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冷い夏、熱い夏
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冷い夏、熱い夏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
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当時は、「癌=不治の病」のイメージが強かったからこのように当人に告知をしない風潮があったのだろうか。 しかし、病院は得てして卑屈になるものだろうし、周りの反応を見ていれば噓をついているかどうかなど簡単に知り得るだろうと思う。さらに、氏の弟は勘も鋭かったそうだし、自分は癌におかされていないと信じている病人を演じていたのだろう。当人にもこのような気を遣わせ、周りの人間もつらいし、死期を感じさせるからといって会わせたい人間も呼べない。当人に癌告知をしないなど、誰も得をしない。 当人の尊厳を守るため、病で変わり果てた姿は親しかった旧友すら見せるべきではないとか言いつつ、最後の最後まで身内ぐるみで嘘をつきとおすという極悪な仕打ち。言っていることとやっていることが真逆で、苛立った。自分がこの弟の立場だったら死んでも死にきれない。可哀相すぎる。 一作品としてはおもしろかった。 | ||||
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津村節子氏の「果てしなき便り」に、夫吉村昭氏の数ある作品から、選ぶ3作品の一つに挙げられていたのを見て、手にしました。吉村氏の作品に余り馴染みがないので、この本をどう読むべきなのか、読み終えた今も、解らないでいます。時点は、昭和50年代半ばでしょうか、この頃の「癌」を巡る状況はどうであったのか、でもこの本が「癌」や、その「告知」に焦点を当てている、とも思えません。内容は「悲惨」の一語に尽き、涙なくしては読み進めませんが、さて著者の書きたかったものは、となると見つからないのです。著者の作品は、「記録文学」といわれますが、「記録」が主か、「文学」が主か、この言い方が可笑しければ、では「記録」と「文学」との関係性は、とか疑問多々ですが、この本の場合、実際に遭ったことをそのまゝに、では読むに重過ぎますし、それでも読者を想定して書き連ねた、となると「記録文学」何ぞやの前に、作家の「業」の酷さを感じたりして、戸惑いが拡がるばかりです。 | ||||
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ある医者が、「がんの中でも肺がんだけはかかりたくない、真綿で首を絞められていくようなあんな苦しさはない」 と言っていた。著者の弟がその肺がんにかかり、中でもたちの特に悪い種類で、余命すらほとんど残っていない。 兄や周囲のものは、「死」を前提に、それでも当人にはかたくなに 「がん」 という言葉を否定し続ける。苦しみと激烈な痛みの中で患者は何を思ったのか。 私の父も似たような状況であった。「治ることはない」と言われ弱った体に「抗がん剤」が次々投与された。それは「治療」と称した行いであったが、父には「毒」にしかならなかった。 真実を知る権利、隠し通す覚悟、嘘で固める日常・・・。自分なら・・・と考えるも答えが出ないままである。 | ||||
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