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触れもせで
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【この小説が収録されている参考書籍】
触れもせでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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まずは黒柳徹子さんのあとがきから読まれるのもお正月ドラマのようで素敵かも、、、。 触れもしないからこそ。 誰もが届かないような高い精神性で結ばれていたのではないか、と感づいてしまった。なぜかドキドキさせられる本当に素敵なエッセイ。大好きなお二人のご冥福をお祈りしつつ心をこめて読んでいます。 | ||||
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「触れもせで」というタイトルにひかれて読んでみた。向田邦子の作品には人を引き付ける妙な魅力がある。 著者も彼女と接する職業柄というよりも、彼女への「レスペクト」がこの本からあふれ出ている。「仕事上の付き合い」がいつか「男女の関係」を連想しないほうがおかしい。しかし著者は「レスペクト」という「国境線」を自ら引き、超えることなく時には冷静に彼女を見つめ続けた。恋愛小説としてもレベルは高い。 | ||||
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久世光彦の向田邦子への愛情があふれる本です。図書館で借りて読んだ後、手元に置いておきたくて購入しました。 | ||||
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「ふれもせで」、よく言うなあ。本能としての恋愛と文化としての恋愛、恋愛には二つがあり、文化程度が推し量られると言うのをどこかで読んだ。見事に高いレベルの文化が匂う。それも向田さんが亡くなって何年も経っても克明に覚えている、こき下ろせる、非難できる。何年経っても忘れることがない文化としての位置付けで吐露されている。名文であり、名話である。他人には紹介せず、出会ったことを誇らしげに仕舞っておきたい。 | ||||
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探していた本でした。 素顔の向田さんが少し見えたような気がします。 | ||||
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向田邦子と久世光彦の深い感性のぶつかり合いが、あの名作ドラマを産み出したと、わかった。珠玉本☆ まずは、図書館で借り、ドーしてもッ!手元に置いておきたく、買いました。 | ||||
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久世氏のサポートがあったからこそ向田さんが優れた活動が出来たと思っています。久世氏にはもっと長生きして頂きたかった | ||||
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文章が非常に上手い。 細部まで緻密で、シッカリしていて分かり易すく、素晴らしい文章だ。 | ||||
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期待したとおりの内容でした。 楽しく一気に読ませてもらいました。 | ||||
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久世光彦の文才に引き込まれてあっという間に読了してしまった書。 向田邦子が類まれなるイイ女=ハンサムウーマンだったことがありありと窺われる名エッセイでしょう。 「狡くて可愛い女」「良き時代の良き娼婦の資質を持った女、娼婦の資質を持ちながら娼婦になれなかった女」など、久世光彦が鋭い感性で表現した向田邦子という女性像が実に魅力的に綴られているのです。 向田邦子に関する書籍でよく取り上げられているのは、あからさまな性描写を書かない脚本家だったこと。具体的な描写はないのに、台詞、音、情景にものすごく艶めかしさがあり、濃厚な色香が漂っていた点に触れられている箇所は、興味深いと思います。切った爪を踏んでしまうシーンで「男の爪と女の爪の違いを語る台詞」、ドラマ『隣の女』で壁越しに聞こえてくるとぎれとぎれの会話と揺れる壁の描写の実に官能的な様etc、映像で性的なものを直接見せるよりも、視聴者に想像の余地を与えるだけでゾクッとさせる艶めかしさがあります。 著者の久世光彦は、向田邦子のアパートに泊めてもらったことがあったが、「柔肌の熱き血潮に触れもせで」朝を迎えたことがあったそうです。「だからこそ、いつまでたっても思いきれない人なのかもしれない」」と綴られた『触れもせで』の章はタイトルになっただけあって、特に秀逸なエッセイ。 また、向田邦子は「恭しき良き娼婦の資質があった」のに、「男が女を金で買う」ことに抵抗があり、まるで「女学生のように潔癖だった」こと、「川を飛び越えない女の道徳律=同時に複数の男と体のかかわりを持たないルール」を持っていた事に触れた一節も秀逸だと思います。 久世光彦から向田邦子にあてた、恋文の名文に酔ってしまいました。 巻末には向田邦子年表〜生い立ち・書籍・テレビドラマ編あり。 向田邦子との二十年 (ちくま文庫)はこの書を文庫化したものかもしれません。 | ||||
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「永遠の恋文とはこういうことを言うのだなぁ〜」と思いました。色褪せない恋文を公になる本にするのは「ずーっと好き」と宣言しているみたい。久世さんも向田さんも今は亡き人になったけれど、私には向こうの世界でも『触れもせで』なのかなと空想できる本です。 | ||||
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名演出家であり、文章を書かせても見事な作品を残した久世光彦氏による名脚本家の向田邦子さんの思い出を綴ったエッセイです。 向田さんが台湾での不慮の飛行機事故で鬼籍に入られてから相当な年月が経ち、久世氏がこの世からいなくなってからも数年が経過しました。もっと長生きして活躍して多くの作品を残して欲しかったというのが偽らざる心境です。これだけの名文はめったに書けませんし、モデルとなった向田さんの生き様もまた然り、です。 「触れもせで」というタイトルが実に意味深です。この二人の日常の密接度は本書を読めば至る所で感じとれます。恋愛感情が生まれても良さそうなのですが二人の関係は「戦友」なのかも知れません。男女の垣根を越えた真の友情もまた成立するという具体例でしょうか。とにかく家族でもない人をこれだけ深く知りえていることに驚かされます。その性癖やしぐさ、良い点も悪い点も全部知り、さらけ出しあいながら時間を共有した親友の記録でもありました。 向田さんの残したドラマ(久世光彦演出)の多くをリアルタイムで見てきましたので、本書で明かされるエピソードはまさしく舞台裏の面白さが詰まっています。登場した俳優にからむエピソードは二人でしか語れない内容でしょうし、昭和のホームドラマのあるべき姿にこだわり続けてきた思いが文全体に溢れていました。 222ページに書かれているように、家族が茶の間の卓袱台に集まっていた「あの時代の人や、物や、その匂いや音にあんなに拘わっていた」向田さんのことを語りながら、同じことにこだわっていた久世さんの姿を見るようでした。 黒柳徹子さんの解説もまた絶妙の按配です。モデル、書き手、解説と3拍子揃った文庫というものは滅多にありません。 | ||||
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向田邦子と仲の良かった筆者が、 華美な言葉を省いて真剣に描いた向田邦子像が載っている。 これは単なるノスタルジーではなく、真っ直ぐに彼女を見つめて描いた良エッセイだと思う。 面白いエピソードもあるが、何より日常の些細な仕草や言葉を上手いこと拾い上げ、 そこに籠もっている向田邦子の、思わず親しみを感じたり、 慕いたくなるような人間像を巧みに描いている。 そこには自慢も無ければ衒いもなく、自らの文章への酔いもない。 向田邦子の『父の詫び状』も素晴らしいエッセイだが、 このエッセイも、負けず劣らず名人のエッセイだと思う。 こんな風に、死後も繊細に書き表してもらえるのは羨ましい。 | ||||
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異能の演出家兼作家の久世氏が、亡くなった脚本家向田氏の思い出を綴ったエッセイ集。「触れもせで」とのタイトルと言い、全編を覆うトーンと言い、まるで亡き恋人に捧げた恋文を読んでいるかの様である。演出家と脚本家として二十年間の交遊があった由なので、余人には窺い知れぬ向田氏の素顔に触れられると言う意味も勿論あるのだが、それより久世氏の心情が読む者の琴線に触れる。 向田氏の事を、「遅刻常習犯」、「嘘吐き」、「悪筆」などと書くのだが、久世氏はそれらを全て受容し、むしろその性癖を愛しているのである。これが静謐感に満ちた筆致で描かれる。大人どうしの交情を垣間見た気がする。だからと言って、向田氏の事を盲目的に見ていた訳ではない。「寺内貫太郎一家」のモデルとなった厳格な父に育てられ、躾が行き届いた向田氏が、意外とチャッカリ屋で細かい点に拘らない所(「ケセラ・セラ」風)を的確に描写している。また、生家のせいか、家族のあり方に拘っていた事も印象に残る。それ以外の向田氏の癖や好みも木目細かく描かれる。そして、これら全てが久世氏が愛した向田氏の性向なのだ。愉快なエピソードも盛り込まれているのだが、全体としてセピア色に包まれたエッセイであり、エピソード一つ々々を宝物のように久世氏が慈しんでいる姿が伝わって来る。 そして、最後のエッセイの題名は「死後の恋」。この配置は偶然ではあるまい。向田邦子と言う女性をここまで描き切れる人は他にはいないと思うし、ここまで深く愛した男もいないのではないか。 | ||||
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「おしゃれ泥棒」の中で、向田邦子は、他人の幸せだけは奪えなかったと書かれている。しかし、彼女の感受性なら、自分と他人の幸せの狭間で、深く悩んだはずである。だから、「身代わり観音の中」で「・・死にたいと思いつめた覚えもなく、人を呪う不幸も味わわず・・」と彼女が書ていると言われても私は信じない。きっと、神様に「そんなに辛いならこっちにおいで」と招いてもらって、初めてその悩みから解放されたのであろう。この本は、向田邦子の「表現」をそのまま紹介しながらも、彼女の「真実」を確実に、ある意味では容赦なく、しかし久世氏一流の暖かさをもって、読者に提供している。彼女の「真実=本心」に接して胸が詰まったところが、私には20箇所もあった。五つ星の所以である。 | ||||
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気弱で可愛くてちょっと不良の弟と、自分の哀しみはしっかり胸に畳んで颯爽と生きる姉。 久世さんと向田さんの関係がそんなふうに見えました。 時間には正確な向田さんが、久世さんとの約束のときだけ平気で遅刻するエピソードもそれだけ気を許してたんだなあと思ったし、向田さんの快活な表情の裏に隠された孤独の影を見つめる久世さんの暖かい眼差しにも感動しました。 二人の間には恋愛感情のかけらもなかった。と書いてありましたが、そういったものを超えた、深いところで通じ合ってる素晴らしい関係があったのだろうと思います。 向田さんとの思い出も、二人が少年少女時代を過ごした昭和十年代の思い出もどちらも清々しくて暖かい気持ちにさせてくれる、素敵なエッセイ集です。 | ||||
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