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真・日本の歴史
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真・日本の歴史の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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今までに見聞きしたことがない目から鱗的なアイデアが何か所もあり非常に刺激的な内容でした。しかし本書で指摘されている内容を学生向けに教えてちゃんと理解できるだろうか?という気はしました。大人が歴史を勉強しなおす際の参考書としては必須本の一つではないか、と。 | ||||
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1.高校時代 貴族政権から武家政権という 表現 概念に疑問を深く持った。同時に 教師も生徒も何ら疑問を感じていないようであることに 違和感を感じた。 2.西欧では 貴族は騎士であり 武士にあたる。軍事力は政権にとって空気のように当然のもの。王も武装しており、シェイクスピア劇のマクベスでは 国王自身が 刀で敵の攻撃に応戦している。 3.よって 日本では あたりまえのようになっている 平安末期からの武士の台頭という表現が 奇異に感じられ、日本史や世界史の教師に質問したが はかばかしい答えは 返ってこず、ながいあいだの懸案、疑問だった。 4.この本全体が 私の当時からの疑問への回答となっており、得心すること大であった。 5.平安期にあった軍事警察力への異常なまでの忌避感は、現在まで部分的に継続しているように思われる。 | ||||
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GJ | ||||
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逆説の読者なら、読んだことがある話がほとんど。 逆に言えば、これだけ読めば井沢節はわかる。 | ||||
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かつて週刊誌に連載中の「逆説の日本史」を毎週駅ホームのスタンドで週刊誌買っては読んで、すごいと感動していた。そのうち、ホームにスタンドなくなり、雑誌新聞を買うこともなくなった。 ひょんなことからAmazonでこの本を知り、ダウンロードして、読んでみた。 言霊信仰や怨霊忌避などの井沢節炸裂。 日本が再び誤った道に進むことのないようこの本は必読だと思いながら、終戦の日の翌日に読み終えた。 | ||||
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「逆説の日本史」をよく読んでみたい | ||||
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まさに日本社会の病気が凝縮された社会に入り込んだようなしがしました。 | ||||
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『真・日本の歴史』は歪んだ歴史学会(白い巨頭と化した団体?)が作る通説なるものが間違った歴史教育に繋がっている事への著者の長年の主張と我々一般人への啓蒙の書であると思う。特に宗教的視点を欠いた歴史解釈は間違いのおお元とする事への共感は大である。言うまでもなく神道的な日本人の感情は宗教と同様のものでありこれを無視することはナンセンスとさえ思う。合わせて物的証拠がない、証拠がないという主張でつまらない通説にまとめるより神社伝承や偽書としてしまっている古史古伝からも広く拾ってまとめ上げ子供たちが誇りに思える国の歴史にすることになんの不都合があるのか常々感じているところである。 | ||||
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今までの歴史の常識が違っていることに驚きました | ||||
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織田信長の記述はこれまでの常識的な見方を乗り越えているのが面白い。 | ||||
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とても面白い内容で良かったです。 歴史研究者をそんなに敵視しなくてもよかったのでは?と思います。 歴史教育が、間違いであれ、不足であれ、色々あっていいんじゃないかと思いますよ。 | ||||
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久しぶりに3時間掛けて一気に通読(精読)、勿論全てが正しい事柄では無いかも知れないが「比較」、「宗教」とりわけ「言霊」と「朱子学」のくだりは目からウロコの連続だった。少し時間を置いてもう一度読み込んでみたい。 | ||||
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先のコロナ騒ぎで専門家や大学の先生、マスコミ等いわゆる「権威」が全く信用できないことが分かりました。歴史教育においても同様なことが言えるようです。「日本史の権威」が提示する従来の「日本史」は歴史を学ぶ意味を示す事ができず、歴史学習は単なる暗記となり記憶力の競い合いにしかなりませんでした。しかし、本来自分の国の歴史を学ぶ意味は、歴史から日本を日本と成らしめているものは何なのかを知り、日本のあるべき未来を築くためにそれを利用することにあると思います。井沢氏はかねてからそのことを繰り返し述べて、様々な書籍を通じて日本史や外国史を記述しておられます。氏の著作がもっと正当な評価を受け普及していってくれることを願います。 | ||||
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若い頃「逆説」シリーズ を読み更けって以来久しぶりです。 第一章から「日本にレンガ建築はなぜ普及しなかったか」「秀吉の朝鮮出兵の意味」「北条義時のすごさ」等々目から鱗が落ちる名考察が披露されます。世界と比較すること、そして宗教を理解することの大切さを説く。井沢節は健在でした。 第二章以降も、独自の「穢れ忌避」「怨霊鎮魂」による日本史探索が続きます。一代ごとの(例外あり)遷都、土葬から火葬にした理由、なぜ古墳を堀で囲むかなどが、この視点から明快に語られます。「過去を学び未来をよりよくするため」にもまずわが国の「日本教」を理解すべきと説く。 引き続き「怨霊鎮魂」論に拠った考察が刺激的です。崇徳上皇など多くの帝に「徳」のおくり名がつけられた意味についてなどは、魂や霊を信じた当時なら「さもありなん」と思わせられました。「源氏物語」「平家物語」もこの視点で成立が説明されます。長年、なぜそれらの氏で書かれたのかは評者も疑問でした。 著者は最後まで自らの主張に沿って縦横に日本史(通史)を語っています。呉座氏との論争もあってか、歴史学会の硬直さを数多く指摘しており、それは本郷和人氏のエピソードも含め納得する点の多いものでした。あと、士農工商についても述べられていますが、この言葉が今の教科書では使用されていない点について、氏の見解を聞きたかったです。 | ||||
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私は井沢元彦さんの歴史を見る視点が好きで、『逆説の日本史』『逆説の世界史』シリーズをすべて 読んでいます。両シリーズとも現在進行形で書き続けられているところであり、前者はちょうど『逆 説の日本史 28巻』で大正時代に入り、どこで「日本史」としての著作に終止符を打つ予定なのかわか りませんが、本書は少し早い『逆説の日本史』の振り返りとも、真髄を表した本とも言えます。 レビュータイトルは、本書が二部構成になっていて、第一部は「比較」、第二部は「宗教」から日本 史を読み解いているところから付けました。 二部構成になってはいるものの、著者ならではの ”ブレない軸” を示すのは第二部の「宗教」です。 逆説の日本史を通読している人にとっては、理解にさらなる厚みをもたらすものであり、井沢さんの 日本史観に馴染みのない人にとっては、歴史の見方を変え得る視点がわかりやすく書かれています。 ■ 「比較」から読み解く日本史 この考えの重要性を確信したのは、井沢さんが『逆説の世界史』を書くようになってからかもしれ ません。ただここでいう「比較」は、世界と日本という空間軸での比較だけでなく、時間軸に基づく 横軸も重視しています。第一部で興味深かったところを抽出すると、次の2つです。 ・日本の道路舗装率は世界最下位である すべての国のなかで最下位なのかは疑問ですが、少なくとも先進国や私たちの多くが名前を知って 国との比較では、最下位かあるいはそれに近いのでしょう。 近代まで日本にその技術力がなかったのではなく、反発する大名が兵を大挙して江戸に向かわせる ことができないように、徳川幕府が意図をもって舗装道路を作らなかったという事実は、言われて みればなるほどと合点がいきます。 それにもまして納得したのは、平安時代から天皇家や貴族が詣でるために整備された「熊野古道」 は、当時からある程度舗装されていることでした。 ・当時の人間の気持ちになって考える 信長の何が画期的だったのかに多くの紙幅が割かれています。逆説の日本史で著者が強調している 綱吉が徳川将軍のなかでも頭抜けていたことが書かれています。また、井沢さんの推論の域を出な いにせよ、大奥という日本以外では見られない仕組みを作った理由はあり得ると思うものでした。 ■ 「宗教」から読み解く日本史 第二部の冒頭には次のように書かれています。 世界では宗教を抜きに歴史は語れないというのが常識だ どのような宗教を信じているかによって、人間の価値観が異なるからだ 本書の〈はじめに〉に戻ると、井沢さんは歴史学者が陥る過ちに、「宗教の無視や軽視」と「史料 至上主義」を挙げています。井沢さんの歴史を見る視点で最も大きなものは、日本の歴史には宗教や 信仰という「軸」があることを見つけて、その軸を基にして日本史を紐解いた点にあります。 同氏が言うには、日本には固有の「日本教」とでも言う宗教があり、その根源にあるのは「穢れ忌避 信仰」です。「穢れ(けがれ)」に繋がるのは「死」と「血」であり、悪いものとして忌み嫌われて きました。その「穢れ」を取り除く行為や考えが「禊(みそぎ)」です。これらの信仰は、現代でも 残っている言葉や風習があります。”水に流す”という表現や、禊に欠かせないアイテムとしての”塩” です。葬儀参列の後で渡される塩や、大相撲で力士が巻く塩に、禊あるいは清めの名残があります。 禊では拭えない強力な穢れとされていたのは、”天皇の死” と ”怨霊” で、「穢れ忌避信仰」の究極が 「怨霊信仰」でした。これも現代の私たちの暮らしの傍に残っています。多くに馴染みのあるのは、 藤原道真を祀った天神様(天満宮)です。 本書で面白かったのは、『源氏物語』や『平家物語』といった文学作品だけでなく、「能楽」も怨霊 信仰に基づいた鎮魂の産物だという説明です。史料にあるかないかではなく、これらの芸術の内容と 形式を歴史の文脈で素直に洞察するなら、至極筋の通った理解につながります。 最後に、井沢さんの考えに対する異論を唱えたいと思います。 井沢さんは、天皇をはじめ、貴族や公家は穢れ忌避信仰のため怨霊を恐れ、武士はその信仰を持たな かったために怨霊を恐れなかった、と書いています。それを弥生人と縄文人という違った系統のに端 を発すると説いています。 これはいくらなんでも極論すぎるでしょう。言い換えるなら、宗教の過度な重視が見られます。 敢えて反論を書いたのは、終章で著者が次のように書いているからです。 他人の言うことを鵜呑みにして信じ込むことよりも、誰が言うことでも疑う姿勢が大切だ 至言だと思います。だから、私も井沢元彦さんの説を鵜呑みにすることなく、本書を楽しみながらも 違った視点で捉えられないだろうかと考えながら読ませてもらいました。 歴史は、いろんな要素が絡まりながら流れを形成して動いてきているから面白い。そのことにも 気づかされる本でした。 | ||||
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めっちゃ面白く、歴史を学び直すことができました。 天皇を理解すること、たとえば女系天皇・女性天皇の違いが本書の論を持って、より解像度が上がりました。 穢れと言霊のハビット・慣習が今の日本人のマインドセットに通じていて、それが現在の有事判断にも無意識に使われてきた論説は、とても納得することができます。 逆説シリーズもぜひ読んでみたい。 | ||||
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