愛と幻想のファシズム

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評判

愛と幻想のファシズムの評価:

4.13/5点 レビュー 107件。 A ランク

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平均点4.13pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全120件 41〜60 3/6ページ
No.80
(5pt)

難しい経済用語がわからなくても、楽しめます(^^)

最高に面白かったです。

一番好きなシーンは、ゼロとトウジが一緒に狩りに行くシーンですね、まるで自分が登場人物と共に現場にいるような文章力に圧倒されました。
村上龍の脳内はどうなっているんだろう、本当に凄い本です。
現時点で村上龍が作り上げた作品の中で、この作品が一番好きです。
文句無しの★5です。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.79
(4pt)

『愛と幻想のファシズム』を読んで、思い浮かべたこと。

発刊当時、かなり熱くなって、この単行本を読んだ気がする。

25年以上経って再読。作者の筆力、文章表現力は、
日本文学史的なレベルに置いても抜きんでていると思う。

ただ、時々思うのは、それが、十分いい形で発揮されているのかどうか、ということ。
F1エンジンを付けてリアカーが走っているような気になるときがある。

龍氏は、かつて「小説とは、情報を物語にすることだ」といった。そして彼の作家活動はその実践になっている。
彼は小説をコンスタントに量産し、村上龍はこういうものだという期待を裏切らない作風を維持してきている。

それとは対照的に、村上春樹氏は、早い段階で自分の方向性を大きく変えた。
デビュー作と第2作が持っていたリリカルで、親密で、個人的な魅力は、第3作目からなくなり、
従来の、いわゆる「文学的な」表現へと舵を切った。春樹氏ならば「情報の物語化が、小説だ」とは
間違ってもいわないだろう。彼の処女作時代を愛した読者たちは、これを裏切られたように思った。自分もそのひとり。

ふたりとも、いい意味で、いわゆる「文学」的なものから距離があり、
それが作品の大きな魅力になっていたのだが、龍氏は「情報化」し、春樹氏は「文学化」したことで、
当初の新鮮な、他のどこにもなかったような味わいは失われてしまった。

さて、『愛と幻想のファシズム』だが、ここにおける作者の根本思想のようなものは、
弱肉強食のシンプルな快楽原則。それが狩猟民族や、進化論、生物学的真理、経済問題などで彩られている。

それと、龍氏の特徴のひとつは、彼が「時代の作家」であることを積極的に受け入れ、
その時々の読者の関心に寄り添っていくこと(刺激挑発することも含めて)。
それはこの作品でも顕著で、あまりにバブル期の気配を、作品が身にまといすぎているように思える。

春樹氏は、同時代性や、日本というものから遠く距離を取り、世界文学の地平へ歩んでいった。
現代人の心象という普遍的な部分の文学化に向かい、ノーベル賞候補に毎年名を連ねるようになった。
龍氏は、自身の資質に素直に、自分の文章力を活用し、作品を発表し続けている。
情報を租借し、自らが持つ圧倒的な文章表現力で作品化する(できてしまう)ことは、両刃の剣となる。
それは時に、作品を表面的なものにしてしまう。

たとえば、ある時期、「激写」などといい、ものすごい仕事量で、メディアに出続けたカメラマンがいたが、
今、彼のことを口にする人はほとんどいない。

この小説の冒頭近くで、トウジと出会ったゼロは「みんなぼくのことを天才だというよ」というようなことを話す。
ゼロの人物造形は、作者自身が投影されているので、こういう類いのことを、龍氏も日常言われていたのだろう。

だが、海外で生活することの多い春樹氏は、そういうことからも自由になっているはず。

村上龍氏も、一度、周辺的なことからまっさらになり、自身の才能だけに向き合い、小説を書いてくれるとよいのだが。
寡作であっても、充実した、中身の濃い作品を生み出してくれた方がいいのではないだろうか。

『愛と幻想のファシズム』を改めて読んで、そんなことを思った。

講談社文庫版は、紙質が悪く、裏移りして、物語世界の中に入っていけないので、
この単行本がいい。横尾忠則の装幀も、作品に合っていて、クールでカッコよくきまっている。
愛と幻想のファシズム(上) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上)より
4062014319
No.78
(4pt)

『愛と幻想のファシズム』を読んで、思い浮かべたこと。

発刊当時、かなり熱くなって、この単行本を読んだ気がする。

25年以上経って再読。作者の筆力、文章表現力は、
日本文学史的なレベルに置いても抜きんでていると思う。

ただ、時々思うのは、それが、十分いい形で発揮されているのかどうか、ということ。
F1エンジンを付けてリアカーが走っているような気になるときがある。

龍氏は、かつて「小説とは、情報を物語にすることだ」といった。そして彼の作家活動はその実践になっている。
彼は小説をコンスタントに量産し、村上龍はこういうものだという期待を裏切らない作風を維持してきている。

それとは対照的に、村上春樹氏は、早い段階で自分の方向性を大きく変えた。
デビュー作と第2作が持っていたリリカルで、親密で、個人的な魅力は、第3作目からなくなり、
従来の、いわゆる「文学的な」表現へと舵を切った。春樹氏ならば「情報の物語化が、小説だ」とは
間違ってもいわないだろう。彼の処女作時代を愛した読者たちは、これを裏切られたように思った。自分もそのひとり。

ふたりとも、いい意味で、いわゆる「文学」的なものから距離があり、
それが作品の大きな魅力になっていたのだが、龍氏は「情報化」し、春樹氏は「文学化」したことで、
当初の新鮮な、他のどこにもなかったような味わいは失われてしまった。

さて、『愛と幻想のファシズム』だが、ここにおける作者の根本思想のようなものは、
弱肉強食のシンプルな快楽原則。それが狩猟民族や、進化論、生物学的真理、経済問題などで彩られている。

それと、龍氏の特徴のひとつは、彼が「時代の作家」であることを積極的に受け入れ、
その時々の読者の関心に寄り添っていくこと(刺激挑発することも含めて)。
それはこの作品でも顕著で、あまりにバブル期の気配を、作品が身にまといすぎているように思える。

春樹氏は、同時代性や、日本というものから遠く距離を取り、世界文学の地平へ歩んでいった。
現代人の心象という普遍的な部分の文学化に向かい、ノーベル賞候補に毎年名を連ねるようになった。
龍氏は、自身の資質に素直に、自分の文章力を活用し、作品を発表し続けている。
情報を租借し、自らが持つ圧倒的な文章表現力で作品化する(できてしまう)ことは、両刃の剣となる。
それは時に、作品を表面的なものにしてしまう。

たとえば、ある時期、「激写」などといい、ものすごい仕事量で、メディアに出続けたカメラマンがいたが、
今、彼のことを口にする人はほとんどいない。

この小説の冒頭近くで、トウジと出会ったゼロは「みんなぼくのことを天才だというよ」というようなことを話す。
ゼロの人物造形は、作者自身が投影されているので、こういう類いのことを、龍氏も日常言われていたのだろう。

だが、海外で生活することの多い春樹氏は、そういうことからも自由になっているはず。

村上龍氏も、一度、周辺的なことからまっさらになり、自身の才能だけに向き合い、小説を書いてくれるとよいのだが。
寡作であっても、充実した、中身の濃い作品を生み出してくれた方がいいのではないだろうか。

『愛と幻想のファシズム』を改めて読んで、そんなことを思った。

講談社文庫版は、紙質が悪く、裏移りして、物語世界の中に入っていけないので、
この単行本がいい。横尾忠則の装幀も、作品に合っていて、クールでカッコよくきまっている。
愛と幻想のファシズム(上) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上)より
4062014319
No.77
(4pt)

ふさわしい結末とは(妄想注意)

小説としてのダイナミズムという点では文句のつけようのない本作の読了後に残るモヤモヤ感を解消するための処方箋として、個人的に以下のようなラストシーンを思い浮かべることにした。

「ザ・セブン」への対抗勢力たる国際社会の若きリーダーとしてニューヨークで開催される国連総会に出席したトウジが、一世一代の大演説をぶっている途中、いきなり訳の分からない妄言を発し始める。口の端からは泡が吹き出し、両眼の焦点は定まらず、突然ニヤニヤしたかと思うと次の瞬間には涙を浮かべ虚空に浮かぶ幻影に向かって許しを請い始める・・・

衛星中継で放映されるトウジの醜態を深夜の都内ホテルの一室で冷静に眺める一人の女。彼女の掌には数日前アメリカに向けて搭乗する直前にトウジの口に含ませた錠剤があった。

彼女が錠剤を飲み干しベッドに横たわるのとトウジが発狂したままテレビカメラの前で自らの喉を掻っ切って自決するのはほとんど同時であった。(完)
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.76
(4pt)

ふさわしい結末とは(妄想注意)

小説としてのダイナミズムという点では文句のつけようのない本作の読了後に残るモヤモヤ感を解消するための処方箋として、個人的に以下のようなラストシーンを思い浮かべることにした。

「ザ・セブン」への対抗勢力たる国際社会の若きリーダーとしてニューヨークで開催される国連総会に出席したトウジが、一世一代の大演説をぶっている途中、いきなり訳の分からない妄言を発し始める。口の端からは泡が吹き出し、両眼の焦点は定まらず、突然ニヤニヤしたかと思うと次の瞬間には涙を浮かべ虚空に浮かぶ幻影に向かって許しを請い始める・・・

衛星中継で放映されるトウジの醜態を深夜の都内ホテルの一室で冷静に眺める一人の女。彼女の掌には数日前アメリカに向けて搭乗する直前にトウジの口に含ませた錠剤があった。

彼女が錠剤を飲み干しベッドに横たわるのとトウジが発狂したままテレビカメラの前で自らの喉を掻っ切って自決するのはほとんど同時であった。(完)
愛と幻想のファシズム(下) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下)より
4062014327
No.75
(5pt)

幻想だけのファシズム

まず、こんなにうまく行くかよってのが、読んだ最初の感想。この作品は、私にしては非常に珍しく2~3回は読んだ。他に2回以上読んだ本は「新約聖書」と「影武者徳川家康」くらい。私はだいたい1回読んで終わり(常に買い置きの本があるので2度読みする余裕がないのもある)それがこの本はまた読んだ。なぜならこうなってほしいという願望があるから。こういう世の中になってほしいという。冒頭にも書いたが、物事がトントン拍子に進んでいく。トウジやゼロが始めたのは、普通だったら初期段階で潰されるような団体、運動だ。それが世間に簡単に受け入れられ過ぎ。でもこういう団体が出てきてほしい。在特会や新風はまだまだこんなレベルじゃない。まぁこの話の場合、運動初期段階でクロマニヨンのような実力行使する勝手連が出てきたのが最大の成功の要因だが。村上龍の作品にありがちな、凄い少年たちが、狩猟社への妨害者に対する大いなる牽制になったればこそ。そしてこういう少年たちは(少年である必要はないが)いつまでも現実には出てこない。出てくれば簡単に世の中ひっくり返せる。いつも思うが、村上龍は少年たちに期待し過ぎ。まぁ、幻想(ファンタジー)だね。それからトウジというキャラクターには全く共感できなかった(ハッキリ言って終止ムカついていた)こいつには人間味が全く感じられない。超人として描きたかったのかも知れないが。あとアメリカの超大金持ちって本当にああいう生活してるのかね。してそうな気もしないでもないが。全編通して幻想は感じられたが愛は感じられなかったね。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.74
(5pt)

幻想だけのファシズム

まず、こんなにうまく行くかよってのが、読んだ最初の感想。この作品は、私にしては非常に珍しく2~3回は読んだ。他に2回以上読んだ本は「新約聖書」と「影武者徳川家康」くらい。私はだいたい1回読んで終わり(常に買い置きの本があるので2度読みする余裕がないのもある)それがこの本はまた読んだ。なぜならこうなってほしいという願望があるから。こういう世の中になってほしいという。冒頭にも書いたが、物事がトントン拍子に進んでいく。トウジやゼロが始めたのは、普通だったら初期段階で潰されるような団体、運動だ。それが世間に簡単に受け入れられ過ぎ。でもこういう団体が出てきてほしい。在特会や新風はまだまだこんなレベルじゃない。まぁこの話の場合、運動初期段階でクロマニヨンのような実力行使する勝手連が出てきたのが最大の成功の要因だが。村上龍の作品にありがちな、凄い少年たちが、狩猟社への妨害者に対する大いなる牽制になったればこそ。そしてこういう少年たちは(少年である必要はないが)いつまでも現実には出てこない。出てくれば簡単に世の中ひっくり返せる。いつも思うが、村上龍は少年たちに期待し過ぎ。まぁ、幻想(ファンタジー)だね。それからトウジというキャラクターには全く共感できなかった(ハッキリ言って終止ムカついていた)こいつには人間味が全く感じられない。超人として描きたかったのかも知れないが。あとアメリカの超大金持ちって本当にああいう生活してるのかね。してそうな気もしないでもないが。全編通して幻想は感じられたが愛は感じられなかったね。
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.73
(5pt)

幻想だけのファシズム

まず、こんなにうまく行くかよってのが、読んだ最初の感想。この作品は、私にしては非常に珍しく2~3回は読んだ。他に2回以上読んだ本は「新約聖書」と「影武者徳川家康」くらい。私はだいたい1回読んで終わり(常に買い置きの本があるので2度読みする余裕がないのもある)それがこの本はまた読んだ。なぜならこうなってほしいという願望があるから。こういう世の中になってほしいという。冒頭にも書いたが、物事がトントン拍子に進んでいく。トウジやゼロが始めたのは、普通だったら初期段階で潰されるような団体、運動だ。それが世間に簡単に受け入れられ過ぎ。でもこういう団体が出てきてほしい。在特会や新風はまだまだこんなレベルじゃない。まぁこの話の場合、運動初期段階でクロマニヨンのような実力行使する勝手連が出てきたのが最大の成功の要因だが。村上龍の作品にありがちな、凄い少年たちが、狩猟社への妨害者に対する大いなる牽制になったればこそ。そしてこういう少年たちは(少年である必要はないが)いつまでも現実には出てこない。出てくれば簡単に世の中ひっくり返せる。いつも思うが、村上龍は少年たちに期待し過ぎ。まぁ、幻想(ファンタジー)だね。それからトウジというキャラクターには全く共感できなかった(ハッキリ言って終止ムカついていた)こいつには人間味が全く感じられない。超人として描きたかったのかも知れないが。あとアメリカの超大金持ちって本当にああいう生活してるのかね。してそうな気もしないでもないが。全編通して幻想は感じられたが愛は感じられなかったね。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.72
(5pt)

幻想だけのファシズム

まず、こんなにうまく行くかよってのが、読んだ最初の感想。この作品は、私にしては非常に珍しく2~3回は読んだ。他に2回以上読んだ本は「新約聖書」と「影武者徳川家康」くらい。私はだいたい1回読んで終わり(常に買い置きの本があるので2度読みする余裕がないのもある)それがこの本はまた読んだ。なぜならこうなってほしいという願望があるから。こういう世の中になってほしいという。冒頭にも書いたが、物事がトントン拍子に進んでいく。トウジやゼロが始めたのは、普通だったら初期段階で潰されるような団体、運動だ。それが世間に簡単に受け入れられ過ぎ。でもこういう団体が出てきてほしい。在特会や新風はまだまだこんなレベルじゃない。まぁこの話の場合、運動初期段階でクロマニヨンのような実力行使する勝手連が出てきたのが最大の成功の要因だが。村上龍の作品にありがちな、凄い少年たちが、狩猟社への妨害者に対する大いなる牽制になったればこそ。そしてこういう少年たちは(少年である必要はないが)いつまでも現実には出てこない。出てくれば簡単に世の中ひっくり返せる。いつも思うが、村上龍は少年たちに期待し過ぎ。まぁ、幻想(ファンタジー)だね。それからトウジというキャラクターには全く共感できなかった(ハッキリ言って終止ムカついていた)こいつには人間味が全く感じられない。超人として描きたかったのかも知れないが。あとアメリカの超大金持ちって本当にああいう生活してるのかね。してそうな気もしないでもないが。全編通して幻想は感じられたが愛は感じられなかったね。
愛と幻想のファシズム(下) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下)より
4062014327
No.71
(4pt)

『愛と幻想のファシズム』を読んで、思い浮かべたこと。

発刊当時、かなり熱くなって、この単行本を読んだ気がする。

25年以上経って再読。作者の筆力、文章表現力は、
日本文学史的なレベルに置いても抜きんでていると思う。

ただ、時々思うのは、それが、十分いい形で発揮されているのかどうか、ということ。
F1エンジンを付けてリアカーが走っているような気になるときがある。

この小説も、結局、描写を取り除いた作者の根本思想みたいなものは、弱肉強食の快楽原則で、
それが狩猟民族とか、進化論とか、生物学的真理とか、経済問題その他で彩られている。

あと、彼は「時代の作家」であることを受け入れ、その時々の読者の関心に寄り添う(刺激挑発することも含めて)
のだが、それがこの作品でも顕著で、あまりにバブル期の気配を作品が身にまといすぎているのでないだろうか。

同時期にデビューした村上春樹さんは、同時代性や、日本というものから遠く距離を取り、
その結果、世界文学の地平へ歩んでいった。現代人の心象という普遍的な部分の文学化に向かい、
今、ノーベル賞候補に毎年名を連ねるようになった。
村上龍氏は、自身の資質に素直に、自分の文章力を活用し、作品を発表し続けているのだが、
それが結果的に、表面的な空回りとならなければいいのだが。

たとえば、ある時期、「激写」などといい、ものすごい仕事量で、メディアに出続けたカメラマンがいたが、
今、彼のことを口にする人はほとんどいない。

この小説の冒頭近くで、トウジと出会ったゼロは「みんなぼくのことを天才だというよ」というようなことを話す。
ゼロの人物造形は、作者自身が投影されているので、こういう類いのことを、龍氏も日常言われていたのだろう。

だが、海外で生活することの多い春樹氏は、そういうことからも自由になっているはず。

村上龍氏も、一度、周辺的なことからまっさらになり、自身の才能だけに向き合い、小説を書いてくれるとよいのだが。
寡作であっても、充実した、中身の濃い作品を生み出してくれた方がいいのではないだろうか。

『愛と幻想のファシズム』を改めて読んで、そんなことを思った。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.70
(5pt)

優れたプロット

ニーチェの影響か、権力の意思というものが上手くかけてる。
「狩猟」という観点から超人思想ではないが、実際にファシズムが起きるとしたら
こうだという非常な唯一無二のリアリティがある。ただトントンと話が進みすぎるような気がしないでもない。
もう一捻りあってもいいような気がする。
村上龍の主人公は勝利者だ。勝利者が勝つという当たり前でできていて、そこがこの小説の醍醐味だが
キリスト教的なひねり、奇跡に慣らされていると、では奇跡はと求めたくもなる。
それがないところがこの小説の良さでもあるのだが多分私がキリスト教に毒されているからだろう。
奇跡は? 救いは? と問いたくなる。
神は死んだというニーチェ思想というところから順当に彼らは勝っていく。
多分私は彼らに狩られるだろう。だがその前に時代精神として立ちふさがるだろう。
そういう妄想にかられるほどよくできた小説。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.69
(4pt)

疾走感。

ドライブ感というか疾走するかのごとく、たたみかける感じがある上巻が好きで購入。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.68
(5pt)

ok

ok no problem fine. good enough nice
愛と幻想のファシズム(下) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下)より
4062014327
No.67
(5pt)

ok

ok no problem fine. good enough nice
愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)より
4061847406
No.66
(5pt)

ok

ok no problem fine. good enough nice
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4061847392
No.65
(4pt)

エンターテイメント

非常に面白い誇大妄想気味のエンターテイメント。
願わくば、副主人公の死ではなく、組織そのものの瓦解か何かを描いてほしかったです。
そうじゃなければあまりにもご都合的ですし。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.64
(4pt)

リアルなのかリアルでないのか

若干、「そんなアホな」とつっこみたくなる展開が多い気がします。
たとえば私設の武力組織はまさに万能だし、要人に対しては脳のケミカルをいじる薬を使ってなんでもできるし
主人公たちのパーティーは用済みになった人間以外は、下巻で一人を除いてほとんど誰も消えない
結局、「トウジは運がよかった、まさに奇跡的に」と片付けざる得ないような感じがします

このへんは「5分後の世界」のほうが圧倒的に現実感があるので、それと比べると少ししらけてしまいます。
しかし、アメリカに飼い慣らされているという話には妙にリアルな感触があります

とくに、この小説は「経済・金融システム」(政治はそのための道具)と、それに抗う人間をテーマにかかれているのですが
2012年の現在、金融をみているとすくなからず実感を持たざるを得ません。

アメリカの資本はドルが基軸通貨であることを利用して、情報とニュースをコントロールして自己の利益のためにあらゆる通貨の価値を誘導しています。

そしてアメリカと日本の関係は、僕がよくしならい、僕が生まれる前の状況と何も変わっていない
むしろ悪くなっているという感覚が明瞭になってきます。

5分後の世界やコインロッカー・ベイビーズなんかは、読み終わった後、どちらかというと登場人物や情景に思いを馳せるのですが
この小説の場合はオダギリやキク以上に強烈な個性を持っているトウジや極寒の狩猟場ではなく
なぜかリアルな世界との対比に思いを馳せてしまい、なんとも薄気味悪い閉塞した気分になります。

「そんなアホな」と思われる展開が多いにもかかわらず、リアルなのです。
リアルじゃないという錯覚は、それだけ今の日本がトウジ的なもの、狩猟者的なものから遠くはなれているという事実からくるのでしょう。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.63
(5pt)

好きじゃないのにおもしろい!

私はもう、この本の世界が好きか嫌いかで言うと、そんなに好きじゃないし、どこか嫌悪感すら感じてしまう。
それなのにおもしろい!もう相当前の作品なのに、つい最近書かれたものだといわれてもほとんど違和感がないように思う。
著者の徹底した現実主義・リアリズム、何かオブラート・きれいごとに包まれたものを顕にしてしまうようなするどい描写が読者にカタルシスを与えている。著者がこの作品で描いた世界は真実かと言えば、まだわからないのだけれども、これだけ力のこもった現実描写はあまり見ない。
愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)より
4061847392
No.62
(5pt)

最も魅力的な小説

まず、読むのに体力を使う。疲れる。
登場人物達の個性に圧倒される。

そして、そんな中で彼らに憧れていく自分がいる。

彼らは現代のシステムに反抗していく。
僕らがあいまいに意識している支配構造へ。

主人公のトウジは個人として完成されている存在だ。

そんな存在になることが今を生きる方法なのかもしれないと感じた。
愛と幻想のファシズム(上) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(上)より
4062014319
No.61
(5pt)

弱者こそ

重厚。
伊坂幸太郎「魔王」のレビューで本作を知り、初めて読んだ。
圧巻だった。

村上春樹、伊坂といったベストセラーが今ひとつ心に響かず、自分に問題があるのかと落胆していた。が、村上龍に出会い「自分はこちら側の人間だ!」と感じた。救われた思いである。

暴力的にヒューマニズムを否定する主人公達が、弱者を「淘汰されるべきもの」として切り捨て、独裁へと突き進む物語。
主人公の忌み嫌う「システム」、その象徴として「農耕」が名指しされる。
農耕により食糧の大量かつ安定供給が可能になった結果、ホモサピエンスの大繁栄がもたらされた。これは生ぬるい「弱者をも内包し得る社会」でもある。
農業に限らず、現状維持的な企業、団体、民主主義国家というシステム。これに無自覚・思考停止状態で「安住」する大多数の「弱者」。これらに対する「狩人」の嫌悪感。
そして立ちはだかる、さらに巨大な「狩人」。

思うに「弱者」を「大衆」という言葉に言い換えると、分かりやすいのではないか。

未熟児だったこともあり「弱者」側の視線で生きてきた私は、「自分は淘汰されるべき存在なのではないか」ということを考えていた。小学生の頃の話だ。
そんな自分が40歳を過ぎた今、はっきり言えるのは、
「弱者こそ危機感を持ち、思慮深くなければならない。それでこそ生きる価値がある」
ということ。
逆説的ではあるが、危機意識を持った本当の「弱者」は、意外に強い。

一方で、自らの弱さが見えていない盲目的な「大衆」は、集団で溺死させられたネズミのようになり得る。
本作で筆者は、そんなことを言いたかったのではないか?

二十余年の時を経た今も、全く色あせない渾身の一作。ぜひ、若い人にも読んでもらいたい。
愛と幻想のファシズム(下) Amazon書評・レビュー: 愛と幻想のファシズム(下)より
4062014327