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(短編集)

芝公園六角堂跡



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【この小説が収録されている参考書籍】
芝公園六角堂跡

芝公園六角堂跡の評価: 2.63/5点 レビュー 16件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点2.62pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全16件 1~16 1/1ページ
No.16:
(5pt)

面白かった。一気読み

今までの小説とは違い、西村賢太氏が主役で書いてある
面白かった、一気読み
彼の文章は一文、一文、思いがこもっている
他の小説であるページ稼ぎ、駄文が一切ない
自分は元々文章は読めない、読まない
前作、最後まで読めるのは西村氏の作品だけ
しかも一回読んで処分して、再度購入し直している
小説版、長渕剛だと思っています
芝公園六角堂跡Amazon書評・レビュー:芝公園六角堂跡より
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No.15:
(1pt)

駄作の言い訳に駄作を著し、さらに駄作に駄作を重ねた結果の一冊。

駄作、愚文、駄文を書いた、書いているという自覚があるのであれば、
きっちり推敲、手直しをしてから雑誌掲載、単行本化に踏み切ればいい。
へりくだっているようには、まったく感じない、作者の自己申告通りの駄文だった。

駄作を書いた。読ませる予定はなく書いたと著しながら月刊誌に掲載。
それゆえ次の駄作を書いた。さらに、と表題作を記した故に、後続3作ができた。
だが、総て駄作とは著者の弁。
駄作ならば、せめて拙作になるくらいは、修正なり加筆なりしてから単行本にすべきところ、
掲載時のままの収録の様相。
読めば確かに、愚文。拙作ではなく、箸にも棒にもかからない、自己満足だけの駄文だった。

偏屈に小難しい漢字を使い、下手な東京言葉を粋がって使う。
漢字は師匠の作品の真似をしているのかもしれないので、形にはそれなりになっているが、
カタカナの使い方は独りよがりでテレビに習ったのか、にわか仕込みの様相。

愚文や駄文、駄作を月刊誌に掲載したことで、有無を言わせず購入者にお金を払わせている無礼を、
何とも感じないのは、繊細さのかけらもない、図太く金にいじましい性質ゆえか、と邪推する。
著者は、無頼の私小説作家を気取るために、人生を演出して、演じているのだろうか。
読むに値しない文章でも、高名な賞を受けた過去があれば、売文して贅沢な生活ができる
日本の文学界の悪例の一つだろう。
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No.14:
(5pt)

分身ならではの独特の苦悩

私も最初の印象は「駄作」でしたが、繰り返し読むほどに味が出てくる感じです。
「しみじみ、その意志を蘇えらせてくれた、間接的な契機であるJ・Iさんとの流れが有難かった」の一文は、やっぱり普通に書いてしまうだろうと思います。いや、書くべきものだという直観に取りつかれたからこそ、その時にはそのフレーズが確かに降ってきたのだと思います。そして、その一文に後からここまで苦しめられるというのが、私小説家の真骨頂なのだろうと思います。

私が第一印象で「駄作」だと思ったのは、やはりダメ人間界のスーパースターである北町貫多の像が壊されてしまったことのショックでした。その意味で、この4編の小説群には「北町貫多」ではない別の人格を置いてほしかったという感じもしましたが……。しかし、藤澤清造がテーマである以上、「北町貫多」じゃないとおかしいですね。私小説の世界は、想像以上に難しくて苦しいことが察せられました。

私はやはり、ダメ人間の大スター・北町貫多の幻影をまだ追っていざるを得ない感じですが、西村さんが「自分の中では別格の作です」と述べていらっしゃるとおり、これはこれで味わい深いです。
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No.13:
(4pt)

西村賢太のイノセントワールド

低評価レビューが目立ちますが
ゲスの極みを地で行く作風の西村賢太に何故こんなに惹かれるかを再確認できた作品集だと個人的には思いました。
かつての人生最強の援軍田中英光によって私小説に開眼し、師藤澤清造との邂逅。その師に認められたいが為に私小説書きとなった自分が富や名声に惑う事無くありたい…のに変わってしまいそうな自分と葛藤し、乗り越えられる自信を確信に変えたいからこそあえてこういう作品集を残したかったのではないかと推察します
ゲスの対極にあるこういうイノセントな部分
自身の心の問題を作品として世に出してしまうのが西村賢太の私小説世界の核の部分ではないでしょうか
「やまいだれの歌」や「蠕動で渡れ〜」等は確かに傑作ですが、そういった作品を連発するより
再起動的な今作を挟む事は本人にも西村賢太を読み続けたいと思う者にもすごく意味がある気がします。
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No.12:
(4pt)

芥川賞受賞作家の成長過程(良い意味で)

これまでのいわゆる「おろしろい」とレビュー等で評価されている小説が、
むしろ文学的本質から距離があったというだけで、
この作家は着実に私小説の核へと近づいています。
芥川賞を受賞した作家の、理想的な成長の過程であると評価します。

紙面の向こう側で、北町貫太は生きています。
物語のなかで、まさしく人間が生きています。

「おもしろくない」というレビューが多いようですが、
そもそもエンターテイメント系の作家ではないので、
娯楽的要素を求めるのであれば筋違いかと思います。
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No.11:
(3pt)

私達が読みたいのはこんな貫多じゃない!

有名な大きな賞を受賞し、貫多はもうお金にも生活にも困っていません。
なので、もうゲスいことをして生きる必要などなく、
昔から憧れていたミュージシャンのライブに招待されるほどの作家になりました。

でも私はこの貫多の成功を素直に喜べません。
生活レベルや社会的な立場が変わり、「ギラギラ感」「むちゃくちゃ感」がなくなった。
だからこの作品はこれまでのに比べるとつまらない。
西村賢太の私小説の魅力はそこだったのに、
作家としてそれなりに成功した故にそれを失ってしまうなんてなんという皮肉なことか。
相変わらず言葉のチョイスは抜群に面白いけど、
私たちが読みたいのは、こんな貫多じゃないんだよなぁ。
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No.10:
(2pt)

売れてからの話はあんまり面白くない。

やはり、過去のハチャメチャエピソードや強烈な怒り。そこが面白い。
財産や地位を持つと、どんどん保守的になるのは作者も例外ではないだろう。
今回の作品と同じようなものが量産されていくとしたら、多分どこかで見切りをつけてしまうだろう。とりあえずは次回に期待。
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No.9:
(3pt)

読み物として読者を愉しませる地点に向けて主人公をどこまで「虚構化」できるかが今後の課題

本書は2015年から2016年にかけて文芸誌に掲載された短編を4編収録。

「芝公園六角堂跡」(文學界(掲載誌)2015年7月号)
「終われなかった夜の彼方で」(文學界(掲載誌)2016年新年号)
「深更の巡礼」(小説現代(掲載誌)2016年2月号)
「十二月に泣く」(すばる(掲載誌)2016年6月号)

芥川賞受賞後の「北町貫太」を描いたもの。

将来、西村賢太の作品群を分類する場合には、
「前期」=(芥川賞受賞前)と「後期」=(芥川賞受賞後)
という大きな枠組みが作られる事が推測される。

「前期」の諸作品に頻出する貧困や肉体労働をベースにしたモチーフは
「後期」には使えない道理であり、
それが作品全体から受ける印象を大きく変容させているためだ。

「貧困譚」で頻出する自虐的な記述から生み出される諧謔味が無い本作に於いては、
これまでの西村作品を魅力のあるものに見せていた要素が消滅しているようにも感じられ、
事実、レビューなどを参照しても、失望の声が少なくないように見受けられる。

実際、「ダメ人間を演ずるとき用の、例のユニフォーム姿」(12頁)と称して、
敢えて見すぼらしい恰好をするという記述などを目の当たりにすると、
前期作品において読者に植え付けた「人生の落伍者」的イメージを裏切らない為の
作者流の配慮の有り様なのだろうと一応は理解しつつも、そのリアルな屈折ぶりと
小賢しい「営業戦略」ぶりに、
読者としてどこか白けた気分になってしまうのは避け難いのである。

ここで改めて、四編の概要を記しておく。

『芝公園六角堂跡』
都内で愛好家を自任するミュージシャンの演奏を鑑賞した後、大正期の私小説作家である藤澤清造が
凍死したという場所に佇み、作家の半生と自身の若き頃に思いを馳せる。
そして、この十年間私小説を書き続けてきたそもそもの根本的な動機は藤澤修造の没後弟子たる
資格を得る為であるという事を忘れかけてしまっているのに気づき、反省を深める。

『終われなかった夜の彼方で』
「芝公園六角堂跡」を書き上げた動機についての説明と後日譚。
馴染みの古書店に於ける、藤澤修造の直筆資料の入手を巡る話。
私小説作家としての初心に立ち戻ることを決意するという内的モチーフを
中核に据えているという意味では「芝公園六角堂跡」と似通っている。

『深更の巡礼』
貫太が藤澤清造の没後弟子を名乗る前に傾倒していた無頼派作家、
田中英光の作品集の発刊に関連しての諸作業にまつわる話。
本編に於いても「芝公園六角堂跡」を書き上げた動機についての記述がある。
『藤澤修造の〝没後弟子〟との看板が、無意識のうちにもどこか形骸化したような自身の心情を、
ここで一度しっかりと検分しておく、火急の要に迫られて書いたのである』(122頁)
また「終われなかった夜の彼方で」と同様、藤澤修造関連資料の落札にかける貫太の
執念の強さを書き込んでいる。標題の「巡礼者」は最終行から取ったもの。
『貫太は田中英光作品のゲラに、或る種の巡礼者の面持ちをもて没入するのだった』(148頁)

『十二月に泣く』
2015年の12月、寛太が能登七尾にある藤澤修造の菩提寺に赴いたときの話。
掃苔の最中に藤澤修造の直筆資料が出てきたとの連絡が骨董店から入り、
不意に感情を高ぶらせて嗚咽を漏らす。

古書店の店主との遣り取りなど、ある種の生々しさがあって、興味をひく部分もある。
しかし、当然の事ではあるが、藤澤修造の没後弟子を名乗る貫太の姿も、ともすると
変人扱いされかねなかった無名時代のそれと、社会的に認知されて経済的な困窮からも
脱したそれとでは、その印象の意味合いがまるで異なったものとなってくるわけであり、
狙いの古書(藤澤修造関連資料)を高値で落札するという行為一つを取ってみても、
借金をしてでもそれらを入手しようと奮闘していた無名時代の健気さが希薄になっている分、
どうかすると身銭を切る素振りにさえ嫌味な空気が漂いがちになったりもするのだ。
同様の意味あいに於いて、本書のなかで自身を「五流のゴキブリ作家」
などと卑下する記述に対しても、違和感を覚えないわけにはいかなかった。

この「違和感」を別の言葉に置き換えるとすれば、自己像と「受賞後の貫太」
との距離感が、私小説作家としてまだ上手く掴み切れておらず、社会的成功を収めた
北町貫太のパーソナリティを小説作品として昇華できる程には十分に「虚構化」できていない、
という事になるのだろうと思う。

そのような意味では、作者が本書の刊行に際してメディアに向けて発信した情報、
「読み手がどう思おうといい。受け狙い的な記述は一切なく、書きたいことを書いた…」
という言葉も、貫太像を虚構化する作業を放棄した
(或いは技術的な困難に直面している)と解釈することもできるように思う。

以上の事柄を踏まえた上で感想を述べると、「私小説」という括りの中で、
読み物として読者を愉しませる地点に向けて、西村賢太が、
世間に名前の知られた職業作家に成長した北町貫太の存在をどこまで虚構化できるのかが、
今後の課題になるのだろうと思う。
芝公園六角堂跡Amazon書評・レビュー:芝公園六角堂跡より
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No.8:
(1pt)

初めての作家の初めての作品

初めての作家の初めての作品です。約180ページなので、一気に読めました。それにしても、全く世界観に共感できませんでした。何でこの小説を書いたのか全く不明です。誰かこの作品の面白さを教えてくださいませ。
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No.7:
(2pt)

作家の皮を被った芸能人

超有名作家様になられた現在でも、以前と変わらぬ冴えない格好をしておられるのは、今やそれが西村先生のユニフォームだからだそうです。
メディア出演も増え受賞作は映画化
出版界はもとより、ベテランミュージシャンIJ氏や、あの玉袋氏との繋がりもあるのですから、決して見た目で見くびるような事があってはいけない御方なのです。
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No.6:
(2pt)

ファンとして初の駄作認定

氏の作品は全て読破しているファンです。
しかし、この作品だけはどうにもこうにも、駄作、としか言い表せない読後感でした…。

劇中がほぼほぼリアルタイムの「成功者・西村賢太」時代となっているため、
ハッキリ言ってしまうと書く方も読む方も特に話として面白い苦境が
生まれるはずもない、という感じで
ただただ最近の西村賢太の豊かな生活ぶりを見せられるという
この作家の読者層にとっては甚大な裏切りとも思えるお話になっています(笑)

そして本人も薄々白状してしまっていますが、
師・藤澤清造への「飽き」が露呈し始めてしまっています。

自分や西村作品の熱心な読者はたぶんもう気付いてしまっていたと思うんですが、
西村賢太の実績は藤澤清造を遥かに凌駕してしまっていると思います。
そして力量と生活力のついた西村氏自身、おそらくは
「あれ…藤澤清造って実はそこまで拘るほどの作家じゃなかった…?」という戸惑いを
隠し隠し、抱いているように感じます。

藤澤清造という名前は売れない頃の西村賢太にとって、唯一無二のオリジナリティであり
他に著名な研究者のいない、自分だけの狩場でした。
それが現在、思うがままに商業誌で活躍、収入の場を得た西村氏にとっては
自分の人生のウエイトに藤澤清造を重くおく必要性がなくなってしまった。

この先、没後弟子としての矜持を貫くか、
あるいは「藤澤清造飽きたてきた…w」という禁断の飛び道具を取り出すか

そんな今後の妄想を楽しみつつも、退屈に本書を閉じました。

2話目に自身でも苦悶していましたが、
「J・Iさんとの良い流れに感謝___」というくだり、
ダッセえよ!!!!
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No.5:
(2pt)

今後どうなるのか、、、

さすがにネタが尽きてしまったのでしょうか。
過去の貫多の境遇であればこその痛快さだったのですが、
現在のリアルタイムな著者を想定すると、自虐力の衰えを感じてしまいます。

藤澤淸造ネタもたまにならばよいものの、
個人的にもとからあまり関心のない作家なので、そればかりだとどうも、、、

一ファンとして、今後に期待しています。
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No.4:
(1pt)

往時の力はなし

著者の持ち味は貧乏話と、それにまつわる悲哀と怨嗟の思いであったが、芥川賞を取ったとたんに金持ちになってメディアに出まくり、実は決して貧乏でなかったことがバレるなどで魅力がなくなり、この小説ではまったく読むべきところがなく駄作の極みと言ったところで残念。
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No.3:
(4pt)

新・西村へのプロローグ?

西村氏、敬愛する師に関わる資料はオークションで「キ◯ガイ札」を入れても全て取りに行くと公言してはばからないことは氏のファンであれば皆知るところ。それってあんまり言いすぎると値がつり上がって結句氏は損するのでは、と小市民的に思っていたが氏のレベルはそんなもんじゃないのは収録作品『深更の巡礼』を読んで分かった。(例の新川との会話が楽しい)
表題作『芝公園六角堂跡』を本書の他作品で「本来商業誌に載せられるようなもんじゃない」とぶっちゃけてしまうのもいかにも西村氏なのだが、そういう意味では『蠕動』『やまいだれ』は商売ベースを意識していたか。。。と勝手に得心。お金がなければ師の資料落札に必要なキ◯ガイ札も入れられやしない。新川の口を借りてスランプ感まで漂わせる本書収録作群だが私は決して嫌いじゃない。「小説にすがりつきたい」刹那感・小説愛が伝わってきて本作を経てまた次にどんな新境地を開くのだろうと期待が高まってくる。新・西村への序章。
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No.2:
(1pt)

読むべきところなし

著者のファンとして、期待して読んだががっかりな出来映えであった。貧困時代の貫太作品は面白いものが多いが、小金持ちとなってからは何の魅力も無くなってしまっているように思える。
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No.1:
(2pt)

初めて駄作だと思った

西村氏の作品は随筆も含めて全て読んでいる。
西村氏をモデルとした「貫多は人として男として最低だな」などと笑いながら読むことが多かったが、本作品は初めて駄作であると思った。
短編四編は全て最近の西村氏の作品に対する考え(決意)を述べるようなものであるが、笑いも感動もかなり少なかった。
これは、最近の長編(「蠕動で渉れ、汚泥の川を」とか「やまいだれの歌」)が非常に面白かったため、その反動でそんな感想を持ったのだと思う。
私小説家だけにネタが無限にある訳ではないとは知りつつも、次回作に期待したい。
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