明日をこえて
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「○○○○が死んで○○年だぞ! 今更初訳される話が面白いワケないだろ!」 ・・・いや、まったく おまけに生き残りの米軍人/科学者がパンアジア人を担ぐカラクリが此の処、嫌でも目に入って来る「真のお父様」とか「マザー・ムーン」とかあんな感じの遣り口(こっちは癒しも本物だが)なのでもうウンザリ | ||||
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牧真司氏の紹介コラムで出版されたことを知り、購入。 本書は、20世紀アメリカSF界の巨匠、ロバート・A・ハインラインの初期の長篇。これまでは、第二次世界大戦の影響下で書かれたもので翻訳する意味がないという評価がされていて、氏の作品の中で唯一日本で翻訳・出版されていなかった。 まさか、今になって日本語で読めるとは思えなかった。ずっと待ち望んでいた者としては感謝の気持ちしかない。 巻末に掲載されている長編リストでは本作の初出が1941年のアスタウンディング誌での連載となっている。これは本書が1949年の作品と思っていた評者には大きな発見だった。 1949年と1941年ではその意味が大きく異なる。ハインラインの長篇の発表順としてはジュブナイル物を除いて本書が2作目の長篇だと思っていたが、実質、ハインラインの最初の長篇ということになる。 また、SF史的な意味も異なってくる。単行本が出版された1949年の作品であれば、本書は現実には存在しない架空の歴史を描いたパラレル・ワールド・テーマのSFということになり、その意味でも『高い城の男』の直系の祖先と言えるが、実際には1941年に雑誌連載された作品なので、パラレル・ワールドではなく、当時社会不安を招いていた黄禍論、日本脅威論に基づく未来予測テーマのSFということになる。(それとも、実際には起こり得ない未来だと確信しながら娯楽、あるいは警鐘のために書かれた物語であれば、やはりパラレル・ワールドになるのだろうか?) 評者は、以下の要件に該当するので本書に固有の価値を見いだしたが、そうでない読者は否定的な意見しかもたないかもしれない。 ・ハインラインのファン、及び彼に興味を持つ者 ・アメリカSFの歴史に興味を持つ者 ・一般的な歴史及び人種問題に興味を持つ者 以下、公式の紹介文からも見え見えだけど、ちょっとネタバレがあります。 本書は、パンアジア帝国に侵略されたアメリカの反抗を描いた物語である。 パンアジア帝国は世界を制覇しようとしているアジア人の大帝国という設定。今なら別の国のことを想定するが、本書が連載された1941年初頭は太平洋戦争の開戦まで1年を切り、アメリカでも日本脅威論が高まっていた時期。登場人物の描写から見ても大日本帝国をモデルとしていることは間違いない。 アメリカは政府中枢が制圧された後、核兵器によって全土が一気に制圧されたという設定で、戦いの詳細は省略されていて、占領が始まった時点から物語は始まる。 主人公は壊滅したワシントンから密命を受けてロッキー山中に隠された軍の秘密研究所に派遣された情報部の少佐。 研究所に生き残っていたのは3人の軍事科学者と3人の下士官と兵の計6人。この6人に主人公を含めた7人でアメリカの独立を取りもどそうとする話。 まったく抵抗の意思を失い、アジア人による占領政策を受け入れているアメリカ全土を、この7人でどのように開放していくのか? 普通に考えれば絶対不可能な作戦。それを実現化するにはとんでもない戦略が必要になる。 超科学、超発想、超戦略。詐欺同然の手段によって目標に向かっていく。超科学の適用においては魔法と言っても誇張にならないようなご都合主義も頻出するが、そこはエンタテイメントだと思って読むことが望ましい。社会学的アイデアの適用、前向きの思考、ストーリー・テリング等、後の作品でもおなじみのハインラインらしい娯楽性が見られる。 しかし、本書の最大の問題点は、ご都合主義ではなく差別意識である。 解説でも触れているが、本書は当時のアメリカの黄禍論に乗って書かれたものらしい。単にアジアの大帝国の拡張主義が恐ろしいということではなく、パンアジア人自体が理解できない恐ろしく残虐なものという描き方がされている。後半になって一人、主人公たちに共感して協力する二世の人物が登場するが、あくまでも例外でありパンアジア人に対する印象を変えるものではない。物語の中の敵役であるパンアジア人の一人である評者としては、正直なところ読んでいて不快な気持ちになる。 さらに評者が問題と考えているのは、本書がアメリカ人とパンアジア人の戦いではなく、白人とモンゴル系人種の戦いとして描いていること。 本書には、少人数の主人公たちが圧倒的に多数のパンアジア人に対して有利な立場で戦うために秘密兵器が登場する。その兵器はモンゴル系人種を選択的に殺害することができるのだが、その説明において白人には効果を及ぼさないと書かれており、その後もそのような描写が続く。(ちなみに、本書には白人とパンアジア人以外は一切登場しない。) これをアメリカに居住する他の諸民族の存在をまったく無視していると考えるか、それとも、物語を単純化するために、あるいはトラブルを避けるために意図的に排除していると考えるかによって評価は変わってくるが、違和感を感じる。主人公が長髪の男たちや短髪の女たちは変人どもだと決めつける場面もある。そういう時代だったのだろう。 評者が児童向け以外のハインラインの長篇小説を初めて読んだのは『太陽系帝国の危機(ダブル・スター)(1956年)』で、これは差別の克服をテーマとする大傑作だった。その後、読んだ作品群についても、自由主義で好戦的な側面が強いことが特徴だけど、ハインラインは基本的に平等主義の人間だと思っていたので、まさかここまで差別主義的な作品を書いていたとは思っておらず、かなり驚いた。 この違いを作品発表時の商業的、あるいは社会的な理由によるものと解釈するべきなのか、それともハインライン本人がこの期間に思想的、作家的に成長した結果と見るか。 解説等では本書を現在のウクライナ紛争に関連付けるものが多いが、評者は本書に本来の目的を隠すために設立された偽宗教団体が登場することの偶然を感じざるを得ない。人を騙す方法としての宗教は時代に関わらず存在するらしい。 ハインラインについては、実利主義者だし、発想が柔軟な人なので、偽宗教をでっちあげて利用するという発想をしても不思議ではないと思うけど、解説によるとWASPとされているキャンベルは問題としなかったのだろうか? また、大日本帝国の脅威に対する不安を黄禍論をベースにして小説化したキャンベルとハインラインだが、ナチス・ドイツの脅威に対してはどのように考えていたのだろうと思う。 | ||||
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明日をこえて。 帯に「アメリカはパンアジア帝国に制圧された! 最後の希望は軍科学基地のわずか6人……」とあります。やれやれ。しかし、1949年の時点での著者の気持ちそのものが反映されているのでしょう。 ストーリー自体は常識に反していません。 | ||||
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