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(アンソロジー)

日本傑作推理12選(第3集)



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日本傑作推理12選 (第3集) (カッパ・ノベルス)

日本傑作推理12選(第3集)の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 -ランク
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ある意味21世紀本格ミステリの実状を示す予言の書か

さて全3集から成るこのアンソロジーもとうとう最終巻を迎えることになった。本書の編集序文には第1,2集が日本側からの提案だったのに対し、この第3集がクイーンから自発的に編纂の申し出があったことが記されている。クイーン自身の序文でも日本のミステリが英仏作家に影響を与える日はそう遠くないとまで述べているから、クイーンも日本ミステリ作家の実力を認めたことになる。

そしてそれまでの編集方針と異なり、本集では前2集と『日本文芸推理12選&ONE』に選ばれなかった作家の作品を意図的に選出してクイーンの眼鏡に適った物を集めるという方式が採用されている。その内、仁木悦子氏は辞退をしたらしいが。

しかし松本清張氏だけは当時のミステリ界の第一人者であり牽引者として別格扱いとして彼の作品だけが選ばれている。つまり清張作品のみが全3集に収められていることになる。

まあ恐らくは社会派推理小説という新たなジャンルを創設者であり、それによってカッパノベルスが爆発的に売れたため、版元の光文社は松本氏に足を向けて寝られないのだろう。それだけでなく、松本氏の当時の推理文壇における影響力の強さも窺える内容ではある。

さて前講義はこれくらいにして選出された12編の感想に移ろう。

本書の冒頭を飾るのはやはり件の松本清張作品。「箱根初詣で」は年の離れた夫と共に箱根へ泊りがけで初詣に行った夫婦のあるエピソードが語られる。
清張作品にしてはそれまでの収録作と比べても16ページと比較的短い作品で、内容も警察の捜査が絡まない、ある女性が過去に遭遇した前夫を亡くした海外出張での事件の真相についての回想録である。
会社から出張中の夫が交通事故に遭ったと連絡を受け、他の2人の妻と現地へ飛ぶ。対応した部長や社員たちの面持ちから事態は思った以上に深刻であると受け止めた3人は一方でもし亡くなっていた場合は業務中での死亡ということで賠償金などを大量にせしめてやりましょうなどと話す。
現在海外赴任中の我が身にとってもこれは身につまされる話だ。この手の話が海外ではゴマンとあるからだ。海外出張者が出くわした事件に人間心理の綾を巧みに混ぜ込むあたりに清張氏の作家性を感じさせる。
ただ前の2つの収録作に比べると佳作ではあるが、選出されるほどの出来かというとそうでもないような気がする。もっといい短編があったと思うのだが。

さて次からが全て初収録の作家たちである。
まず先陣を取るのは生島次郎氏。日本ハードボイルド界の巨匠による「時効は役に立たない」は皮肉の効いた1編だ。
成功者の暗い過去。忘れかけた頃にそれは再び甦る。よくある話だ。10年の歳月は今ではそう遠くない話で私は昨日のことのように思い出せる。悪いことはできないものだ。
結末は実に皮肉で上手い。悪は結局栄えないのだ。

そういえば今まで収録されていなかったのが不思議なくらいの大御所、赤川次郎氏の登場だ。「沿線同盟」は“奇妙な味”系のミステリだ。
さすがは大御所。実に上手い。郊外で念願のマイホームを建てた中小企業のサラリーマンという典型的な郊外族の夫婦を主人公に、周囲の住民の、どこか忌避されているような不審な行動や腑に落ちない嫌がらせめいたお節介。更に何者かから掛かってくる新居を出る様に脅す電話と読者を謎から謎へと牽引する。
これはいわゆる村社会では起こりうる話なのかもしれない。典型的な日本人の姿を描き、そして誰もが心の奥底に抱いているような不平不満を動機としているところ、つまり我々読者に似た人たちが登場することで物語の妙味が増すのである。
最後に明かされる住民たちの意外な真意と余韻を残す結末も含めて21世紀の今でも『世にも奇妙な物語』でドラマ化されてもおかしくない出来栄えの1編である。

次もそういえばこの作家を忘れていたと思わされた。栗本薫氏である。多才な作風の彼女の作品の中で選ばれたのは意外にも「商腹勘兵衛」という時代小説だ。
何とも切ない話である。主君への忠義心を示すために腹を切る追腹。その一員に選ばれた50過ぎの男やもめの侍。
しかしそんな矢先に現れた16歳の小娘は彼の生活に潤いをもたらす。
年の離れた男と女の純愛と戒律の厳しい侍たちの選ばざるを得なかった追腹と云う風習。そんな時代が生んだ悲劇。
そして何よりも本作は51歳の侍、原田勘兵衛に惚れる16歳の腰元奈美に尽きる。恐らく原田勘兵衛は母性本能をくすぐるタイプなのだろう。そんな年の離れた男に惚れた若い腰元は一緒になりたいがために自ら口説かれたと噂を広め、そして本願を成就する。勘兵衛がこの奈美と一緒に暮らした1ヶ月間はそれまでの人生を凌駕するほど楽しかったと云うがこれは本当だろう。夫への愛を最後まで貫こうとする一途さ。私はホントこんな女性が出てくる作品に弱いのだ。
しかしクイーンはこの作品を十分に理解したのだろうか。
理解していてほしい。

短編の名手である戸板康二氏もまた今回が初選出。「山手線の日の丸」はある老人の復讐譚だ。
中学の元習字の先生で週3回書写のアルバイトをして娘と2人で暮らしている、どこにでもいる老人と娘の父子家庭。そんな素朴な家族に突然訪れる娘の死。今まで普通の暮らしをしていた老人が娘の復讐のために娘の自殺の原因となった男の復讐を胸に誓う。
こう書けばノワール的な物語を想起するが戸板氏の筆致はあくまで素朴であり、復讐を誓う父親も炎を滾らせるような情念を見せるわけでもない。そう、これはごく普通の男の不器用な完全犯罪物語なのだ。

次も短編の名手である。阿刀田高氏の「趣味を持つ女」は読者の予断を軽く上回ってみせる。
さすがショートショートから長編まで器用にこなす技巧派阿刀田氏。何処かへの葬式に参列する奇妙な中年女性を香典泥棒と見せかけておいて、読者の想像の斜め上を行く真相を用意してくれた。
しかしこの野口京子の風情があまりに淡々としているので最後に彼女の狙いが明かされるとどこか薄ら寒い気配を感じてしまった。やはり女性は恐ろしい。

本書で選ばれた作品のうち、女流ミステリ作家の手になるものは栗本氏とこの小泉喜美子氏2人のみである。「被告は無罪」は都会風の香りを感じさせるミステリだ。
私は世評高い小泉氏の作品をさほど高く買っていないことをまず正直に告白しよう。彼女の作品を直接読んだことはないがP・D・ジェイムズやレンデル作品を翻訳を通じて読んだ彼女の文体がどうも素人に毛が生えた程度にしか感じなかったからだ。
そんな先入観で読んだ本作は今までこのアンソロジーで読んだ作品の中で一番軽く感じた。
見開き2ページに渡って過不足なく情報が、登場人物の心情が語られる他の作家たちの熱量に比べ、2時間サスペンスを感じさせる90年代のトレンディドラマのような軽さを覚えるカタカナを多用した本作は重みに欠け、すっと流れてしまった感がある。
例えば日本を舞台にしながらジャズバンドのメンバーを登場人物にしているだけでそれぞれの名前を外国人のファーストネームで呼び合う趣味の悪さ、作者自身がお酒好きで新宿のゴールデン街に通っていたこと、さらに酒に酔って階段を踏み外し、落ちてそのまま絶命してしまったことを知っているだけに殊更酒が作品の中心になっている事。
それらを含めても他の作品と一段落ちると云わざるを得ない。もっと他にいい作品があっただろうにと思われた作品だった。

この人を忘れてはならないという作家がいる。それは都築道夫氏だ。「小梅富士」は彼の代表作「なめくじ長屋のセンセー」シリーズのうちの1作である。
実はこの作品、今読んでいる北村薫氏のエッセイ『ミステリ十二か月』でつい最近紹介されたばかりだった。実に奇遇である。そしてその北村氏の評判通り、本作は傑作である。
わざわざ部屋の中に大人が複数抱えないと持てないほどの大きさの庭石を担ぎ込んで寝たきりの老人を殺すと云う実に不可解な謎が鮮やかに論理的に解かれるのである。
全てが綺麗に落ち着くところに落ち着く、ロジックの美しさ。本家クイーンもこれには満足したに違いない。
栗本氏に続く時代物で、その作品雰囲気を十分楽しめるほどの翻訳がなされたかは不明だが、そんなことも些末に思えるほどのロジックの妙味を味わえる作品だ。

次はどちらかと云えば本格ミステリよりも国際謀略小説家の傾向が強い伴野朗氏の「草原特急の女」は作者らしく北京とモスクワを結ぶ草原特急の車内が舞台だ。
ユーラシア大陸を横断する長距離列車内で起こる事件は伴野氏ならではの反政府組織から託されたある荷物を届けることだった。一介の歴史学の講師がこのような事件に巻き込まれるのは現在海外で赴任している私にしてみれば非常に浅慮としか思えないのだが、よほど彼に荷物を託した中国人女性が美人なのだろう。
この大陸間鉄道に中国人、ロシア人、トルコ人、ドイツ人、チェコ人といった様々な国の人物が乗り合わせているのは面白いが、日本への観光意識が高まった昨今の外国人旅行客が多数新幹線に乗り合わせているのを目の当たりにしている現代では容易に想像がつく。そう、今の日本もそんな状態だ。
作者的には不穏な国際情勢の只中に放り込まれ、KGBからも睨まれることになった歴史学講師の責任の重さをミスリードにしたのかもしれないが、想像の範疇であった。
このような作品もクイーンは選ぶのだなあと感心した次第。

かつて小学生の頃、私は藤原宰太郎氏の推理クイズ本をよく読んでいたが、そこに多く語られていた作家の1人が斎藤栄氏だった。彼の「天女脅迫」が12席の1席を占めることになった。
相模原市と千葉市の市外局番が非常に似通っていることに着目したアリバイトリックの秀作だ。これに気付いた時の作者の喜びようが目に浮かぶようだ。
ただ本作は登場人物に好感が持てない欠点を抱えている。探偵役を務める市長秘書の徳井はかつての上司に辛酸を舐めさせられた恨みから、犯人であることを突き止めて元上司が焦り、恐怖する様子を見たいという不純な動機が占めており、しかも被害者の姪の女性が美人であることに気付くと、どうにか手籠めにしたいと欲望を剥き出しにする。
本書は刊行は82年だが、その頃の推理小説に蔓延していた下世話なエロスを盛り込んだ大衆小説という風合いが色濃く、トリック及び真相には驚かされたものの、登場人物の誰もが自己本位で自分勝手であることで全く好感が得られなかった。

次は菊村到氏の「妻よ、安らかに」はよくある浮気相手と夫が妻の殺害計画を目論む話だ。
よくある男女の愛の縺れから殺人計画に発展する典型的なワイド劇場的内容のミステリである。
しかし愛人が死に、自分を脅迫する者が現れても、その男もほどなく死ぬと云う風になぜか主人公の都合のいいように事態は転がっていく。この辺の展開は意外で面白い。
この主人公、しがない安月給のサラリーマンでありながら、逆玉の妻を娶ったり、バーのホステスほどの美貌を持つ若い看護婦に惚れられて愛人を持ったり、更には邪魔者が悉くいなくなったりと実に運がいい男なのだ。
しかし菊村到氏という作家は寡聞にして知らなかった。芥川賞作家でもあるが、今ではほとんどその作品は絶版状態で入手不可なのだろう。ここにも1人、消えてしまった作家がいた。

最後を飾るのは巨匠小松左京氏の「共食い―ホロスコープ誘拐事件」。どちらかと云えばSF作家の印象が強い氏だが本書は入り組んだ特殊な誘拐事件を扱っている。
恋人を誘拐された男が強要されて富裕な実業家の息子を誘拐するが、その家族全員が誘拐されていたという実に奇抜な設定。しかもそこから更に展開は複雑になっていく。
どんでん返しを繰り返すあまり、どうにも訳が分からなくなってしまったきらいがある。
個人的にはどうにも不可解な謎がある一言で明快になると云うシンプルかつ爽快な謎解きが好みなので単純に作者の趣味に走った感があり、残念な読後感が残った。


前巻の感想で私は12作家中6人が第1集の選出者と重なっていることから当時のミステリ作家の実力差がかけ離れていたのではないかと書いたがそれはあながち間違いではなかったようだ。

今回読んで率直に第1、2集の方が総合的に質が高かったという思いを強くした。

上に書いたように、今回は選者であるEQJM委員会が松本清張氏を別格として他の11人の作家全てを初選出の作家に選んで本書が編まれているわけだが、全てが上の評価に落ち着くものではなく、勿論実力が拮抗している作家も存在する。それらについては後述するが、それは片手に数えるほどしかいなかったと云うのが本音だ。
前2集で見られた物語の濃密さや登場人物の泥臭さ、体臭さえも感じさせる灰汁の強さが非常に薄く感じられたのだ。

本書での短編の選出方法は前2集が対象期間内の全短編から厳選された作品を翻訳してクイーンに送った手法を取っていたのに対し、今回は作家別に1975年以降の発表作から作者本人の自選も参考にして委員会が最も優れたものと思った作品を翻訳して随時クイーンの許に送り、同意を得た作品が収録されている。
つまり本集ではまず作家ありきで始まっているところと、随時送られている作品がクイーンにとって面白ければOKというところが異なるのである。
この方法はやはり全体としての質を下げたように思える。やはり一時に候補作を送って、そこから絞り込んで選出するやり方、つまり相対評価が必要なのではないか。1つ1つの作品の出来を認めるのみではある程度の瑕疵があっても許容範囲ということで点数が甘くなってしまうと思うからだ。それは収録作の出来と質を見れば明らかであろう。

さてそんな第3集でも恒例どおり本書におけるお気に入りを挙げることは出来る。それは赤川次郎氏の「沿線同盟」、都築道夫氏の「小梅富士」の2作だ。

赤川氏の作品はその読みやすさと21世紀の今でも通じる普遍性を伴っており、全然時代性を感じさせない。せいぜい挙げるとすれば携帯電話がない時代であるくらいだ。

片道約2時間かけてまで欲しかった念願のマイホーム。同じ町内に住む限られた人々。そしてそこに住む人たちがいつの間にか共有するようになった同族意識と排他主義。典型的なサラリーマンの都心生活形態を描きながら、地方の村社会を思わせる閉鎖性を歪んだ形でミステリへと味付けした手際は実に素晴らしい。

「小梅富士」はアメリカ人のクイーンにとって造詣が浅いであろう時代物だが、大きな庭石の下敷きになって寝たきりの老人が圧死しているという奇抜な謎とそれを実に違和感なく論理的に解き明かす本格ミステリの妙味を存分に味わえる傑作だ。いやあ都築氏の作品はさほど読んだことないが俄然興味が沸いてきた。

そして今回の個人的ベストは栗本薫氏の「商腹勘兵衛」だ。

栗本氏の作品は意外や意外の時代物だが、その文体や作品が醸し出す雰囲気はもはや時代小説作家そのものといっていいほどの出来栄えだ。その才能のマルチぶりに驚かされるが、本書は何よりも内容がいい。
とても微笑ましく、そして哀しいのである。私は常々健気な女性が出てくる話に弱いと云っているがまさにこの作品はど真ん中だった。16歳の腰元が51歳の侍に惚れるという設定とそのために自ら口説かれたと噂を流す茶目っ気など、私の心をくすぐる内容満載なのだ。そして切腹する夫よりも先に自害する愛情の深さを見せる純粋さも兼ね備えている。久々に泣けた。

しかしそれでもこうやって挙げてみると物足りなさを感じてしまう。第1集ではお気に入りを3作、ベストを1作挙げ、第2集ではお気に入り3作、ベスト3作と豊作だったのに比べるとやはりトーンダウンは否めない。
このアンソロジーが第4集を編めなかったのは恐らく選者のフレデリック・ダネイ氏が1982年に亡くなってしまったからだろうが、最後を飾るにはその出来は少しばかり寂しい限りだと思わざるを得なかった。

ところで本書を読んで少しばかり気になったことをここでは挙げていこう。

伴野朗氏の「草原特急の女」によればモンゴルの法律では男女とも18歳になっても独身の場合と結婚して1年以上子供がない場合では月収の2%が罰金として徴収されるらしい。これは日本でも是非とも導入してほしい制度だ。
18歳になっても独身は生き過ぎだが、せめて30歳になっても独身の場合は同様の制度を強いるべきだ。
子供についてもそうだ。少子化社会、高齢化社会を促進させ、社会制度の歪みを生み出しているのにもかかわらず、今日、日本は生活と価値観の多様性を盾に子供を作らない家庭や独身主義を貫く男女を承認する傾向がある。
多様的な考えを認めるのは是だが、それにはある程度痛みを、リスクを伴う必要があると考える。誰もが自分さえよければの精神が強すぎるのではないか。
こういう昔の作品を読むことで現代の社会問題を解決する術も見つけられることに気付かされる。

あとクイーンの序文に日本ミステリの現在が示唆されていることに驚きを感じた。
クイーンは本書の冒頭で、シャーロック・ホームズがポーの生んだ名探偵オーギュスト・デュパンの影響を受けているように、シャーロック・ホームズもまた後世の刑事物、素人探偵物からハードボイルドに至るまで影響を与えており、そしてフランスのミステリから英国の作家は影響を受け、アメリカの作家は英国の作家から影響を受け、更に英仏の作家はそのアメリカから影響を受け、と環を成してミステリはお互いに影響を与えながら発展してきたと書いている。そしてそれら海外のミステリの影響を受けて発展した日本のミステリもまた将来米英仏の作家に影響を与えるに違いないと断言している。

まさにこれが21世紀の今起こっているのだ。本格は“Honkaku”という英語にまでになり、黄金期のミステリを彷彿とさせるトリックとロジックを駆使した本格ミステリが逆輸入的に今世界のミステリシーンで復興しようとしているのだ。

本書は1982年刊行のアンソロジー。つまりそれから37年を経てこのクイーンの予言が実現しているのだ。

昔の小説を読むことの意義を感じた次第だ。
そしてまた第2のクイーンとなる新たな選者を海外に見出し、また日本の優れた短編を紹介する機会を作るべきではないか。
平成の時代に本書のような海外のミステリ作家による日本人作家のアンソロジーが編まれなかったのは今更ながら悔やまれるが、新しい元号を迎える今こそ相応しい時なのかもしれない。

21世紀の日本ミステリ作家たちが更に世界に羽ばたく一助をどこかの出版社が担ってほしいものだ。それだけの作品が既に蓄積されているのだから。


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