲折。なかなか認めてくれない批評家へのうらみつらみですら著者独特のユーモアを織り交ぜる事によって,さわやかともいえる読後感を残す。 著者の素顔,肉声がきける最後のエッセイ集として貴重なだけでなく,特に大阪人らしいユーモアに満ちた年譜と「使命と魂のリミット」まで全著作についての解説は,東野ファン必読。 | ||||
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東野氏 5冊目のエッセー集。ただし、このエッセーを最後のエッセーにするそうだ。今後は本業のミステリー小説に専念されると断言している。 「たぶん最後の御挨拶」は東野さんの 伝記のような部分がある。生まれてから、昨年度直木賞を受賞するまでの50年間の年表を丁寧に書いている。大阪市立大時代のこと。トヨタの関連会社デンソーの研究員の時代のことなど、この本以外では見ることができないだろう。貴重な書籍となっている。 28歳で作家になることを決意し、東京に上京し、今の揺るぎのない地位を獲得するまでの東野年代史。東野氏のファンだけでなく、本を書こうと思っている、また本が好きだという方にもお薦めだ。 | ||||
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これが最後のエッセイになる、と書いていますが、どうでしょうかね。 これを読むと、随分売れない時期があったことが分かります。 また、やっぱり賞を意識していたのか、賞があるから意識してしまったのか、微妙です。 生い立ちから、現在にいたるまで書かれているので、この作家を知りたい人には、いいと思いますし、 全作品についての作家自身のコメントもあって、なかなか興味深いです。 年齢のせいで、ひらめきやら、トリックやらが出てこなくなったとありますが、まだまだ頑張って欲しいものです。 | ||||
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