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戦艦武蔵ノート
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戦艦武蔵ノートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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小説の戦艦武蔵は、そうそう読み直すものではないが、本書のノートは、何回も読み返している。 作家がここまでのめり込んで調べたのは、何故なのか…。戦争についての当時の思考停止的、戦争忌避、軍隊否定を一歩前進させたかったのか。 それもあるかも知れないが、技術者たちの熱量に圧倒され、しかも民間会社としての立場をギリギリ保って建造した、ある種の日常との接点に共感したのかもしれない。 マジメな軍国少年だった自身の記憶に重なるものがあったのかも知れない。 作家の想いは一筋縄ではないが、そのどこかに共感する日本人が少なくなかったために、戦艦武蔵は売れ、作家は世に知られるようになった。 本人は不本意かも知れないが、本人が思う以上に、よく理解されたのではないかと、根拠もないながら、思う今日この頃。 | ||||
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「戦艦武蔵」を補完する作品かと思っていたが、戦艦武蔵をさらに広く深く掘り下げる作品だった。 吉村氏は、様々な作品で、昭和一桁世代の方々の死生観を語っておられる。本書での、戦後になって、戦争反対を平然と語る大人達に「嘘ついてやがら」と思ったという話は、全く同じことを同世代の方から聞いた。そんな感覚を持つ方が、戦艦武蔵に関心を持ち、本を書くつもりもなく取材を始めるところから、本書は始まる。 武蔵建造に関わった人、武蔵に影響を受けた人を、ご自身で探して、ご自身で取材されたからこその話と思いが記されている。本編を補足する内容であると同時に、独立した作品としても、昭和一桁世代のモノローグとしても成立している作品だ。 戦艦武蔵を読んでいなくとも十分に読み応えがある内容だが、できれば戦艦武蔵を読了してから読むことをお勧めしたい。 | ||||
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吉村氏の主な小説、エッセイは殆ど読んでいると思っているが、当然「戦艦武蔵」も以前読んでいる。「ノート」は読んで見たいと思っていたが、本屋に行って文庫本のコーナー(新潮、文春、集英社等)でも見つからず、今回アマゾンで検索していたら、あったので購入。吉村氏の史実に忠実に向き合う真摯な姿勢には、いつも感動するが、今回も同じ事を感じた。「戦艦武蔵」の書き始めるきっかけ、多くの証言者に対する取材、その中で感じる吉村氏の思い等、胸に迫るものがある。印象深かったのは、太宰治賞受賞時の津村節子氏の喜び、図面紛失時の犯人N氏のその後の消息等多々あるが、読了感は充実している。 | ||||
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迅速な発送、丁寧な包装で大変満足しております。 ありがとうございました。 | ||||
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吉村昭の作品として戦艦武蔵、高熱隧道、深海の使者、天狗争乱などを読んできて、その中に登場する人達のひたひたと迫る熱気あるいはエネルギーに圧倒される思いをした。そして一体どこからこのような熱っぽさが出てくるのか?またイデオロギー的な匂いがほとんどせず、ただただ目的遂行に突進する人の姿が描かれるのは何故なのか?という疑問を持っていた。 本書は戦艦武蔵執筆の取材過程を辿っているのであるが、私には取材の結果としての作品”戦艦武蔵”そのものより更に興味深かった。 それは先の戦争を10代の頃直接経験した吉村が戦争という巨大なエネルギーが発露される中で翻弄される人間の姿を目前で見て、戦後もったいらしく反省したり、戦争批判する人たちをいぶかしく思ったことから、戦争のありのままの姿を記録にとどめようとしている過程が描かれているからである。 文書の形で残された記録は当てにせず、ひたすら当事者への克明なインタビューを通して史実を探っていく手法が貫徹されている。本書にはその吉村の取材にかける熱気、エネルギーが戦時の武蔵建造また武蔵の作戦行動に関わった人たちの熱気・エネルギーをそのままに伝えているメカニズムが浮きぼりになっている。 アメリカのCreative Writingのコース等では創作の際の鉄則として”Show. Don't tell."((事実を)見せなさい。物語ってはだめだ)ということが言われるが、まさにその世界だと感じた。 | ||||
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「戦艦武蔵ノート」は、吉村がなぜ「戦艦武蔵」という小説を書こうと思ったか、いかにしてそれを小説にしていったかを、克明に解き明かしている。およそ論を張るということをしない吉村昭が、自分の戦争観、第2次世界大戦観を率直に吐露している。しかも、少しも難しくないことば、いわば庶民の言葉ともいうべき表現で語っている。 多くの著名な人々が公けの場でかたる「戦争は軍部がひき起こした」「大衆は軍部にひきずられて戦争にかり立てられたのだ」といった発言を、吉村は「かれら自身の保身のための卑劣な言葉」と断じている。こういう、激烈な言葉は、吉村の他のどんな著作でもみることができない。 「嘘ついてやがら‐‐私は、戦後最近に至るまで胸の中でひそかにそんな言葉を吐き捨てるようにつぶやきつづけてきた」 「嘘ついてやがら」、少年吉村昭のこのつぶやきのまえには、どんな能弁も色あせる。 戦争は、庶民が望み、庶民が圧倒的なエネルギーを発揮して遂行したものだ。吉村の言いたいことはそれに尽きる。その実証物のひとつが戦艦武蔵だ。戦艦武蔵の建造に注がれた智恵、情熱、献身‐‐克明にそれを描きつくすことが、吉村昭の知っている戦争を伝えることになった。まるでフランケンシュタインが誕生するように、無数の人々の巨大なエネルギーを受けて戦艦武蔵は誕生した。 「私にとってあの戦争は、『敗戦』ということに最大の意義があったと思う。あの敗戦の日まで日本には、『戦争は罪悪である』という思想はまったくと言っていいほどなかった。」「多くの犠牲に裏付けられた敗戦。それはそのまま被占領国民としての屈辱にみちた時間につながるが、日本人に戦争は罪悪であることを確実に教えた意味から、敗戦という事実は大きな歴史的な意義をもつ」 これは新鮮な指摘だ。 吉村は「戦前は暗黒だった」という言葉には強く反発するが、「戦前は良かった」というような言葉にはもっと強く反発する。数多くのエッセイで「平和な今のほうがいいに決まっている」と語っている。 1970年に単行本として発刊された本書は、あの時代の熱狂とは別の、静かな理性、透徹した作家の目で書かれている。 | ||||
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『戦艦武蔵』を執筆するに当たり取材した、その取材記をまとめた本です。 極秘とされたがために少ない資料と戦後の無関心(「武蔵」と言ったところ、宮本武蔵と間違われたとか)、厳しい緘口令の記憶に怯える漁民の姿など生々しい現実が綴られています。 ただ、個人的に吉村氏のタッチがイマイチ苦手なんですよね。陰気と言うか、何と言うか・・・ | ||||
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吉村さんの非常に綿密な取材能力にはおそれいります。日本人として、誇らしくもあり、悲しくもあり。 平和な生活におぼれている今こそ読みたい本です。 | ||||
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本書には、吉村昭がなぜ「戦艦武蔵」についての調査を行うに至ったのか、そして、調査はどのように進められたのかが、詳細に描かれている。 この作品では、『戦艦武蔵』執筆という困難な事業の遂行プロセスが時系列的に記されているが、「武蔵」建造という難事業にオーバーラップするように吉村昭の孤独な挑戦が描かれ、それ自身が非常に面白いストーリーになっている。 もう1点注目すべきは、そこに著者の戦争観が色濃く現れていることである。戦後、あっという間に戦争批判が一色となった社会。戦争の責任を軍部に押し付ける知識人。実際は、戦時中、国民が一体となって戦争を遂行したのではなかったか。そうした事実を明らかにし、戦争の悲惨さやむなしさを直視することが、再び戦争を起こさないためには必要ではないのか、という強い思いが著者の執筆の原動力となる。 本書は、吉村昭の小説家としての「基本的な思想・スタンス」が明確に現れた作品であり、迫力に満ちた力作である。 | ||||
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昭和39年ころの取材過程なので建造の責任者なども60歳くらいで、平成の調査とだいぶ趣が異なる。いかに足を使って取材したか良く分かる★★★★★。 村上軍医長が忘れた軍刀を取りに行った水兵が無事戻ってきた話p.62。細野軍医中尉が飛び込んで渦に巻かれ、水中爆発を見た話p.199。左傾したので右へ飛び込んだ者は船底の牡蠣で怪我をした話p.72。図面紛失事件の図面は砲塔の直径が入った重要図面だったことp.101、犯人の図面工は昭和22年に死去していたことp.268。書き出しに使われたシュロすだれp.160の購買経緯を執拗に調べた話164。 | ||||
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この本を読むきっかけになったのは、もともと『戦艦武蔵』にいたく感銘を受け、以来、吉村昭作品の虜になったからだ。本書は『戦艦武蔵』を書くためにした取材の過程を記したノート(ノンフィクション)だが、生き証人に会い取材をする方法をはじめ、実際に足を運ぶというジャーナリストの基本を実地に示している教科書ともいえるものだ。また、ニュージャーナリズムとの類似点も多い作品である。ジャーナリストではない私にとっても、自分の感覚を出発点にするという心構えとでもいうものを教えてくれた一書であった。以来、違和感を感じたものについては実際に確認してみるという癖がついた書でもある。国民投票法案(これ自体は必要な法律なのだが、会社法だって普通決議・特別決議・特殊決議と、より成立への難易度が増していくのに憲法改正への如何せんハードルが低いのだ。)が成立しそうな状況の下、この本をもう一度手にとってみたくなった次第である。 | ||||
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吉村氏の傑作「戦艦武蔵」を書き始めるきっかけから、作品の完成そしてその後を書いた「随筆」?。この本自体がノンフィクションになっている。吉村氏ご本人は「父譲りの小心」と言っているが、その対象に向かう生真面目で誠実な姿勢が、関係者の心とふれあい、様々な状況を取材できることにつながっている。「戦艦武蔵」を読んだだけでは、なぜ吉村氏が「戦艦武蔵」を書こうとしたかは分らないかもしれない。是非、この作品も併読して、吉村氏の真意と当時の関係者の実態を知ってほしい。一つの対象に向かって喰らいついていく、作家の執念を感じる作品。 本日8月1日未明に吉村先生が亡くなられました。司馬先生、白石先生、そして吉村先生と好きな作家が亡くなるのは辛い。 寿命があるとは言うものの、本当に残念です。 吉村先生、多くの素晴らしい作品、ありがとうございました。 | ||||
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