小説 浅草案内
- SF (392)
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漂泊者、半村良。 十代のおわりから東京中を流れ歩き、しまいには芦ノ湖畔のホテル暮らしから、 きまぐれのように北海道へ移り住んでしまって、そして浅草に戻ってきた。 浅草よ、私をこのままつかまえておいておくれ。そうでないと、俺はまた あてどない漂泊の旅に出てしまうよ。 東京下町育ちの半村良が浅草を歩く。下駄を鳴らして。背中で鐘の音を聞く。 傍観者でいるというのも、ときどきは淋しいものだ。なんとかしないと生涯 根なし草でおわってしまいそうだ。 小説とエッセーとドキュメンタリーを足して3で割ったような雰囲気。 最初はとっつきにくい。固有名詞(名前)がごちゃごちゃ出てくるから。 イヌ、ネコの名前、その飼い主の名前。飲み屋の名前、その亭主と女将さん、 常連、幼なじみの名前。そして当然わけあり男女が何組も登場、その名前。 ごちゃごちゃ。かんにんして。頭が混乱。 この名前たちに慣れたころ、やっとまったりした半村ワールドに入れる。 人生の機微にふれることの大切さや浅草(=半村)の寂しさが、じんわりと 伝わってくる。 | ||||
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懐かしい文体。今、この作者の人情ものの作品は新刊では中々手に入らないので貴重です。 | ||||
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観音裏のプロパーなら、「あ!あの人だ」とか、今は無き建物や店に郷愁を感じるはず。 どうしようも無い人から、立派な旦那まで私が確認したところ9割がた実在だったが、演出や架空のものを探すのも一興だと思います。 今も元気にしている人もいるが、もちろん失踪した人、浅草に敷居が高くなった人それぞれ。 半村先生の○○の話まで知っている観音裏は、今も怪しい雰囲気を醸しだしていますよ。 | ||||
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北海道から浅草に引っ越してきた小説家である著者。 引っ越してきてから、小料理屋などを舞台に浅草の濃い人間模様を描いたのがこの本の内容である、と一見思えるかもしれないが、実は違う。 浅草の人に成り切ろう、成り切ろうと思っても、成り切れない、著者の焦り、淋しさというものが描かれている。 そんな著者の気持ちは、「第九話国木屋」での、結城伸次との会話に表れている。 著者自身、下町の出身であり、本所、深川、立石、柴又に住んだことがある。そして、浅草で毎日飲み歩いているならば、立派な浅草の人じゃないかと思えるかもしれないが、違う。 本所、深川、立石、柴又も代表的な下町だが、そんな下町に住んでいた人だからこそ味わう浅草の魅力、浅草へのあこがれといったものがある。 著者もそんな思いで、浅草に引っ越ししてきて、浅草の人に成り切ろうと思ったに違いない。 しかし、成り切れない。 それは、浅草の人に成り切ろうと思っている人の浅草は心で描いた浅草であり、素顔のままでいる浅草とは違うからだ。 根っからの浅草っ子は「浅草の人になろう」なんて思うはずもなく、いまある浅草をあるがまま受け容れて暮らしているからである。 | ||||
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期待以上の状態でした。また、機会がありましたら利用いたします。 | ||||
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