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4.00/5点 レビュー 35件。 B ランク

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Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全32件 1〜20 1/2ページ
No.32
(5pt)

挿絵が素敵

挿絵(版画)が素敵。中身はまだ読んでいない。(笑)
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.31
(5pt)

挿絵が素敵

挿絵(版画)が素敵。中身はまだ読んでいない。(笑)
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.30
(5pt)

隔てられた男女に通じる共感

この小説を以前読んだ時にはただ好色な作家の作品としか思わず、見過ごしていたのでしょう。
例えば『ペレアスとメリザンド』のように夫と妻、その愛人として描かれる物語、或いはロシア作家が表現する現実は、
戦争や社会体制の為に別離を余儀なくされたが、その彼らの間の深層に通底する想いと身体感覚、ヒューマニズムの一側面でしょうか?
その社会的な表現が秘められているのだろうと思うようになりました。
ロシアの映画監督ズビャギャンツェフ『エレナの惑い』を思い出してから、ふと考えた事です。
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.29
(5pt)

隔てられた男女に通じる共感

この小説を以前読んだ時にはただ好色な作家の作品としか思わず、見過ごしていたのでしょう。
例えば『ペレアスとメリザンド』のように夫と妻、その愛人として描かれる物語、或いはロシア作家が表現する現実は、
戦争や社会体制の為に別離を余儀なくされたが、その彼らの間の深層に通底する想いと身体感覚、ヒューマニズムの一側面でしょうか?
その社会的な表現が秘められているのだろうと思うようになりました。
ロシアの映画監督ズビャギャンツェフ『エレナの惑い』を思い出してから、ふと考えた事です。
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.28
(4pt)

ジャケ買い

谷崎は私生活もさる事ながら、谷崎本人の欲望をそのまま映し出した作品。ほんとに、もう...。
そして、やっぱり棟方志功の版画が挿絵として掲載されている中公文庫さんがお薦めです。
白と黒。どの画もモダンです。
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.27
(4pt)

ジャケ買い

谷崎は私生活もさる事ながら、谷崎本人の欲望をそのまま映し出した作品。ほんとに、もう...。
そして、やっぱり棟方志功の版画が挿絵として掲載されている中公文庫さんがお薦めです。
白と黒。どの画もモダンです。
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.26
(5pt)

谷崎作品は中公文庫

「ジャケ買い」と書いておられる方が見えますが、よく分かります。
読みやすいのは新潮文庫の方かもしれませんが、やはり谷崎作品は中公文庫で買い直したくなります。
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.25
(5pt)

谷崎作品は中公文庫

「ジャケ買い」と書いておられる方が見えますが、よく分かります。
読みやすいのは新潮文庫の方かもしれませんが、やはり谷崎作品は中公文庫で買い直したくなります。
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.24
(5pt)

棟方志功の装丁(カバー)、挿絵に価値あり。

小説本文だけだと、谷崎のいわば小説における一つの実験(ないし先駆的試み)として済まされてしまいかねないが、棟方志功の挿絵と装丁が付いていることで、一つの原初的な強烈さを持つ性の美のようなものが立ち上がってくる感がある。谷崎は棟方志功の「美」にずいぶん救われている気もする。
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.23
(5pt)

棟方志功の装丁(カバー)、挿絵に価値あり。

小説本文だけだと、谷崎のいわば小説における一つの実験(ないし先駆的試み)として済まされてしまいかねないが、棟方志功の挿絵と装丁が付いていることで、一つの原初的な強烈さを持つ性の美のようなものが立ち上がってくる感がある。谷崎は棟方志功の「美」にずいぶん救われている気もする。
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.22
(5pt)

独特の谷崎潤一郎の世界観

もっと読みたくなりました、
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.21
(5pt)

独特の谷崎潤一郎の世界観

もっと読みたくなりました、
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.20
(5pt)

それぞれの性的生活が赤裸々に綴られた56歳の夫の日記と、45歳の妻の日記

若い時、『鍵』(谷崎潤一郎著、中公文庫)を読むのを途中で止めて放り出したのは、56歳の夫が妻に盗み見されることを想定しながら綴った日記も、交互に示される、これまた夫に盗み見されることを想定しながら書き継いだ45歳の妻の日記も、性的生活の微に入り細に入る描写が何とも赤裸々で、辟易してしまったからです。

夫のカタカナ表記の日記は、こう始められています。「一月一日。・・・僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテキタヤウナ事柄ヲモ敢テ書キ留メルヿニシタ。僕ハ自分ノ性生活ニ関スルヿ、自分ト妻トノ関係ニツイテハ、アマリ詳細ナヿハ書カナイヤウニシテ来タ。ソレハ妻ガ此ノ日記帳ヲ秘カニ読ンデ腹ヲ立テハシナイカト云フヿヲ恐レテヰタカラデアツタガ、今年カラハソレヲ恐レヌヿニシタ。妻ハ此ノ日記帳ガ書斎ノ何処ノ抽出ニ這入ツテヰルカヲ知ツテヰルニ違ヒナイ」。

これに続く妻の1月4日の日記には、こういう一節があります。「実は私も、今年から日記をつけ始めてゐる。私のやうに心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向つて語つて聞かせる必要がある。但し私は自分が日記をつけてゐることを夫に感づかれるやうなヘマはやらない。私はこの日記を、夫の留守の時を窺つて書き、絶対に夫が思ひつかない或る場所に隠しておくことにする。私がこれを書く気になつた第一の理由は、私には夫の日記帳の所在が分つてゐるのに、夫は私が日記をつけてゐることさへも知らずにゐる、その優越感がこの上もなく楽しいからである。・・・一昨夜は年の始めの行事をした。・・・あゝ、こんなことを筆にするとは何と云ふ耻かしさであろう」。「年の始めの行事」とは、姫始めを意味しています。

この夫婦に、一人娘の敏子と、その求愛者・木村が絡んできます。

1月13日の夫の日記。「アノ晩僕ハ、木村ニ対スル嫉妬ヲ利用シテ妻ヲ喜バスヿニ成功シタ。僕ハ今後我々夫婦ノ性生活ヲ満足ニ続ケテ行クタメニハ、木村ト云フ刺戟剤ノ存在ガ欠クベカラザルモノデアルヿヲ知ルニ至ツタ」。

4月17日の妻の日記。「私は、今日の日曜日をいかにして過すかは前から極めて置いたのであるから、その通りにして過した。私は大阪のいつもの家に行つて木村氏に逢ひ、いつものやうにして楽しい日曜日の半日を暮らした。或はその楽しさは、過去の日曜日のうちでは今日が最たるものであつたかも知れない。私と木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽して遊んだ。私は木村氏がかうじて欲しいと云ふことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捻ぢ曲げた。夫が相手ではとても考へつかないやうな破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持つて行つて、アクロバツトのやうな真似もした(いつたい私は、いつの間にこんなに自由自在に四肢を扱ふ技術に練達したのであらうか。自分でも呆れる外はないが、これも皆木村氏が仕込んでくれたのである)。・・・私は『夫』を心から嫌つてゐるには違ひないが、でも此の男が私のためにこんなにも夢中になつてゐるのを知ると、彼を気が狂ふほど喜悦させてやることにも興味が持てた。つまり私は、愛情と淫慾とを全く別箇に処理することが出来るたちなので、一方では夫を疎んじながら、――何と云ふイヤな男だらうと、彼に嘔吐を催しながら、さう云ふ彼を歓喜の世界へ連れて行つてやることで、自分自身も亦いつの間にかその世界へ這入り込んでしまふ」。

夫の死後に書かれた、6月9日、6月10日、6月11日の妻の日記には、実に恐ろしいことが書かれています。

今回、最後まで読み通して感じたことは、『鍵』は、谷崎潤一郎が渾身の力を込めて書いた推理小説なのではないか、ということです。私の妄想に過ぎないかもしれませんが。
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.19
(5pt)

それぞれの性的生活が赤裸々に綴られた56歳の夫の日記と、45歳の妻の日記

若い時、『鍵』(谷崎潤一郎著、中公文庫)を読むのを途中で止めて放り出したのは、56歳の夫が妻に盗み見されることを想定しながら綴った日記も、交互に示される、これまた夫に盗み見されることを想定しながら書き継いだ45歳の妻の日記も、性的生活の微に入り細に入る描写が何とも赤裸々で、辟易してしまったからです。

夫のカタカナ表記の日記は、こう始められています。「一月一日。・・・僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテキタヤウナ事柄ヲモ敢テ書キ留メルヿニシタ。僕ハ自分ノ性生活ニ関スルヿ、自分ト妻トノ関係ニツイテハ、アマリ詳細ナヿハ書カナイヤウニシテ来タ。ソレハ妻ガ此ノ日記帳ヲ秘カニ読ンデ腹ヲ立テハシナイカト云フヿヲ恐レテヰタカラデアツタガ、今年カラハソレヲ恐レヌヿニシタ。妻ハ此ノ日記帳ガ書斎ノ何処ノ抽出ニ這入ツテヰルカヲ知ツテヰルニ違ヒナイ」。

これに続く妻の1月4日の日記には、こういう一節があります。「実は私も、今年から日記をつけ始めてゐる。私のやうに心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向つて語つて聞かせる必要がある。但し私は自分が日記をつけてゐることを夫に感づかれるやうなヘマはやらない。私はこの日記を、夫の留守の時を窺つて書き、絶対に夫が思ひつかない或る場所に隠しておくことにする。私がこれを書く気になつた第一の理由は、私には夫の日記帳の所在が分つてゐるのに、夫は私が日記をつけてゐることさへも知らずにゐる、その優越感がこの上もなく楽しいからである。・・・一昨夜は年の始めの行事をした。・・・あゝ、こんなことを筆にするとは何と云ふ耻かしさであろう」。「年の始めの行事」とは、姫始めを意味しています。

この夫婦に、一人娘の敏子と、その求愛者・木村が絡んできます。

1月13日の夫の日記。「アノ晩僕ハ、木村ニ対スル嫉妬ヲ利用シテ妻ヲ喜バスヿニ成功シタ。僕ハ今後我々夫婦ノ性生活ヲ満足ニ続ケテ行クタメニハ、木村ト云フ刺戟剤ノ存在ガ欠クベカラザルモノデアルヿヲ知ルニ至ツタ」。

4月17日の妻の日記。「私は、今日の日曜日をいかにして過すかは前から極めて置いたのであるから、その通りにして過した。私は大阪のいつもの家に行つて木村氏に逢ひ、いつものやうにして楽しい日曜日の半日を暮らした。或はその楽しさは、過去の日曜日のうちでは今日が最たるものであつたかも知れない。私と木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽して遊んだ。私は木村氏がかうじて欲しいと云ふことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捻ぢ曲げた。夫が相手ではとても考へつかないやうな破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持つて行つて、アクロバツトのやうな真似もした(いつたい私は、いつの間にこんなに自由自在に四肢を扱ふ技術に練達したのであらうか。自分でも呆れる外はないが、これも皆木村氏が仕込んでくれたのである)。・・・私は『夫』を心から嫌つてゐるには違ひないが、でも此の男が私のためにこんなにも夢中になつてゐるのを知ると、彼を気が狂ふほど喜悦させてやることにも興味が持てた。つまり私は、愛情と淫慾とを全く別箇に処理することが出来るたちなので、一方では夫を疎んじながら、――何と云ふイヤな男だらうと、彼に嘔吐を催しながら、さう云ふ彼を歓喜の世界へ連れて行つてやることで、自分自身も亦いつの間にかその世界へ這入り込んでしまふ」。

夫の死後に書かれた、6月9日、6月10日、6月11日の妻の日記には、実に恐ろしいことが書かれています。

今回、最後まで読み通して感じたことは、『鍵』は、谷崎潤一郎が渾身の力を込めて書いた推理小説なのではないか、ということです。私の妄想に過ぎないかもしれませんが。
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2
No.18
(5pt)

無し。

無し。
鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)より
410100515X
No.17
(5pt)

谷崎は楽しそうだな・・

おれもとうに五十を越えた。男も五十代あるいは六十代ともなれば、性欲なんかもなくなってきていい感じに枯れてくるのかな、とぼんやり思っていたのは二十代、三十代の頃。ところが実際に五十を越えてどうかというと、性欲なんてそう簡単になくなるもんじゃない。むしろあらぬ妄想が脳裏を駆け巡り日々亢進してギンギラギンなくらいだ。しかし、性欲は有り余るほどあるけれども肝心のアッチの方がまったく元気がないというこの現実。若い頃には想像だにしなかったこの事態。このままではあと十年も経たずして男として完全な不能となってしまうんじゃないかという恐怖に今直面している。性欲はあるが男として立たないという、ああ、まさに生き地獄。だと思うんであるが、谷崎は楽しそうだな。おれも見習わないと。ただ息子の嫁の足ならともかく尻となると(おれは尻が好きなのだ)相当の覚悟が必要だ。冗談では済まないかもしれない。というわけで結局、大谷崎になれない小心者のおれは日々悶々としているだけなのである。
鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)より
410100515X
No.16
(5pt)

遺産相続について調べていて、ふと『瘋癲老人日記』を思い出した。

『オ爺チャン』で良かったよ。オトウサマだったら私、経験上ちょっと読むのがツラくなりそう。
督助は不動産を多く所有する元遊び人・高等遊民系なんだろう。
愛人のいる息子だって給金はすべて交際費に消えていると思われる。
息子も(その母も)「父(夫)と妻(息子の嫁)が何をしているか」察しがついているようだ。

そしてそれなのに、遺産は息子の嫁には相続権がない。どんなに世話をしようともw。
督助は言う『ダイジナ嫁ニ宝石ヲ買ッテヤルンダ』だから颯子はどんどん貢がせていいのだ。
ブランドバッグ、15カラットの猫目石、プールを庭に作らせるなんて安いもの。
督助は老人でもむっつりスケベじゃない、言葉で要求して許可を得る、しつこいところがあるがかわいい男。
なんやかんやで息子の嫁・颯子ととても仲がいい。颯子の映画や演劇好きの話も喜んで聞いてくれる。優しい。

妻も娘も、遺産を嫁に取られて悔しがっているwww。痛快。将来はそんな嫁・颯子に、家は完全に支配されるのだ。
鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)より
410100515X
No.15
(4pt)

予は77歳。まさに瘋癲老人してる。

〇『瘋癲老人日記』のレビュー。

 谷崎75歳の作品。『鍵』が、自分の性的欲望を追求するあまり、腹上卒中という
自爆に追い込まれる男の悲劇(喜劇?)を描いたのに対し、『瘋癲老人日記』は
だらだらと生き長らえつつもベッドのなかでうつらうつらとあらぬ性的妄想に
ふける老人の喜劇(悲劇?)を描いている。

 主たる登場人物は4人。

 予 77歳、資産家
 婆さん 予の妻
 浄吉  予の長男
 颯子(さつこ) 浄吉の嫁

その他、親族、看護婦、医者、お手伝いさん等もろもろ。

 予はすでに肉体的には不能だが、不能だからとって性欲がないことはない。
妄想力はくすぶっている。毎日自分の死の想像と性的妄想が生きがいである。
老夫婦の常として、余と婆さんのあいだにはちょっとしたいさかいが絶えない。
そんなとき息子の嫁の颯子は婆さんより自分の味方をしてくれる。(ように
思える。)それがなんとも嬉しい。ダンサーだった颯子と息子の結婚に婆さんは
むかし反対したいきさつもある。余は颯子ののびやかな肢体に魅せられている。
颯子はそのことを家族内で唯一理解しているみたいで、たまさか宝石のおねだりの
ときには、予に膝から下を自由に触らせてくれる。予はその行為のときに逸脱して
ちょっとしたいたずら心を起こし、颯子にこっぴどく叱られるのが楽しくて
たまらない・・。

 77歳の予の関心は、食欲、薬のこと、それからそういったいびつな性欲。
いまは自分の墓の設計に夢中。颯子の足裏の拓本をとってそれをもとに仏足石を
つくり、死後も颯子の足に踏まれ、颯子の体重を全身に感じ「痛いけど楽しい」と
叫びたい。奇矯の極致であるが、批評家の評判はすこぶるよく毎日芸術賞大賞
を受賞。

(注)『鍵』のレビューについては、先に読んだ青空文庫版『鍵』のところに書いた。
鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫) Amazon書評・レビュー: 鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)より
410100515X
No.14
(5pt)

ジャケ買い

棟方志功の装丁ということでジャケ買いしました。
やはりこの装丁は素晴らしい!
中身は名作!
鍵 (中公文庫 (た30-6)) Amazon書評・レビュー: 鍵 (中公文庫 (た30-6))より
412200053X
No.13
(5pt)

ジャケ買い

棟方志功の装丁ということでジャケ買いしました。
やはりこの装丁は素晴らしい!
中身は名作!
鍵 (1956年) Amazon書評・レビュー: 鍵 (1956年)より
B000JAZ5J2