冤罪法廷
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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法廷ミステリーの巨匠(と言っていいだろう)グリシャムの史実に基づいた長編ミステリー。アメリカで冤罪死刑囚の解放に取り組む組織と弁護士の奮闘をリアルに描いた、問題提起リーガル・ミステリーである。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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相変わらずのテンポさ | ||||
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法の不備は世界中共通の問題であり、とくに冤罪で獄につながれた人の数は計り知れないほどである。 本書でもアメリカの刑務所には、数千人ほども冤罪者が存在すると記述されていた。 アメリカでの冤罪者が多さは地域差もあるだろう。 大昔の映画『夜の大捜査線』も南部の田舎町での殺人事件を、乗り換えのため駅で待っていたニューヨークの敏腕刑事(シドニー・ポワティエ)が犯人として逮捕されたが、身分が判明して事件を解決してゆく物語だった。 今でもこの映画と変わらないようなお粗末な警察捜査がアメリカの地方では存在しているように想像できる。(都市部でももちろんだが、法機関は地方より多少は機能していると思う。) 日本の警察や検察の失態も多くあるから、アメリカの悪口を言えるような状態ではない。 日本では、弁護士同席も記録(ビデオも録音)もなく、自白させて有罪にした冤罪者は数知れないと想像している。 本書『冤罪法廷』は、グリシャムがアメリカ法制度の瑕疵を問題提起した優れた小説である。 グリシャムのWikipediaを閲覧したら、未訳のものが多くあったので翻訳出版が待ち遠しい。 | ||||
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グリシャムの作品は、『評決のとき』で注目し、『法律事務所』で虜になりその後の作品はほとんど読んできた。 が、『奇跡のタッチダウン』から面白くなくなり『アソシエイト』を、読んだのだが、たいして面白くなかったからその後グリシャムの本を読まなくなっていたのです。 3年ほど前『危険な弁護士』に、なんとなく興味をもって読んでみたら本来のグリシャムの持ち味を感じる佳作だったから、長いスランプを克服したかなと思ったのです。 グリシャム作品の新作翻訳『冤罪法廷』を知ったので入手して読むことにした。 調べてみたらグリシャムの2019年の『The Guardians』という作品でした。 昔はグリシャムの作品のほとんどがアメリカと同時に翻訳出版されていたのだが、出版社も作品の内容を吟味しているようである。 本書『冤罪法廷』は、かってのグリシャムの法廷ものとは異なる作品である。 グリシャムは、冤罪で刑務所に入れられた囚人を救済する非営利団体のセンチュリオンを支援すると同時に取材して実話と実在の人物を題材にして本書を書き上げたようだ。 本作で冤罪で刑務所に入れられた囚人を救済する非営利団体の名称は、ガーディアン・ミニストリーズであるが、実在の支援団体のセンチュリオンをモデルにしている。 評者がAmazonのレビューを書き始める以前に読んだ『路上の弁護士』も弁護士のボランティア活動を描いていたが、本作のでは冤罪の実話をもとにしているから臨場感満載で読ませてくれる。 リーガルサスペンスを期待して読みたい読者には期待外れの作品だと思うが、グリシャムが新境地へ誘ってくれる作品である。 主人公のカレン・ポストは、一度は弁護士挫折を味わい神学校で学び牧師になった。 カレンは教誨師として刑務所へ行くようになり、そこで囚人と接しているうち「この男は絶対冤罪だ」と確信を持つようになり、冤罪から解き放すためガーディアン・ミニストリーズの専任弁護士として活動を始める。 使命感に駆られたポストが冤罪者を一刻も早く解放するために東奔西走する描写にはページを繰る手も早くなる。 アメリカの法の瑕疵を表ざたにし、その瑕疵に挑戦する弁護士の活躍を物語にしたグリシャムの新境地を感じさせる『冤罪法廷』上巻を興味津々で読み終えた。 | ||||
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原題はThe Guardians。冤罪を晴らすべく元弁護士Cullen Postが奮闘する物語である。再審にこぎつけるまでの過程が描かれており、法廷でのやり取りはあまり出てこない。冤罪が作られる背景について、日本と同様に警察・検察・裁判官の強力タッグでもって真実を捻じ曲げてでも犯人と決めてかかる手法、そしてそこにいるのは大抵権力側の悪役である。グリシャムはペンの力で持ってそういった悪い人たちに対して鉄槌を下すのだ。よって邦題は、「冤罪法廷」というよりも「冤罪司法」「冤罪弁護士」「雪冤」「ザ・ガーディアンズ」といろいろ考え得るが、ぴったりとはハマらなかったのかも。 謎解きの要素はあまりないが、滲み出ているのは冤罪司法への筆者の怒りであり、冤罪の構図は世界共通なのだということに気づかされる。そして本書では、良識ある女性裁判官が登場するが、これは筆者の司法に対する切なる願いなのかもしれない。白石氏のこなれた訳も大変読みやすく、冤罪ものという手垢まみれの題材ではあるが、一読の価値はある | ||||
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グリシャムは無骨である。小説の構想は緻密であるけれど、語り口は無骨だ。装飾とか修辞ということにはあまり縁がないように思える。修辞的要素を至って好むぼくは、ではグリシャムのどこにこんなに惹かれるのだろうか。グリシャムの小説に毎度のように、ぐいぐいと惹き込まれてゆく要素は、この作家のどこにあるのだろうか。 それは彼の作品がドラマティックであることとともに、登場する人間たちが魅力的であることだろう。彼ら彼女らは、底知れぬ必死さを携えて、およそ考えられそうにない難問に挑んでゆく、その姿は何とも魅力的なのである。そしていつもハイレベルで心を惹く主題がそこにある。そうした人間の真実に関わるテーマを提供してくれる法律家であり作家であるグリシャムの、冷徹な題材選び、また、小説という形でありながら、現実に社会に存在する矛盾と闘う、作者の果敢な姿勢が、あまりにも明らか、かつ正当であるゆえに、この作家の価値はわれわれの現在という地平と繋がって、ひたすら高貴なものに感じられるのだ。 実は、上の二つのパラグラフは、グリシャムの傑作のひとつ『自白』のぼく自身のレビューを若干修正したものである。これらの文章は本書を読んでいる間ずっとぼくの中に湧き上がっていた感情であり評価であったために、そのままこの作品に再利用させて頂いた。 『自白』もまた本書と同じく、冤罪と闘う法律家の物語であった。死刑制度、冤罪を主題としたグリシャム作品は、他に『処刑室』、ノンフィクションとしての『無実』があり、グリシャムは再三このアメリカの矛盾と闘ってきた作家と言える。そしてほとんどすべての作品の中に、人種差別が打倒すべきテーマとして描かれているのも、グリシャムのホームグランド、トランプ前大統領にも見られる幼稚で戦闘的で、人権無視の土壌である米南部が舞台となっているためもあろう。 本書の弁護士たちは、冤罪の死刑囚の命を救うことにボランティア的に奔走する、使命感の強い貧乏法律家ばかりである。本書では、冤罪は誤ったものというより、むしろ意図的に作られたものが多く、その底にあるのは冤罪に追い込む捜査側であり、彼らの強引な暴力の源となるのは、欲望と差別である。いずれにせよ無慈悲そのものの強欲が、犠牲者を生み出している現実が存在する。本書の主人公らは、そうしたアメリカ的なる罪から犠牲者たちを必死に救おうとする。何年も何十年も無実の罪を背負わされて檻の中で命の残り日を数えてゆく犠牲者たちを。だからこそ、血の通うあたたかい人間たちの、必死の姿を見せつける全ページが熱い。 十代の頃にぼくの接したバーナード・マラマッド『修理屋』は、ユダヤ人迫害と冤罪による死刑囚を描いた檻の中の痛すぎる物語であった。それは終始、矛盾とそれを孕む地続きの現実であった。それ以来の激しい痛みを感じさせる力作が本書でもあるが、実は本作の背景には現実のモデルとなる事件があり、彼らの救済活動に命を賭ける法律家たちのグループも実際にいくつも存在する。グリシャムはそうしたチームへの愛と尊敬と共感とで、ヒューマニズム溢れる本書を書いている。真実の重みが、またもグリシャム作品を通して、七つの海を越え、ぼくらのもとに届けられる。 語られる人間たちの個性と魅力。また、その苦しみ。手づくりの日々と、限りない優しさ。何よりも命を守ろうとする敬虔な行いと、そこに向かう善なる意思。かくも魅力的な人たちと出会えるのがこの作品である。非情で乾いた現実と常に闘う者たちの、終わりなき心の美しさに対する讃歌と言えよう、これはそうした魂の力作なのである。 | ||||
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