1Q84

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評判

1Q84の評価:

3.66/5点 レビュー 983件。 D ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.66pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全716件 581〜600 30/36ページ
No.136
(5pt)

どなたか、

すでに指摘済みだろうか? BOOK1を読み終えた私は、ある一つの――おそらくは、どうでもいいであろう――謎を抱えながら、BOOK2を読み進めた。謎は解けなかった。
 なに、なんのことはない。こんなことだ。手元にBOOK1をお持ちの方は、――そして、私の戯言に付き合う好奇心を持ち合わせているなら、――BOOK1のP59を開いてほしい。
(前略)年号をプリントされた白いカードが、強風の中で四方八方にばらばらに散らばっていく光景が目に浮かぶ。彼女は走って行って、それを一枚でも多く拾い集めようとする。しかし風が強すぎる。失われていくカードの数も多すぎる。1954,1984,1645,1881,2006,771,2041,……そんな年号が次々に吹き飛ばされていく。
 物語の舞台は、1984年、そして、1Q84年。〈2006〉年や、〈2041〉年のカードには、いったい、何が書きこんであるのだろうか?
 BOO2で明かされるかと期待していたが、いつまでたっても、そんなことは出てきやしなかった。
むき出しの非常階段から道路をひとつ隔てて、五階建ての小さなマンションが建っていた。(中略)うらぶれて色褪せたゴムの木だった。葉はぼろぼろになり、あちこちで茶色く枯れている。青豆はそのゴムの木に同情しないわけにいかなかった。もし生まれ変われるとしてもそんなもにだけはなりたくない。
 上に引いた文章は、BOOK1からのものだが、この文章は次に引く文章たちとリンクスしていく。
目を閉じると、アパートのがらんとした部屋に残してきた、鉢植えのゴムの木の姿が思い浮かんだ。/どうして、こんなにあのゴムの木のことが気になるのだろう。
(前略)ドアに鍵もかけず、マンションの非常階段を三階ぶん駆け下りる。(中略)少なくとも私は天吾に巡り合えた。通りを一本隔てて彼の姿を目にし、彼の腕に抱かれるという可能性に身体を震わせることができた。
 これらの文章を、私は論理的に結び付けることはできない。しかし、これらの文章はどこかでつながり合っているように、私には思われる。
 青豆と天吾とは同じ月を眺める。「富嶽百景」の〈私〉と〈老婆〉が〈月見草〉を眺めたように。
 違う。「モモ」の〈モモ〉と少年とが、同じ月を眺めたように。
 それも違う。青豆と天吾とは、同じ月を眺めていた。しかし、月は一つではなかったから。
 緑色のいびつなかたちをした月は、空豆を連想させなくもない。空気さなぎのかたちも、空豆を連想させなくもない。空豆は、青豆を連想させなくもない。
 月は、太陽の光で輝く。もう一つの月は、何の光で輝いているのだろうか? リトル・ピープル? 
 
 私には、謎だらけの小説だった。
 田村という名の看護婦、猫、カラス、の登場は「海辺のカフカ」を思い起こさせた。自らが作り出した虚構の世界へ、いつの間にか入り込んでしまう、という筋は安部公房「人間そっくり」を、ふかえりと天吾との関係は、ドスト氏「虐げられた人々」の語り手とネリーとの関係を思い起こさせた。
 文学と宗教。両者の共通点は、その世界を信じないかぎり、その世界は成立しえない、あるいは、信じさえすれば、立ち上がってくる、という性質を有していることにある。宗教が文学なのか。文学が宗教なのか。文学と宗教とはシノニムか。私には、わからない。
 正体は、どこにあるのか。BOOK1、BOOK2を、天吾が書いた小説、という設定で村上さんが「1Q84」を書いたとしたら? 
 翻訳。新しい国語。私は、それを考えた。
 
 なにか重たい病気で寝込む病人が、苦痛を和らげようとのたうちまわる、寝返りをうちつづける。のたうちや、寝返りそのものは、病人を快方には向かわせない。抜本的な解決策とはならない。それでも、病人は、ひたすらのたを、寝返りをうち続けなければならない。
 作家が、小説を書きつづけなければならないように。読者が、読み続けなければならないように。ユダヤ人が、さまよいつづけなければならないように。
 ふかえりの話し方(疑問文に、疑問符をつけない、片言の言葉のことだ)。本家「1984年」に置換、あるいは翻訳すれば、新語法――意図的に語彙を減らすことで、思想・思考を極限まで削る、言語体系――と呼べるかもしれない。                   
 村上さんが試みたのは、〈翻訳〉の可能性だったのかもしれない。
 天吾も青豆も、いや、現にいま、呼吸をしている私たちもみな、それぞれにそれぞれの〈物語〉を持っている。二人の〈空白〉を埋め、二人を結びつけるきっかけをつくったのは、ふかえりが語った〈物語〉だった。天吾は、ふかえりの〈物語〉を、小説に書き換えた。これは、一種の〈翻訳〉だろう。〈翻訳〉によって失われたニュアンスもあるはずだ。しかし、〈翻訳〉によって、立ち現れたものもあった。それが、もう一つの月の、色と形とだった。その月がある世界で、天吾と青豆とは生きていく。
 理解しにくいことどもを、いかに〈翻訳〉(解釈)するか、〈翻訳〉のしかた次第で、思いもよらなかった、しかし、確実な真実を〈取り出〉せることもある。作中に登場する、ある少年が、流木からネズミを〈取り出〉したように(そう言えば、「1984」の主人公ウィンストンの運命を決定づけたのは、一匹のネズミではなかったか?)。その真実が、お互いに、忘れかけていた、しかし大切な人同士を結びつけることがある。村上さんは、そんなことを言いたかったのだろうか。
 私がこのレヴューで試みたのは、病人がうつ、のたや寝返りのようなものだ。「1Q84」とは? との問い(Q)に、まとまりをつけようとあがいたが、さっぱり、ダメだった。私じしん、さっぱり、わけがわからない。しかし、それでいいのだ、と私は自分に言い聞かせている。
 
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.135
(4pt)

人は老いる

 村上さんは、その最初期の作品の中で登場人物にこんなふうに言わせている。人は誰でも死ぬし誰かと寝るものだ。だからそのような場面を小説中で特に描写しなくてもよい。
 それを読んで共感したのは、もう25年前のことだ。
 
 さて最新作においては、多くの人々が殺される。また性描写は時にどぎつく、また頻繁に現われる。これをどう考えたらよいのか。身もふたもない言い方だが、村上さんも老けたということだろう。すなわち、そのような描写を入れないと、強い感情を喚起できないと感じてしまっているのだと思う。
 では本作はつまらない小説か。いや。私は肯定的に評価する。千倉の施設に父を訪ねる場面が感動的で胸にしみるからである。淡々と書いているように見えるが、実は能力の限りを尽くした過不足のない表現である。
 父は作家の実の父でもあり、世の中あるいは日本を意味するとも取れるだろう。村上氏はそのような対象に出来る限り礼儀正しく、偽りではない感謝の念を伝えようとしている。本作以降の作品は作者の一種の遺言として理解されるものとなるだろう。
 
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.134
(5pt)

映画2本分の値段で買える娯楽。

私はハルキストではありませんが、彼の著書はほとんど持っています。読んでないものもありますが。
いろんな人がいろんな感想を寄せていて、なるほどと思うことも多々ありました。賛成できない意見ももちろんありました。
ただ、上下巻合わせて1000ページを超える長編を最後まで飽きずに読ませるという著者の力量はさすがと思います。読み終わったあと達成感のようなものを感じました。
比べるのは間違っているかもしれませんが、映画を2本見る値段で10時間以上(遅読なため)作品に没頭できたというのは娯楽としては安いと思います。もしつまらない映画2本を観ても、おそらく人は「あーあハズレだったな」くらいにしか思わずに終わってしまうでしょう。
しかし村上春樹に関しては、かなり否定的な意見を綿密に書かれてしまう。人気作家の宿命でしょうね。
純文学とエンターテイメントは相反するものではないと思います。
いろんなタイプの小説家がいます。村上春樹を読んでつまらないとしか思えないなら、自分に合った作家の作品を読めばいいだけのことではないでしょうか。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.133
(5pt)

いろいろ意見は分かれると思うが・・・

かなり既にレビューが書かれているので、それを踏まえた上で、語ろうと思う。
この作品は、村上春樹ファンには、なんとも美味しい作品だと思う。 
村上的世界をいとおしく思い、そして、村上さんが言いたいことを、感じることが出来ている人には向いている。
けれど、残念ながら、読み終わった後に、「何が言いたかったんだろう?」と思う人も多いと思う。
そういう人は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んでも、「羊をめぐる冒険」を読んでも、「神の子供たちはみな踊る」を読んでも (ちなみにこの3作がわたしのフェイバリットです)、この作品を読んでも、「作者は何をいいたかったんだろう?」と思うだろうと思う。
残念ながら、村上春樹ファンにとって、「何を言いたかったんだろう?」は愚問である。
この作品の読後に残る、心の中の余韻、心を揺さぶる風景、えもいえぬ「ぞっとする」ほどの酔い、 それらを感じなかったならば、しかたないと思う。
ようするに、凡庸な読者には、向かないのです。
村上春樹が、村上春樹のために書いた、村上春樹の本です。
たしかに、ストーリーは、わりと、とっつきやすいし、面白い。 誰でもついていける。 
でも、その中に書かれていることは、村上春樹さん独自のものであって、文壇の人間でもない我々がああだこうだというのはまだ早いのだ。
Book2以降の発展に期待したい。 
「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」のように、前半に、あんなに面白かったのに、後半が説明力に欠ける結果にならないことを祈りたい。
ただし、今のところ、この作品のできばえは、今までの村上作品の中で、1番優れていることは間違いない。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.132
(4pt)

何か物足りない

村上春樹は村上春樹でしかなかったということが、ノーベル賞を取れない理由になりそう。
羊をめぐる冒険や、世界の終わり〜のようにストーリーとしての面白かったのは良かったのですが・・・
「喪失と再生」というテーマが、今回は目立ちすぎたような気がします。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.131
(5pt)

読者を強く引きこむ,渾身の一作

 待ち望んだ新作。自分も含めた読者は,村上春樹がこれまで書いてきた名作の数々やエルサレムでの感動的なスピーチを念頭において大きな期待をよせてしまうため,読んだ後「あれ,こんなものなの?」という肩すかしを食らう気持ちもあるのだろう。しかしよく考えたら,村上春樹という名前がもはやブランド化していて,発売何週間かで百万部を売り上げてしまう状況においては,どんな作品であっても賛否両論は激しくなってしまうし,ハードルの高さゆえに非難の声も大きくなってしまう。仕方ないことだと言えばそれまでだし,そのプレッシャーに打ち勝つのが村上さんの作家としての役目だろうと言われればそうでもあるのだと思う。
 しかし,そんなゴチャゴチャしたことを言わせないくらい,この小説は面白い。村上さんが以前から語ってきた「物語の力」を肌で実感することができる。あらすじやテーマをここで語るには長すぎて大きすぎるし,何よりムダである気がしてならない。そんなことはもっと有能な評論家に任せておけばいい。解釈なんて人それぞれがすればいい。ここで自分が独りよがりな説明をしたって,それこそこの小説で描かれている「恐怖」に過ぎないのではないか。小説でもモチーフにされているであろうカルト教団はなぜあのような道を歩むことになったのか。自分で考えて咀嚼して気づかなければいけないと思う。読んだ何万人かが何かしら考えれば日本は多少救われるかもしれない。そしてそれもまた「物語の力」であると感じる。
 なんだかんだ言って語ってしまうんだよな。だって面白い小説だから。ブームに乗り遅れまいと読む人,長年ハルキストでありメタファーを解読しようと読む人,それぞれだと思うが,純粋に楽しめたら,それが一番ではないでしょうか。
 ちなみに自分は続編が読みたいです。どう飛躍するのかな。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.130
(4pt)

「スプートニクの恋人」「ねじまき鳥クロニクル」の流れを汲む、互いに絶対的な存在の男女

「1Q84」は、互いに絶対的な存在である男女の愛とそれを阻む性欲を描いた「スプートニクの恋人」、同様に絶対的な存在との愛とそれを引き裂くある種の人間が持つ歪んだ欲動を描いた「ねじまき鳥クロニクル」の流れを汲む、絶対的な存在の男女の愛の物語。
前2作との大きな違いは、その絶対的な存在が遥か昔に一瞬の時と手を重ねただけで、以来、接触がないことと男女に同等の重みが置かれている点。村上さんは本書に多くのこれまでの自作と尊敬する作家の生き様とその作品の重要なエッセンスを詰めに詰め込みました。恐らく、かつて無い程の総力戦で書き上げた作品だと思います。
ですが、結果として本2作は世界レベルの文学作品足りえず、自作も越えていません。栞紐の色を見れば分りますが、Book1(黄緑)、Book2(橙)を経た次作のBook3(青)が、世界的に価値観の変化を必要とされる2009年という時代を象徴する文学(芸術)であることを願います。
〜以下、過去各品との関連、読後にお読み下さい〜
1.「スプートニクの恋人」の「すみれ」は作家志望で比喩的に自分の血を流した後、漸く「僕」の愛に辿り尽いたかに見えますが、本書主人公「天吾」のように愛が届かなかった「僕」はその性欲を不倫で処理してきた
2.もう一方の主人公「青豆」の唯一無二の友人の自殺と「ノルウェイの森」の相似
3.本書の宗教団体やDVに苦しむ妻達と「ねじまき鳥クロニクル」の皮はぎボリスや妹(長女)を自殺に追いやり下の妹(主人公の妻)を性的・精神的な破綻に追いやる兄ワタヤノボルの狂気(歪んだ欲動・性欲)の相関
4.上述のワタヤノボルの使い走りの牛河が本書でも悪を代表する宗教組織の使い走りとして登場
5.村上さんが尊敬するドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、最も深く関わった作家レイモンド・カーヴァーが行っていた小説の朗読(天吾のふかえりへの朗読)、カーヴァーが最も尊敬していた作家チェーホフの引用(多用)
6.地下鉄サリン事件のインタビュー集「アンダーグラウンド」からの手を握ることの深さの引用
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.129
(4pt)

やはり

いつも思うのですが、読む側に全面的に理解を委ねるような村上作品。
読後に何か得るものがあるのか・・・・、むむむん難しい。
ただ、単純に面白い世界にこの世界に引き込んでもらえることに極上の楽しみがあります。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.128
(4pt)

「スプートニクの恋人」「ねじまき鳥クロニクル」の流れを汲む、互いに絶対的な存在の男女

「1Q84」は、互いに絶対的な存在である男女の愛とそれを阻む性欲を描いた「スプートニクの恋人」、同様に絶対的な存在との愛とそれを引き裂くある種の人間が持つ歪んだ欲動を描いた「ねじまき鳥クロニクル」の流れを汲む、絶対的な存在の男女の愛の物語。
前2作との大きな違いは、その絶対的な存在が遥か昔に一瞬の時と手を重ねただけで、以来、接触がないことと男女に同等の重みが置かれている点。村上さんは本書に多くのこれまでの自作と尊敬する作家の生き様とその作品の重要なエッセンスを詰めに詰め込みました。恐らく、かつて無い程の総力戦で書き上げた作品だと思います。
ですが、結果として本2作は世界レベルの文学作品足りえず、自作も越えていません。栞紐の色を見れば分りますが、Book1(黄緑)、Book2(橙)を経た次作のBook3(青)が、世界的に価値観の変化を必要とされる2009年という時代を象徴する文学(芸術)であることを願います。
〜以下、過去各品との関連、読後にお読み下さい〜
1.「スプートニクの恋人」の「すみれ」は作家志望で比喩的に自分の血を流した後、漸く「僕」の愛に辿り尽いたかに見えますが、本書主人公「天吾」のように愛が届かなかった「僕」はその性欲を不倫で処理してきた
2.もう一方の主人公「青豆」の唯一無二の友人の自殺と「ノルウェイの森」の相似
3.本書の宗教団体やDVに苦しむ妻達と「ねじまき鳥クロニクル」の皮はぎボリスや妹(長女)を自殺に追いやり下の妹(主人公の妻)を性的・精神的な破綻に追いやる兄ワタヤノボルの狂気(歪んだ欲動・性欲)の相関
4.上述のワタヤノボルの使い走りの牛河が本書でも悪を代表する宗教組織の使い走りとして登場
5.村上さんが尊敬するドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、最も深く関わった作家レイモンド・カーヴァーが行っていた小説の朗読(天吾のふかえりへの朗読)、カーヴァーが最も尊敬していた作家チェーホフの引用(多用)
6.地下鉄サリン事件のインタビュー集「アンダーグラウンド」からの手を握ることの深さの引用
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.127
(5pt)

新しい世界観

社会性を持ち,未来に開かれた作品。
すべての結末が読者に委ねられているが、読後に消化不良の感がない。
すばらしいの一言。
プロットの詳細に手が込んでいて、練り込まれている。
この意味で、再読に耐える。
登場人物を極限まで追い込み、読者を物語に同化させる。
その結果、架空と現実の世界の境界が消え、読者は尋常ではない世界での体験が可能になる。
この小説世界から、現実の世界に戻った時に、従来の世界観が変わる。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.126
(4pt)

どうしても納得いかない箇所が。

BOOK1のほうなんですが、両方読んでからの感想なので
こちらに書きます。
タマルさんはなんで、ほうれん草が好きな飼い犬を
縄でつないでいたんでしょうか?
なぜ鎖にしなかったのでしょうか?
リトルピープルなら、鎖だったとしても犬を消すことは
可能なんじゃないかと思う。
でもあえて、縄にした意味があったのか?
読み終わった後にそれがなぜか私の心にひっかかってます。
変ですね。
最後のほうは、とても哀しくなりました。
青豆さんは幸せなんだよね。
天吾はかならず青豆さんをみつけてくれる。
そう思います。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.125
(5pt)

Knife Edge

 ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』がEL&Pの『ナイフエッジ』の原曲であることは、村上春樹氏は知らなくても、「60年代から70年代にかけてのプログレッシブ・ロックのレコードを集めることが趣味」のタマル氏なら常識なのでした。
 作品自体は一旦読み始めると、読むのを中断するのには、かなりの意志の力が必要でした…。
 
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.124
(4pt)

唯一無二ゆえに

村上春樹以外に、村上春樹的な小説を書ける人がいない。これこそが、村上春樹人気の理由かなと。今作もかなり楽しく読ませていただきました。
タイトルの感じから、book3とbook4も出そうですので、今は続編の刊行を心より楽しみにしています。明快な結末がないと知りつつも、最後まで読まずにはいられない。ハルキワールド。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.123
(5pt)

〈1Q84〉って?(雑感)

 〈天吾〉と〈青豆〉。二人の登場人物を主なる軸として、物語は進行し、やがて一つの軸へと収束していく。
 この作品における〈ふかえり〉の存在感は大きい。
ふかえりという十七歳の少女を目の前にしていると、天吾はそれなりに激しい心の震えのようなものを感じた。(中略)おそらく何かが小さな隙間から入ってきて、彼の中にある空白を満たそうとしているのだ。そんな気がした。それはふかえりが作り出した空白ではない。天吾の中にもともとあったものだ。彼女がそこに特殊な光をあてて、あらためて照らし出したのだ。
 この文章を証するように、〈ふかえり〉が好む音楽は、〈天吾〉の好みとぴたりと合う。
『平均律クラヴィーア曲集』は数学者にとって、まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される。
 〈天吾〉は数学好きだから。「1Q84」もまた、BOOK1二十四章とBOOK2二十四章、同じ構成がとられてある。村上さんも数学好きなのかもしれない。
 
 〈ふかえり〉の〈語法の特徴の一つ〉は、〈疑問符を付けずに質問をする〉ことにある。このことと、以下に引く文章とはなにか関係があるのだろうか。
1Q84年――私はこの新しい世界をそのように呼ぶことにしよう、青豆はそう決めた。/Qは question mark のQだ。疑問を背負ったもの。  
 藤井省三氏は、「阿Q正伝」における〈Q〉は中国語で〈幽霊〉を意味する〈鬼〉から来ているのではないか、と指摘している。〈1Q84〉の〈Q〉もまた、〈幽霊〉を意味しているのではないか。 
彼らはその男に命ぜられるままに動く人々です。人格や判断能力を持ちあわせていない人々です。
 小説に登場するカルト教団の信者たちは、そう表現されてある。こじつけでしかないかもしれないが、それは、〈幽霊〉のような人々だ。〈幽霊〉のような人々が登場する、〈幽霊〉のような時代。それが、1Q84年、というわけか。
 〈天吾〉は〈ふかえり〉にチェーホフが記した〈ギリヤーク人〉に関する文章を読んで聞かせる。〈ふかえり〉の発する言葉を、私は好きだ。
「きのどくなギリヤークじん」とふかえりは言った。(中略)「すてきなギリヤークじん」とふかえりは言った。
 〈リトル・ピープル〉の存在感が増し、BOOK1は幕を閉じる。BOOK2が楽しみだ。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.122
(5pt)

すきになった

この本を読んで、春樹のことが決定的に好きになった。羊やダンスよりもずっとずっといい。春樹臭を凝縮して、発酵させた物語。はかなさと強さを見せてくれる作品。こんなおいしいワインをまずいなんて言うのはだれ。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.121
(5pt)

答えより問いが大事

この1Q84を買ったとき、たまたま一緒に
茂木健一郎・南直哉の「人は死ぬから生きら
れる」という新書を買いました。その本を読
んでから、1Q84を読んだので非常に村上
春樹の世界観がクリアに届いてきたように思
えます。
村上作品が賛否両論のものであるのは、いつ
ものことですが、その理由は村上春樹の作品
はどこまでいっても「答え」ではないからだ
と思います。
あの人は小説でなんらかの「答え」を表現して
いるのではなく、「問い」を書いているだけな
んです。よくても「こういう考え方もある」程度
にとどめている。そこが普通の小説には一定にある
「解答」のようなものを求める読者には不満なん
でしょう。
このなんらかの問題を意味のあるものとして考える
ことができないと、村上春樹を面白いとは思えない
でしょう。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.120
(4pt)

個としての読者が向き合うべき作品

既に社会現象にもなっている村上春樹氏の最新作で、ベストセラー。
BOOK1のレビューにおいて、本作の持つ独特の時間軸、スピード感について述べたが、このBOOK2では、その時間軸が徐々にネジを巻き始め、うねるように物語がドライブし始める。
孤独な闘いを続ける二人の男女(青豆と天吾という主人公)の周囲では、数少ない理解者とも呼べる人びとが徐々に失われ(損なわれ)ていく、村上氏の読者にとってはお馴染みともいえる展開が繰り広げられていく。
読者はその過程を見つめることで、自らの孤独感、喪失感に向き合うことを要求される。
村上氏のエルサレム賞受賞スピーチは、既にかなり有名になったかと思うが、その中で「システム(壁)」に対抗する存在としての「個(卵)」の可能性が言及されていた。
そして、「個」が本質的な意味で自らの生を生きて、人びとと温かみを共有するためには、一人ひとりが自らの深い部分の闇から逃げず、真摯に向き合うことしか方法がない。
本作では、われわれ読者にその「向き合う」作業に挑むよう、強いメッセージが込められているように感じた。
たとえば、青豆と天吾が小学校の教室で交わした一瞬の、それでいて揺るぎないコミュニケーションが、物語の核となっているが、その情景を描写したBOOK2のP307辺りで、個人的に自分の中で眠っていたわけのわからない無力感を喚起された気がして、空洞から水が滴り落ちるような不思議な涙が流れた。
レビューの一つに、1Q84は読者が作る物語だと書いたものがあったが、まさに読み手の総合的な力如何で、得られるものの質量は大きく変化するのではないだろうか。
1Q84 BOOK 2 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.119
(5pt)

遺伝子がどうしたって?

なぜここに書評を書いたかと言うと、ある新聞の書評に遺伝子が
どうとかというへ理屈を書いているのを読んだからで、そんな一面的な
読みかたでこの傑作小説を読んで面白いのかなと思ったからです。
そのような先入観を持たされてこの小説を読んだひとは、
御愁傷様としかいいようがありません。
この小説は発売以前にほとんど内容が明かされませんでした。
それは、先入観を持たずに読んでほしいという作者の希望が
あったからだと聞きます。
なので、村上春樹ファンなら新聞の批評など読まずに、
この本を読むことをおすすめします。
また、ノルウェーの森以来、村上春樹を読んでなかった人にも
楽しめる、とにかく面白い小説だということは言えます。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.118
(5pt)

まず、読んでみては?

「文芸書は相性だ」と思うので、どうしようか迷っているならまず読むことをおすすめします。
本ばなれ、出版不況と言われる今、純文学でこれだけ話題にのぼること自体いいことだと思います。
村上作品の魅力のひとつは、色々な作品にパイプがはりめぐらされていて、
どんどん他の本も読みたくなるというのもあると思うので、そういう意味でもおもしろいです。
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.117
(4pt)

村上春樹時間とシンクロする

既に社会現象にもなっている村上春樹氏の最新作で、ベストセラー。
上下巻合わせて1000ページというボリューム以上に、読破するのに精神面も含めた体力を要求される作品だった。
個人的に、村上氏はデビュー作である『風の歌を聴け』から、根底にある「伝えたいこと」は変化しておらず、それをより正確に、厳密に伝えきるために、作品を追うごとに様々なテーマやモチーフが肉付けされていっている作家との印象を抱いている。
また、本作に限らず、村上氏の作品を読むたびに、心理学者ユングの「集合的無意識」の概念を思い出す。
この1Q84でも、男と女、善と悪(とその境界)、親子、時間、空間、記憶…といった、ギリシア神話や聖書の時代から延々と続く、人類にとって普遍的なキーワードを連想する読者がほとんどだろう。
この点については、本作に登場する架空の小説に対する評として、「それ(物語)は特殊な環境に置かれた少女の、非現実的な体験についての物語ではあったが、そこには人々の自然な共感を呼ぶものがあった。たぶん意識下にある何かが喚起されるのだろう。」(下巻P418)と、村上氏自身が書き記している。
(意識的にか、無意識的にかは判別のしようがないが、恐らく確信犯ではないだろうか)
では、「本作がこれまでの作品に対して何が際立っているのか」、を考えてみたとき、個人的には「作品のスピード感」ではないかと感じた。
本来、この作品の物語を終わらせ、起承転結を展開させることだけを考えれば、1000ページは必要以上の分量かと思う。
規則性を重んじる文章(たとえば食事を作る過程などが異様なほど綿密に描かれる)は、これまでにも見られた特徴だったが、本作では、その「村上春樹時間」とも言えるものに、これ以上ないという磁力が内包されていたように感じる。
特にこのBOOK1では、読み進めるうちに、どんどんとその時間軸を共有することを求められ、気づくとそこから抜け出すことが難しい精神状態にあることを自覚する。
そして時間の感覚の主導権が作品に渡ることで、自分も含めた読者は、自身の中の無意識的に眠らせているはずの記憶(時間)と徐々にシンクロし、作品を読みながらも、自身と対話する不思議な空間へと連れ出される。
BOOK1は、この作品(物語)と読者の関係性をセッティングすることに、ほぼすべての労力が費やされている。
(BOOK2へ続く)
5つ星指数:★★★★☆
1Q84 BOOK 1 Amazon書評・レビュー: 1Q84 BOOK 1より
4103534222