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(短編集)
愛はさだめ、さだめは死
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愛はさだめ、さだめは死の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.28pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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なんでこの本を買ったのか覚えていないが、「SFは自由だなあ」というのがその感想。 しかし、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んでしまうと、他のSFが霞んでしまうなぁ。 | ||||
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ティプトリーの第二短編集。米国では1975年の出版なのでそろそろ50年になる。 収録されているのは1968年に発表された3番目の短編から1973年に発表された30番目の中編まで12篇。ヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞した作品もそれぞれ1篇ずつ収録されている。 日本で出版されたのは1987年。評者は前回1993年に読んだので30年ぶりの再読。収録されているうちの何篇かはSFマガジンで読んだので3回目になるのだが、内容はほとんど忘れていて、感覚的には初読に近かった。 個別に見ると絶賛する作品もあるのだが、理解できない作品も多く、全体的に見て評価4としていた。 ティプトリーの評価が高いことは承知している。ティプトリー本人にも興味がある。しかし、悩む作品が多い。その作品が好きか嫌いかは感覚の問題だと思うが、ストーリーが理解できないとか作品の意図がわからないというのは評者が読解力に不自由しているとしか考えようがなくて悲しい。 評者が短編SFを苦手としているのはこういう作品集を読んできたことがトラウマになっているのではないかとも思う。多分、そのこともあって、本書以降が積読になってしまったような気がしている。初読以来30年経ってもその思いは変わらない。ただ、進化というか変化というのはやっぱりあるもので、30年前にはさっぱり理解できなかったけれども、今は少しは理解できるというものもある。その意味では、30年前よりは今回の方が評価は高くなっていると思う。 若い時の方が感受性が高いとか心が柔軟だとか言われるが、ティプトリーの作品に限ってはあまり感じなかった。例えば、表題作の「愛はさだめ、さだめは死」の印象は初めて読んだ時とほとんど変わっていないような気がする。良いものは何歳になっても良い、と言うだけではない。 書籍単位で考えると、今は、評者は本書よりも先に読んだ第一短編集『故郷から10000光年』の方を高く評価している。 収録作品の中でベストを考えると、本書ではネビュラ賞を受賞した表題作が素晴らしいが、『故郷から10000光年』の「故郷へ歩いた男」も同じくらい凄い。他の収録作でも、一般的には本書の作品の方が高く評価されているようだが、評者にとっては第一短編集の方を評価したい。理由はそちらの方がわかり易く面白いからで、何のことはない初期の作品の方がテーマやアイデアがオーソドックスで展開も分かりやすく娯楽性が高いから。 本書収録作の新しさも良いのだけれど新しすぎるのは読んでいてわかり難いし、しんどい。読書巧者であれば30分で理解できる短編を、3日も4日もかかって、ああでもないこうでもないと思い悩みながら読んだ。 評価を投稿しようとしていた時、たまたま「最後の午後に」を再読したところ、あることからその作品の認識を改めることになった。本書の最後にこれを持ってきているということは、そういうことだったのか。・・・ということで評価を5に改めることにする。 以下、個々の作品について感想など ( )内は初出。 すべての種類のイエス (New Dimensions II 1972) 70枚 未開の惑星と言われている地球に降り立った一人の異星人を偶然居合わせた4人の男女が歓迎する・・・ 評者が短編SFが苦手だと思うようになったのは、多分、こういう作品を読むことが続いたからではないだろうか?作者は何を考えてこういう作品を書いているのか?読者に何を伝えようとしているのか?また、こういう作品を評価する人間は作品のどこを評価しているのか?まったくわからない。評者にはセンスが欠けている。 必死で考えて出した評者なりの結論は、ヒッピー文化、あるいはフラワー・チルドレンに対する反感を作者なりに小説化したものではないかという凡庸な結論。そのわりにはフロイドのウマグマが登場したりするのでサイケが嫌いなわけではなさそうだし、やっぱりよくわからない。 この作品が本書の冒頭に置かれていることにもそれなりの意味があるのだろうとは思うけれど・・・ 真面目に読もうとするのは間違っている。理解しようとしてはいけない。感じるんだ・・・かな? 楽園の乳 (Again, Dangerous Visions 1972) 40枚 父親の仕事の都合で“パラダイス”と呼ばれる惑星で育った少年は地球の感覚になじめなかった・・・ クライマックスの一文でそこまで描いてきた世界をひっくり返すという、ティプトリーお得意のパターン。 これも評者には理解できない作品だけど、所詮美醜などという感覚は主観的なものということなのか? ティプトリーの作品に登場する知的異星人は、ほとんどすべてが地球環境に適応しているというのはどういうことなのだろうか? そしてわたしは失われた道をたどり、この場所を見いだした (Nova 2 1972) 70枚 文化人類学の若い研究者エヴァンは、高名な学者で構成された調査団に採用されて意気込んでいたが、資料と文献ばかりを重視するエリート集団の中で劣等感に責められる。研究者として譲れない一線を持つ主人公は、すべてをかけてクライヴォーン山(土地の住民はアン・ドルイン〈別れの山〉と呼んでいた)に登る・・・ 表面的には、名声だけで真の科学的探究心を失ってしまっている老人たちに対する批判のように見えるが、科学、学問に対する皮肉のようにも思える。好きな作品なのだけれど悲しすぎる。 エイン博士の最後の飛行 (ギャラクシイ誌 1969/03) 20枚 エイン博士は体調の悪化を隠して地球を一周するように各地を巡っていたが、その傍に姿がはっきりしない女性が付き添っていることに気が付いた人は少なかった・・・ シルヴァーバーグの序文と大野万紀氏の解説でも詳しく語られているが、終盤に至るまでストーリーが読めないのはティプトリーの作劇法らしい。この物語が何を語ろうとしているのか読んでいても理解できず戸惑うが、最後にネタが明かされ、なるほどと納得する。短い作品だが余韻は深い。 エイン博士は『日本沈没』の田所博士みたいだと思っていたが、SFマガジン1989年12月号の伊藤典夫氏による解説を読んでジェンダーの観点に気付く。やっぱり田所博士や渡老人は小松流の男性だったのだろう。 アンバージャック (Generation 1972) 10枚 厳しく育てられたダニエル(アンバージャック)は疎外されて育ったガールフレンドのルーを大事にしていたが、将来のことを考えた時、見てはいけないものを見てしまう・・・ こういう話を読むと自分の読解力のなさを嘆かざるを得ない。作者はいったい何が言いたいのか?もしかしたら、読者に向かって「自分が何を考えているか理解できるものなら言って見ろ」とでも言っているような、短いけれど挑戦的な作品。 乙女に映しておぼろげに (Generation 1972) 20枚 新聞社の片隅で人気のないコラムを書いていた主人公は、部屋に一人の娘が現れたことに気付く・・・ これも良くわからないショート・ストーリー。単純に言えば幻想譚風の小話。発表時期から考えると油が乗り始めた時期なので、もしかしたら、気分転換のために書いた小品だったのではないかと考えてみる。 接続された女 (New Dimensions III 1973) 130枚 1974年ヒューゴー賞ノヴェラ部門受賞 都会の片隅で芸能人に熱を上げている一人の娘。しかし彼女は普通の娘ではなかった。自らの外見に世を儚んで自殺を図った彼女は一人の男に見込まれて天使のようなバイオロイドを遠隔操作でコントロールすることになる・・・ タイトルのとおり制御装置に接続された女を描くヒューゴー賞受賞の中編。バーチャルのアバターに自己を投影して陶酔している現代こそ本篇の世界のように思える。本篇のメインテーマはコマーシャリズムに踊らされる社会に対する批判と人間疎外か?また、ルッキズムの問題もテーマの一つと言えないだろうか? SFの皮をかぶった寓話と言ってしまうと言い過ぎか? 語り口が特徴的。 恐竜の鼻は夜ひらく (ワールズ・オブ・イフ誌 1970/05,06) 30枚 初老の紳士が酒場で記憶を語っている。彼はタイムマシンで過去に行ったことがあるらしい。そのうち酒が進み、過去のひどいエピソードが語られる。それは“コプロライト(糞化石)”に関する話だった・・・ ティプトリーの名に免じて1はつけないでおくが、はっきり言って最低限の評価にしたい。リアリズムのかけらもないし、下品さにも意味がない。酒の席でのジョークだとしてもあんまりだ。スラプスティック・コメディだとしてもこのアイデアはいただけない。もしかして、補助金制度とか政治家を馬鹿にするために書いたのだろうか? 男たちの知らない女 (F&SF誌 1973/12) 100枚 政府の保安部門に関係しているらしい初老の主人公が休暇で釣りに行くために乗った軽飛行機がメキシコの海岸の密林に不時着する。乗っていたのは彼と小柄なパイロットの他、印象の薄い二人連れの女だけ。救援が来るまで何日もかかりそうな状況で4人はサバイバルに取り組むのだが・・・ 男と女は別の世界に生きているとよく言われるが、それをそのまま具体化したような話。女性であるティプトリーが男性作家のふりをして女というものは男にはわからないというテーマの小説を発表する。しかし、後に、それを書いたのは実は女性だったということが明らかになる。彼女は何を思って男のふりをして女を謎の存在に仕立て上げようとしたのだろうか? 女の行動が極端すぎて理解できない。 断層 (ファンタスティック誌 1968/08) 25枚 宇宙航路の船長が3、4年前の出来事を語る。同僚のミッチェルがショダール星で現地人に暴行をふるって重大な傷害を追わせてしまう。現地の治安機関が彼に加えた処罰は思いもよらないものだった・・・ 良いアイデアだけど、ワンアイデアでひねりも深みもないとも言える。作者の3番目の作品なのでやむを得ないとも言えるが、これもコミュニケーションの断絶をテーマとしている点ではティプトリーらしいかも。 考えてみれば佐藤史生の「金星樹」だな。ずれる方向が違っているので結末も異なるが、本篇には救いがない。 愛はさだめ、さだめは死 (The Alien Condition 1973) 60枚 1973年ネビュラ賞短編部門受賞 ある惑星に、知恵はあるが文明を持たずに生きている生物がいる。巨大な蜘蛛のようなイメージだけど、親子や家族間の愛情、配偶者に対する愛情は持っている。主人公のモッガディートは、母親の庇護のもとで徐々に大きく、たくましくなっていく・・・ “愛はさだめ、さだめは死”というタイトルが胸にしみる。それは、種族や太陽系、惑星の違いに関係なく、この世に生きとし生きるものすべてに与えられた運命であり、定めだ。 異星生物のライフサイクルを描くことによって、読んだ者が、世代交代をする生命体が避けることのできない普遍的な運命について考えさせる物語。これこそSFでなければ描くことのできない物語だろう。 何度もの再読に耐えるだけでなく、再読することによってさらに深まるという真の傑作だと思う。 最後の午後に (アメージング誌 1972/11) 90枚 未開の惑星に不時着した宇宙船から始まった小さな植民地は、30年後、堅実に成長していた。しかし、さらなる発展を夢見ていた人々に脅威が迫る。それは自然界における生命の摂理だった・・・ 予想もしなかったアクション巨編。というのは冗談だけど、アクションシーンに興奮する。怪獣映画みたい。ティプトリーもこんな描写ができるんだ。びっくり。冒険小説的な味付けは掲載誌がアメージング誌だからなのか?などと考えながら再読していたら、「おまえは・・・成熟しないのか?」というノイオンの言葉が引っかかり、もしかすると“成熟”=“死”なのか読み返したら、この物語のすべてが二項対立に見えてくる。 植物系生命体と動物系生命体。家族を持つ者と家族を持たない者。血族に縛られるものとそれをまったく意識しないもの。活動的なものとそうでないもの。死に近づいている者と若く元気な者。小さきものと強大なもの。外から来た種族とその地で生まれた種族。襲うものと守るもの。混沌と静謐。 一方で、主人公はノイオンが示すイメージを一度は拒否していたが、最後の午後の一瞬、それを思い出して自分の人生に疑問を持ってしまう。 つまり、本篇はアクションシーンの迫力に圧倒されるが、主題は主人公の心の葛藤にあり、それをドラマチックに描いた作品だと思う。アクションシーンが派手過ぎて、そこに気を取られ過ぎることが欠点と言えるかも。 評者的には、表題作と本書のベストを争っている。 | ||||
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ハヤカワSF文庫の過去の名作が続々とKindle化される中、ティプトリー作品だけが取り残されている感があります。本書中の「接続された女」はまさにサイバーパンクの原典であり、アバターと生身の人間との交流が現実的になっている今こともっと再評価されるべきでしょう。 | ||||
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自由自在な文体で語られた才気あふれる短編集。特に「接続された女」では文体の変化が物語の展開と同期していてすばらしい。哄笑しながら疾走する「すべての種類のイエス」。設定そのものについて考え込んでしまう「断層」。極限状態における個の意志、その矛盾を描き「神」のありようまで示唆した傑作「最後の午後に」。 | ||||
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一応、一文字も飛ばさずに全部読んだが、とにかく途轍もなく文章が読みにくい。 翻訳作品だが、訳者が原文に忠実に訳したと仮定すると、とんでもなく文章、表現が下手な作家だ。 短編12編の短編集だが、ほとんどの作品が読んでいても、情景なり、状況がすんなりとはイメージできない。 話が唐突で説明不足であり、わざと読者が読みにくいように書いているのではないかと思わせるぐらい、読者への配慮が足りない。 こんな原稿を出版社に持ち込んだら、1ページぐらい読んだ段階で、間違いなくゴミ箱行きだろう。 『恐竜の鼻は夜ひらく』『男たちの知らない女』がかろうじて読みやすい方だった。 内容も、取り立てて言うほどのものは全くない。 ここのレビューを読んだが、この作品の良さについて具体的に言及したものはなく、何が良いのか全く分からない。 こんな作品を評価している人間は、『裸の王様』に「布地は見事なものでございます」と言っている家来と同じである。 こんな作品をSF初心者が読んだら、SF嫌いになることは間違いないだろう。 | ||||
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言葉失うレベルですね。 一生読み続けられる。 好きすぎて4冊並べてます(増える予定 | ||||
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あらゆる広告が禁止された世界で「神」と呼ばれる生ける広告塔が闊歩し注目を集める―という世界観の先見性も素晴らしいが、ティプトリーはとにかくビジュアルイメージのインパクトが凄い。 「最後の午後に」の節足動物か昆虫を思わせる巨大生物の乱舞も圧巻。冗談ではなく文字を読んだだけで夢に見ました。 表題作は結びの余韻が秀逸。買って損なし大満足の作品集です。 | ||||
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作者のシニカルな視点は、とっつきにくい初対面の表情とは裏腹に、幾冊も読み進むほどに、なぜか癖になる。 | ||||
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死ぬときに棺桶に入れてもらう本として遺書に書くことを決めている本の筆頭。 みんなに読んで良さをわかってもらいたいと思いつつも、この本の素晴らしさは誰にも教えたくないとも思えるほど。 短編集で、中にはカウンターカルチャーを知らないと少し理解が難しい文章もあるが、それでも全ての作品が、無駄を削ぎ落とし、精製され、しかし最後にティプトリーとしての毒を添加しておくのは忘れない職人技が冴える。 不気味な迷宮に迷い込んであちこち彷徨っていた筈なのに、ポケットをふと見ると扉の鍵が入っている。 その鍵で扉を開けると迷宮の入り口に戻っている、しかし、それもスタートした場所とは、何かが、どこかが違う… そんな不安感とカタルシスの饗宴が味わえる傑作。 | ||||
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この短編集の中では表題作の愛はさだめ〜が一番好き。でもって一番嫌い。 読みながら何かこう・・気持ち悪くなるんだけど、ものすごく心に突き刺さる。 この人の作品はなぜこんなに病んでいるんだろう。 なぜこんなにアブノーマルなんだろう。 完全に好き嫌いの別れる作家だと思う。 でも時々無性に読み返したくなる。不思議な作家。 | ||||
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文体や話し言葉が変で読みにくい。意味不明な細かい会話ばかり。 | ||||
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ティプトリー個人については「たったひとつの冴えたやりかた」のレビューに詳しく書いた。 あっちの方が売れてるからね。 しかしもちろんティプトリーの本領が発揮されているのは本書の方だ。 これは一見ハヤカワの普通の短編集だが内容はとんでもない作品集である。 初読時はSF小説のあり方としてこういう物はアリなのか?、と思った。 少なくともA.アシモフやA.C.クラーク、R.ハインライン、P.K.ディック、J.G.バラード、U.K.ル・グィン等から、これほどの衝撃を受けた事は一度も無い。 年齢性別を問わず一度は読んでみて欲しい。 これのあとには「故郷から10000光年」か「老いたる霊長類の星への賛歌」を薦める。 | ||||
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書店で「たったひとつの冴えたやり方」にPOPがつけられて平積みになっているのを見るたび、口当たりは悪いけれど、こちらにも注目してほしいなあと切に思います。 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという筆名のこの作家を理解し堪能するには、これと品切れになっている「故郷から10000光年」の2冊を読むのがなんといってもベストだと思うのです。 この作家の生涯について全く知識がなければ、読み始めは、フェミニストのふりをしたミソジニストなのか、それとも単に人嫌いなのか...と訝ってしまいますが、そんな感情的なものではなく、冷徹な知性がそう感じさせるのだ--それも、冷徹であるのに絢爛とした世界を描けるから余計に--とすぐに気付くでしょう。気付くと、あとはどっぷりと嵌って、多様な作品世界にのめり込むことは容易です。 「故郷から10000光年」と「老いたる霊長類の星への賛歌」も復刊して、「たったひとつの冴えたやり方」を入り口にした読者にも、ティプトリーらしい世界にどっぷりと浸らせてあげてほしいけれど...いや、そもそも順番としては、この短編集を最初に読んだほうがいいでしょうね。未読で迷っている方、ティプトリーとの出会いに本書をお薦めします。 | ||||
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これも読書好きの友達の紹介。最後はちょっと難しかったかな。賛否両論かも。 | ||||
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全く作者の事は知らなくて、名前からして、当然男性作家のものだろうと思い読みました。 初めの解説も飛ばしたので、読んだ後、女性の書いたものだと知り、びっくり。 別にSFが男性中心のものとか、女性には、こういう世界は描けないというわけではありませんが 知った後に、読み直してもやっぱり印象は変わらず、冒頭の解説者がだまされてしまう?のも無理ないかなと。 全編通して、さばさばとした語り口で、余計な飾りがなく、淡々とした感じ。 それでいて、「愛はさだめ・・・」みたいな奇妙な高揚感を誘う詳細で繊細な心理描写と事象。 どの作品も心に強く残る短編集で、ひとつひとつが、まるで映画を見ているよう。 次々と読み進むたびに、鮮明な場面が浮かび上がってきます。 しかも時代の先端をいく感覚と、その世界。これが、何十年も前に書かれたものだとは思えません。 SFファンだけでなく読書の好きな人ならきっと気に入るはずの珠玉の名品。 | ||||
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この一冊を読むだけでもSF(とYA)小説は、所詮欧米には勝てないのかと思います。 日本のSF作家の中にも好きな作品はあるのですが、どうしても同一作家だと作風が似てきてしまう。 これほどバラエティに富んだ作家はお目にかかったことがありません。しかも短編集で。 続けて読むのは実にもったいない、短編の間は少なくとも一日は空けて頭をリセットしてからのほうがより楽しめます。 シルバーヴァーグによる、本来は作者の解説である「ティプトリーとはだれ、はたまた何者?」も一つの短編として出来上がっています。大野万紀のあとがきもよかったなぁ。 生き方、生涯、作者の正体(とそれを憶測する周囲)、そして最期、すべてを含めて作者の創作する一作品のようであるからこそ、我々はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアそのものの存在に惹かれ、そしてまた作品へと埋没していくのではないかと思います。 タイムリーすぎて恥ずかしいのですが、中でも今一番の作品として挙げるなら、「エイン博士の最後の飛行」 想像力の中に本当は未来を見通せる目を持っていたのではないかと思わせる作品。FBI超能力捜査官なんて目じゃない。 40年も前に今まさにこの瞬間を予言していたとは。ラストまで読んでもなぜだろう?悲壮感が湧き上がってこないのは。 | ||||
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SFは、男性の、男性による男性のためのジャンルだと長年思いこんでいた。 しかし、先に解説を読んで、作家の人生に驚愕。短篇を読み進むうち「女流作家の書く物語」という色眼鏡を、自分もかけているんだなあ〜、ということに気付かされもした。だが本質的にはたしかに女性の描くストーリーで、特に「男たちの知らない女」「接続された女」あたり、男性作家だと思いこんで読んでいた時代の読者たちは、どう感じていたのだろう、などと興味深く思う。「最後の午後に」はハーラン・エリスン「世界の中心で愛を叫んだけもの」の裏側世界みたいだと思った。どうあれ知識と文章力に性差なんて関係ないんですね。むろん、小説のジャンルにも。 時代を超え、普遍的に印象的で力強い作家・・・だと思うのだけれど、時代の変遷による訳文の違和感・・・というかティプトリーの独特の文体に慣れるまでは、どれもこれも、若干、読みにくいのが「たったひとつの」難でしたが、刺激的な短篇集、なので日頃SFは読まずギライの皆様にもおすすめですよ。 | ||||
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12作の短編を収めた短編集なのですが、いわゆるSFというジャンルだけに収めきれないスケールの大きさと、斬新さにかなりびっくりしました。プロローグにあたる著者ジェイムズ・ティプトリーに関連する話しは、私個人としましては男でも女でも、面白い話しを書けるのは凄いことだと思うのでどうでも良い気がしましたが、しかし覆面作家に興味惹かれる方もいるのは理解出来ます。 中でも斬新で凄いと思ったのは、着想から語り口まで含めこれこそサイケデリック!というか何かキメて書かれたのではないか?と想像してしまう「すべての種類のイエス」(ヒッピーたちはリチャード・ブローディガンよりこっちを読むべきなのではなかったのか?とか感じました、もちろんブローディガンも好きですけど)、想像させ臨場感を持たせるカタルシスが最後の最後に来る構成がとことん上手い「楽園の乳」、キング作品としてのプロットでもおかしくないくらいのものをわざとその読後感をザラりとしたものにするための見せ方に特化した(なんかコレはいろんな映画の元ネタになってるんじゃ・・・)「エイン博士の最後の飛行」、この短編の個人的ベスト!最も洗練されたコンピューターは頭脳でありモノを買わせるには有名人に持たせるという広告代理店の虚飾を描いたものでもある「接続された女」、印象として私にとっての『ティプトリーとはこういうものだ』と決め付けてしまった衝撃を持つ世界の半分を占める性別の違う他者から見た世界の成り立ち方を理解させる「男たちの知らない女」、ものすごくクールなSFと感じるトピックひとつを丁寧に扱った「断層」、表題作でもあり確かに斬新な「愛はさだめ、さだめは死」、この放り投げっぷりはさすがの「最後の午後に」です。 正直に言えば、スタイルとして斬新なだけ(たとえば「愛はさだめ、さだめは死」とか)なものもありますが、そのオリジナリティは決して色褪せていませんし、何よりこのスタイルと文体とテーマに対するアプローチの仕方のレパートリィの広さがとんでもないクラスです。この中の1篇を書くレベルの作家さんはいると思いますが、同じ作者が書いたとは思えないほど手法も様々で素晴らしいです。「すべての種類のイエス」と「エイン博士の最後の飛行」と「男たちの知らない女」が同じ作者だと感じられる読者は少ないと思います。 多少なりとも作風を感じるとすれば、男女の性差に非常にヴィヴィッドな作家である、というくらいでしょうか?それもSFで。 短編SFが好きな方にオススメ致します。 | ||||
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このレビューのタイトルは、一種の呪文のようなもので。ティプトリーの作品のレビューを書いているこのような人物と、一瞬の間に恋に堕ちることが出来る。ありがたいお言葉なのです。(経験談) 『愛はさだめ、さだめは死』に収められた、12篇の短篇作品。「すべての種類のイエス」「楽園の乳」「そしてわたしは失われた道をたどり、この場所を見出した」「エイン博士の最後の飛行」「アーバンジャック」「乙女に映しておぼろげに」「接続された女」「恐竜の鼻は夜ひらく」「男たちの知らない女」「断層」「愛はさだめ、さだめは死」「最後の午後に」どれも素晴らしい作品ですが、一つだけ選ぶとすると、やはり「エイン博士の最後の飛行」と「男たちの知らない女」となってしまいます。えっ、一つじゃないって。それじゃぁ、エインと思い切って「エイン博士の最後の飛行」ですね。1969年に発表された「エイン博士の最後の飛行」ですが、地球温暖化や気候変動が顕著になっている、今こそ地球人類の一人として読んでおきたい作品なのです。 | ||||
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SFを読んで泣いたことは3回しかないが、そのうち1回はこの本収録の 「そしてわたしは失われた道をたどり、その場所を見いだした」である。 理解されない科学者の気持ちがあふれてきて、思わず泣いてしまった。 他にも、水準の高い読める短編が多いので、かなりおすすめな短編集である。 おれにとって、ティプトリーは泣ける作家であった。 ちなみに「たったひとつの冴えたやりかた」では泣いてないよ。まるで平然と読み飛ばした。 | ||||
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