正欲
評判
正欲の評価:
3.85/5点 レビュー 459件。 D ランク
Amazonレビュー一覧
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全314件 1〜20 1/16ページ
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正欲の評価:
3.85/5点 レビュー 459件。 D ランク
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小説の詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。最近閲覧した小説詳細ページへ簡単に戻る事が出来ます。
先日の夜がまさにそうだった。朝井リョウさんの『正欲』を読み終えたのは、日付が変わる少し前。寝る前の三十分だけ、と決めて開いたはずなのに、気づけば残りのページを一気に読んでしまっていた。読み終えて、電気を消して、それでも眠れなくて、枕元に置いた本の背表紙をしばらく眺めていた。
翌朝、通勤電車の中でいつものようにスマホでニュースを眺めていたら、昨日までと同じはずの記事の見出しが、なんだか違って見えた。
ああ、これが「いい本を読んだあと」の感覚なんだな、と思った。
世界そのものは変わっていないのに、こちらの目のピントが少し変わって、今まで見えていなかった輪郭がうっすら浮かび上がってくる、あの感じ。
『正欲』は、ひとことで言えば「多様性」という言葉の外側に立つ人たちの物語だった。詳しい筋には触れないけれど、この小説に出てくるのは、異性愛者が多数派を占める世の中で、同性愛とも違う、もっと理解されにくい欲を抱えて生きている人たちだ。誰にも打ち明けられず、打ち明けたところで「枠」さえ用意されていない人たち。
読みながら、私は自分がこれまで「多様性」という言葉をどう使ってきたかを振り返らずにいられなかった。
多様性を大事にしよう、いろんな人を受け入れよう。
職場でも、SNSでも、よく見かける言葉だ。
私自身、わりと素直にうなずいてきた側だと思う。でもこの小説を読んで気づいたのは、「受け入れる」という言い方そのものに、すでに上下のようなものが含まれているということだった。
受け入れる側と、受け入れてもらう側。
多数派が少数派に「いいよ、いてもいいよ」と言ってあげる構図。やさしい顔をしているけれど、椅子を用意する権限はずっとこちらが握っている。
そして、その用意された椅子にすら座れない人がいる。「多様性」のパンフレットに載っている分類のどれにも当てはまらない人。小説は、そういう人たちの息苦しさを、こちらが目をそらせない近さで描いていた。
作中では、ある事件が「小児性愛者による事件」として報じられる場面がある。ニュースの見出しだけを見れば、私たちは一秒で「ひどい話だ」と判断して、次の記事へスクロールしていく。もちろん、被害が生まれる行為は許されない。それは大前提だ。ただ、この小説は、見出しの一行に圧縮される前の、その手前にあったはずの長い時間のことを想像させる。見出しは事実かもしれないけれど、事実のすべてではないのかもしれない。あの朝、電車の中でニュースが違って見えたのは、たぶんそういうことだった。
哲学者のウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の最後に、こう書いている。
語りえぬものについては、沈黙しなければならない
有名な言葉だけれど、『正欲』を読んだあとだと、少し違う響き方がした。世の中には、まだ言葉になっていない感情や欲がたくさんある。名前がついていないから、語れない。語れないから、いないことにされる。沈黙は、本人が選んだものではなくて、押しつけられたものかもしれない。
朝井リョウさんのすごさは、その「まだ誰も言語化できていないけれど、確かに漂っているもの」を、小説というかたちで掬い上げてしまう嗅覚だと思う。読みながら何度も、「これ、うっすら感じてたけど言葉にできていなかったやつだ」と心の中でつぶやいた。
正直に言うと、読み終えた今も、私は登場人物たちのことを「わかった」とは言えない。むしろ、わかった気になることこそ、この小説がいちばん遠ざけたいことなんじゃないかという気もする。だから私は、せめて「わからない」をわからないまま、自分の中に置いておこうと思った。わからないものを急いで分類したり、見出し一行で片づけたりせずに、ただ隣に置いておく。それくらいしか、今の私にはできないけれど、それは何もしないこととは違う気がしている。
あなたの周りにも、まだ名前のついていない気持ちを抱えている人がいるかもしれない。あなた自身の中にも、あるかもしれない。それを無理に言葉にしなくてもいい。ただ、「世界には自分の想像が届かない場所がある」と知っているだけで、人にかける言葉は少しだけ柔らかくなる気がする。
眠れない夜をくれる本に出会えたことを、今は素直にうれしく思っている。