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妖説太閤記
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【この小説が収録されている参考書籍】
妖説太閤記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
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山田風太郎だから妖しくおどろおどろしい話しと思い購入しましたが、真っ当なストーリー。ただ、この作者らしく、普通の太閤記ではなく全ての登場人物が今迄のイメージとは違ってました。 新鮮な驚き!とても面白い!推薦します。 | ||||
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内容については数々の素晴らしいレビューがあるので割愛。 妖説太閤記は2011/1/25発売の角川文庫版もあるが 2013/8/16発売のこちらの天野喜孝氏のカバー装画と柳川昭治氏のカバーデザインが素晴らしいのでこちらを選びました。 | ||||
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秀吉が出世したのは「人たらし」だったと言うのはよーく聞くけど それが実際はどうだったか、と言うことをこの本で初めて理解しました。 妖説とタイトルしてるけどこれはいちいち納得説ですな。 下巻で一番笑った所 家康が旭姫(奥さん)を実家に帰らせた時 「妻に逃げ帰るくらいのあしらいをして、しかも恨みを抱かせないーーその家康の手腕は天巧ともいうべく、この点については、われわれの方が膝を屈して家康に教えを請いたいぐらいである。」187ページ 山田風太郎センセ〜イ!オ〜イ(笑) | ||||
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豊臣秀吉は、好き嫌いが分かれる人のように思う。農民出身といわれるが、実際はそれよりも 下の階層だったのではという説もある。そのような人物が、天下を統一したのだから、稀有な英雄であったのは間違いない。秀次に対する残酷な所業といい悲惨ともいえる晩年であったが、栄華を極めた豊臣氏が、数年後に徳川氏に滅ぼされたのは、因果応報と思わざるを得ない。 | ||||
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異色の太閤記だが、ある意味では山田風太郎作品としても異色。 これだけの著名人が題材なら当然かもしれないが、意外なほど歴史に忠実に進行する。 太平洋戦争との比較なども挟んであって、司馬遼太郎っぽささえ感じた。 やはり山田風太郎は自由自在にフィクションを書いた方が良い。 あと他にも触れているレビューがあるが、男女関係がちょっと顔面至上主義すぎる気がした。 | ||||
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ただし不特定多数の、と補足するとだいぶ印象が変わりますね。 女にモテたかった、と大真面目に全身を振り絞って吐露する秀吉の描写は、実にインパクトがありました。 こんな秀吉像もありか、と思う反面で、周りの女性たちについて考えを巡らせると、これはないかな、とも。 この時代、たとえ百姓上がりでも、顔が男前でなくても、絶大な権力と武力を持ち確実に一族を保護してくれる 天下人に、本気で忠誠を誓う女が一人もいない、ということがあるでしょうか。 この小説で描かれた秀吉は十分に魅力的で面白い男性で、家臣は普通に集まってきています。 すべての女に好かれるのは無理でも、この男なら本気で惚れてくる女の5人や10人いないと不自然、と言う程度には奥行きのある人物に書き込んでしまっている気がしました。 全体としては、買って読んで時間とお金を損することは確実にない名作の部類です。 | ||||
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秀吉に嫌気たっぷりになりつつも、何とも爽快 大変面白かったです | ||||
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調べてみるとちょっと意外だったのが、この『妖説太閤記』出版が1967年で、司馬遼太郎の | ||||
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社会の最下層から人臣を極めた人気者、豊臣秀吉の一代記だが、ここまで秀吉をネガティブに描いた作品は見たことがない。山田風太郎は東京医大の卒業生という背景を持つからなのか、秀吉を見つめる視線は、まるでメスを持つ外科医のそれである。 本作の秀吉は、人並み外れて醜い容姿からくるコンプレックスから、とにかく女が欲しい、特に信長の妹であるお市の方を手に入れたいという一念だけで動いている人間だと見なし、その前提で秀吉の行動を説明している。すると、不思議なことに「妖説」と作者自身が銘打っているにも関わらず、ほとんどの行動に平仄が合うのである。別の作者による太閤記は何冊か読んだが、こういう見方もあるのかという、新鮮な驚きがあった。 晩年の秀吉については、秀吉ファンでも肯定できないことが多い。だから、司馬遼太郎のように秀吉の晩年を書くことを最初から放棄する作家もいれば、大河ドラマのように、その部分は素通りすることも少なくないが、山田風太郎は書くことを止めない。女への欲望と老耄、さらには誇大妄想まで相まって、晩年の秀吉がいかに万民を苦しめたかを、これでもかと描写している。甥の秀次の妻妾を含む眷属39人を三条河原で処刑の場面で、処刑された妻妾の1人1人の背景を詳しく描いている点は圧巻である。このシーンは、読む方も息苦しくなる。 さらに、本書では秀吉だけではなく、その秀吉を持ち上げる一般庶民に対しても物申すという態度を貫いている。エピローグは、その象徴だろう。山田風太郎は、忍法帖シリーズが有名で、エログロや奇想天外な忍術の設定など、イロモノ扱いされることも多い。本書にそういう要素を期待する読者もいるだろうが、この作品にはそうした要素は非常に少なく、むしろ至って「真面目」な太閤記である。 | ||||
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世の中にたくさんある太閤記の中でも異色で斬新。 こういう見方もあるのだな…と非常におもしろかったです。 | ||||
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名文に酔うとはこのことです。 秀吉が悪人でありながら、非常に魅力的で、史実はどうであれ引き込まれます。 小説だからこそ、人間の内面をあらわせるのかと、思わせる作品です。 | ||||
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山田風太郎は初めて読んだがかなり面白かった。太閤記なので秀吉が卑賤の身から天下をとるまでのストーリーであって、おおまかな流れは知っていることばかりである、が、その背景描写は他の作品と一線を画する。太閤記といえば、日本におけるもっとも有名なサクセスストーリで、秀吉は天下をまとめあげた英雄であり快男児として描かれていることが多いと思うが(例えば司馬遼太郎の新史太閤記)、本書では徹底した卑劣な俗悪人となっている。同じ人物を対象にしていてもこれだけ違った物語になってしまうというのは面白い。 物語的に面白くなるように脚色しているところもずいぶんあって、決して歴史教科書的な内容ではないのだが、それでも秀吉のとったいろいろな行動についてその理由・魂胆についての推察は鋭く、なるほどそうだったのか、と思わざるを得ないところが多く、かなり事実も含まれていると考える。ストーリ全体としては、秀吉のとった行動は、全生涯を通じて女にもてないというコンプレックスと、信長の妹で絶世の美女のお市を手に入れたいという目的が動機となっていると主張する。秀吉は卑賤の出自で顔も醜く全くに女にもてなないというコンプレックスから、セレブの家のそれも幼女を好み手当たり次第妾にした。敵方はもちろん家臣やかつての奉公先(信長)や公家の女もことごとく餌食となった。 天下をとったというのもそれ自体が目的ではなく、女を自由にするためであった。そのために障害となる者は、有能な軍師の竹中藩兵衛であれ、主君の信長であれ陰謀を駆使して抹殺してきた。お市が亡くなったあとは、その娘のちゃちゃとさらにその息子の秀頼(秀吉の子ではないらしい)のために重い年貢をとりたて、豪奢な建築造営をくり返し、さらに朝鮮に出兵させた。つまるところ快男児などではなくてまったく無茶苦茶な人間である。 特に著者が重視しているのは本能寺の変であり、明智をあやつって信長を殺すように仕向けたとしている。そこまで事実かどうか分からないが、著者の例証を読むと少なくとも秀吉は明智が信長を本能寺に攻め殺すということは事前に察知していて、毛利方との戦場である備中から京都に急行するために入念な準備をしていたことだけは疑いがないようだ。また毛利攻めについては、高松城の水攻めなどにみられるようにわざと侵攻のスピードを抑えていた節がある。 | ||||
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この作品は上巻と下巻で完全に明暗が分かれています。 秀吉ファンにとっては信長に仕えてから幾多の有名なエピソードを経て 彼が文字通り天下への階段を駆け昇ってゆく上巻は、 その謀略のスケールと相俟って胸がすくような気分をおぼえます。 山田風太郎氏は基本的に秀吉が好きではないだろうと思うのですが、 それでも彼の人間的魅力は描写せざるを得ません。この上巻では。 そうせざるを得ないのが、秀吉の歴史上の英雄としての資質でしょう。 だから。秀吉好きなかたがたは、上巻のみ読むほうがいいかも。 下巻では、秀吉好きな吉川英治氏ですら誤魔化すしかなかった 無惨なエピソードの数々が風太郎節でこれでもかと描かれます。 正直、史実を知っていても秀吉ファンである身としては、 「早く死んでくれ秀吉」と思いつつ下巻を読むのは苦痛でした。 でも、面白いから最後まで読むのをやめられないんですよねぇ・・・。 | ||||
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瓢軽な人柄と臨機応変な知恵で天下を取った英雄という秀吉のパブリックイメージを徹底的に覆し、冷酷で手段を選ばぬ好色漢として描ききった題名どおりの風太郎流異説太閤記。 著者の冷徹な人間観察と容赦ない描写は、いささか寒気がするほどの迫力。和製ピカレスクロマンとして第一級。 | ||||
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大河ドラマなどで御馴染みの秀吉のイメージを完膚なきまでに覆す色と欲にまみれた、究極に生々しく描かれたこの英雄像こそ、権力へのニヒリズム、人間性への懐疑を抱き続けたこの著者の真骨頂といえるだろう。知られざる傑作の復刊。 | ||||
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山田風太郎作品を初めて読んだ。 妖説とありこれまでにない太閤記に興味が沸いた。 妖説と言うほどでも無い内容だ。 一番は秀頼が太閤の子でないことを秀吉が知っていたことか。 それとも信長恣意逆の張本人は秀吉か。 こんな作品はほかにもたくさんあるが発表年代が早いから妖説だったのか。 太閤記なる作品、秀吉作品は数多く読んだが他作品と史実?と違うところが多く困惑する。 寧々の結婚年齢について吉川作品の間違いを指摘するのは良いとして、本作品には疑問箇所が多い。(これは小生が数多くの作品を読んで気付いたことで史実とは関係ないが) (1)秀吉が信長の草履取りになる前にお市の草履取りになっているのは本当か。 (2)安国寺恵瓊が織田家に近いところで修行などしていたのか (3)石川五右衛門が服部半蔵、石川数正の忍びとして働いていたのか (4)竹中半兵衛と明智光秀が同時に信長に仕官している (5)小谷落城前に秀吉が長政とお市に合って、お市親子を脱出させる打ち合わせを行っている (6)直江兼継は単身で姫路城で秀吉に合っているのか (7)秀吉には淀どの以外には子どもがないといっている点 など混乱させられる箇所が多い。 一般文学通算629作品目の感想。2010/11/23 | ||||
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山田風太郎作品を初めて読んだ。 妖説とありこれまでにない太閤記に興味が沸いた。 妖説と言うほどでも無い内容だ。一番は秀頼が太閤の子でないことを秀吉が知っていたことか。 それとも信長恣意逆の張本人は秀吉か。こんな作品はほかにもたくさんあるが発表年代が早いから妖説だったのか。 太閤記なる作品、秀吉作品は数多く読んだが他作品と史実?と違うところが多く困惑する。 寧々の結婚年齢について吉川作品の間違いを指摘するのは良いとして、本作品には疑問箇所が多い。(これは小生が数多くの作品を読んで気付いたことで史実とは関係ないが) (1)秀吉が信長の草履取りになる前にお市の草履取りになっているのは本当か。 (2)安国寺恵瓊が織田家に近いところで修行などしていたのか (3)石川五右衛門が服部半蔵、石川数正の忍びとして働いていたのか (4)竹中半兵衛と明智光秀が同時に信長に仕官している (5)小谷落城前に秀吉が長政とお市に合って、お市親子を脱出させる打ち合わせを行っている (6)直江兼継は単身で姫路城で秀吉に合っているのか (7)秀吉には淀どの以外には子どもがないといっている点 など混乱させられる箇所が多い。 一般文学通算629作品目の感想。2010/11/23 | ||||
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ばれないように働かせていた「機略」は、 権力の頂点に到達した後には必要なくなり、 あからさまな「暴虐」へと変化していく。 行間から伝わってくる作者の憤りはラストに向かうとともにエスカレート。 作者の憤りは秀吉に対して向かっているというよりは、 こんな奴の暴虐を、誰も止められないということ、 秀吉の死を待つことでしか世の中を変化させられない「日本」に 対して向けられている。 「日本はこの痩せこけた老猿をいかんともすることができなかった」 昭和時代の戦争における「日本」の姿がダブらせて語られる。 「ああ、戦争は終わった・・・」とほっとする気持ちの奥底に 実はいずれ、そういう時代をもたらした「英雄」の再来を 待ち望んでしまう日本、あるいは自分の心理を家康は発見する。 笑いながら死んで行った秀吉とは対称的に家康の顔には 笑いは訪れなかったのだ! 橋本治の巻末エッセイは素晴らしいです。 | ||||
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「太閤記」が何度もテレビや映画で題材として取り上げられることからも 日本人は秀吉が大好きだということがわかる。 しかし、それは「美化された、嘘っぱちの英雄伝」(下巻より)である。 血を流しながら戦っている男たちを、一歩高いところから眺め、 謀略を用いて駒のように扱いながらシナリオを描いて行く秀吉。 「ずるい」「いやなやつ」という評価があってもいいようなものだが 日本では秀吉は人気の高い「英雄」なのだ。 皆が大好きな秀吉は、実はこんな奴だった、という話にとどまらず こんな秀吉を、「英雄」と思い、大好きになってしまう日本人が 持っている民族的なDNAに対する絶望感が伝わってきます。 下巻 橋本治の巻末エッセイもスゴイです! | ||||
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時の流れというものは、人々の記憶とともに、その時代の真実でさえ闇の彼方に押しやっていくものらしい。考えてみればたかだか60年前の太平洋戦争についてでさえ、未だその真偽をめぐって喧々諤々の大論争をいたるところで巻き起こしている(南京大虐殺しかり、従軍慰安婦問題しかり)。いわんや今を去ること400年以上昔の出来事である。その時代の支配者達の都合の良いように歴史は書き換えられ、真実は闇の彼方へと押しやられて行ったに違いない。ならば既存の概念にとらわれることなく、ある大胆な仮説をたて、鋭い推理力、想像力で闇にうずもれた真実に肉薄していく。これこそ歴史小説の醍醐味ではないだろうか。 確かにこの小説の主人公秀吉の出世譚はあまりにもうまく行き過ぎている感は否めない。しかしながら、時は乱世、血を分けた親兄弟でさえ相争う、己の実力だけがものを言う、下克上の世の中である。彼の出自である貧しい百姓のまま生涯を終えるか、乞食同然で全国を行商しながら這い回り野垂れ死ぬか、あるいは天下人となるか・・・・。 私なら例え万に一つしか可能性が無くても、己の脳漿と持てる力の全てを振り絞り、天下人への道に賭けてみたい。そんな気宇壮大な浪漫を読むものに抱かせる、物凄いパワーと、致死量をはるかに超える毒気を含んだ、恐るべき作品です。 | ||||
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