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街とその不確かな壁
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街とその不確かな壁の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全150件 141~150 8/8ページ
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GW、家族旅行の合間に時間を見つけて久しぶりに村上春樹本に読み耽る。不思議と読後に心に残ることが少ないのだが、読んでいる間は小気味よく楽しいのが春樹本の好きなところ。 3部構成の小説。あとがきを読むと当初は1部で仕事を完了させたとあった。その後にこの物語はもっと続くべきだと感じて2部と3部を書いたとのこと。 個人的には1部だけでなくて良かった。17歳の少年が16歳の少女に恋するのは理解出来るが45歳の中年が16歳の少女を思い続けるのは違和感(というか共感できない)が残るし、一部は少し読むのが辛かった。 全体としては、自分にとってかけがいのないものを喪失し、探索し、発見していく構造。ただ、壁の中の少女は外見は現実世界の少女と同じだが、外見以外は異なっていて、それを本当の意味で発見というかは分からない。現実世界の少女は手紙や話す内容に魅力があり、壁の中の少女とは内面的に違う人物であり、発見したものの自ら求めた少女ではなく再び喪失感をもつのが自然な気がした。 1部で壁の世界観は少女が構築したものと分かる。2部の最後はどう読むか悩ましいが、個人的には現実世界に戻った影が再び壁の中に移動し、その壁の中の世界は少女ではなく主人公が構築した世界と感じた。つまり、主人公は本当の意味で喪った少女を発見したと読んだ。 3部では主人公は壁の中の世界から出て行くことを決める。少女に会いにきて、少女と平穏な日々が過ごせているのに出て行く理由は分かりづらいが、無意識下において、その少女は自分が求めていた少女とは違うと認識しているということだろうか。 現実世界に戻るには、影に受け止めてもらう必要があるらしい。僕の読み方では影は自分が構築した別の壁の中の世界に移動しており、主人公は現実世界ではなく、別の壁の中の世界へ行くことになる。パラレルワールドが一つでなく複数出てくる。 最終的には17歳のとき、16歳の少女と過ごしたときの世界に留まることが出来るようになったということなのだろうか。春樹本は再喪失する印象があるので、読み方を間違っているかもしれない。 | ||||
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タイトルが発表された時点で、世界の終わり…の続編かな?と思いましたが、読んでみたらそんなもんじゃない! 初期作品を彷彿とさせる設定、登場人物、描写、キーワードがたくさん… なんかこの関係性、100%の女の子に会う…ぽくない?とか、色々思い出して、途中、世界の終わりの地図を見たり、短編を読み返したりして、読了まで時間かかった。 主人公は、初期作品の主人公たちのいろんな要素を持ってる感じ。 読み終えて、あれ?あの人はなんだったんだろう?ってますます謎が増えて、消化不良なので、初期作品読み返してから再読したいです。 私は、 世界の終わり ねじまき鳥 カフカ 羊をめぐる冒険 ある晴れた日に100%の女の子… 等を思い出しました。 | ||||
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主人公の17歳から45歳までの不思議な人生。しかし、そのストーリーは静かに展開していく。次の作品が待ち遠しい。 | ||||
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①本書は雑誌『文學界』発表中編小説→『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』→本作という系譜になっている。著者は初出に満足出来ず、書き直したのが本作だという。であるなら、初出も発表して欲しいと思った。読み比べることで著者が何に不満を感じて単行本化しなかったのかその理由も判明するであろうからだ。 ②『…ワンダーランド』と共通するのは、パラレルワールド=現実と非現実の交錯であり、〈夢読み〉である。夢の内容は語られない。大きく異なるのは「やみくろ」のような闇の世界を支配する邪悪な存在が登場しないことだ。実は、この邪悪な存在がどのように登場するのかを期待していたのだ。やみくろ、リトルピープルのような架空の存在が闇の世界の住人として不透明さを象徴していた。冒険ミステリーとしての物語の可能性はここで潰えた。 ③〈不確かな壁〉とは、コロナ禍で表面化したLGBT(不易さんのスカート姿)や、貧困(街での集合住宅生活)、ジェンダーレス、性的な関係性の複雑さ(喫茶店主とのプラトニックな愛)、要するに他者とコミュニケートすることが困難になった問題である。この点を本作は上手く描いていると思う。 ④地方の山奥の村の図書館長の職は、不易氏から主人公に継承された。この不易氏は前作の騎士団長とよく似ている。そして不確かな壁に囲まれた街での夢読みの仕事は、主人公からM少年に継承された。影を生かしておいた主人公は現実世界に回帰する。 ⑤しかし、こうして読み終えてみると、ワクワク感だとかまたすぐに読み直してみたいという感激は生まれない。エンターテイメント性に欠ける印象は否めない。 とはいえ、本作で著者が読者に託したメッセージを考え直すことにしたい。 | ||||
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村上春樹の作品の特徴は「喪失と再生」にあると思います。 今回は特にそれを感じました。 高校時代に恋い焦がれた女性が消息を絶ちそれからというもの孤独な人生を送ってきた主人公が色んな局面を経て自らの人生に向き合う様は心を揺さぶられました。 離婚してからというもの孤独に押し潰されそうになっていた自分はこの作品を読むことで気持ちが前向きになれました。 「孤独が好きな人なんていないよ。たぶんどこにも」と私は言った。「みんな何かを、誰かを求めているんだ。求め方が少しずつ違うだけで」 村上さんこの文章深く刺さりました。 ありがとう。 | ||||
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村上ワールド楽しませていただきました。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」の方のサイドストーリー的かつ補足的な側面を持つ小説と言える。そして実は、私たちそれぞれが、壁で囲まれた世界に同時に存在しているともいえる。それを認識させてくれるような小説である。村上春樹だけでなく私たちもみな実はパラレルワールドを日々日常で体験していて、それぞれの想像力によって、その世界は成り立っている。さあて、次は「1Q84」か「騎士団長殺し」のサイドストーリー、続編をお願いします。 | ||||
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第1部は『世界の終わり…』の解説を読まされているような感じで、「これはひょっとして失敗作か…?」と危惧した。しかし第2部でちゃんと独自のストーリーが展開され、第3部で、この作品が書かれた必然性みたいなものを感じることができた。作家の全盛期に比べればやはりいくぶん落ちるものの、十分、心に残る小説だし、村上作品を継続して読んでいる人なら手に取ることを躊躇する必要はないと思う。一方で、ファン以外にはやや魅力を理解しにくいところもあるように思う。 | ||||
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久々に読み終わるのが惜しいと思う本に出会うことができた。 壁が一つのテーマになってくるが、壁の中の世界はとても美しくはあるが、どこまでも機械的でシステマチックであらゆる矛盾を孕んでいる。壁の中の世界は最初は心地よいのだが、読んでいるととても苦しくなり、早く抜け出したくなった。それがとても不思議だった。 その一方で現実とも壁の世界ともどちらともよくわからない世界は、読んでいてどことなく儚く寂しいのだが、読んでいて温かい気持ちにもなった。苦しみや、悲しさ、さみしさ、怒り、喪失感はこちら側の世界が矛盾なく機能するには必要なのかもしれない。 壁の中の世界は作者の昔の作品にも何度か出てきているが、時が経ち再度取り上げているのには何かしら意味があるのではないかと思う。 ユングの集団的無意識や、ラテンアメリカ文学を代表する著作のオマージュ的な部分もあり、読んでいて楽しめた。また、青春の日々の切なさをまるで追体験できるような繊細な描写はさすがだなと思った。 読後感が良い作品で、良い休日を過ごすことができた。 | ||||
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村上春樹がコロナ禍の中で書いたという新作「街とその不確かな壁」。 読書後に残った印象は物語に置かれている比喩が幾重にも重なり合い混沌とした世界を作り出しているような作品だと感じました。読み手に簡単に整理されるのを拒んでいるような、奥深く深化しているというもの。 当然、読み返しが必要になるような小説です。 「街」とは実際に今立っているところではないもう一つの別の場所。 その場所は人にとっての意味の場を提示しているのではないかと思います。人の意識、生き方などにおいての意味の場です。 意味の場というのは自我の中の意識とも置換できるし、別の人生があったのではないかという再考の場でもあったりします。 物語の中で展開されている「あちら側」と「こちら側」の世界。 物語が進むにつれどちらが実存なのかがあやふやになっていきます。 おそらくは現世での生き方から逃れられる場所がその街であって、そこでは自分の意志ではない別の意思を持った自分が存在しているという場とも考えられます。 おそらくは意識の中に存在しているということなのでしょう。 この物語の世界では「壁」が能動的に作用しています。 能動的というのは、その壁が引いたであろうあちら側とこちら側の境界の判定(基準)が不確かであるという意味です。 まさに「不確かな壁」が創造している「街」という概念が示されているのではないでしょうか。 その概念そのものが混沌としているとも言えますが。 そのカオスの中に読者を引きづり込むのが、村上春樹の老練の筆力なのであって、それは作家に対する公正な評価だと思います。(決して浅い焼き直しの作品ではなく)。 主人公や16歳の少女は体験として深い傷を刻んでおり、その傷が原因で街のなかにもう一人の自分を創造しているとも考えられます。 本体と影はその役割分担が逆転している可能性もあり、どちらが本人なのかわからなくなる。 主人公はこちら側の世界に帰還したことになっていますが、それが出来たのは自分の影を死なせなかったからということになるのでしょうか。 本当の自分の意志なるものを信じきることが出来たからだということになるのかもしれません。 どちら側に身を置くかを決める分岐点、その境界が不確かな壁なのです。 そして、その街は不確実性に満ちた意味の場。 意識から組成されている街の中で主人公は生きていく場の選択を迫られます。 その選択は「こちら側」という場でした。 16歳の少女やイエローサブマリンの少年は「あちら側」を選択しています。 二人はその街に自分の生きる意味を確信することで、そこに存在し得るのです。 村上春樹の作品にいつもテーマとして存在する喪失感。それは自分の中の一部が欠落してしまった状態。 主人公、16歳の少女、子易さん、イエローサブマリンの少年は、意識と心が統合されていない、ある意味満たされることのない人生を背負って歩んでいる人達なのかも知れません。 意識の中に「高い壁に囲まれた街」を造ってしまった人達。 それは「意識と心に深い溝」を抱えたまま「あちら側」に定住する選択をしてしまうことになる。 主人公は2章でこちら側の世界で地に足のついた人生を歩んでいく希望が見えているように感じました。 そこがこの物語の唯一の救いの部分であるのかなと。 なんだか解釈じみた感想になってしまいましたが、別の世界では別の自分が別の人生を営んでいるという、輪廻転生を思わせる世界観をも感じた物語でした。 ・個人的捕捉 カテゴリー別けをすれば、村上春樹の小説はエンターテインメント寄りの純文学と言えるかもしれません。(N賞をもらえない理由のひとつ?) 次回最後になるかもしれないであろう新作小説はエンタテイストの全くないモチーフの物語を書いてほしいというのもあります。 一つの大きなテーマが根底の部分を貫いているような。(たとえば、カズオイシグロみたいに) | ||||
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薄い紙に小さな文字。 原作発表時に大学1年生だった自分にとって、原作を知ったのはかなり後だった。 その後、「世界の終わりと・・・・」の仰々しい世界から、原作に浸り込んだ。 今回の第1部は、その世界観を広げ、壁の世界を構築する。 壁は昔から存在する。その絶対的な事実が立ちはだかる。 第2部は、魅力的なキャラクターが二つの世界を結びつけようとする。 図書館に井戸、地下室。 やはり世界はいろいろなフェーズで存在している。 あっという間の第3部。 ある意味唐突な終末となる。 それは望まれていたものかはよく分からないけれども。 | ||||
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