カシュトゥンガ
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『それを聞きながら、咲希は改めて思った。 学校って、怖い。』(322ページ、333ページより) NHKの人気番組の一つに「ピタゴラスイッチ」というのがあって、そりゃもう大抵の人はご存知だろうと思うけれど、あの有名なカラクリである。超簡単に言ってしまうとアレは精巧に作られたドミノのようなもので。 配置された牌が、駒が、スイッチが、電気的装置が、すべてが製作者の「期待通りに動いた」からこそタイトルコールできる、というそんな番組なのだけれど……。 まず先にこの作品の欠点から述べるとする「根底のギミック」と「脇役の活かし方(活かせなさ)」、そして「狙い(路線)の曖昧さ」といった部分が挙げられる。 タイトルでもあり中核となるこのおまじない「カシュトゥンガ」だが、どうもご都合主義だ。起承転結の「承」から「転」にかけて、それはもう嵐のように活躍してくれているのだけれど、結果にいたる理屈が説明不足。いや、「誤った形で広めた」とは言及されているが、それは行為の結果と結びついているのか? と考えてしまうと説得力に欠けている。 また作中の母親、家庭教師、兄、担任教諭など話の筋に影響を与えているようで実はぜんぜんいなくても問題ないレベルの登場人物が多い。これはもうすこし掘り下げるか、あるいはいっそシェイプ・アップして削ってしまった方が分かりやすいのでは……とも感じてしまった。 そして路線。本作を昨今たまに目にするスクール・カーストものだろう……という期待で読み始めてしまったこちらが悪いのかもしれないが、前述の通り中核となる「おまじない」がご都合主義のファンタジーで、最期を飾るカタストロフィもそこまでカタルシスを得られるものでもない。主人公が甘ちゃんの傍観者で、終始庇護されるのみ、てんで成長していないことも一因かもしない(それらしき独白こそあるけれど、それもなんだか……と感じてしまう) とまあ、学園プチヒステリックファンタジーで語るとすれば、恩田陸の「六番目の小夜子」に劣るし、スクール・カースト風の圧倒的に鬱々とした語りと比べるならば、そりゃもう村田沙耶香の諸作品が圧倒的に尖がっている。残念ながらこの作品は焦点がぼやけており、中途半端な味わいなのだ。 ただ一つだけ見るべき所があるとすれば、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の釈迦に注目した所だ。 糸を垂らし、その糸が仮に切れたとしてもまったく意に介さないということ――、自分の置ける範囲でドミノを配置して、後は倒れるがままに任せるということ――、そうした結果に頓着しない善意/悪意の発露というものはともすれば単なる説明不足としか捉えられないかもしれないが、導入の地下鉄サリン事件から韻を踏み、またドミノについて語らせることで、そうした「嗜好性」について奇妙な説得力を持たせることに成功している。 エンディングもこの手の話ではよくあるオチだ。だがそれさえも『彼女』の描いた大伽藍の一部なのではないか? ――人に「期待」をするということは期待されたほうはもちろん張り切る。釈迦は陀多がどれだけ張り切ることを予想していたのか? 『彼女』は救われた人々がどのように使命を燃やすことを予想していたのだろうか? ……そうした余韻を残しえた点からすれば、この作品は細部の味わいこそぼやけてはいるが、最期の一画は見事に描ききったのではないか、……読後、そんな風に感じる作品だった。 | ||||
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